「仁義なき戦い」の版間の差分

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原作は小説でなくノンフィクションです。
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『'''仁義なき戦い'''』(じんぎなきたたかい)は、日本の[[ドキュメンタリー]]。作者は[[飯干晃一]]。本作は[[戦後]]の[[広島県]]で実際に起こった[[広島抗争]]を、当事者の1人である[[美能幸三]]の手記に飯干が解説を加えた作品。映画化されたシリーズは実在の人物でなく、登場人物の名を変えて脚本家の[[笠原和夫 (脚本家)|笠原和夫]]が脚色しているが、広島抗争を題材にした内容はそのままで全5作が製作され、日本で大ヒットした。[[演劇]]にもなっている。[[キネマ旬報]]が[[2009年]](平成21年)に実施した<日本映画史上ベストテン>「オールタイム・ベスト映画遺産200 (日本映画編)」では、本作を'''歴代第5位'''に選出した<ref name="オールタイム">[http://archive.is/fFSz オールタイム・ベスト 映画遺産200 - キネマ旬報映画データベース]-[http://www.kinejun.com/ キネマ旬報](archive)、「キネ旬ムック オールタイム・ベスト映画遺産200 (日本映画編)」[[キネマ旬報社]]、2009年12月、p1-20</ref><ref>[http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200911200479.html 1位は東京物語とゴッドファーザー キネ旬がベスト10 - 朝日新聞デジタル]、[http://www.excite.co.jp/News/column_g/20120202/Asagei_3678.html 「仁義なき戦い」40年目の壮絶秘話(1)「顔のシワ作り」に励んだ松方]</ref>。
『'''仁義なき戦い'''』(じんぎなきたたかい)は、[[戦後]]の[[広島県|広島]]で実際に起こった[[広島抗争]]を題材として、[[飯干晃一]]が著したモデル小説。この原作を東映が製作した映画はシリーズ化され、[[演劇]]にもなった。
 
== 小説原作 ==
[[キネマ旬報]]が[[2009年]](平成21年)に実施した<日本映画史上ベストテン>「オールタイム・ベスト映画遺産200 (日本映画編)」では、本作を'''歴代第5位'''に選出した<ref name="オールタイム">[http://archive.is/fFSz オールタイム・ベスト 映画遺産200 - キネマ旬報映画データベース]-[http://www.kinejun.com/ キネマ旬報](archive)、「キネ旬ムック オールタイム・ベスト映画遺産200 (日本映画編)」[[キネマ旬報社]]、2009年12月、p1-20</ref><ref>[http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200911200479.html 1位は東京物語とゴッドファーザー キネ旬がベスト10 - 朝日新聞デジタル]、[http://www.excite.co.jp/News/column_g/20120202/Asagei_3678.html 「仁義なき戦い」40年目の壮絶秘話(1)「顔のシワ作り」に励んだ松方]</ref>。
 
== 小説 ==
{{Portal|文学}}
[[美能幸三]]が獄中で書き綴った手記を{{#tag:ref|400字詰[[原稿用紙]]700枚<ref>[[#ベスト200|ベスト200]]、p129</ref>。|group="注"}}をベースに、[[飯干晃一]]が[[1972年]](昭和47年)「[[SPA!|週刊サンケイ]]」5月26日号から連載したノンフィクション<ref name = "蘇る74">[[#蘇る|蘇る]]、p74-79</ref>。原作は半分近くを美能の手記を引用しており、[[週刊文春]]は"実録小説"と称しているが<ref name="文春20125310">[[週刊文春]]、2012年5月3、10日号、p184-188</ref>、[[戦後]]の実際に起こった[[広島抗争]]で、当事者の1人である美能の手記をベースに、飯干が補筆し当時の状況を解説した内容が掲載されており、出版し続けている会社もドキュメントとして本書を紹介している<ref>[https://bookwalker.jp/de463314ad-952c-46c1-835a-f143d895ce93/%E4%BB%81%E7%BE%A9%E3%81%AA%E3%81%8D%E6%88%A6%E3%81%84%E3%80%88%E6%AD%BB%E9%97%98%E7%AF%87%E3%80%89-%E7%BE%8E%E8%83%BD%E5%B9%B8%E4%B8%89%E3%81%AE%E6%89%8B%E8%A8%98%E3%82%88%E3%82%8A/]</ref><ref>[https://bookwalker.jp/dea327348b-68e3-4c7b-9d33-5236bdd6867f/%E4%BB%81%E7%BE%A9%E3%81%AA%E3%81%8D%E6%88%A6%E3%81%84%E3%80%88%E6%B1%BA%E6%88%A6%E7%AF%87%E3%80%89-%E7%BE%8E%E8%83%BD%E5%B9%B8%E4%B8%89%E3%81%AE%E6%89%8B%E8%A8%98%E3%82%88%E3%82%8A/]</ref>。団体・人名・地名も全て実名(映画本編は実名をもじた名前に変えられる)で記述されており、手記と解説が一対になり、事件や行事ごと、広島抗争が時系列に沿って進む<ref name="文春20125310"/>。「週刊サンケイ」で連載が開始されると圧倒的な人気で、印刷所では[[校正|ゲラ]]の奪い合いになったという<ref name="文春20125310"/>。獄中手記を[[美能幸三]]が執筆した原動力は、[[1965年]](昭和40年)に[[中国新聞]]報道部記者である[[今中瓦]]が『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』四月号に執筆した「暴力と戦った中国新聞 ― 菊池寛賞に輝く新聞記者魂 "勝利の記録"」という記事への反論からであった<ref name="文春20125310"/><ref name="週刊サンケイ1973年1月19日">「[[週刊サンケイ]]」、1973年1月19日号、p38-41</ref>。[[網走刑務所]]で服役中だった美能が、たまたま雑誌でこの記事を見つけた。なつかしくて飛びついて読んだというが、読むと10日間メシが食えない程腹が立った。
主人公である[[美能幸三]]が獄中で書き綴った手記{{#tag:ref|400字詰[[原稿用紙]]700枚<ref>[[#ベスト200|ベスト200]]、p129</ref>。|group="注"}}をベースに、[[飯干晃一]]が[[1972年]](昭和47年)「[[SPA!|週刊サンケイ]]」5月26日号から小説を連載<ref name = "蘇る74">[[#蘇る|蘇る]]、p74-79</ref>。飯干の小説は半分近くが美能の手記を引用した"実録小説"である<ref name="文春20125310">[[週刊文春]]、2012年5月3、10日号、p184-188</ref>。
 
団体・人名・地名も全て実名(映画本編では実名をもじった名前に変えられる)で記述され、手記と解説が一対になり、事件や行事ごと、広島抗争が時系列に沿って進む<ref name="文春20125310"/>。「週刊サンケイ」で連載が開始されると圧倒的な人気で、印刷所では[[校正|ゲラ]]の奪い合いになったという<ref name="文春20125310"/>。獄中手記を[[美能幸三]]が執筆した原動力は、[[1965年]](昭和40年)に[[中国新聞]]報道部記者である[[今中瓦]]が『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』四月号に執筆した「暴力と戦った中国新聞 ― 菊池寛賞に輝く新聞記者魂 "勝利の記録"」という記事への反論からであった<ref name="文春20125310"/><ref name="週刊サンケイ1973年1月19日">「[[週刊サンケイ]]」、1973年1月19日号、p38-41</ref>。[[網走刑務所]]で服役中だった美能が、たまたま雑誌でこの記事を見つけた。なつかしくて飛びついて読んだというが、読むと10日間メシが食えない程腹が立った。
 
ケンカの張本人が自分と決めつけられている上、身に覚えのないことまで書かれている<ref name="週刊サンケイ1973年1月19日"/>。"美能が他の組幹部の意向を無視して[[山口組]]と勝手に盃を交わした"、"破門された美能が山口組と[[打越会]]に助けを求めた"という記述など<ref name="文春20125310"/>。特に美能は "打越会に助けを求めた"という部分にプライドを傷つけられた。「助けを求めたなどと書かれては、ヤクザとして生きていく以上、黙ってはいられない。ウソを書かれて悔しい」と翌日から舎房の机にかじり付いた美能は、こみ上げてくる怒りを抑えながら、マスコミに対する怨念を込め、7年間にわたり総計700枚の手記を書き上げた<ref name="文春20125310"/>。手記は汚名返上の執念が書かせたものであった。