「徳川家康三方ヶ原戦役画像」の版間の差分

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2016年現在、絹本著色<ref>{{Cite web|author= 国立国会図書館 |year= 2008 |url= http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000042305 |title= レファレンス協同データベース > レファレンス事例詳細 > 著色、着色との違いについて知りたい。 |publisher= 国立国会図書館 |accessdate= 2016-11-05 |ref=harv}}</ref>の[[掛軸]]装となっている{{Sfn|原|2016|p=3}}。本紙の寸法は、縦1尺2寸4分5厘(37.8センチメートル)・横7寸1分8厘(21.8センチメートル){{efn|徳川美術館の収蔵品台帳による。表装の寸法は、縦3尺5寸1分(106.5センチメートル)・横1尺5分5厘(32.0センチメートル){{sfn|原|2016|p=3}}。1880年(明治13年)7月に作成された[[尾張徳川家]]の財産目録『御器物目録』にも同様の記述があり、寸法や表装に関する記載の一致が同じ作品だと判断する根拠となっている{{sfn|原|2016|pp=9-10}}。}}{{efn|文化庁文化遺産オンラインでは、縦37.7 横21.8、としている<ref name="sks"/>。}}。
 
表装は、上下を茶地絓<ref>{{Kotobank|絓|2=デジタル大辞泉}} 2016年11月5日閲覧。</ref>、中廻<ref>{{Weblio|中廻|2=歴史民俗用語辞典}} 2016年11月5日閲覧。</ref>を紺地[[唐草模様|唐草文]]金襴<ref>{{Kotobank|金襴|2=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典}} 2016年11月5日閲覧。</ref>、風袋<ref>{{Kotobank|風袋|2=デジタル大辞泉}} 2016年11月5日閲覧。</ref>と一文字<ref>{{Weblio|一文字|2=歴史民俗用語辞典}} 2016年11月5日閲覧。</ref>を白茶地[[宝尽模様|宝尽文]]金襴、軸を黒塗[[撥]]型とする{{sfn|原|2016|p=3}}{{efn|『御器物目録』にも同様の記述があり、寸法や表装に関する記載の一致が同じ作品だと判断する根拠となっている{{sfn|原|2016|pp=9-10}}。}}。
 
=== 箱書き ===
1993年に岡墨光堂<ref>{{Cite web|author= 岡墨光堂 |year= 2016 |url= http://www.bokkodo.co.jp/ |title= 株式会社岡墨光堂 |publisher= |accessdate= 2016-11-05 |ref=harv}}</ref>による[[裏打ち|裏打ち紙]]の貼り直しや本紙の欠失部分の補修が行なわれた際に、桐の太巻軸装となり、桐箱も新調された{{Sfn|原|2016|p=3}}。
 
それ以前は、[[三つ葉葵|葵紋]]が描かれた溜塗<ref>{{Weblio|ためぬり|2=三省堂 大辞林}} 2016年11月5日閲覧。</ref>[[印籠]]蓋造の外箱(元外箱)と、「神君御影」と[[金泥・銀泥|金泥書]]された黒塗<ref>{{Weblio|くろぬり|2=三省堂 大辞林}} 2016年11月5日閲覧。</ref>印籠蓋造の内箱(元内箱)に納められており{{Sfn|原|2016|p=3}}、元外箱の蓋の上には「家康公'''長篠'''戦役小具足着用之像」と記した貼紙が貼付されていた{{Sfn|原|2016|pp=3挿図2,10}}。
 
=== 作者 ===