「Wikipedia‐ノート:中立的な観点」の版間の差分

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::この状態で「''「すべてのWikipedia利用者(ここでは日本人)の普遍的な道徳的スタンス」はおそらく差別主義には「否」であろう''」とはちょっと言えないと考えます。いや実際我々日本人は大丈夫だと思うのですが、日本語版は日本人だけのものではないので世間体と言うか、独り善がりでみっともないな、と。
::[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]]([[利用者‐会話:Maddestmagician|会話]]) 2016年10月5日 (水) 08:39 (UTC)
 
:{{返信|[[利用者:Susuka|Susuka]]氏}} まず、現状の文面についての[[利用者:Susuka|Susuka]]氏の考えは、小生も同様です。「政治的」ではなく「道徳的」とされれば、Susuka氏の発言についてある程度理解できます。
:しかし、「現文面で「ほとんどの西洋人」にとって云々、と限定して書くのはなぜなのかわからない」との疑問に対しては、異なる見解をもち「現文面で「ほとんどの西洋人」にとって云々、と書くのがなぜ問題なのかがわからない」との疑問があります。「西洋人」との語のみを問題視している意見には、'''これまでの議論'''から、現状の文面の頭に
:*『'''(東洋人は認めているが)'''、ほとんどの西洋人にとって感情を害するような見方…人種差別、性差別、ホロコーストの否定などはどうでしょうか?これらの見方を実際に持っている人はいるわけですが。もちろんわれわれはこれらの見方について「中立」であるべきではないですよね?』
:との邪推に基づいた前提による問題提起にすぎないと判断せざるをえず、現状の文面の変更の必要性が感じられません。
:また、道徳的なスタンスに基づき、差別主義の文面の、「西洋人」が問題とするのであれば、「人種差別」、「性差別」、「ホロコースト」の語句に対しても同様の問題が出現し、差別主義の文面そのものに問題がでるでしょう。ここでの差別主義の文面提示の元々の目的から考えれば、先にあげた語句に限らず差別主義に対して、中立的な観点の記述が必要であるとの説明にすぎず、変更する必要が求められないとの意見に至るのです。--[[利用者:Koshi2016|湖紫陽(koshi2016)]]([[利用者‐会話:Koshi2016|会話]]) 2016年10月5日 (水) 09:31 (UTC)
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