「ノート:幻視芸術」の版間の差分

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Basicsur (会話 | 投稿記録)
→‎「伝統芸術」という言葉の曖昧性: traditional を日本人がどう訳すべきか、結論が出ていない。
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:Basicsur氏の提出したヴァルター・ジュリアン『幻想美術 fantastic art』の最初のページに「伝統的に認められてきた芸術」という文章を確認。同書を「因習的なアヴァンギャルド芸術」の訳の根拠とする案を却下します。
:「伝統」「芸術」などの出典に追加:『幻想美術 fantastic art』『ArT RANDOM 50巻 Outsider Art from the Outsider Archive, London』『アウトサイダー・アート―芸術のはじまる場所』『アウトサイダー・アートの社会学』『和英対照日本美術用語辞典』『岩波美術用語辞典』--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年12月23日 (土) 11:35 (UTC)
 
 
「善意にとる」というガイドラインに反して全てを悪意にとり、エゴと決めつける。個人攻撃をしない、と言いながら個人攻撃をする。自分のルールが自分を否定している。世の中には色々な癖のある人がいるものです。私はマーダーさんにではなく第三者へ向けて文章を書きます。
 
多くの日本人が「伝統」という言葉を因習的なものも含めると認識していれば、traditionalを「伝統的」と訳していいと思います。しかし、和英辞書によれば 伝統という語は, 主に先祖伝来の社会的慣習を意味するだけなので, 日本語の「伝統」とずれる場合には文脈に応じて訳す必要がある 。とあります。  因習的でも伝統的でもどちらでもいい気もしますが、記事として理解し難くなるのは確かです。ウィーン幻想派はヨーロッパの伝統を重視した芸術運動であり、伝統的なウィーン幻想派の外にアウトサイダーアートが位置付けられてしまうという文脈に受け取られてしまいます。 すると、マーダー説における、「ヴィジョナリーアートはアウトサイダーアートを含む」説と矛盾してきます。ヴィジョナリーアートとアウトサイダーアートには微妙な境界線があり、違うジャンルだろうと私としては認識していますが、ウィーン幻想派は明らかに伝統的美術です。英文の引用先のtraditional fine art systemはウィーン幻想派のようなものを意味していません。お金が動く欧米のエリート文化、「上位文化」のことです。伝統とは日本においては守るべき良き長い歴史、という意味合いで使われているのであり、それの外にアウトサイダー アートがあるのではありません。
 「伝統的に認められた芸術」の元の英文は ɪn other cases, however, attempts to find a conceptual home for art which fits into no known cateɡory sanctioned by artistic tradition have come to nothinɡ. ここにおけるartistic traditionを芸術的伝統、あるいは「伝統的に認められてきた芸術」と、訳しても良いでしょう。しかし文脈からいえば、ここにおける伝統は何か頑固なもの、上手くいかないものとして記述されており、やはり良き伝統とは違うニュアンスが見て取れます。これは翻訳家の判断でありますが、英語のtraditionには良い意味も悪い意味もある、ということを念頭に入れて翻訳していく必要は今後あります。よって却下は早計でありまして、まだ我々の間違いの可能性はありうるのですから第三者を入れて時間をかけて議論、結論に至りたいと思います。却下の判断が短絡的です。却下は認めません。まだ検証の余地があります。
 
Visionary art is not easily defined. As a recognised genre it is recent, a half-century old at most – its first generation masters are still practicing, its horizons are still expanding. Visionary art is contemporary. To search for a defining boundary therefore is fruitless; definitions, being restrictive, are more readily established in retrospect. But if we cannot define, then we can unearth. For there exists in any art genre a lineage, a bloodline, and in Visionary art we find a genealogy that can be traced through the Surrealist and Fantastic Realist movements of last century, past the Renaissance, across continents and centuries, back to the first dawn.  http://sophiaimaginalis.com/art/on-visionary-art/
ヴィジョナリーアートの当事者がこうやって、簡単に定義できるものではないと言っているのですから、私達も謙虚に、互いに争わず、事実の共有をしましょう。そして多くの編集者が参加することを願います。個人攻撃の修羅場になれば不愉快のあまり誰も編集に参加したいと思わなくなるでしょう。時間の無駄だと思うでしょう。そしてウィキペディアの意義がどんどん劣化してしまうでしょう。私としては多くの執筆者の参加を望んでいます。
--[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|会話]]) 2017年12月29日 (金) 16:33 (UTC)
 
== ヴィジョンには視覚的にも見えるものがあります ==
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