「弾正台」の版間の差分

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*[[明治時代]]の[[省庁]]の一つ
 
== 弾正台 (律令制)==
[[律令]]体制時代の弾正台は[[監察]]・[[警察]]機構。主な職務は中央行政の監察、京内の風俗の取り締まりで、[[左大臣]]以下の非違を摘発し、奏聞できた。官舎は[[皇嘉門]]付近にあった<ref name="wada">[[和田英松]]『新訂 [[官職要解]]』[[講談社]]〈講談社学術文庫〉、1983年、128頁。</ref>。
 
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長官は[[弾正尹]](だんじょうのいん/だんじょうのかみ)で[[従三位]]相当官。機能を喪失するとともに[[親王]]が任ぜられることが多く'''弾正尹宮'''などと呼ばれた。また[[大納言]]が兼帯することもあり、'''尹大納言'''などと言われた例がある。なお、単に'''弾正'''と称した場合には弾正台の職員を指す。[[唐名]]は'''霜台'''(そうたい)など。
 
=== 職員 ===
[[四等官]]として、
*[[弾正尹|尹]](いん/かみ) - 1人
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がある<ref name="wada"/>。その下には台掌(だいしょう)、巡察弾正などの役も置かれた<ref name="wada"/>。
 
=== 弾正尹の辞令(宣旨)の例 ===
「薩戒記」<br />
從二位行權大納言藤原朝臣定親<br />
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嘉吉3年(1443年)6月15日 大外記中原朝臣師郷(押小路師郷 57歳 正四位下)奉(うけたまは)る
 
=== 任官した人物など ===
[[為尊親王]]は弾正宮と呼ばれ[[源仲国]]は弾正少弼であった<ref name="wada"/>。
 
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[[熊本県]][[上益城郡]][[山都町]]にあった[[阿蘇氏]]の居館=[[浜の館]]・館跡には、「弾正杉」と呼ばれる杉の大木が19世紀後半頃まであった。現在は「弾正さん」とよばれる[[百日]]紅の古木がある。弾正杉の西には[[阿蘇家]]の息女ないし[[侍女]]の墓と石祠・女性像があり、母乳の出る効能があるとして信仰されている。
 
=== 脚注 ===
{{Reflist}}
 
== 弾正台(明治時代) ==