「ブライアン・ジョーンズ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
森園千歳 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
49行目:
[[1967年]]5月、[[大麻]]所持の容疑で逮捕される<ref name ="f">[[#Rawlings,Badman,Neill|ロウリングス、バッドマン、ネイル]]・p149</ref>。10月、9ヶ月の禁固刑が言い渡されるが<ref>[[#Rawlings,Badman,Neill|ロウリングス、バッドマン、ネイル]]・p158</ref>、12月の上告裁判で1000ポンドの罰金と3年間の保護観察処分に減刑され、投獄は免れた<ref>[[#Rawlings,Badman,Neill|ロウリングス、バッドマン、ネイル]]・p160</ref>。同年にはミックとキースも同じく麻薬所持の容疑で起訴されており、第1審では[[禁錮|禁固刑]]を言い渡されたが、上訴審でミックは12ヶ月の条件付で釈放、キースは無罪となっている<ref>[[#Rawlings,Badman,Neill|ロウリングス、バッドマン、ネイル]]・p154</ref>。1960年代後半にバンドの運転手兼[[ボディーガード]]を務めていたトム・キーロックは、この頃のブライアンから自殺を考えていたことを告白されたと振り返っている<ref name ="g">[[#Rawlings,Badman,Neill|ロウリングス、バッドマン、ネイル]]・p221</ref>。
 
ブライアンも自身の薬物依存を全く省みなかった訳ではなく、逮捕から判決までの間に一度麻薬厚生施設に入っている<ref name ="h">[[#Sight|SIGHT]]・p92</ref>。だが翌[[1968年]]5月、大麻所持の現行犯で再び逮捕された<ref>[[#Rawlings,Badman,Neill|ロウリングス、バッドマン、ネイル]]・p169</ref>。裁判では無実を主張するが、保護観察中の逮捕という事もあり厳刑も予想された。9月、罰金刑が下され収監は免れた<ref>[[#Rawlings,Badman,Neill|ロウリングス、バッドマン、ネイル]]・p175</ref>。ミックはプレスに「ブライアンが刑務所に行かずに済んでうれしいよ」と語ったが<ref>[[#Rawlings,Badman,Neill|ロウリングス、バッドマン、ネイル]]・p176</ref>、この頃にはすでにバンド内でブライアンを除外しようとする動きが出始めていた。ミックによれば、この頃になるとブライアンはギターを持っていることさえできなくなっていたと言う<ref name ="i">[[#Sight|SIGHT]]・p61</ref>。脱退直前のブライアンの様子は、[[ジャンリュック・ゴダール]]監督の『[[ワン・プラス・ワン]]』での「[[悪魔を憐れむ歌]]」のレコーディング風景の中で見られるが、かつての様々な楽器を自由自在・縦横無尽に生き生きと演奏する姿はもはや見られず、虚ろな顔をしていて、まるで魂の抜け殻のようになっていた。ミックは「マジで100%打ち込んでるブライアンを見たのは、「ノー・エクスペクテーションズ」(1968年のアルバム『[[ベガーズ・バンケット]]』収録)が最後だった」と振り返っている<ref>[[#Sight|SIGHT]]・p56</ref>。
 
この年の11月に、ブライアンは[[サセックス州]][[ハートフィールド]]近くにあるコッチフォード・ファームを購入した。この家は「[[くまのプーさん]]」の作者[[A・A・ミルン]]がかつて住んでいた家である<ref>[[#Rawlings,Badman,Neill|ロウリングス、バッドマン、ネイル]]・p177</ref>。同年12月の「[[ロックンロール・サーカス]]」が、ブライアンにとっての最後のステージとなった。