削除された内容 追加された内容
Asc08586 (会話 | 投稿記録)
m 表示上の微調整
Kojidoi (会話 | 投稿記録)
→‎日本のカワラバトの歴史: ー冗長・大言壮語・情緒的表現
163行目:
[[戦後]]の復興期には、伝書鳩を使った鳩レースを行うための協会が設立された。
 
[[高度成長時代]]には伝書鳩の飼育が若年層を中心として[[流行|ブーム]]となった。[[1964年]]に開催された[[東京オリンピック (1964年)|東京オリンピック]]の開会式では、[[セレモニー]]の一部として伝書鳩達の空に舞い上がる姿が華々しく[[カラーテレビ]]中継された。この放鳩行事への参加は、協会の会員は誰でも可能だったこともあり、日頃から手塩にかけ育て上げたご自慢の愛鳩を会員に託す少年少女や若者も多かった。だが、前日に台風が急接近したため前途が危ぶまれた。明けて10月10日当日「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい[[秋日和]]でございます!」と[[NHK]]の[[北出清五郎]][[アナウンサー]]に言わしめるほどの快晴に転じた。会員達の託した8000余羽の愛鳩たちは、[[国立競技場]]から竜巻のように一斉に舞い上がった。上空で何周か美しい八文字旋回を描いた後<ref>晴天時に放鳩されたカワラバトは、太陽の位置と体内時計によって、放鳩地点と鳩舎位置のズレを測定するため、円運動や八文字旋回をすることが知られている。</ref>、各々の鳩舎を目指して、元気に飼い主の元へと散って行った。この模様は、前年開通した[[衛星中継]]により世界中に配信された。カワラバトが東京オリンピックの開会式に世界平和のシンボルとして花を添えた瞬間である。1969年にピークを迎える飼鳩ブームの火付け役となった出来事と伝えられている。
 
しかし、1970年代も後半になるとブームは収束し、伝書鳩の飼育数は減少に転じた。以降、漸減傾向が続いている。