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:::(追記)菩薩と阿羅漢という字が連続している時に、「菩薩にして阿羅漢」と読む解釈が信用できる情報源によって示されているかどうかが問題なのです。
:::もう一例あげると『道行般若経』も出典になりませんね。「是菩薩'''過'''阿羅漢地。'''出'''辟支佛地。於三昧中住。悉愍傷薩和薩無所見。於是中不取證。入空中深'''不作'''阿羅漢。菩薩作是行時。」これが「菩薩阿羅漢」ですか?この場合も確かな二次資料を提示して「菩薩=阿羅漢」と読むのが独自研究でないか検証すべきなのです--[[利用者:Ryo 625|Ryo 625]]([[利用者‐会話:Ryo 625|会話]]) 2016年12月22日 (木) 21:36 (UTC)
 
::::阿羅漢は仏教成立以前から存在した述語で、仏教が取り入れたものに過ぎませんから、漢訳仏典はもう立派な2次資料です。2次資料なので経典によって言説が違っていたりします。まして、それらをご都合主義的に解釈する教派・宗派・学者の3次言説は、もう勘弁してくれと言いたくなるほど多種多様多彩で、どうにも典拠になりにくいものです。せいぜいで辞典・事典ぐらいでしょうか。
 
::::諸仏典では、阿羅漢と声聞を併置させる表現が非常に多いです。ここからは独自研究です(といっても倶舎論には示唆されています)が、arhan のプロセスを経ずに、頓狂して神々や悪魔と対話する声聞が、今は昔で少なからず存在したため、「彼の声聞は阿羅漢だった」と表現する必要があったのでしょう。怪しげで霊媒みたいな者ではないですよという断り文句です。
 
::::で、検索で現れた阿羅漢菩薩のすべてが典拠になるとは私も思っておりませんが、御指摘の「諸々の阿羅漢であり菩薩であり智者<del>であり</del>及び諸天神であるものたちが皆共に守衛する。」は是れその通りですし、「是菩薩過阿羅漢地。出辟支佛地。」も、「是れ阿羅漢の地を過ぎた菩薩。辟支佛の地を(も)出ている」と読めます。前者はサンスクリット原典との対比が必要な検証可能性の段階ですが、後者は最狭義の菩薩だったという意味に他ならず、その必要もないほどです。
::::[無学位の阿羅漢(果得者)は大乗小乗の範疇にはない。] について;
::::小乗に阿羅漢乗というのはないので小乗の範疇でないのは自明です(独自研究には当たりません)が、南伝を賤しめる戦前の"官製仏教"の影響が根強くあるので、この記述は残すべきと考えますが、いかがでしょう? 
::::以上、ご了解いただければ、タグをはずしたく存じます。
 
::::[扱い] について;
::::再修正しましたが、いかがでしょう?(阿羅漢有三毒は誰がいつ言い出したかは知りません。)
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