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== 来歴・人物 ==
=== 阪急・オリックス時代 ===
[[1987年]]、横芝敬愛高校から[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]にドラフト1位で指名され入団。同期3位に最後の阪急所属選手・[[中嶋聡]]がいた。自身4年目
===
=== ヤクルト時代 ===
[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]にテスト入団。[[野村克也]]監督の指示でサイドスローとシュートを覚える。移籍した[[1998年]]はワンポイントリリーフを中心に24試合に登板。復調の手応えを掴むと、翌[[1999年]]には開幕直後は二軍スタートだったものの、[[4月21日]]に一軍登録されると、その日の[[中日ドラゴンズ|中日]]戦に登板して自身8年ぶり、そして[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]初の勝利を記録した。[[5月12日]]の[[阪神タイガース]]戦では13年目にしてプロ初完封勝利を記録した<ref>2000 ベースボール・レコード・ブック 79頁 1999年度主要記録集「13年目の初完封勝利」より。</ref>。この年はエース格の[[石井一久]]・[[伊藤智仁]]・[[川崎憲次郎]]らの不調もありそこから一気に先発ローテ入りして大車輪の活躍を続け、結果的に[[ジェイソン・ハッカミー]]に続き3完封を含め9勝(8敗)のチームの日本人投手最高の成績を残してセ・リーグ投手防御率ベスト10の8傑に入り、[[規定投球回|規定投球回数]]にも初めて到達すると言う充実の一年を過ごし[[若松勉]]新監督の期待に応えた。[[日韓プロ野球スーパーゲーム]]に全日本軍として出場。しかし、[[2000年]]から再び低迷し、[[2001年]]に優勝果たしたが自身は[[2001年の日本シリーズ]]登板機会皆無で2度目の戦力外通告を受ける。
=== ロッテ時代 ===
[[千葉ロッテマリーンズ]]にテスト入団。移籍して
晩年の投球スタイルは、サイド気味の左腕から140km/h中盤の[[直球]]を主体に[[スライダー (球種)|スライダー]]・[[フォークボール|フォーク]]・[[シュート (球種)|シュート]]を織り交ぜるもの。直球は140km/h後半に達することもあるなど威力があり、投球の生命線となっている。<br/>横手投げや上手投げも交え、投げる角度を変えて相手を幻惑するというベテランらしい投球術も見せる。
[[2008年]][[3月23日]]の対
阪急・オリックス、
[[2010年]]からはロッテのスコアラーとして活動する<ref name="marines"/>。
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== 外部リンク ==
{{NPB|81583864}}
{{阪急ブレーブス1986年ドラフト指名選手}}
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