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|党首氏名 = ウンベルト・ボッシ
|副党首職名 =書記長
|副党首氏名 = [[:en:Roberto Maroni|ロベルト・ッテオ・サルヴェーニ]]
|成立年月日 = [[1991年]][[2月15日]]
|本部所在地 = [[ロンバルディア州]][[ミラノ]]
|上院 = [[元老院 (イタリア)|元老院]]
|上院議員数 = 1814
|上院議員定数 = 322
|上院議員集計年月日 = 2010年1月10日
|下院 = [[代議院 (イタリア)|代議院]]
|下院議員数 = 1812
|下院議員定数 = 630
|下院議員集計年月日 = 2010年1月10日
|党員・党友数 = 150,000
|党員・党友数集計年月日 = [[2008年]]
|政治的思想・立場 = [[連邦主義]]<BR>[[人民主義]]<BR>[[欧州懐疑主義]]<BR>[[環境主義]]
|機関紙 = [http://www.lapadania.com/ ラ・パダニア]
|ウェブサイト = http://www.leganord.org/
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|その他 =
}}
'''北部同盟'''(ほくぶどうめい、[[イタリア語]]:'''Lega Nord'''、略称:'''LN''')は、[[イタリア]]の[[政党]]。[[党首]]書記長は[[ウンベマッテオ・サト・ボッシ]]。工業地帯が密集し経済的に優越しているイタリア北部の自治拡大を主張する[[地域政党ヴェーニ]]。
 
かつては工業地帯が密集し経済的に優越しているイタリア北部の自治拡大を主張する[[地域政党]]として知られていた。過激な言動や文化的保守性、[[反共主義]]、反移民運動などから[[極右]]と認識されることが多いが、政治的目標は労働者の保護と地方分権(かつては「究極の分権」として[[独立]]も視野に入れたが、パダーニア事件の不発から現在は[[連邦制]]を最終目標に掲げている)にあることから、左翼政党という見方もある<ref>[http://archiviostorico.corriere.it/2009/giugno/10/Fabbriche_Gazebo_Lega_modello_Pci_co_8_090610031.shtml Fabbriche e Gazebo: la Lega modello Pci". Corriere della Sera. 2009-06-10.]</ref>。

近年は特に左派的・労働運動な傾向を強め、イタリア人労働者の職を奪っている[[移民|外国人移民]]やユーロ圏へ排斥批判([[欧州懐疑主義]])に軸を移している。
== 年表 ==
*[[1989年]]
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== 党史 ==
=== 背景 ===
[[File:Gross domestic product (GDP) per inhabitant, in purchasing power standard (PPS), by NUTS 2 regions, 2010 (1) (% of the EU-27 average, EU-27 = 100).png|thumb|right|300px|''2010年のヨーロッパにおける一人当たりGDP''<BR>[[カンパニア州]]、[[バジリカータ州]]、[[プーリア州]]、[[カラブリア州]]、[[シチリア州|シチリア自治州]]が[[東欧]]と同水準に留まっているのが分かる。]]
イタリアの[[経済]]は二度の[[世界大戦]]以来、復興期に[[工業]]化が進められたイタリア北部・中部の経済と、依然として[[自作農]]中心であるイタリア南部の経済とが著しく乖離(かいり)した状態が続いており、財政上、北部と中部の経済が南部の経済を支える形になっている。こうした状況を打開するべく、イタリア[[政府]]は南部も北部同様の[[工業地帯]]にしようと開発計画([[バノーニ計画]])を進め、多くの[[国営企業]]を誘致した。こうした行為は南部の工業化に一定の成果はもたらしたが、機械化された国営企業の誘致はインテリ層の職域を増やしただけで、肝心の大多数を占める農民達に職を与える効果はなく、経済的にも税金に頼る非効率な国営企業は南部経済の政府資金への従属を一層に深めてしまった。また[[第二次世界大戦]]中の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍への協力や、[[戦後]]の混乱期を利用して勢力を伸ばした[[マフィア]]は南部に強大な勢力を構築しており、企業誘致や[[インフラストラクチャー]]整備に捻出(ねんしゅつ)された資金はこれらマフィアに吸い上げられ、南部経済の発展には寄与しないケースも散見された。
 
それでも国家機能の分担や、北部への公共投資(南部開発には北イタリアの民間企業が多数加わっていた)としての効果から、[[バノーニ計画]]を手本にした政策はその後も続けられた。だがイタリアの経済全体が悪化し始めると、南部は無論、北部でも[[失業]]や[[賃金]]低下が広がり、次第に「北部住民は南部住民をこれ以上養うことはできない」という反感が募っていった。実際にはイタリア経済の失墜は[[北欧]]に匹敵するとも言われた福祉政策の偏りによるもので必ずしも南部開発が原因ではなかったが<ref>http://www.lcv.ne.jp/~saland/qanda200211.htm</ref>、同時期に発生した大規模なマフィアと政界の癒着事件([[タンジェントポリ]])の影響で南部は悪感情で見られがちであった。
 
=== 結党経緯(1987-1993) ===
[[File:Umberto Bossi.JPG|thumb|right|220px|党首:ウンベルト・ボッシ]]
北部同盟の最も主要な前身政党は[[ヴェネツィア同盟]]で、同党は1983年の総選挙で初めて地方政党として国会議席を獲得した政党であった。それに続くのが1987年に書記長ウンベルト・ボッシを国政に送り出したロンバルディア同盟であり、両党は欧州議会選挙で選挙連合「北部の国民」を結み、1991年に発展的に解消させる形で北部同盟が結党された<ref>Piero Ignazi, ''Partiti politici in Italia'', Il Mulino, [[Bologna]] 2008, p. 88</ref><ref name="Ginsborg">Paul Ginsborg, ''L'Italia del tempo presente'', Einaudi, [[Turin]] 1996, pp. 336-337, 534-535</ref><ref name="Galli 1">Giorgio Galli, ''I partiti politici italiani'', BUR, [[Milan]] 2001, pp. 379-380, 384</ref>。
 
北部同盟は税金を中央政府に集めてから地方経済に見合わせて再分配する財源制度を「ローマ・ルンファルローナ」(''Roma ladrona''、'''ローマの政府は大泥棒だ'''の意)と呼び、戦後イタリアの集権制の象徴として厳しく批判した<ref>Palo Rumiz, ''La secessione leggera. Dove nasce la rabbia del profondo Nord'', Feltrinelli, [[Milan]] 2001, pp. 10-13</ref>。また貧しい南部からの国内移民(出稼ぎ労働者)、国外からの外国人移民が北部の富を奪っているとも主張された。従来の地方主義者の票だけでなく、[[タンジェントポリ]]で既存の右翼・左翼の大政党に失望していた労働者層の一部は北部同盟を支持して、同盟結成は成功を収めた<ref name="Ginsborg"/><ref name="Galli 1"/> 。1992年の総選挙で北部同盟はほぼ無名の状態から一挙に56名の下院議員と17名の上院議員を獲得して、政界再編の中心となった<ref>David Parenzo; Davide Romano, ''Romanzo padano. Da Bossi a Bossi. Storia della Lega'', Sperling & Kupfer, [[Milan]] 2009, pp. 263-266</ref>。地方政界でも1993年のミラノ市長選挙で党内左派に属するマルコ・フォルメンティーニが当選を果たした<ref>Piero Ignazi, ''Partiti politici in Italia'', Il Mulino, [[Bologna]] 2008, p. 90</ref>。
 
=== パダーニア事件(1994-1998) ===
1994年の総選挙で北部同盟は同じく既存政党の票をさらって躍進した[[ベルルスコーニ]]の[[フォルツァ・イタリア]]が主導する右派連合「自由の極」に加わって選挙を戦い、[[ジャンフランコ・フィーニ]]の[[国民同盟 (イタリア)|国民同盟]]([[旧ネオ・ファシスト党]])や [[キリスト教中道民主連合]]らと共に第一次ベルルスコーニ内閣を樹立した。しかしその背後で選挙戦そのものは苦戦を強いられており、労働者層の多くが[[キリスト教民主主義]]を主張した[[フォルツァ・イタリア]]党に投票したことで、得票率は以前より後退してしまっていた。しかし選挙区の幾つかの投票区構造などから、得票率から見れば過大な議席数を得て存在感を発揮することができた<ref>David Parenzo; Davide Romano, ''Romanzo padano. Da Bossi a Bossi. Storia della Lega'', Sperling & Kupfer, [[Milan]] 2009, pp. 267-273</ref>。政権でも下院議長や、5つの大臣職(副首相・工業大臣・経済大臣・欧州議会担当大臣・行政改革担当大臣)を与える厚遇だったが、友好関係は長く続かなかった。
[[File:Umberto Bossi, Pontida, 1990.jpg|thumb|300px|デモ隊を率いる[[ウンベルト・ボッシ]]<BR>([[ポンティーダ]]、1990年)]]
 
1995年1月、ボッシは連立政権の分権政策が不十分であると表明、野党第一党である左翼民主主義者党(旧・イタリア共産党、現・イタリア民主党の前身)による内閣不信任案に賛成票を投じて造反した。しかし党内では予想以上にボッシの路線に反発があり、多くの穏健派分権主義者が北部同盟を離脱してイタリア連邦党を樹立、後に[[フォルツァ・イタリア]]へ合流した。党内には左派グループのみが残る形となり党勢衰退を危惧する声が起こったが、ボッシは分権主義に理解を示す左派連合「オリーブの木」と結びついて幾つかの地方選挙を戦っている。右派連合離脱後、命運を決める事となる1996年の総選挙で北部同盟は議席数を下院議員59名・上院議員27名と躍進を遂げ、ボッシら強硬な自治を説く党内左派が一定の力を維持する形になった<ref>David Parenzo; Davide Romano, ''Romanzo padano. Da Bossi a Bossi. Storia della Lega'', Sperling & Kupfer, [[Milan]] 2009, pp. 273-276</ref>。従って党内意見は過激な言説が通るようになっていき、最終的に北部同盟は「中央政府が即時連邦制に移行しないなら、北部のみで連邦制の新国家を樹立する」と宣言した([[パダーニア構想]])。そして政府がこれを黙殺すると「パダーニア連邦政府」の樹立を宣言して対決姿勢を強めたが、国連や国連加盟国にこれを承認する国は一切現れず、国際法上は無効行為と見なされた。
 
1996年から1998年はこうした過激な行動も相まって北部同盟が最も注目を集めた時代となったが、元から複数の地方主義の寄り合いである北部同盟内では対立が絶えなかった。1998年には主要前身政党であった[[ヴェネツィア共和国運動]]が北部同盟からの離脱を宣言し、それ以外にも多数の幹部党員がボッシの強硬路線を拒絶して離党していった。1999年、党内外の批判からボッシは事実上、[[パダーニア構想]]を無期限で凍結して、連邦制によるイタリアという枠組みでの地方分権へと再び回帰する道をとった。だがこうした一貫性のない行動はますます党内の混乱に拍車をかけ、更に北部同盟の議員・党員の離脱を生み出した。同年に行われた欧州議会選挙で北部同盟は敗北して議席を減らし、勢いに陰りが見えていることを印象付けた。
 
=== 方針転換と政権復帰(1999-2008) ===
=== 党内改革 ===
[[File:Umberto Bossi.jpg|thumb|left|200px|党員集会に参加するボッシ<BR>(2012年、[[トレンティーノ]])]]
ボッシは焦りから右派連合に対する和解すら模索し、かつて党機関紙で「ベルルスコーニはマフィア」と罵倒して政治問題となった<ref>{{cite web|author=Permalink | &nbsp;Stampa |url=http://www.terzoocchio.org/controinformazione/cosa-penso-del-nuovo-presidente-del-consiglio/2008/04 |title=Cosa penso del nuovo Presidente del Consiglio &#124; Terzo occhio.org - fonte di domanda per informare se stessi |publisher=Terzo occhio.org |accessdate=2010-05-10}}</ref>にも関わらず、かつて裏切ったベルルスコーニの政党連合「自由の家」に再び加わって総選挙を戦う選択をした。2001年の総選挙で北部同盟は穏健派・強硬派の双方から愛想を尽かされ、上院得票率に至っては3.9%にまで急落して大幅に議席を減らした。同年のフォルツァ・イタリア党が29.4%、国民同盟が12.0%を獲得した事を考えれば、右派連合で大きく存在感を失ってしまった。ボッシが脳卒中により危篤状態に陥ると、ボッシの指導力に依存していた同盟の崩壊を噂する声は決して少なくなかった。だが結果的に同盟はボッシ不在中も分裂することなく、政権の一角に加わり続けた。連立内では極右である国民同盟と対抗して、フォルツァ・イタリアと連合する姿勢を見せ<ref>{{cite web | title=L' ultima trincea dell' Udc contro l' asse del Nord| url=http://archiviostorico.corriere.it/2004/gennaio/27/ultima_trincea_dell_Udc_contro_co_9_040127035.shtml| publisher=[[Corriere della Sera]] | accessdate=2004-01-27}}</ref>、ベルルスコーニも与党第二党である国民同盟への牽制としてこれを活用した。
 
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だがこの選挙では、労働問題に熱心ながらも人権問題から移民対策には弱腰の左派政党を見限った北部在住の南部出身者の支持を集め、ボッシも「レガ・ノルドは全イタリア人労働者の党である」と演説するなど、南部出身者への結束を促す主張を行っていた。これまで北部同盟にとって完全な[[ホーム・アンド・アウェー|アウェー]]であった南部出身の[[党員]]も増加しており、従来の地域政党から脱皮し、かつてボッシが進めていた「イタリア全土の連邦主義者を統括する政党」に変貌しつつある。父が南部出身者である北部同盟の[[エマヌエーラ・ムネラート]]議員は、南部での躍進について「(我々は)昔の北部同盟ではない」と語っている。北部同盟という名から受けるイメージと実際の政治活動に差異が生じ始めており、「イタリア人民党」という表現が相応しくなりつつある。ボッシ自身、同郷でもあるリソルジメント期の政治家[[カルロ・カッターネオ]]の後継者を自負する行動をしばしば行っている。
 
===ボッシ失脚(2009-2012)===
===内紛と衰退===
[[File:Manifestazione Lega Nord, Torino 2013 66.JPG|thumb|right|200px|ロベルト・マローニ<BR>(2013年、[[トリノ]])]]
2009年の総選挙で北部同盟はパダーニア事件により低迷が続いていた党政を回復させた一方、同盟内の党内対立は解消されずにむしろ深刻な段階に至っていた。[[コリエーレ・デラ・セラ]]は今や同盟は4つの派閥に分裂していると指摘している。2009年から本格化した党内対立で同盟内は「[[魔法陣]]」(cerchio magico、チェルキオ・マギコ)と揶揄される[[:en:Marco Reguzzoni|マルコ・レッグツォーニ]]議員らを中心とした親ボッシの過激派、第三次ベルルスコーニ内閣で同盟出身の閣僚となった[[:en:Roberto Calderoli|ロベルト・カルデロリ]]を中心とする中立派、ボッシの強硬路線に批判的だったロンバルディア州知事[[:en:Roberto Maroni|ロベルト・マローニ]]らの穏健に三分された。また[[:en:Gian Paolo Gobbo|ジェン・パオロ・ゴッボ]]欧州議員ら[[ヴェネト州]]の同盟支部は次第に指導部と距離を取る傾向が動きをられていた。
 
この中でも特にマローニは北部同盟の地盤であるロンバルディア州で支持を集めており、ボッシの後続に押す風潮が強かった。マローニ自身も積極的に動き、党執行委員会などを通じて主導権を握ろうとした<ref>{{cite news |first= |last= |title=Maroni annuncia su Facebook "Ora i congressi" |url=http://www.ilgiornale.it/milano/maroni_annuncia_facebook_ora_congressi/23-01-2012/articolo-id=568397-page=0-comments=1 |publisher=[[Il Giornale]] |location=Milan |date=23 January 2012}}</ref><ref>{{cite news |first1=Maurizio |last1=Giannattasio |title=Salvini, leghista-comunista: ho "convertito" 10 religiosi |url=http://archiviostorico.corriere.it/2008/aprile/26/Salvini_leghista_comunista_convertito_religiosi_co_9_080426116.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=26 April 2008}}</ref><ref>{{cite news |first1=Antonino |last1=D'Anna |title=La rivincita dei cattolici leghisti Borghezio il tramite col Vaticano |url=http://affaritaliani.libero.it/politica/la-rivincita-dei-cattolici-leghisti240312.html |publisher=[[Affaritaliani]] |date=22 March 2012}}</ref>。2010年、マローニら穏健派は同盟内の世代交代を強く訴え、徐々に親ボッシ派を党内で追い落としていった。2011年にはカルデロリら中立派とも連合して党内の主導権を奪う所にまで漕ぎ着けた。しかし依然として同盟の精神的指導者でもあったボッシの権威は決定的には揺るがず、対立は長期化の様相を見せ始めた。
 
2012年4月3日、際限なく続くかと思われた派閥対立は思わぬ形で決着を迎える。同盟内で政治資金の大規模な横領疑惑が持ち上がり、会計責任者フランチェスコ・ベルシトが横領・詐欺・マネーロンダリングなどの容疑で告発される事件が起きた。フランチェスコが横領した政治資金はボッシ家の口座に送金されていた他、彼の派閥に属する人間にも裏金として分配されていた<ref>{{cite news |first1=Luigu |last1=Ferrarella |first2=Giuseppe |last2=Guastalla |title=Lavori alla villa di Gemonio con i rimborsi della Lega |url=http://archiviostorico.corriere.it/2012/aprile/04/Lavori_alla_villa_Gemonio_con_co_9_120404024.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=4 April 2012}}</ref>。マローニは直ちに会計責任者の交代を要求し、数時間後にフランチェスコは辞任した<ref>{{cite news |first1=Claudio |last1=Del Frate |title=Maroni: dobbiamo fare pulizia E il Cavaliere difende il Senatur |url=http://archiviostorico.corriere.it/2012/aprile/04/Maroni_dobbiamo_fare_pulizia_Cavaliere_co_9_120404088.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=4 April 2012}}</ref><ref name="Corriere2012-04-06">{{cite news |first1=Marco |last1=Cremonesi |title=Via Bellerio, ore 16.30. Il Senatur si dimette |url=http://archiviostorico.corriere.it/2012/aprile/06/Via_Bellerio_ore_Senatur_dimette_co_8_120406004.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=6 April 2012}}</ref>。2012年4月5日、ボッシは同盟書記長からの退任を声明した。表向きは勇退という形が取られて新たに党首の役職が与えられたが何の権限も無い名誉的な役職であり<ref name="Corriere2012-04-06"/>、事実上の失脚に追い込まれる形となった。またフランチェスコらボッシ派の有力者は同盟から追放された<ref>{{cite news |first1=Marco |last1=Cremonesi |title=Maroni: "Via loro, o lascio" Espulsi Belsito e Rosi Mauro |url=http://archiviostorico.corriere.it/2012/aprile/13/Maroni_Via_loro_lascio_Espulsi_co_9_120413102.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=13 April 2012}}</ref>。
 
同盟の執行会議では3名の理事による合議制・集団指導体制への再編が決定され、[[:en:Roberto Maroni|ロベルト・マローニ]]がその一人に選出された。創設者が関与した横領疑惑は同盟の結束を失わせ、同時期に準備していた地方選挙にも混乱が波及した<ref>{{cite news |first1=Giuseppe |last1=Sarcina |title=Verona Brinda Tosi, l'anti Bossi: "Il futuro è qui" |url=http://archiviostorico.corriere.it/2012/maggio/08/Verona_Brinda_Tosi_anti_Bossi_co_8_120508039.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=}}</ref><ref>{{cite news |first1=Marco |last1=Cremonesi |title=Maroni: "Via loro, o lascio" Espulsi Belsito e Rosi Mauro |url=http://archiviostorico.corriere.it/2012/aprile/13/Maroni_Via_loro_lascio_Espulsi_co_9_120413102.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=13 April 2012}}</ref>。体制の建て直しが急がれる中、マローニ派は旧ボッシ派の抵抗を退けて同盟党員が集中するロンバルディア州とヴェネト州の政治集会で支持を集めた<ref>{{cite news |first1=Marco |last1=Cremonesi |title=La prima vittoria di Maroni Ma Bossi: non andrò in pensione |url=http://archiviostorico.corriere.it/2012/giugno/03/prima_vittoria_Maroni_Bossi_non_co_8_120603018.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=3 June 2012}}</ref>。2012年7月1日、マローニの第2代同盟書記長就任が決定された<ref>{{cite news |first1=Claudio |last1=Del Frate |title=Maroni leader della Lega: "Via da Roma" |url=http://archiviostorico.corriere.it/2012/luglio/02/Maroni_leader_della_Lega_Via_co_9_120702035.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=2 July 2012}}</ref><ref>{{cite news |first1=Marco |last1=Cremonesi |title=La regia di Zaia per il cambio di stagione "Basta riserva indiana, ora concretezza" |url=http://archiviostorico.corriere.it/2012/luglio/02/regia_Zaia_per_cambio_stagione_co_9_120702026.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=2 July 2012}}</ref>。マローニ体制では各州の同盟支部に大幅な権限委譲が行われ、同盟が目指す所の[[連邦制]]に基いた分権的な組織作りを更に推し進めた<ref>{{cite news |first1=Claudio |last1=Del Frate |title=Maroni leader della Lega: "Via da Roma" |url=http://archiviostorico.corriere.it/2012/luglio/02/Maroni_leader_della_Lega_Via_co_9_120702035.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=2 July 2012}}</ref><ref>{{cite news |first1=Marco |last1=Cremonesi |title=La regia di Zaia per il cambio di stagione "Basta riserva indiana, ora concretezza" |url=http://archiviostorico.corriere.it/2012/luglio/02/regia_Zaia_per_cambio_stagione_co_9_120702026.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=2 July 2012}}</ref>。
 
===欧州懐疑主義の同盟へ(2013-)===
[[File:Matteo Salvini 2.jpg|thumb|left|180px|マッテオ・サルヴェーニ<BR>(2015年、[[トレント]])]]
2013年2月24日から2月25日に行われた[[2013年イタリア総選挙]]で北部同盟は内紛と汚職疑惑、そしてこれまで助力してきたベルルスコーニ政権への批判票などから地方主義者や労働者層の支持が急落し、また若者や急進派の支持はインターネット政党として話題を集めていた[[五つ星運動]]へ奪われて完全に埋没してしまった。北部同盟は全体得票率は4.1%にまで下落する大敗となり、改選前議席の7割を失って小政党へと転落した<ref>[http://www.corriere.it/Speciali/Politica/2013/elezioni/camera/index.shtml Corriere della Sera]. Corriere.it. Retrieved on 2013-08-24.</ref>。それでもロンバルディア州知事選挙では国政与党であるイタリア民主党の現職知事を破ってマローニが当選し、州議会選挙でも25%の議席を確保するなど地方選挙で意地を見せた<ref>[http://www.corriere.it/Speciali/Politica/2013/elezioni/SEAS/regionali/20130224000000_71_REGIONE_3.shtml LOMBARDIA: Risultati elezioni regionali - Elezioni 2013]. Corriere.it. Retrieved on 2013-08-24.</ref> 。2013年9月、マローニは約1年程で同盟書記長を辞任した<ref>{{cite news |first1=Anna |last1=Gandolfi |title=L'annuncio di Maroni: lascio la segreteria entro Natale |url=http://archiviostorico.corriere.it/2013/settembre/02/annuncio_Maroni_lascio_segreteria_entro_co_0_20130902_7b471db2-1393-11e3-b851-d970976d2918.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=2 September 2013}}</ref><ref>{{cite news |author=Albertino |title=Maroni abdica. Tosi va verso la Balena Verde. La Lega non si sa |url=http://www.lintraprendente.it/2013/09/maroni-abdica-tosi-va-verso-la-balena-verde-la-lega-non-si-sa/ |newspaper=[[L'intraprendente]] |location=Milan |date=3 September 2013}}</ref>。
 
後任を決める書記長選挙では失脚したボッシが立候補を表明したが、反ボッシ派のマッテオ・サルヴィーニが同盟員票の82%を得票して第3代同盟書記長となった<ref>{{cite news |first1= |last1= |title=Segreteria Lega, in corsa Salvini e Bossi |url=http://www.lastampa.it/2013/11/28/italia/politica/segreteria-lega-in-corsa-salvini-e-bossi-YwZ8k8e7ft4OQE3wLMHSTO/pagina.html |publisher=[[La Stampa]] |location=Turin |date=28 November 2013}}</ref><ref>{{cite news |first1=Cesare |last1=Zapperi |title=Stucchi scende in campo per il fronte anti-Salvini |url=http://archiviostorico.corriere.it/2013/novembre/12/Stucchi_scende_campo_per_fronte_co_0_20131112_3bd7a334-4b62-11e3-94e1-503ecbe82dc7.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=12 November 2013}}</ref>。トリノで開かれた執行会議で承認を受け<ref>{{cite news |first1=Marco |last1=Cremonesi |title= Parte l'era di Salvini E Bossi difende l'euro |url=http://archiviostorico.corriere.it/2013/dicembre/16/Parte_era_Salvini_Bossi_difende_co_0_20131216_cee787e8-661a-11e3-9ab1-d0a8f0dc30ed.shtml |publisher=[[Corriere della Sera]] |location=Milan |date=16 December 2013}}</ref>、正式に開始されたサルヴィーニ体制では翌年の欧州議会選挙を前に[[欧州懐疑主義]]の主張が全面に掲げられ<ref>http://www.mattinonline.ch/matteo-salvini-basta-essere-succubi-dellunione-europea-e-di-roma/</ref>、サルヴィーニの演説では「[[ユーロ]]は人類への犯罪」という過激な発言も飛び出している<ref>{{cite web|url=http://www.ansa.it/web/notizie/rubriche/politica/2013/12/15/Lega-Salvini-contro-euro-Crimine-contro-umanita-_9781968.html|title=Lega, Salvini contro euro: 'Crimine contro l'umanità'|work=ANSA.it|accessdate=9 June 2015}}</ref>。[[イデオロギー]]に幾分違いはあるものの、同じ[[欧州懐疑論]]者であるフランス[[国民戦線]]の[[マリーヌ・ル・ペン]]やオランダ自由党の[[ヘルト・ウィルダース]]との連帯を模索し、ファシスト的と一般に受け取られる勢力と反EUで政治連合を組んだ<ref>{{cite web|url=http://www.ilsole24ore.com/art/notizie/2013-12-13/-europa-marine-pen-preferisce-salvini-e-lega-nord-beppe-grillo--210854.shtml?uuid=ABCNPxj|title=Europa, Marine Le Pen preferisce Salvini e la Lega Nord a Beppe Grillo|work=Il Sole 24 ORE|accessdate=9 June 2015}}</ref><ref>http://www.lindipendenza.com/salvini-al-congresso-della-lega-marine-le-pen-e-wilders/</ref><ref>{{cite web|url=http://www.tmnews.it/web/sezioni/top10/salvini-lega-ha-terreno-comune-con-le-pen-il-23-no-euro-day-20131114_085012.shtml|title=askanews|publisher=|accessdate=9 June 2015}}</ref>。左派的な地方分権運動を思想の中心に置いてきたボッシはサルヴィーニへ激しい批判を行い<ref>{{cite web|url=http://www.repubblica.it/politica/2014/04/03/news/umberto_bossi_il_blitz_del_ros_colpa_dei_servizi_la_gente_si_incazza-82617710/|title=Umberto Bossi: "Il blitz del Ros? Colpa dei Servizi, la gente si incazza"|author=di LAVINIA RIVARA|date=3 April 2014|work=Repubblica.it|accessdate=9 June 2015}}</ref><ref>http://www.lindipendenza.com/bossi-con-le-pen-alleanza-transitoria-boso-la-lega-non-e-di-destra/</ref>、同盟内の中立派からも欧州連合批判については疑問の声が上がった<ref>{{cite web|url=http://www.ilsole24ore.com/art/notizie/2014-02-05/tosi-non-si-puo-uscire-euro-italia-sarebbe-preda-speculazioni-162427.shtml?uuid=ABm2Vfu|title=Tosi: non si può uscire dall'euro. L'Italia sarebbe preda di speculazioni|work=Il Sole 24 ORE|accessdate=9 June 2015}}</ref>
2010年、マローニら穏健派は同盟内の世代交代を強く訴え、徐々に親ボッシ派を党内で追い落としていった。2011年にはカルデロリら中立派とも連合して党内の主導権を奪う所にまで漕ぎ着けた。しかし依然として同盟の精神的指導者でもあったボッシの権威は決定的には揺るがず、対立は長期化の様相を見せ始めた。
 
[[2014年欧州議会議員選挙 (イタリア)|2014年欧州議会議員選挙]]でサルヴェーニはこれまでの「パダーニア」から、「'''バスタ・ユーロ'''」(Basta Euro、ユーロはもう結構)という新たな選挙ロゴとスローガンに変更した<ref>{{cite web|url=http://www.ilfattoquotidiano.it/2014/03/31/lega-nuovo-simbolo-per-le-europee-via-scritta-padania-al-suo-posto-basta-euro/933161/|title=Europee 2014, nuovo simbolo Lega. Via scritta "Padania", al suo posto "Basta euro" - Il Fatto Quotidiano|author=RQuotidiano|work=Il Fatto Quotidiano|accessdate=9 June 2015}}</ref>。政治主張も地方分権や環境主義ではなく、欧州統合反対・ユーロ離脱などの内容が中心となった<ref>{{cite web|url=http://www.rainews.it/dl/rainews/articoli/ContentItem-6842ea78-18ff-4644-9f74-94fe3384a6b3.html|title=Salvini: nuovo simbolo Lega per Europee|work=rainews|accessdate=9 June 2015}}</ref>。新体制に向けた意欲的な試みであったが、同盟員は混乱するばかりで党勢回復には繋がらなかった。選挙では前回の9議席から5議席に減少し、得票率もほぼ半減した<ref>{{cite web|url=http://elezioni.interno.it/europee/scrutini/20140525/index.html|title=[Scrutini] Europee - Elezioni del 25 maggio 2014 - Ministero dell'Interno|publisher=|accessdate=9 June 2015}}</ref>。選挙後もサルヴェーニによる「新しい同盟」を作る試みは継続される事が執行会議で承認され、[[フラット・タックス]]運動や中部・南部・島嶼部での同盟支持を広げる路線が再開された<ref>{{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/2014/luglio/21/Salvini_avverte_nuova_Lega_corre_co_0_20140721_7fa8c8fe-1097-11e4-80f9-2e3c33391d10.shtml|title=Salvini avverte: la nuova Lega corre da sola|publisher=|accessdate=9 June 2015}}</ref>。
2012年、際限なく続くかと思われた党内対立は思わぬ形で決着を迎える。党内で政治資金の大規模な横領疑惑が持ち上がり、その中に党首[[ウンベルト・ボッシ]]の名が含まれていたのである。同時期にロンバルディア州議員を務める息子レンツォ・ボッシのスキャンダルも追い打ちをかけ、同年中にボッシの務める同盟党首の役職からは実権が剥奪された。これにより、ボッシは同盟内で事実上の失脚に追い込まれる形となった。[[:en:Roberto Maroni|ロベルト・マローニ]]は同盟内協議で書記長職を新設し、自らが初代書記長となった。
 
2014年末のエミリア=ロマーニャ州議会選挙で北部同盟は19.4%の票を獲得、新しい同盟が新しい同盟の支持層に受け入れられつつある<ref>{{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/2014/novembre/24/Lega_doppia_Forza_Italia_urlo_co_0_20141124_68460c56-73a9-11e4-b779-766ff3003bac.shtml|title=La Lega doppia Forza Italia L?urlo di Salvini: "È storico"|publisher=|accessdate=9 June 2015}}</ref>。伝統的に反EU・反ユーロの風潮が強いヴェネトでは急速に支持を取り戻し、2015年のヴェネト州議会選挙では40%を超える得票を得た。旧ボッシ派と中立派への攻撃も続けられ、2015年3月に中立派の指導者が同盟を除名された<ref>{{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/2015/marzo/11/Salvini_rottura_nella_Lega_Tosi_co_0_20150311_19ef6226-c7bb-11e4-80a1-d57600bcc7ce.shtml|title=Salvini e la rottura nella Lega: Tosi non è più un militante del partito|publisher=|accessdate=9 June 2015}}</ref>。
2013年、党内内紛と汚職疑惑、そしてこれまで助力してきたベルルスコーニ政権への批判票などから北部同盟は再び大幅に議席を失い、特に下院議席数は結党以来で最悪となった。全体得票率は4.1%にまで下落し、小政党へと衰退した。
 
== 思想 ==