「ジャイアントパンダ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 記事として成立しない項目への内部リンクを解除(Wikipedia:削除依頼/公式ウェブサイト
40行目:
今では世界中の諸言語で単に「[[wikt:en:panda|panda]]、[[パンダ]]」と呼ぶ場合、[[レッサーパンダ]]ではなくこのジャイアントパンダを指すことが多いが、学術的に[[発見]]されたのは[[1835年]]のレッサーパンダが先であり<ref>[[イギリス|イギリス人]]の[[冒険者|冒険家]]によってに発見された。</ref>、オリジナルの「パンダ」に比して大きな新種(当時はそのように考えられた)が[[1869年]]になって発見されたことを受け、「[[wikt:en:lesser|lesser]] (レッサー、意:より小さい、小型の)」という特徴が名前に付け加えられた経緯がある。
 
「panda」という呼び名の由来については、[[ネパール語]]で「竹を食べるもの」を意味する<ref>[http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=15852515227400 パンダ【panda】] [[Yahoo!辞書]](情報元:[[大辞泉]])</ref><ref>[http://www.etymonline.com/index.php?search=panda&searchmode=none panda - Online Etymoligy Dictionary.]</ref>「ponga (ポンガ)」「ponya (ポンヤ)」「poonya (ポーンヤ)」([[CF#cf|''cf.'']] レッサーパンダの現地・ネパール語名:nigalya ponya、nyala ponga、poonya)などに求める説、特徴的な[[手根骨]]などの[[骨格]]に求める説などがある。ただし、これらの語はどのようなネパール語辞書からも見付けることができないものであり<ref>例えば、Krämer, Karl-Heinz. [http://www.nepalresearch.org/dictionaries/nep_eng/nep_eng.pdf Nepli-English Dictionary].</ref><ref>同様に、[http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/turner/ "A Comparative and Etymological Dictionary or the Nepali Language (online version)"].</ref>、論拠に疑問がある<ref>別資料の表現では、ヒマラヤ南東部の[[チベット・ビルマ語派]]言語に起源あり。→{{Cite web |url=http://dictionary.reference.com/browse/panda |title=panda |work= |publisher=Dictionary.com |language=en |accessdate=2010年5月3日-05-03}}</ref>。
 
=== 中国語名 ===
63行目:
[[1869年]][[3月11日]]、[[博物学]]に長けた[[フランス人]][[宣教師]]のアルマン・ダヴィドが、現在の中華人民共和国四川省西部[[宝興県]]にて地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮を[[欧米|欧米人]]として初めて発見した。後日、[[パリ]]の[[国立自然史博物館 (フランス)|国立自然史博物館]]に[[毛皮]]と[[骨]]などを送った<ref name="pandashizen">{{Cite book|和書 |author=R&D・モリス著 |translator=根津真幸訳 |title=パンダ 自然選書 |date=1976年1月 |publisher=[[中央公論社]] |isbn=978-4-12-000620-3}}</ref><ref name="ocn">[http://ocntoday.blogzine.jp/today/2008/03/311_ea69.html 3月11日はパンダ発見の日] [[OCN|OCN TODAY]] 2008年3月11日</ref><ref>{{出典無効|date=2012年6月}}[http://www.geocities.jp/iwa_kaz/trap015xiongmao.htm 【 熊猫 】] 中国語学習ノート 2007年2月2日</ref><ref>{{リンク切れ|date=2012年6月}}[http://www011.upp.so-net.ne.jp/hu-xi/intdic/01-01.html 「パンダ」はどこからやってきた?] 辞引網 2003年5月30日</ref><ref>[http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/japanese/shiya.htm じゃいあんとぱんだ【ジャイアントパンダ】(百科辞書)]</ref>。これがきっかけとなってジャイアントパンダの存在が知られるようになり、[[毛皮]]目当てに[[狩猟]]ブームになった。20世紀になると絶滅の危機を迎えていた。[[探検家]]の[[ウィリアム・ハークネス]]が生体を[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に連れて帰ろうとしたが、病で死んだ。その後、妻のルース・ハークネスが、[[1936年]]11月にジャイアントパンダの幼獣を見つけて自国に連れ帰った。その[[剥製]]が[[アメリカ自然史博物館]]に保管されている。
 
クマ科に似ているが、アライグマ科に近い特徴も持つ。そのためクマ科に属するか、アライグマ科に属するか、独立したパンダ科(もしくは、ジャイアントパンダ科)に属するかの論争が長年繰り広げられていたが、[[古生物学]]、[[形態学]]、[[分子系統学]]的研究の結果、近年ではクマ科に分類される<ref name="endo">{{cite book|和書|author=[[遠藤秀紀]]|chapter=ジャイアントパンダの分類学的位置と形態学的適応|title=脊椎動物の多様性と系統|year=2006|editor=松井正文|publisher=[[裳華房]]|pages=336-337|isbn=4785358300}}</ref><ref name="wwf">[http://www.wwf.or.jp/activity/wildlife/lib/giantpanda/index.htm 「ジャイアントパンダについて」] [[世界自然保護基金|WWFジャパン]]公式[[公式ウェブサイト|公式サイト]]</ref>。一方、[[レッサーパンダ]]は独立した[[レッサーパンダ科]]に分類された。
{{Main2|パンダの系統については[[パンダ]]の項目を}}
 
115行目:
; 密猟
: 中華人民共和国では、ジャイアントパンダの[[密猟]]は重罪とされている。過去には[[死刑]]が最高刑であったが、[[1997年]]以降法律が改正され、現在は20年の[[懲役|懲役刑]]が最高刑となっている<ref name="wwf"/>。死刑が最高刑であった時代に、実際に処刑(主に[[銃殺刑]])が行われたこともある。密猟はジャイアントパンダを食料にしたり、高値で取引される毛皮を手に入れるために行われることが多く、主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、ジャイアントパンダの生息地における住民の経済的基盤の問題が挙げられている<ref name="wwf"/><ref>{{リンク切れ|date=2012年6月}}[http://animals.web.infoseek.co.jp/mammals/giant_panda002.html 一部の地域では「パンダの毛皮で作った物は魔除けになる」「パンダの毛皮で作った寝具で眠ると夢を通して未来を予知できる」等の民間信仰が行われており、高い需要があるとされる。]</ref>。
: また、中国では[[熊肉|熊の肉]]、特に手足が高級食材として取引されていることから、熊肉に混じってパンダの肉も売買されることがある<ref>{{cite news |title=中国で野生のパンダ射殺し肉売買 摘発 |newspaper=[[CNN]] |date=2015-505-14 |url=http://www.cnn.co.jp/world/35064532.html |accessdate=2015-505-16 }}</ref>。
; 繁殖期の問題
: 経済発展が続く中華人民共和国では、生息地域だった土地の開発が進むにつれて、ジャイアントパンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きている。また、本種の主食である[[竹]]は約60年から120年に1度、一斉に開花して枯れてしまうため、一種類しか竹が生えていない地域の場合、この時期に食料にありつけず[[餓死]]してしまうことがある<ref name="the-tugi"/>。以前であれば竹枯死の発生していない他の地域に、ジャイアントパンダ自身が移動することによってその事態を回避することもできたが、20世紀後半以降は道路建設や森林伐採、住宅や農地の開発などによって人間が生息地を分断したことによって移動できなくなった地域もあり、竹枯死の影響が大きくなるとみられる<ref name="wwf"/><ref name="mura-tabemono"/>。そのような問題点を改善するために、生息地域付近の開発制限、保護区の拡大、他地域のジャイアントパンダ同士が相互に交流できるように「[[緑の回廊]](ワイルドライフコリドー、グリーンコリドー、[[:en:Wildlife corridor|en]])」を造る計画を進めている<ref name="wwf"/>。
591行目:
{{Cite book|和書|author=|title=パンダ|year=1976|publisher=[[中央公論社]]|series=自然選書|isbn=}}
{{Cite book|和書|author=R&D・モリス著|translator=根津真幸訳|title=世界動物発見史|year=1988|publisher=[[平凡社]]|isbn=}}
{{Cite book|和書|author=中国パンダ保護研究センター、斉鳴著|editor=日本パンダ保護協会編|title=パンダ育児日記|date=2007年2月-02-25|publisher=[[二見書房]]|isbn=978-4-576-07001-8}}等)にて「この時代に中国からジャイアントパンダが贈られた」との表現があるが、詳細は不明である(参考資料:[http://syulan.sakura.ne.jp/200706/panda.html 日中パンダ交流史試論]、[http://www.tokyo-zoo.net/ROOT/express/express_back?record=138 TokyoZooNet(財団法人 東京動物園協会)ZooExpress No.125 2003年8月15日]) </ref>、[[1970年代]]にジャイアントパンダの大ファンである[[黒柳徹子]]が紹介し、その後[[日中国交正常化]]により上野動物園に中国から2頭贈られたため、日本中にパンダ・ブームが起こった。
; 2000年代
: [[2005年]]に、中華人民共和国と「中国の代表権」をめぐって対立を続けている[[中華民国]]([[台湾]])の比較的親中的な野党である[[中国国民党]]および[[親民党]]代表団が中華人民共和国を訪問した際に、[[中国共産党]]側から中華民国にジャイアントパンダを贈る約束を取りつけた。
597行目:
: しかし2008年の馬英九政権の対中緩和政策でジャイアントパンダを受け入れた。
; ワシントン条約によりレンタル扱い
: 現在ではワシントン条約とその加盟国が独自に条約運用のために定めた法の影響で[[絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約#附属書I~IIII〜III|学術研究目的]]以外での取引は難しいため<ref name="national">[http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/feature/0607/index.shtml 特集:パンダ貸します] [[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック日本版]] 2006年7月号</ref>、外交としてパンダが贈られることはなくすべて「中国籍」でレンタルとなっている<ref name="national"/><ref name="toku">[http://www.j-cast.com/tv/2008/04/30019613.html とくダネ!:中国「パンダ外交」に踊る日本] [[J-CAST]] 2008年4月30日</ref><ref name="chugoku">[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2006&d=1007&f=column_1007_002.shtml パンダを借りる日本とパンダに会えない中国の子供] 中国情報局 2006年10月7日</ref><ref name="ex">[http://www.excite.co.jp/News/bit/00091128188607.html なぜパンダはみんな帰ってしまうのですか] [[エキサイト|エキサイトニュース]] 2005年10月4日</ref>。
: 過去に贈られたジャイアントパンダはその当事国の国籍を持っているが、その数は少ないため「非中国籍」同士での繁殖は難しく、しかし、片方の親が中国籍であれば生まれた子供はすべて「中国籍」となり、課金対象になってしまう<ref name="chugoku"/><ref name="ex"/>。また、そのレンタル料も高額であり、つがい一組で年間1億円程度、自然死であると証明できない死亡における賠償額は5千万円程度で契約されている<ref name="chugoku"/><ref>{{リンク切れ|date=2011年2月}}[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101002-OYT1T00467.htm 神戸のパンダ急死、中国側へ4100万円賠償] 読売新聞 2010年10月2日</ref>。その資金は本種の研究費や生息地保護資金に充てられている<ref name="wwf"/><ref name="national"/><ref name="ex"/>。
: このような事情から、資金難から本種を返還した国もあり<ref name="chugoku"/>、本種はもはや外交ではなく、ビジネスであるとも言われている<ref name="national"/><ref name="toku"/><ref name="chugoku"/>。
603行目:
=== 客寄せパンダ ===
日本ではジャイアントパンダの人気は高く、本種のいる日本の動物園ではそれを目当てとした来園客が非常に多い。そのため、興行などで集客力のある人気者を指す'''客寄せパンダ'''という言葉が生まれた。語源には以下の2種の他にも幾つかある。
*[[神戸ポートアイランド博覧会]](開期・1981年3月20日~9〜9月15日 )において[[ジャイアントパンダ]](「サイサイ」(雄6歳)「ロンロン」(雌17歳))が展示されたが、この博覧会は「新しい”海の文化都市”の創造」をメインテーマに海洋文化や港湾建設など海に関する物事をテーマに開催された博覧会だったにも関わらず、当時は東京の[[上野動物園]]へ行かなければ見ることが出来なかったジャイアントパンダを関西圏で見られるとあって、海とは特に関係のないジャイアントパンダが博覧会における展示の中でも特に人気の的となってしまった。この出来事を当時のマスコミが「パンダ来たおかけでが博覧会の入場者が増加した」などと報じた事から転じて「客寄せパンダ」の名称が発生し、以後その言葉が汎く定着したという説。
*[[1981年]]6月の[[田中角栄]]による東京都議選応援演説における「人寄せパンダ」<ref>{{Cite book|和書|author=榊原昭二|title=昭和語―60年世相史|date=1986年4月-04-20|publisher=[[朝日新聞社]]|series=[[朝日文庫]]|isbn=978-4-02-260370-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=榊原昭二|title='80年代 世相語ガイド〈下〉|date=1983年10月|publisher=[[朝日新聞出版]]|series=朝日ブックレット|isbn=978-4-02-268016-7}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=鷹橋信夫|title=昭和世相流行語辞典|date=1986-11-10|publisher=[[旺文社]]|isbn=978-4-01-070753-1}}</ref><ref>[http://www.1101.com/ganji_san/2001-04-26.html ガンジーさん。「244.安物の言葉。」] [[ほぼ日刊イトイ新聞]] 2001年4月26日</ref>発言の「人寄せ」部分が変化した という説。
 
=== 白黒のものを意味する表現 ===
[[ファイル:Ae86 tureno.jpg|thumb|right|通称『パンダトレノ』]]
また、その体の色から白黒のものをさす言葉として使用されることがある。その顕著な例に、日本の[[パトロールカー|パトカー]]<ref>[http://zokugo-dict.com/26ha/panda.htm 日本語俗語辞書 パンダ]</ref>や、民間車両では[[トヨタ・カローラレビン]]/[[トヨタ・スプリンタートレノ|スプリンタートレノ]]([[トヨタ・AE86|AE80系]])の白黒ツートンカラー車を指すパンダレビン/パンダトレノという語がある。
また、[[イロワケイルカ]]を体色パターンが似ていることから「パンダイルカ」と呼ぶこともある他、[[ナマズ目]]の[[コリドラス]]の一種にも、その体色から[[:en:Panda corydoras|Corydoras panda]]([[:en:Han Nijssen|Nijssen]] & [[Isaäc J. H. Isbrücker|Isbrücker]], 1971)
という学名がつけられたものがいる。