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生活の中で[[三味線]]の音色が聴こえる環境がいつの間に消えていく中、聴き手である浪曲(や主題や世界観を共有する[[時代劇]]、[[演歌]]など)に馴染みのある世代的に最後の固まり(昭和30年代までに生まれ、ラジオ番組で馴染んだ世代、つまり概ね[[団塊の世代]]まで)の退場が間近に迫り、浪曲自体の将来が危ぶまれている。後述するように、浪曲においても徐々に女性が入門者の中心となる。関東では[[玉川福太郎]]から次の[[国本武春]]が入門するまで15年間、その後に続く男性浪曲師として[[玉川太福]]が福太郎に入門するまでも25年という長い空白期間がある<ref>その間、入門者がいなかった訳ではないが、浪曲界に居続け、大成した者はいない</ref>などの[[ボトルネック効果|ボトルネック]]状態があった<ref>多くの一門芸脈の消滅に悪影響は現れている</ref>がそこは脱している。浪曲の未来を考える上で唯一の希望と呼ぶにふさわしい孤軍奮闘を見せていた国本武春が2015年末に突如亡くなり<ref>[https://mainichi.jp/articles/20151230/mog/00m/200/007000c 浪曲の隆盛のため孤軍奮闘 国本武春さんをしのぶ 油井雅和] - 毎日新聞</ref>、武春イズムを受け継ぐ若手浪曲師達に正念場が訪れている<ref>「浪曲人気復活 落語に続け」日本経済新聞2017年5月8日夕刊p.16</ref>。また、深刻な曲師不足に対する策として、「iPad浪曲」を発案、実演する動きもある<ref>2017年6月10日木馬亭イベント「電気浪曲の会」虎造節大会関係者中心に天狗連</ref>。
 
== 主な浪曲師 ==
大きな名前については、その名にあやかり芸を継承するために[[襲名]]する事([[名跡]]化)がある。[[:Category:浪曲の名跡|浪曲の名跡一覧]]も参照のこと。逆に本名(または本名の一部)を使用することもあった。新興芸能であった時期は他の演芸同様に、師弟関係は固定化されておらず、師匠を遍歴する者や、師匠無しの独立独歩の者もいた。また、[[曲師]]との転出入の歴史的な多さ、戦後においての[[演歌]]・[[民謡]]歌手や[[色物]]演芸との比較的自由な行き来は特筆に値する<ref>小、坊については修行中を表す意味が強く、その名を持つ浪曲師だけを集めた大会もしばしば開かれた。 出典:唯二郎『実録浪曲史』p.90</ref>。現在の浪曲師は落語のように[[徒弟制度]]が整い、3年以上の年季奉公、1年の御礼奉公が一般的である(江戸落語のような二つ目はない)。節目として名披露目(年季明け)があり、一人前という扱いに変わる。