「ジェラルド・ブル」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
5行目:
[[オンタリオ州]][[ノースベイ (オンタリオ州)|ノースベイ]]の出身。最初は[[薬学]]を学んでいたが後に[[工学]]に転向。[[1951年]]、[[トロント大学]]で史上最年少で博士号を獲得する(この記録は現在も破られていない)。
 
[[弾道学]]の権威で、ハープ計画(HARP High Altitude Research Project (HARP)に参加 を推進、スペースリサーチコーポレーション(SRC)を設立して多くの火砲(→[[大砲]])の開発に関わった。実際の[[マスドライバー]]開発も視野に入れていたことでも知られる
 
彼は[[中華人民共和国]]の兵器開発やイラクの[[バビロン計画]]に深く関与したが、1990年3月22日、[[ベルギー]][[ブリュッセル]]の自宅扉前で背後から5発の銃弾を受け殺害されているのが発見された。犯人は特定されておらず、欧米では[[MI6]]や[[イスラエル諜報特務局|モサッド]]、イランの[[情報機関|諜報機関]]による[[暗殺]]の可能性があると報道されている。
 
==関係した計画==
[[ファイル:Project Harp.jpg|150px|サムネイル|HARP16インチ砲]]
=== ハープ計画HARP ===
カナダ兵器研究開発所(CARDE後のDRDC)の責任者を務め、[[1961年]]に[[アメリカ国防総省|アメリカ国防省]]とカナダ国防省の共同で開始された[[ロケット]]よりも安価な[[人工衛星]]打ち上げ手段模索するなどを目的としめのハープ計画(HARP High Altitude Research Project)Project(HARP)に参加した。戦艦用の16インチ(40.6cm)砲の内部の旋条を削り42.4cm[[滑腔砲]]としたものを2門結合させた砲が3門建造され、[[ケベック州|ケベック]]、[[バルバドス]]で発射実験が行われた。「マートリット2」では重量82kgの砲弾を高度180kmの高さ、すなわち宇宙空間にまで打ち上げることに成功している<ref>大久保義信「徹底分析戦争映画100!」(2003)</ref>。この計画は[[1968年]]に中止された。
 
[[ファイル:GHN-45rear.jpg|250px|サムネイル|GHN-45火砲]]
=== スペースリサーチコーポレーション ===
ハープ計画HARPが中止される前年の[[1967年]]、スペースリサーチコーポレーション(SRC)をカナダのケベックに設立し、火砲の設計を請け負った。SRCが開発した長距離射程のGC45 155mm榴弾砲は、改良型のGHN-45として世界各国に輸出された。SRCの最初の成功は[[1973年]]に[[イスラエル]]と[[アメリカ]]を相手にした武器の販売であり、[[バリー・ゴールドウォーター]]らの後押しでアメリカ議会から市民権が与えられた<ref>Tina, Starr (October 2009). "Life and Work at Space Research". Vermont's Northland Journal 8 (7): 7</ref>。また、SRCは南アフリカのアームスコー社と共同で[[G5 155mm榴弾砲]]を開発した。しかし、南アフリカは当時[[アパルトヘイト]]に対する制裁を受けており、この行為は違法とされ[[1980年]]、禁固刑に処せられた。
 
=== バビロン計画 ===