「遠国奉行」の版間の差分

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長崎町政の他、オランダとの貿易も担当した。定員は変動が多く、最初1名で、寛永10年([[1633年]])より2名、貞享3年([[1686年]])より3名、元禄13年([[1700年]])より4名と増員されたが、宝永以降は2名で固定された。役高は1000石で、役料として440俵が支給された。配下は与力10騎同心15人。
 
===[[浦賀下田奉行]][[下田浦賀奉行]]===
江戸湾に入る船舶の監視を担当した。当初[[1616年]]に[[伊豆国|伊豆]][[下田市|下田]]に置かれていたが[[1720年]]には東京湾内の経済活動の活発化に伴って[[相模国|相模]][[浦賀]]に移転した。定員1名。役高は1000石で、役料500俵を支給された。配下は与力10騎同心50人。[[幕末]]期には外国との交渉の窓口となったため、増員が行われ、また[[1842年]]-[[1844年]]及び[[1854年]]-[[1860年]]にかけては外国船の来航に備えて下田奉行も再置され、この期間には浦賀・下田の両奉行所が並存してい
 
===[[山田奉行]]===