削除された内容 追加された内容
→‎強勢: 弱化や消失の見られる箇所を強調。→‎統語論における代名詞: sqélemcw = 男。人間はqelmúcw→‎手話: 補足説明を追加。Teitによる報告の時点で既に廃れつつあった模様
→‎言語教育: Wikipedia:査読依頼/シュスワプ語 20170513でのご指摘を受けて再検討した結果、誤訳の疑いが強まった箇所を修正。詳細は左記ページにて。/文化は既に衰退(Tyler et al. 1891:632)
37行目:
 
=== 言語教育 ===
19世紀中頃から後期にかけて[[天然痘]]が流行し、これによりシュスワップ族の文化は弱体化したが、その時期にはカナダ政府による先住民「文明化」の目論見が進められていた<ref>{{Harvcoltxt|Michel|2005|p=1&ndash;2}}.</ref>。1876年の[[インディアン法 (カナダ)|インディアン法]]({{Lang-en-short|Indian Act}})により先住民問題は法制化され、先住民人口をイギリス系カナダ人社会へ同化しようという植民地的な動機から、イギリス系カナダ人の行政官らはそれまで地方にあった産業学校{{Refnest|group="注"|{{Lang-en-short|industrial school(s)}}。主に農業技術の向上が重視され、生徒たちは1学年のほぼ大半の時間を学校で過ごすこととなっていた<ref name="km2005_6">{{Harvcoltxt|Michel|2005|p=6}}.</ref>。}}を[[インディアン寄宿学校|アメリカ式の寄宿学校]]{{Refnest|group="注"|{{Lang-en-short|residential school(s)}}。教育と宗教が重視され、生徒たちは1学年につき10ヶ月を学校で過ごすこととなっていた<ref name="km2005_6" />。宗教に関しては、寄宿学校制の施行を促した1879年のデイヴィン・リポート({{Lang-en-short|Davin Report}})において、先住民集団との深いつながりを持つ[[キリスト教]]の宗派による学校運営はどうか、との提案が見える<ref name="km2005_3">{{Harvcoltxt|Michel|2005|p=3}}.</ref>。}}に置き換えることを考えた<ref>{{Harvcoltxt|Michel|2005|p=2&ndash;3}}.</ref>。寄宿学校を始め、産業学校、昼間学校{{Refnest|group="注"|{{Lang-en-short|day school(s)}}。ファースト・ネーションの子どもたちが最初に入る学校で、日中に出席するだけでよいこととなっていた<ref name="km2005_6" />。}}など様々な形態の学校の取り組みが行われたものの、学校を卒業した先住民たちはイギリス系カナダ人の社会に適応できておらず、政府から見ても成果が思わしくないことは明らかであった (Titley 1986: 81)<ref name="km2005_3" />。すると学校が先住民地域社会<!--native communities-->と近接していることが悪影響を及ぼす結果となっていると考えられるようになり、1920年になるとインディアン法に7歳から15歳の先住民にルーツを持つ子どもたちを学校に通わせることを義務とする規定が、また1930年には同法に従わなかった親に罰金刑や懲役刑を課す節が新たに設けられるなど、むしろ学校の先住民共同体への接近が悪影響をもらしたと考えられる側面も存在する<ref name="km2005_3" />。こうした過程によりシュスワップ族の言語も文化共に衰退の一途を辿ることとなる。学校でシュスワプ語を話そうとすると罰せられるため、親たちは子どもを守るためにシュスワプ語は教えず、英語だけで育てるようになった (Haig-Brown 1989: 109&ndash;110)<ref>{{Harvcoltxt|Michel|2005|p=3&ndash;4}}.</ref>。こうして寄宿学校生活を耐え抜いた者たちの孫世代にとって、シュスワプ語とは消滅の瀬戸際にある言語であった<ref name="km2005_3" />。
 
このような状況の中、1987年になるとシュスワプ語を消滅の危機から救う取り組みが始まった。それは生後まもなくから5歳にかけての子どもを対象とした取り組みで、[[ニュージーランド]]の[[マオリ族]]による{{仮リンク|言語の巣|en|Language nest}}([[マオリ語]]: {{仮リンク|テ・コーハンガ・レオ|label=Te Kōhanga Reo|en|Māori language revival}}; 英語: language nest)を模範としたものだった<ref name="km2005_4">{{Harvcoltxt|Michel|2005|p=4}}.</ref>。後には初等教育を[[イマージョン・プログラム|イマージョン]]方式で行ったり<ref group="注" name="cas">先住民向けのイマージョン・スクールとしては{{仮リンク|チェイス (ブリティッシュコロンビア州)|label=チェイス|en|Chase, British Columbia}}の Chief Atahm School{{enlink|Chief Atahm School|a=on}}(1991/92年設立)が存在する。[[#外部リンク]]も参照。</ref>、4年生から7年生を対象としたバイリンガル教育、成人を対象とした授業、ファースト・ネーション共同体のための教員養成課程も州内外で行われたりするようになった<ref name="km2005_4" />。