「ニコラエ・チャウシェスク」の版間の差分

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→‎家族: 長男が養子という記述に要検証範囲を設定。ノート:ニコラエ・チャウシェスク#長男が養子だという記述参照
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== 家族 ==
妻との間に2男1女がいる。
* {{仮リンク|ヴァレンティン・チャウシェスク|en|Valentin Ceaușescu}}([[1948年]][[2月17日]] - ) - 長男。{{要検証範囲|ただし実子ではなく、チャウシェスク夫妻が孤児院から引き取った[[養子]]。|date=2015年11月}}[[核物理学]]者となり政治には関わっていなかったことから、革命の際にも身柄拘束はされなかった。その後、[[横領]]などの容疑で逮捕されたものの、[[不起訴処分]]となり釈放、現在は核物理学者として復帰している。革命時に新政権によって没収された財産の返還を求める裁判を起こした。
* {{仮リンク|ゾヤ・チャウシェスク|en|Zoia Ceaușescu}}([[1949年]][[3月1日]] - [[2006年]][[11月20日]]) - 長女。[[数学者]]であった一方、党の役職にもついていた。革命前は贅沢三昧の暮らしをしていたといわれ、「飼い犬に牛肉を与えていた」等と報じられる。革命の際に身柄を拘束される。間もなく横領などの容疑で改めて逮捕されたが、不起訴処分となり釈放。その後革命時に新政権によって没収された財産の返還を求める裁判を起こした。最終的にその訴えの一部が認められ、財産の一部がゾヤに返還された。2006年、[[肺がん]]のため死去。
* {{仮リンク|ニク・チャウシェスク|en|Nicu Ceaușescu}}([[1951年]][[9月1日]] - [[1996年]][[9月25日]]) - 次男。革命時はセクリタテアの幹部で、党政治執行委員候補であり、父の後継者と目されていた。革命の際には愛人とともに車で逃亡を図るも逮捕された。間もなくブカレスト市内の国営テレビ局に連行され、押しかけた人々に罵られながら救国戦線の関係者らに詰問され、その一部始終がテレビで放映された。その後横領など複数の罪で起訴されたが、裁判中の1996年、[[肝硬変]]のため死去。