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== 概要 ==
名港トリトンの3橋は[[名古屋港]](名港)の[[埋立地]]を東西に横断し、流通基地をはじめ工業地帯が点在する各[[埠頭|ふ頭]]間を連絡する使命の他に、名古屋港と周辺工業地帯の有機的連携を目的として架橋された{{Sfn|名古屋港管理組合三十年史編集会議|1984|pp=488 - 489}}。さらに、[[東名高速道路|東名]]、[[新東名高速道路|新東名]]と[[東名阪自動車道|東名阪]]、[[新名神高速道路|新名神]]の各[[高速道路]]の短絡ルートを構成することから、東西主要都市間の直結ルートとしての役割も担っている<ref name="中日20041214">{{Cite news |date=2004-12-14 |title=豊田JCT - 豊田南が開通 伊勢湾岸道 |newspaper=中日新聞 朝刊 |page=22}}</ref>。さらに、[[中央自動車道]]、[[名古屋第二環状自動車道|名二環]]、[[東海環状自動車道]]、[[東海北陸自動車道]]とも連絡することで、名古屋港と関西、北陸、信越地方が自動車専用道路で結ばれることで、海上輸送と陸上輸送が一体となって国際物流を形成し、国内産業を下支えしている{{Sfn|名古屋港管理組合|2016|p=11}}。
 
[[File:Triton map 20170618.png|thumb|550px|left|高速道路ネットワークによって名古屋港と国内各地を直結し、輸送コスト削減、時間短縮効果をもたらしている。港の中を高規格幹線道路が横断するのは名古屋港のポテンシャルの高さのあらわれである{{Sfn|名古屋港管理組合|2016|p=11}}。]]
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== 歴史 ==
[[File:Nagoya Ring Route No.2 20160818A.png|350px|thumb|right|名港トリトンを含む東海 - 飛島間は名古屋環状2号線の一部として構想された。のちに飽和状態の国道23号(名四国道)の海側にバイパスを造り、東名高速豊田と東名阪四日市を連絡するために第二名四国道が構想され、名四東IC - 飛島間で環状道路と並行することとされた。並行区間はのちに統合され往復6車線となった。路線名やインター名は計画当時の名称。]]
=== 名古屋環状2号線としての構想・計画 ===
名港トリトンとその取り付け道路(東海IC - 飛島IC間)は[[名古屋環状2号線]]の海上区間であり、あくまで環状道路の一部分として構想された<ref name="朝日19980304"/>。その起源は1964年で、1975年を目標年次とする長期港湾整備計画の策定に端を発している<ref name="中日19640517">{{Cite news |title=管理組合が長期整備計画を発表 10年後に大名古屋港 貨物は年間9500万トン 商港の中心に13号地 |newspaper=中部日本新聞朝刊|date=1964-05-17|page=1}}</ref>。計画では名古屋市を取り巻く名古屋環状2号線と名古屋港を連絡する名目で、南と西のふ頭間のほぼ中央を大橋で連絡する構想が初めて示され、そのルートはほぼ現在の名港トリトンと一致している<ref name="中日19640517"/>。この横断ルートは名古屋環状2号線のルートに組み込まれたが{{Sfn|名古屋港管理組合三十年史編集会議|1984|p=488}}、1967年3月の名古屋環状2号線(一部)の都市計画決定にあたって陸上区間は現行ルートに決定されたものの、海上横断ルートについては路線計画が進んでいないために計画から除外された{{Sfn|名古屋環状二号線整備促進期成同盟委員会|1967|p=20}}。この時点では、海上区間は臨海工業地帯の適地を横断する、といった程度の構想に過ぎなかった{{Sfn|名古屋環状二号線整備促進期成同盟委員会|1967|p=23}}。
 
やがては並行する国道23号と国道1号の慢性的な渋滞を緩和する意図から、海上区間を東西に延ばして<ref name="中日19780905"/>、東側は東名高速豊田JCT、西側は東名阪自動車道四日市JCTまでつなげることで、名実ともに国道23号線のバイパス(第二名四国道)とすることになった{{Sfn|建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所|1989|pp=300 - 301}}。この内、名古屋南JCT - 飛島IC間が環状道路と第二名四国道が重複し、当初は両道路を上下に並行して建設することとされ、環状道路が往復6車線、第二名四国道が往復4車線の合計10車線とされた{{Sfn|建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所|1989|pp=300 - 301}}。しかしながら、名古屋港通過箇所は橋の規模が大きくなり、建設費が3千数百億円と事業化の見通しが得られないことに加えて、交通量の将来予測が見込みよりも減少することが明らかとなった。このため、1976年には両道路を統合して、シングルデッキの往復6車線に変更した{{Sfn|建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所|1989|pp=300 - 301}}。この他にもトンネル構造から橋梁への変更、ゲルバートラス橋から斜張橋への変更を経て{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|pp=3 - 5}}1979年8月に海上区間の都市計画が決定を見た(名古屋環状2号線全線の都市計画決定){{Sfn|建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所 |1989|p=301}}。なお、この時点の海上区間は一般有料道路としての規格であったが、1989年に第二名四国道が高速道路([[新東名高速道路|新東名]]・[[新名神高速道路]])に昇格したことを受けて{{Sfn|名古屋港開港百年史編さん委員会|2008|pp=340 - 341}}<ref name="中日19890201">{{Cite news |title=第2東名・名神を優先建設 基本計画に昇格 審議会決定 |newspaper=中日新聞朝刊 |date=1989-02-01|page=1}}</ref>、重複する国道302号東海IC - 飛島IC間も高速道路規格の構造に変更され、橋梁の横幅も拡大されるに至った。橋梁は当初は設計速度80km/h規格であったが{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=4}}、この変更を受けて100 km/hとされた<ref name="中日19910427">{{Cite news |title=名古屋高速1号 2.8キロをトンネル化 都市計画変更の知事案を発表 場所により幅員拡大 伊勢湾岸道路 |newspaper=中日新聞朝刊 |date=1991-04-27|page=18}}</ref>。
 
=== 西大橋が先行開通 ===
[[File:Meiko West Bridge 20170617G.jpg|thumb|250px|left|名港西大橋は当初は右側の橋のみ建設された。1998年3月までは西大橋のみの開通のため、時間短縮効果のメリットはなく、港湾物流関係者にとっては無用の長物であった<ref name="中日19860429"/>。]]
1985年3月20日、3橋の先陣を切って名港西大橋(北側・現在の上り線)が暫定往復2車線にて、有料道路「名港西大橋」(路線名は一般国道302号)として供用開始された{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=7}}。この時は金城ふ頭側に料金所が設置された<ref name="中日19850320夕">{{Cite news |title=輸入博 舞台は出来た 名港西大橋 待望の開通 世界最長の斜張橋 |newspaper=中日新聞夕刊|date=1985-03-20|page=1}}</ref>。なお、その翌日より金城ふ頭で開催された「輸入博」(ワールド・インポート・フェア・ナゴヤ)は西大橋開通に合わせたイベントとして企画された<ref name="中日19850320夕"/>。開通当初の西大橋の利用台数は1日平均1,700台で、事業主体の日本道路公団の当初予測たる8,900台を大幅に下回った(ただし通行量は年々1割程度の上昇を見せた<ref name="朝日19930528"/>)<ref name="中日19860429">{{Cite news |title=新動脈への期待 伊勢湾岸道路 上 点から線へ 全線整備への第一歩 採算ワーストワン |newspaper=中日新聞朝刊|date=1986-04-29|page=1}}</ref>。事業費185億円{{Sfn|名港西大橋編集委員会(写真集)|1985|p=8}}に対して全くの赤字経営で、[[会計検査院]]による調査が入るなど、投資対効果の点で疑問が付された<ref name="中日19860429"/>。地元経済界の強い要請で先行建設された割には、蓋を開けてみれば、西大橋の主要な収入源と目論んでいた港湾物流業界から全く見放された格好であった。開通当初の西大橋の通行料金は西二区(現・木場金岡ふ頭) - 金城ふ頭間3.2 kmの通行で片道1,400円([[特定大型車]])であったが、そもそも高額な通行料金を支払ってまで利用する大きな理由は、行きたい場所に短時間でアクセスできるからである。ひるがえって当時の西大橋は、それ自体で道路が完結しているため、四日市方面や北陸、静岡方面にアクセスするには、西大橋を渡ってから国道23号や国道1号に出なければならなず、広域アクセスする業務交通にとって西大橋を利用した場合の時間距離短縮効果は皆無に等しかった<ref name="中日19860429"/>。それならば、わざわざ西大橋を使わずとも最初から国道23号および国道1号を使った方が経費節約となるため、西大橋は港湾業界から全く見向きもされない状況に陥ることになった<ref name="中日19860429"/>。当時の西大橋は行楽客主体の利用で、伊勢湾に沈む夕日を見るための隠れたスポットであって、増収に結びつかないこれらの利用方法は公団関係者にとって頭痛の種であった<ref name="中日19860429"/>。なお、この状況を打開するべく、公団は港湾物流の利用促進を狙って業界に回数券を売り込んだが、冷たくあしらわれるだけだった<ref name="中日19860429"/>。
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西大橋の低調さをさらに印象付ける出来事として、通行量が少ないことをいいことに<ref name="朝日19920218夕"/>、港の夜景を眺めるためにカップルが大挙して西大橋に押し寄せ、路肩に駐車のうえ、週末にはその列が1kmに及ぶこともあった<ref name="朝日19930528"/><ref name="朝日19920709">{{Cite news |title=名港西大橋 夜景見物の困った名所(えんぴつ最前線) |newspaper=朝日新聞(名古屋)朝刊|date=1992-07-09|page=25}}</ref>。当時は往復2車線で中央分離帯もなかったことから、料金所の無い飛島側から西大橋に入り、夜景をみてからUターンして料金を払わずに退出する者が続出した<ref name="朝日19920709"/>。カップルが去った後には多数の落書きとごみが残され、職員がそれを片付けるのが仕事の一つであった<ref name="朝日19920709"/>。その翌年には退散を促すスピーカーを設置しているが、これは付近に民家が無いことを逆手に取った対策であった<ref name="朝日19930528">{{Cite news |title=スピーカーで夜景目当ての違法駐車を一掃 名港西大橋 |newspaper=朝日新聞(名古屋)朝刊|date=1993-05-28|page=27}}</ref>。
 
=== 伊勢湾岸道と接続し交通量が増大 ===
名港トリトンはあくまでその前後を高速道路で直結のうえ、東名高速と東名阪自動車道を連絡してこそ、その真価を発揮できるのであって<ref name="中日19860429"/>、実際、1998年3月の3橋のグランドオープンおよび名古屋南IC - 東海IC間が供用開始した後も依然として赤字経営であった<ref name="朝日20000809">{{Cite news |title=一般有料道、26道路赤字 道路公団営業文を監察 |newspaper=朝日新聞朝刊|date=2000-08-09|page=2}}</ref>。しかし、1986年時点における逆風のさなかにあっても、建設省は3橋を境にして[[名古屋南インターチェンジ|名古屋南IC]]直結(すなわち国道23号に連結)で1日交通量約2万台、続く[[みえ川越インターチェンジ|みえ川越IC]]までの開通(同様に国道23号に連結)で約4万台、そして最終的に東名高速と東名阪自動車道の連結で約6万台と強気の予想通行量を算出した<ref name="中日19860501">{{Cite news |title=新動脈への期待 伊勢湾岸道路 民活の条件 採算性の裏付けを |newspaper=中日新聞朝刊|date=1986-05-01|page=5}}</ref>。結果として、3大橋のグランドオープンを含む名古屋南IC - 名港中央ICの開通以降は利用台数が大きく増加し始め、2003年のみえ川越IC連結による国道23号のバイパスルート完成によって25000台に増加{{Sfn|日本道路公団中部支社|1998|p=38}}、その後も増加傾向は続き、2013年には93000台を記録した。このことは、高速道路とは一定のネットワークを形成して初めてその真価を発揮することを示し{{Sfn|名古屋高速道路公社20年史編集委員会|1991|pp=100 - 101}}、その中間部分(名古屋港の横断部分)だけを構築してもほとんど意味を成さないことを名港トリトンの歴史は如実に示している。
{{wide image|トリトン日平均交通量.png|1000px|1985年 - 1997年までのデータは名港西大橋の平均利用台数。<small>出典:『高速道路と自動車』公益財団法人高速道路調査会、vol.28 - vol.56までの毎年7月号「一般有料道路統計月報」</small>}}
 
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** [[3月22日]] : 大府IC - 名港中央IC間で「夢ロードわくわくフェスタ」を挙行。徒歩で3万人が渡り初め<ref name="中日19980208">{{Cite news |title=名港3大橋 3万人が"渡り初め" |newspaper=中日新聞朝刊|date=1998-03-23|page=1}}</ref>。
** [[3月30日]] : 東海IC - 名港中央IC(名港東大橋、名港中央大橋)が15時開通<ref name="朝日19980330夕"/>。併せて名港西大橋の二期線(南側の橋)が供用され、一期線も3車線化された<ref name="朝日19980330夕"/>。
 
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== 通行料金 ==
名港トリトン(伊勢湾岸道路)は一般国道302号であるが、東海IC - 飛島IC間は有料区間であるため、通行料金が発生する。
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== ライトアップ ==
[[File: Meiko Central Bridge 20170704A.jpg|thumb|250px|right|中央大橋の夏のライティング。テーマカラーはブルー。]]
3橋は夜間の一部時間帯にライトアップを実施している。この内、中央大橋のみ季節ごとにライティングカラーを変えるため、848個の水銀灯を取り付けている<ref name="朝日19961218">{{Cite news |title=4色の彩り、主塔に点灯 名古屋港の中央大橋 |newspaper=朝日新聞(名古屋)朝刊|date=1996-12-18|page=25}}</ref>。ライティングのテーマカラーは、春がグリーン(若葉のイメージ)、夏がブルー(海と空のイメージ)、秋がグリーンイエロー(紅葉のイメージ)、冬がレッド(炎のイメージ)である。点灯時間は当初から日没に合わせて開始時間を変えたがており<ref name="朝日19980331">{{Cite news |title=春宵に浮かぶ、名港トリトン |newspaper=朝日新聞(名古屋)朝刊|date=1998-03-31|page=29}}</ref>、現在も月によって18時から22時と19時から22時の2通り固定し点灯されている<ref name="ライティング">{{Cite web|url=http://www.port-of-nagoya.jp/triton/index.html|title=名港トリトンのライトアップ |publisher=名古屋港管理組合|accessdate=2017-06-20|language=日本語}}</ref>。また、クリスマスや年末年始、ゴールデンウィークには特別点灯が実施される<ref name="ライティング"/>。
 
ライトアップは地元負担とされ、ライティング用機材6億円は[[名古屋港管理組合]]が負担し、電気代も同組合が負担している<ref name="中日19950316">{{Cite news |title=名港三大橋をライトアップ 管理組合 建設費6億円計上|newspaper=中日新聞朝刊|date=1995-03-16|page=14}}</ref>{{Sfn|名古屋港開港百年史編さん委員会|2008|p=344}}。日本道路公団(現、NEXCO中日本)は高額な斜張橋の建設費が通行料金に跳ね返っていることからライティング費用の負担については消極的である<ref name="中日19941124"/>。