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[[File:Gold oban 050918 163354.jpg|thumb|right|160px|万延大判]]
'''日本の貨幣史'''(かへいし)では[[日本]]の[[貨幣]]の歴史、および歴史上の各時代における貨幣の機能や貨幣制度の歴史を指す。日本に流入した海外の貨幣や、海外で流通した日本の貨幣についても取り上げる。また、歴史的に[[蝦夷地]]や[[琉球]]と呼ばれてきた地域の貨幣についても記述する。世界各地の貨幣の歴史については、[[貨幣史]]を参照。
== 概要 ==
===
; 古代
日本で金属貨幣が作られる以前の[[弥生時代]]の遺跡からは、中国から運ばれた硬貨が発見されている{{Sfn|松村、次山|2011|p=}}。貨幣の素材そのものに価値のある貨幣を、[[物品貨幣]]や[[商品貨幣]]と呼ぶ。日本では、古代から[[米]]・[[絹]]・[[布]]が物品貨幣として用いられた。米は初期の金融や手形の発生にも関係した{{Sfn|仁藤|1998|p=54}}。
[[File:Japan known coin types from 708 to 958.jpg|250px|right|thumb|皇朝十二銭と関連銭貨([[開基勝宝]]は模造)]]
日本で作られた金属貨幣で、現存する最古の[[銀貨]]は[[7世紀]]の[[無文銀銭]]、最古の[[銅貨]]は[[708年]]([[和銅]]元年)の[[和同開珎]]、最古の[[金貨]]は[[760年]]([[天平宝字]]4年)の[[開基勝宝]]である。地金の重量を測って用いる[[秤量貨幣]]の銀が[[飛鳥時代]]から存在し、8世紀には[[硬貨]]が発行された。
貨幣の発行によって物資の調達や財政を改善する[[貨幣発行益]]は、古代より利用されてきた。和同開珎が発行された時代の銅貨は、原料である銅の4倍ほどの貨幣発行益があった{{Sfn|三上|1998|p=135}}。朝廷が発行した[[皇朝十二銭]]は新貨のたびに銅貨の含有率が下がり、貨幣発行は朝廷や通貨制度への信用低下をもたらし、結果として銭離れを招いた{{Sfn|瀧澤、西脇|1999|p=12}}。このために和同開珎を含めて初期に作られた硬貨は、数々の奨励策にも関わらず流通が限られ、いったん硬貨の発行は停止した{{Sfn|三上|1998|p=第10章}}。
; 中世
中世に入ると、中国との貿易で流入した大量の銅貨([[宋銭]])によって硬貨が広まる。秤量貨幣としては主に銀が用いられ、この傾向はのちの[[江戸時代]]でも続いた。銅貨は[[酸化銅]]からの鋳造は容易であるが、火山の多い日本では[[硫化銅]]が主体だった。そのため[[室町時代]]後期に[[山下吹]]という精錬方法が開発されるまでは銅が慢性的に不足しており、銅貨の発行に影響を与えた{{Sfn|三上|1998|p=175}}。古代から中世においては金属貨幣の流通がたびたび不足して、その都度、物品貨幣が重要となった{{Sfn|中島|1999|p=113}}。東国は絹と布、西国は米が用いられる傾向があった。金と銀は、16世紀に大陸から伝わった[[灰吹法]]によって産出量が増加して、江戸時代には貴金属の輸出も行われた{{Sfn|瀧澤、西脇|1999|p=66}}。
税制では、通貨単位を尺度とする[[貫高制]]にかわり、米の収穫量を尺度とする[[石高制]]の普及が進んだ。石高制の普及には、[[太閤検地]]が大きな影響を与えた{{Sfn|秋澤|1993|p=}}。
; 近世
[[Image:Zeni1kanbun.jpg|250px|thumb|寛永通寳一貫文]]
江戸時代には、[[江戸幕府]]によって[[金]]・[[銀]]・[[銅]]にもとづく[[江戸時代の三貨制度|三貨制度]]が定められ、金属貨幣の流通が全国で統一された{{Sfn|三上|2011|p=29}}。この時代に[[紙幣]]も発行されており、存在が確認されている最古の紙幣は、[[1610年]]に発行された[[羽書]]である。羽書は私札とも呼ばれ、藩領が発行する[[藩札]]や、旗本領が発行する[[旗本札]]があった{{Sfn|植村|1994|P=}}。貨幣発行益を目的とした改鋳や新貨の発行として、江戸幕府による[[貨幣改鋳#日本|改鋳]]がある{{Sfn|東野|1997|p=第11章}}。
; 近代
[[明治時代]]からは、政府による[[政府紙幣]]や銀行による[[銀行券]]が発行された{{Sfn|植村|1994|P=}}。貨幣発行益を目的とした改鋳や新貨の発行として、明治政府の政府紙幣などがある{{Sfn|加藤、秋谷|2000|p=60, 77}}。[[日清戦争]]の[[賠償金|軍事賠償金]]をもとに[[金本位制]]を本格的に採用し、外債の発行で[[日露戦争]]の戦費を調達した{{Sfn|岡崎|1997|p=第1章}}。[[日中戦争]]や[[太平洋戦争]]の時期に占領地などで用いられた紙幣や[[軍用手票]](軍票)は、日本統治下の地域で[[インフレーション]]を起こして、通貨の信用低下をもたらした{{Sfn|多田井|1997|P=}}。
; 現代
第二次世界大戦後の日本の通貨は、ドルを基軸とする[[ブレトンウッズ協定]]のもとで為替レートが定められた。ブレトン・ウッズ体制は、[[ニクソン・ショック]]を経た変動相場制への移行によって終了した{{Sfn|加藤、秋谷|2000|P=294}}。アメリカの[[双子の赤字]]をきっかけとして、為替レート安定のために先進5か国([[G5]])による[[プラザ合意]]がなされると、急速に円高が進んだ{{Sfn|加藤、秋谷|2000|P=294}}。
現代の日本では、日本政府ではなく[[中央銀行]]にあたる[[日本銀行]]が貨幣を発行している。たとえば[[2014年]]度([[平成]]26年度)には日本銀行券が30億枚発行され、銀行券製造費は51,483,108,000円となっている<ref>{{Cite news|url=https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/order/bn_order.pdf|title=平成27年度の銀行券発注高|work=|newspaper=日本銀行|date=--|accessdate=2016-01-07}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.boj.or.jp/about/account/data/zai1505a.pdf|title=第130回事業年度財務諸表等|work=|newspaper=日本銀行|date=--|accessdate=2016-01-07}}</ref>。このため、銀行券の製造コストと額面の差額は貨幣発行益とはならない{{Sfn|小栗 (2006)}}。日本銀行の貨幣発行益は、銀行券発行の対価として買い入れた手形や国債から得られる利息となる<ref>{{Cite news|url=https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/outline/a24.htm/|title=日本銀行の利益はどのように発生しますか? 通貨発行益とは何ですか?|work=|newspaper=日本銀行|date=--|accessdate=2016-01-07}}</ref>。
=== 貨幣の単位 ===
古代から中世にかけて、[[文 (通貨単位)|文]](もん)や[[貫]]が用いられた。江戸時代では、金貨の単位は[[両]]、[[分]](ぶ)、[[朱]](しゅ)があり、銀貨の単位は[[貫]]、[[匁]](もんめ)、分(ふん)、銅貨の単位には[[文 (通貨単位)|文]](もん)が定められた。明治時代からは[[円 (通貨)|円]]が採用されて現在にいたっている。円の補助単位として、[[銭]](せん)、[[厘]](りん)がある{{Sfn|瀧澤、西脇|1999|P=}}。
== 古代 ==
=== 弥生時代、古墳時代 ===
[[弥生時代]]の遺跡からは、中国の硬貨である[[秦]]から[[前漢]]にかけての[[半両銭]]や[[五銖銭]]が発見されている。弥生時代と[[古墳時代]]の遺跡で出土した中国の硬貨は、[[青銅器]]の原料となっていたほかに祭祀にも用いられていた
=== 律令
[[律令制]]においては、[[真綿]]、[[布]]、[[絁]](あしぎぬ)、[[鍬]]、[[米]]、[[塩]]などが物品貨幣として用いられていた。当時は価値の尺度、支払い、交換などの機能別に貨幣があり、組み合わせて使用されていた。たとえば[[藤原京]]の市場でものを買うには、まず銀を尺度として品物の価値を計算してから、同じ価値を持つ糸や布で交換した
律令政府は、首都の造営をはじめとする大規模な国家事業の支払い手段として、金属貨幣の普及をすすめた。支払いの内容は、雇用の賃金である功銭や、資材の購入費とされる。
貿易用の貨幣として、[[物品貨幣]]として銀や金の輸出が始まった。銀は、674年に対馬で銀が発見されて国産化された。金は日本は朝鮮半島から金を輸入しており、平安時代に[[陸奥国]]で砂金が発見されて以降は東北からの砂金が用いられた。東大寺で[[東大寺盧舎那仏像|大仏]]に鍍金するための金が不足した時に陸奥国で金が発見され、聖武天皇が東大寺に行幸して喜んだという記録が『続日本紀』にある{{Sfn|田中|2009|p=137}}。初めて金の国外輸送は、776年([[宝亀]]7年)の遣唐使[[藤原清河]]に対する砂金の支給である{{Sfn|田中|2009|p=145}}。8世紀の[[新羅]]との貿易では、真綿を交換に用いていた{{Sfn|丸山|2010|p=第7章}}。
=== 最古の国内鋳貨 ===
[[画像:Fuhon-sen.JPG|thumb|100px|right|富本銭(複製品)]]
日本の金属貨幣は、硬貨が作られる以前には[[秤量貨幣]]が用いられていた。[[飛鳥寺]]の物資調達についての[[木簡]]には、秤量銀貨を用いた記録や、銭の単位である「文」の表記がある
国内での[[鋳造貨幣]]として現存する最古のものは、[[7世紀]]の銀貨の無文銀銭があり、次に銅貨の[[富本銭]]がある。[[飛鳥池工房]]には富本銭を鋳造した工房があり、ほかに釘などの鉄製品や銅製品が作られていた。鉄工房や銅工房で働いていたのは、帰化系の氏族である[[東漢氏]]を中心とする工人だったとされる
無文銀銭や富本銭は、[[厭勝銭]](まじない用の銭)であるか、それとも流通していたかについては論争が続いている
=== 和同開珎 ===
[[ファイル:Wadogin.jpg|thumb|right|100px|和同開珎銀銭]]
[[飛鳥時代]]
和同開珎を流通させるため、律令政府は数々の奨励政策を行った。価値の基準としての硬貨([[銭貨]])は、[[711年]](和銅4年)に穀6升(現在の2升4合)=銭1文として、[[712年]](和銅5年)に調庸の基準として布1常=銭5文とする。
=== 皇朝十二銭 ===
和同開珎の発行量が増えるにつれて物価も上昇して、711年(和同4年)は穀6升=銭1文が、751年([[天平勝宝]]3年)には穀6升=銭30文に上がった。律令政府は、私鋳銭への対策という発表のもとで新貨幣の鋳造を行う。次に発行された[[万年通宝]]は、銅量は和同開珎と同じでありながら、和同開珎の10倍の価値を持つと定められた{{Sfn|三上|1998|p=154}}。
708年(和銅元年)から[[平安時代]]中期の[[958年]]([[天徳 (日本)|天徳]]2年)にかけての250年間に12種類の銅貨が発行され、朝廷が発行したことから[[皇朝十二銭]]と呼ばれた{{Sfn|三上|1998|P=}}。発行年は以下の通りである。
{|class="wikitable" style="text-align:center;float:right;margin-left:1em"
!貨幣名!!発行年!!
|-
|和同開珎||708年(和銅元年)
|-
|万年通宝(萬年通寳)||[[760年]]([[天平宝字]]4年)
|-
|[[神功開宝]](神功開寳)||[[765年]]([[天平神護]]元年)
|-
|[[隆平永宝]](隆平永寳)||[[796年]]([[延暦]]15年)
|-
|[[富寿神宝]](富壽神寳)||[[818年]]([[弘仁]]9年)
|-
|[[承和昌宝]](承和昌寳)||[[835年]]([[承和 (日本)|承和]]2年)
|-
|[[長年大宝]](長年大寳)||[[848年]]([[嘉祥]]元年)
|-
|[[饒益神宝]](饒益神寳)||[[859年]]([[貞観 (日本)|貞観]]元年)
|-
|[[貞観永宝]](貞観永寳)||[[870年]](貞観12年)
|-
|[[寛平大宝]](寛平大寳)||[[890年]]([[寛平]]2年)
|-
|[[延喜通宝]](延喜通寳)||[[907年]]([[延喜]]7年)
|-
|[[乾元大宝]](乹元大寳)||958年(天徳2年)
|}
=== 銭離れ ===
奈良時代には、平城京のある[[畿内]]とその周辺地域を中心として銅貨が用いられた。しかし原材料の銅は不足して、和同開珎の含有率90パーセントから万年通宝の78パーセント、富寿神宝の66パーセントと低下が続き、かわって[[鉛]]の含有率が増えてゆく。律令政府は[[貨幣発行益|改鋳益]]を得るため、[[貨幣改鋳|改鋳]]のたびに目方と質が低下した新貨を旧貨の10倍の価値で通用させようとした。交換比率は8つの銅貨で記録が残っており、それにもとづけば、延喜通宝1枚は和同開珎1億枚と同じ価値となる
=== 古代の金融 ===
金融活動としては、8世紀に[[出挙]]という[[利子]]付きの貸借が行われていた。[[国司]]が財政をまかなうために行う公出挙と、より利息が高く個人が行う私出挙がある。出挙は貸稲(いらしのいね)とも呼ばれ、春や夏に稲を貸し付けて秋に3割から5割の利息を返済させた。9世紀の『日本霊異記』には、米や酒の私出挙について記述があり、[[大安寺]]の修多羅分の銭が金融資本とされた事例が見られる。[[正倉院文書]]や木簡には、出挙の一種である[[月借銭解]]という借金の申込書にあたる記録がある。月借銭は月ぎめの短期融資で高利であり、[[官司]]が官人に貸付を行っていた。月借銭解の金額は最低100文、最大5貫で、数百文が多かった
== 中世 ==
=== 貿易と貨幣流入 ===
[[ファイル:Hokuso-sen.jpg|thumb|right|240px|宋銭]]
=== 金属貨幣の普及 ===
硬貨に加えて、中国にならって紙幣を流通させる計画もあった{{Refnest|group="†"|中国では。宋の[[交子]]に始まり、元の時代に交鈔、明の時代に宝鈔と呼ばれた紙幣が発行された。}}。[[後醍醐天皇]]は[[建武の新政]]において、[[乾坤通宝]]という新貨を銅貨と[[楮幣]](とへい)という紙幣で発行すると宣言した。しかし政権の崩壊によって実現はしなかった
=== 中世の金融 ===
貨幣や商品の流通が増加するにつれて信用経済も発展して、[[金融業]]も活発となる。利子付の貸借を[[利銭]]や[[借銭]]などと呼び、債権者は銭主、債務者は負人や借主と呼ばれた。[[鎌倉時代]]からは、年貢を運ぶ手間を省略するために為替(かわし)や[[割符]]という[[手形]]が用いられるようになり、[[室町時代]]からの割符は商業の取引にも流通した。決済されるものに応じて、[[替銭]]や[[替米]]などとも呼ばれた。割符が用いられた史料によれば、1個で10貫文という定額の割符が通用して、本来なら1回の個別送金用である替銭と区別する記述も見られる。このため、割符には不特定の人々のあいだで流通して紙幣に近い機能を持っていたという説もある
室町時代の初期から中期にかけては[[借上 (中世)|借上]]という金融業者が活動して、室町中期からは[[土倉]]や[[酒屋]]が現れ、[[室町幕府]]が衰退するまではそうした業者が[[納銭方]]なども行って利益を得た。当時の利率は年利6割や7割2分が多く、それ以上の場合もあった
=== 撰銭令 ===
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には日本に銅貨が入らなくなる。日明貿易の断絶と、明の[[海禁]]政策によって銅貨の流入が停止して、加えて産銅の減少から明の鋳造が低調となったことが原因である
=== 鉱山と精錬法の伝来 ===
[[File:Sekishu Chogin.jpg|thumb|right|200px|石見銀山の[[石州銀]]。[[造幣博物館]] 切遣い跡有]]
[[戦国大名]]は戦費調達に多額の資金を必要とするようになり、小額貨幣である銅貨は用途に適さなかった。そこで[[金鉱山|金山]]と[[銀山]]の開発がすすみ、[[領国貨幣]]が戦国大名により作られるようになる。大陸に由来する精錬技術である[[灰吹法]]の普及は、金銀の産出量に大きな影響を与えた。灰吹法とは、金銀の鉱石を鉛に溶かして反射炉に入れ、空気を吹きつけて酸化させた鉛を灰に吸着させて金銀を取りだす方法である
東日本では、甲斐や駿河、伊豆で金が採掘され、[[佐渡金山]]はのちの江戸時代から本格化する。戦国大名のなかには、[[春日山城]]に約400キログラムにあたる金を蓄えた[[上杉謙信]]や、[[甲州金]]と呼ばれた金貨を流通させた[[武田信玄]](晴信)なども現れた。大口取引には[[砂金]]および[[灰吹銀]]が用いられ、金は板金や碁石金に整形されるようになる
===
銀が国際的な貨幣であったため、1540年代以降には銀を外国に運ぶ貿易が活発となる。日本の銀は倭銀とも呼ばれて貿易用に普及が進み、朝鮮では貨幣として使われている木綿布と交換された。朝鮮政府は民間の私貿易で銀が大量に流入するのを避けるために、公貿易として対処した。これは、明への貢銀を避けるための対策もかねていた。[[1544年]](天文13年)には
銀の増産によって、海外からの日本進出も盛んになる。明の[[鄭舜功]]が書いた『[[日本一鑑]]』によれば、[[1534年]](天文3年)には[[福建]]の商人が日本の僧からの情報で貿易を盛んにしたとされている。明では銀で納税する[[一条鞭法]]という銀本位制をとっていたため、銀を求めて福建のほかにも[[浙江]]や[[広東]]の商人が訪れた。[[ポルトガル海上帝国|ポルトガル]]との[[南蛮貿易]]が始まると、[[平戸]]からも銀が運ばれるようになった
=== 貫高制と石高制 ===
税制では、通貨の単位である貫を尺度とする[[貫高制]]にかわって、米の収穫量を尺度とする[[石高制]]が優勢となってゆく。室町幕府では15世紀から守護や国人の所領の規模を貫高という単位で表しており、貫高を基準として徴税を行っていた。各地で[[荘園制]]が解体するにつれて、戦国大名も貫高をもとに軍役や年貢の基準を定めるようになり、領内の把握と権力強化のために[[検地]]を行った
戦国期には、銅貨や米に加えて金や銀の流通が増加して貨幣状況が複雑となった。[[織田信長]]は京都において、米を商取引に使うことを禁じつつ、金銀の商取引を認めて銅貨との交換比率を定めた。米による現納を正確にするために、京都の[[十合枡]]を公定枡として採用して、これはのちの豊臣政権にも引き継がれる。公定枡による度量衡の統一は、米の価値尺度としての信用を高めたため、結果として石高の信用につながった
貫高制と検地の関係は、[[豊臣秀吉]]によって石高制と検地へと変更される。秀吉は[[太閤検地]]が古代の検田を継承するとして、天皇のもとでの国家事業として位置づけた。そして[[1589年]]([[天正]]17年)の美濃検地をはじめとして、貫高制から石高制への切りかえをすすめた。秀吉は[[1591年]](天正19年)に、天皇に献上する[[検地帳]]である御前帳を石高で提出するように諸大名に求めて、全国で石高制の成立がすすんだ。秀吉の要求は、石高制による軍役の編成と大陸出兵が理由とされており、[[1592年]]([[文禄]]元年)には[[文禄の役]]が起きている
== 近世 ==
皇朝十二銭が発行中止になってから、日本では公鋳貨幣は作られていなかった。皇朝十二銭のあと、貨幣制度にもとづいて初めて作られた金属貨幣は、起源は不詳であるが戦国時代には[[甲斐国]]を中心とする戦国大名・甲斐武田氏の領国で[[地方貨幣|地方貨]]として用いられた[[甲州金]]とされる
=== 江戸時代の三貨制度 ===
[[ファイル:Ko-kaneitsuho.jpg|thumb|left|100px|寛永通寳]]
{{main|江戸時代の三貨制度}}
[[江戸時代]]になると貨幣制度が統一され、[[江戸幕府]]が金貨・銀貨・銅貨(銭貨)の三貨の鋳造を命じ、全国通用の[[正貨]]とした。まず慶長の幣制により金貨・銀貨が作られ、続いて[[1606年]]([[慶長]]11年)に[[慶長通宝]]が発行され、皇朝十二銭以来600年ぶりの銅貨公鋳となった。2年後には明銭の永楽通宝の流通が禁止され、永勘定(1[[貫文]]=金1[[両]])による優位性を廃止した
[[ファイル:Keicho-koban2.jpg|thumb|left|120px|慶長小判]]
[[ファイル:Keicho-chogin2.jpg|thumb|right|120px|慶長丁銀]]
金貨の単位は[[両]]、分(ぶ)、[[朱]](しゅ)があり、1両=4分(ぶ)、1分=4朱の4進法だった。銀貨の単位は[[貫]](かん)、[[匁]](もんめ)、分(ふん)があり、1貫=1000匁、1匁=10分だった。銅貨の単位には文があり、1貫文=1000文だった。金・銀・銅はそれぞれ独自の体系を持ち、交換用の基準を決められてはいたが、実際には金・銀・銅の相場は変動して、現在の為替相場のように機能した。そのため後述のように両替商が重要となった
==== 金貨 ====
金貨には[[大判]]、[[小判]]、[[一分金|一分判]]の3種類がある。大判は、大名や旗本など特権身分の[[贈り物|贈与]]や賜与、多額の支払い用の金貨であり、販売値段は時価である御道具値段として表され、枚数で数えられた
==== 銀貨 ====
銀貨は[[丁銀]]が主体で、ほかに大小さまざまな[[豆板銀]]があった。金貨と銅貨は額面価値と枚数で価値を決める[[計数貨幣]]であったが、銀貨は[[18世紀]]半ばまで丁銀、豆板銀といった秤量貨幣であった。この統一を目指して、幕府の老中である[[田沼意次]]は
==== 銅貨(銭貨) ====
銅貨は小額取引用で、庶民にもっとも使われた。本格的な銅貨鋳造および全国的な流通にいたるのは
=== 江戸時代の紙幣 ===
[[File:Ise Yamada Hagaki.jpg|thumb|80px|伊勢山田羽書(1610年)]]
==== 羽書 ====
現存する日本最古の[[紙幣]]は、
==== 藩札 ====
大名領国では、[[藩札]]と呼ばれる紙幣が発行された。[[藩]]という呼称は明治維新以後に普及したものであり、当時は札、鈔、判書という具合に呼ばれた
藩札の発行目的は、藩財政の窮乏が多くの原因であった。領内での流通を目的としていたが、藩内を越えて流通したものもあった。旗本が治める[[知行地]]では、藩札と同様の目的で[[旗本札]]が発行された。江戸時代後期までの藩札は銀立てによる銀札が多く、特に銀遣いの西日本で流通した。[[1707年]](宝永4年)には前年に改鋳された[[宝永二ツ宝丁銀|宝永銀]]流通促進のため、幕府は札遣いの禁止を出して紙幣は流通停止とした。この禁止令は、改鋳で新たに発行する質の低い銀貨と藩札が競合することを避けるためとされる。札遣いの禁止は、[[1730年]](享保15年)まで続いた
のちの明治政府による統計では、244藩、14[[代官所]]、9[[旗本|旗本領]]により計1694種類の紙幣が発行されていたという。江戸時代の庶民は金貨や銀貨を目にする機会が少なく、実際によく用いた貨幣は銅貨と紙幣だったという説もある
=== 両替商 ===
[[画像:Hariguchi-tenbin.jpg|thumb|left|200px|両替に用いられた針口天秤]]
金貨は江戸以北の太平洋側の地域、銀貨は大坂、京都、東北以南の日本海側の地域で主に用いられた。江戸では金貨が流通する金遣い(きんづかい)であったのに対して、上方では主として銀貨が流通する銀遣い(ぎんづかい)であった
[[1609年]](慶長14年)に[[御定相場]]として金1両=銀50匁=永1貫文=鐚4貫文(4,000[[文 (通貨単位)|文]])と定められ、[[1700年]](元禄13年)には金1両=銀60匁=銭4貫文に改定されたが、実際には相場が変動していた。幕府貨幣の三貨のほかに、米も貨幣として流通し続け、米の預かり証である[[米切手]]も用いられた。さらに多額の金銭の輸送のリスクを避けるために[[為替]]が発達して、大坂では手形決済が商品取引の99パーセントにも及び、京都では50パーセント、江戸はそれ以下だったとされる
=== 江戸時代の貿易と貨幣 ===
江戸時代の日本は貴金属の輸出国であり、[[朱印船貿易]]が[[1635年]](寛永12年)まで行われて貨幣も流通した。取引相手はポルトガル、ベトナムの[[安南]]、スペイン領[[マニラ]]、タイの[[アユタヤ王朝]]や[[パタニ王国]]などの諸国だった。江戸幕府によって[[1639年]](寛永16年)に[[鎖国令]]が出されたのちは、ポルトガルに代わり[[オランダ東インド会社]]が日本と取引を行った
==== 長崎貿易 ====
[[画像:Nagasaki-boekisen.jpg|thumb|right|220px|長崎貿易銭]]
オランダ東インド会社はポルトガルの手法を参考にして中国産の生糸などを日本に売り、日本は金や銀で支払いをした。[[1640年]](寛永17年)には小判2万1千枚と大判300枚が輸出されるなど金銀の流出が続き、日本が銅の輸出に切り替えると、東インド会社は銅産出量が少ない安南に送った。輸出が禁じられていた寛永通宝の流出を防ぐため、[[1659年]]([[万治]]2年)には貿易用の[[長崎貿易銭]]が発行された。[[1667年]]([[寛文]]年)には小判4万枚以上が輸出され、オランダの単位に換算すると106万[[ギルダー|グルデン]]以上となり、オランダ本国から東インド会社への送金34万グルデンを上回るほどだった。銀の輸出量は、17世紀前半当時の世界の産銀量42万キログラムのうち20万キロに達した。17世紀後半の[[バタヴィア]]では日本の小判が流通して、獅子の刻印を打ったものが9から10[[ターラー (通貨)|ライクスダアルダー]]として用いられた。金銀の流出は長年の問題となり、幕府は[[1685年]]([[貞享]]2年)からの[[定高貿易法]]で貿易に上限を設けたり、[[1695年]]([[元禄]]8年)の改鋳などを行う。改鋳は取引国のオランダや中国から反発を受ける原因となった
==== 日朝貿易 ====
朝鮮半島においては李氏朝鮮と[[対馬藩]]が貿易をしており、日本は中国の生糸や朝鮮の[[高麗人参]]を慶長銀で購入していた。
==== 山丹貿易 ====
北方では、樺太の[[アイヌ]]が、山丹人とも呼ばれる[[ニヴフ]]や[[ウリチ]]と[[山丹貿易]]を行った。山丹側の商品は中国の[[清]]に朝貢をして得た絹織物や大陸の産物で、アイヌの商品は[[クロテン]]をはじめとする毛皮や幕府から得た鉄製品だった。取り引きにおいて日本や清の金属貨幣は用いられず、清の宮廷で重宝されていた樺太産のクロテンが価値尺度の貨幣としても通用した。山丹側の商品はクロテンの枚数で計算されたのちに、毛皮や鉄製品と交換された
==== 銅の流出 ====
金銀の次は銅の輸出が増え、17世紀から18世紀初頭にかけての日本は当時世界一の年間6000トンを産出した。銅の流出は国内に影響を与え、[[元文]]時代になると鉄で作られた寛永銭が目立つようになった。輸出された銅は海外の貨幣にも用いられ、東インド会社時代の[[セイロン]]や、[[ナポレオン戦争]]時代の[[ジャワ]]では、日本の銅地金を切断して刻印を打った貨幣が現地用に急造されていた
=== 六道銭 ===
厭勝銭に関連がある貨幣として、副葬品に用いられるものを[[六道銭]]と呼ぶ。六道銭には寛永通宝のほかに南無阿弥陀仏と書かれた[[念仏銭]]、南無妙法蓮華経と書かれた[[題目銭]]などがあり、ほかに[[絵銭]]がある。絵銭には図柄によって多くの名称が知られており、馬が描かれた[[駒曳銭]]、七福神から選ばれた[[大黒銭]]や[[恵比寿銭]]、玩具にも使われた[[面子銭]]などがある
=== 改鋳 ===
[[File:Koban evolution.jpg|thumb|right|800px|小判の大きさの変化]]
経済の拡大にともない、貴金属の産出の減少と通貨の流通不足が起き、幕府財政の悪化が深刻化した。このため幕府では金銀貨の改鋳が行われた。[[元禄]]・[[宝永]](小判1回、丁銀4回
改鋳による貨幣発行益を[[出目]]と呼び、元禄改鋳では500万両、天保の改鋳では幕府年収の30パーセントの利益があった
=== 幕末 ===
[[File:Tomebun-2buban.jpg|thumb|right|200px|万延二分判(止め分/称明治二分金)]]
{{main|幕末の通貨問題}}
幕末からの[[開
幕府は[[万延]]の改鋳で金貨の引下げを行ったが、実際には大量に発行された、より金含有量の劣る万延[[二分金|二分判]]が流通を制した。この二分判にも諸藩による贋造が横行して、さらに幾種もの貨幣が並列した。非常に複雑な流通となったために諸外国の反発を買い、[[改税約書]]によって江戸幕府はこれ以上の改鋳をしないことや、将来的な通貨改革と金銀地金の持込によって本位貨幣を発行する自由造幣局の設立を約束させられた。これを継承した[[明治政府]]も[[高輪談判]]の結果、通貨の近代化に踏み切った
{{江戸時代の貨幣}}
{{江戸時代の地方貨幣}}
176 ⟶ 214行目:
|4=一圓金貨(原貨), 一圓銀貨
}}
[[1867年]]に[[王政復古]]が宣言されると、維新政府は[[1868年]]([[明治]]2年)に金座や銀座を[[貨幣司]]に吸収した。藩札については、[[1871年]](明治4年)の藩札処分令によって廃止された。同年2月に現在の[[造幣局 (日本)|造幣局]]にあたる[[造幣寮]]が開設されて、5月に[[新貨条例]]の制定があり、[[円 (通貨)|円]]という単位が正式に採用された
貿易専用銀貨として、1円銀貨も発行された。モデルとなったのはメキシコの8レアル銀貨(メキシコドル)で、レアルは貿易決済用として国際的に流通していた[[洋銀]]([[貿易銀]])であった。銀貨は貿易専用だったが、貿易銀として国際決済に用いられることが増え、また本位金貨の絶対数不足のため、[[1878年]](明治11年)には貿易銀も本位貨幣扱いとされる。新貨条例は金本位制をとりつつも、事実上は[[金銀複本位制]]となった
[[ファイル:First Meiji one yen banknote 1871.jpg|thumb|200px|right|明治通宝1円紙幣]]
[[1868年]](慶応4年)から[[1869年]](明治2年)まで、明治政府により[[太政官札]]が発行される。[[戊辰戦争]]の戦費や[[殖産興業]]の費用調達が目的であり、これが初の日本全国で通用する[[政府紙幣]]([[不換紙幣]])となった。明治政府は[[1870年]](明治3年)にフランクフルトの[[ドンドルフ・ナウマン]]社に発注して[[明治通宝]]を発行して、1871年(明治4年)7月には現在の[[国立印刷局]]にあたる[[紙幣司]]が設けられた。新紙幣はドイツで作られたため、ゲルマン紙幣とも呼ばれた。[[1873年]](明治6年)には[[国立銀行紙幣]]の旧券が印刷され、[[天の岩戸]]開き、[[蒙古襲来]]、[[神功皇后]]などの神話や歴史のテーマが図柄に採用された
==== 紙幣の国産化 ====
[[画像:Jingusatsu 1881.jpg|thumb|200px|[[政府紙幣]](一円券) [[1878年]](明治11年)]]
新紙幣の偽造防止のために、当初は「明治通宝」の文字を書家が手書きしていた。しかし、1日あたり約500枚が限界であったために木版に変更となった。押印の手間に加えて、外国で紙幣を製造するコストの高さや、緊急時の発行が問題視された。
[[1875年]](明治8年)には、ドンドルフ・ナウマン社で働いていたイタリアの版画家[[エドアルド・キヨッソーネ]]が来日をして、紙幣司で製造にあたった。キヨッソーネは[[改造紙幣]]1円札で神功皇后を描き、これが日本初の肖像入り紙幣となる
=== 銀行制度 ===
[[File:10yen notebank 1885.jpg|thumb|拾円日本銀行兌換銀券]]
==== 国立銀行 ====
明治政府は不換紙幣である政府紙幣を大量に発行して、1867年から1868年にかけては政府歳入の7割に達していた。この状況を改善するために、イギリス式の中央銀行と、アメリカ式の分権的な銀行を参考に検討をする。結果として、アメリカの{{仮リンク|国法銀行法|en|National Bank Act}}を参考に[[1872年]](明治5年)[[国立銀行条例]]を制定した。この条例は民間銀行による兌換紙幣の発行と貨幣価値の安定をはかる内容で、国立銀行とは「国法によって立てられた銀行」を指すもので、実際は民間銀行である
==== 中央銀行 ====
[[1882年]](明治15年)に[[中央銀行]]として[[日本銀行]]が創設された。これ以後は日本銀行が唯一の発券銀行となり、国立銀行紙幣の回収にあたる。そして[[1885年]](明治18年)に最初の[[日本銀行券]]にあたる日本銀行兌換銀券が発行された
==== 朝鮮、台湾との関係 ====
当時の日本の政策は、周辺地域の通貨制度にも影響を与えた。李氏朝鮮とのあいだでは[[1876年]]に[[日朝修好条規]]を結び、日本の通貨が朝鮮の開港場で使用できるように定めた。日本の国立銀行である[[第一銀行]]韓国総支店は業務を拡大して、[[1902年]](明治35年)に第一銀行券を発行し、[[大韓帝国]]の通貨として流通させた。のちに設立された中央銀行の韓国銀行([[朝鮮銀行]])は、創立事務を日本政府が行い、重役が日本人であり、韓国銀行券は金貨または日本銀行兌換券と交換できる点など、日本への従属を前提とした金融機関であった
==== 金融恐慌 ====
銀行制度は現在のように整備されておらず、[[1920年代]]から銀行の[[取り付け騒ぎ]]が頻繁するようになった。のちの[[1927年]]([[昭和]]2年)には[[昭和金融恐慌]]を招くことになる。大規模な取り付け騒ぎで紙幣が不足したことから発行された[[二百円紙幣]]は、緊急だったため片面だけの印刷で、偽札と間違えられて逮捕された所持人もいた
=== 金本位制 ===
[[1897年]](明治30年)に[[日清戦争]]の[[賠償金|軍事賠償金]]として得た金額は3億6000万円で、[[1895年]](明治28年)の日本のGNPの2割以上にあたる。この賠償金を[[金準備|金準備金]]に設定して、金本位制を軸とした[[貨幣法]]が施行された。公的には新貨条例から金本位制が定められていたが、この時点までは事実上の[[銀本位制]]で、1円=金0.75グラムとされた。金本位制の本格的な採用によって外債の発行が容易となり、[[日露戦争]]の戦費調達のために10億円の外債を発行したほか、日露戦争の勝利で対外的な信用が高まって地方債や社債も海外で発行された
==== 金輸出解禁 ====
[[第一次世界大戦]]の影響を受けて、日本は[[1917年]]([[大正]]6年)9月に金輸出の禁止を行い、金本位制を停止した。大戦期の[[マネーサプライ]]の平均増加率は29パーセントで、大戦期間のインフレ率は年平均15.29パーセントとなった
==== 昭和恐慌 ====
{{see also|リフレーション#昭和恐慌と高橋財政}}
金輸出解禁から4カ月で、2億円の正貨にあたる金が国外に流出した。解禁前と解禁後の平価の差額を利用すれば利益が出るため、解禁直後から政府の予想以上に金が流出した点が原因とされる。金本位制のもとでは、金の流出は国内で流通する通貨の減少につながる。このために日本銀行の通貨発行高は、1930年(昭和5年)1月の14億4300万円から同年9月には11億2400万円と減少した。以前から金輸出解禁に備えて[[デフレーション]]政策をとっていた日本では、国内市場の縮小や輸出産業の不振がさらに深刻となる。
=== ブロック経済の通貨と軍票 ===
[[ファイル:Bank of Manchukuo 1Yuan 1932.JPG|right|thumb|200px|満州国圓(1932年)]]
{{see also|中華民国期の通貨の歴史}}
世界恐慌後の各国は、自国の経済を保護するために[[ブロック経済]]を進めた。ブロック経済は[[英連邦]]の{{仮リンク|スターリングブロック|en|Sterling area}}をはじめとして通貨圏にもとづいており、日本は日本円を中心とする[[日満支経済ブロック]]を形成した
==== 預け合い契約 ====
[[日中戦争]]や[[太平洋戦争]]の戦費を調達するため、銀行間で預け合い契約という手法がとられた。連合準備銀行は朝鮮銀行、儲備銀行は横浜正金銀行と契約をした。預け合い契約では、たとえば朝鮮銀行東京支店から北京支店に戦費を送金されると、北京支店はそれを自行の連銀名義の円預金口座に記帳する。一方で連銀は自行の朝鮮銀行名義の連銀券預金口座に同額を記帳する。
==== 軍票 ====
[[ファイル:Japanese Ten Peso note- Occupation currency.jpg|thumb|200px|フィリピンで日本軍が使用した10ペソ軍票(1942年)]]
[[日中戦争]]以降は、軍が占領地や勢力下で物資調達に用いる[[軍用手票]](軍票)が増加した。中国大陸では日中戦争開戦の4ヶ月後に軍票の使用が始まり、東南アジアでは[[1941年]](昭和16年)の[[マレー作戦]]後に南方外貨表示軍票が発行された。[[1942年]](昭和17年)には[[南方開発金庫]]が設立され、[[1943年]](昭和18年)に南方開発金庫券(南発券)を発行したが、実態としては軍票と同様に扱われた。日中戦争での軍票は円標示で、法幣に対する物資争奪戦に用いられた。南方占領地の[[大東亜戦争軍票]]や南発券は現地通貨を標示して、物資を現地自活するために用いられた。いずれの地域でも、輸送力の低下や物資の不足により増発され、特に1943年(昭和18年)以降は濫発によるインフレーションが各地の経済を混乱させた
=== ブレトンウッズ体制 ===
[[1944年]](昭和19年)にアメリカのブレトンウッズで連合国通貨金融会議が開催され、大戦後の国際金融についての協定が結ばれた。これが[[ブレトンウッズ協定]]であり、金との兌換性は[[USドル]]のみが持ち、各国の通貨はUSドルとの[[固定相場制]]をとるという体制だった。金とドルの交換レートは、金1オンス=35USドルと定められた。戦後の日本の通貨も、ブレトンウッズ体制にもとづいて定められることになる
==== 戦後新紙幣 ====
[[ファイル:Series A 100 Yen Bank of Japan note - front.jpg|right|200px|thumb|百円札]]
[[1945年]](昭和20年)8月15日に日本は[[第二次世界大戦]]で敗戦を迎え、沖縄県や奄美群島では、アメリカ軍の軍票である[[B円]]が1958年まで流通した
==== 高度成長 ====
[[Image:Changeover to the New-Yen in 1946.JPG|thumb|200px|新円切替]]
[[1946年]](昭和21年)の[[金融緊急措置令]]で[[新円切替]]が行われるなどインフレーション対策が行われたが、1945年から1950年の5年間で卸売物価は70倍となった。このインフレーションにより最も利得を得たのは、多額の国債を発行していた政府、巨額の負債がある金融機関や企業だった。金融緊急措置令は[[預金封鎖]]をともなっていたため、多くの個人にとっては現金・預金・公債について損失となった。公定価格の数十倍のヤミ価格で物資が取り引きされて個人業者には利益をもたらし
第二次世界大戦後の日本の通貨は、ブレトンウッズ体制に従うこととなった。占領下の貿易は貿易庁とGHQの仲介で行われ、為替レートは存在せず個々の取引ごとに円とドルの換算比率を決めていた。ドッジ・ラインにより、円は1ドル=360円(変動幅±1パーセント)に固定された。ブレトンウッズ体制のもとで、日本は[[高度経済成長]]をとげる
1938年(昭和13年)に施行されていた[[臨時通貨法]]は戦時の時限立法であったが、戦後に期限が削除され、激しいインフレーションにともなって円単位の[[臨時補助貨幣]]が追加された。この法律のもとで、[[1988年]](昭和63年)まで臨時補助貨幣が発行され続けた。円単位であるにもかかわらず、1〜500円硬貨が[[補助貨幣]]と呼ばれたのは、このような背景がある
=== 変動相場制 ===
244 ⟶ 282行目:
==== ブレトンウッズ体制の終了 ====
[[File:USD-JPY (Plaza Accord).svg|thumb|250px|1985年1月1日から1988年1月1日までの円とドルの為替レートの推移。点線はプラザ合意のあった日を示す。]]
[[1971年]](昭和46年)8月15日、アメリカの[[リチャード・ニクソン]]大統領は、USドルが金との兌換を一時停止すると発表した。原因はアメリカの金保有量の減少によるもので、それまでの金とドルにもとづく国際通貨体制の終了をもたらし、[[ニクソンショック]]とも呼ばれた。ニクソンショックによってドルの値下がりが予想されたため、ヨーロッパの外国為替市場はいったん閉鎖したのちに変動相場制へ移行する。一方で日本は、市場を閉鎖せずに1ドル=360円のレートでドル買いを続けた。このドル買いによって、8月15日の発表から8月28日の変動相場制移行までのあいだに、5億5千万ドルの為替差損を出した
==== プラザ合意 ====
[[1980年代]]前半のアメリカの[[ロナルド・レーガン]]政権のもとで、[[双子の赤字]]と呼ばれた貿易赤字と財政赤字が問題となった。為替レートを安定させるために、[[1985年]](昭和60年)9月22日に[[G5]]の蔵相や中央銀行総裁による会議が開催され、[[プラザ合意]]がなされた。これ以降は円高が急速に進み、2年間で1ドル=240円前後から121円と2倍近く上がった
==== 円高とデフレーション ====
[[Image:GDPDeflator01.png|thumb|250px|right|1995年から2008年の日本の[[GDPデフレーター]]前年同四半期増加率(%)。]]
1980年代後半から日本は[[バブル景気]]となり、[[1990年代]]前半には[[バブル崩壊]]が始まるが、金融政策で緊縮策をとったため状況は悪化して、円高とデフレーションが進行する。日本は円の国際化としてアジアへの直接投資やラテンアメリカ諸国の債務問題への資金協力を行い、[[1997年]]の[[アジア通貨危機]]の際には[[アジア通貨基金]]構想を出す。しかし、円の国際化は本格化しなかった。頓挫の原因としては、各国やIMFの反対、国内経済の低迷、金融機関の[[不良債権#日本|不良債権処理]]による縮小、アジア諸国に対する市場開放の不十分さが指摘されている。[[2000年代]]前半の超低金利の時期には、円で資金調達をして外貨に投資する[[円キャリートレード]]が増加して、[[外国為替証拠金取引]](FX)の個人投資家を表す[[ミセス・ワタナベ]]という語も生まれた
日本経済の長期停滞は、[[失われた10年]]や[[失われた20年]]とも呼ばれている。1990年以降の長期停滞については、消費・投資・生産などの実物的現象よりも物価・為替レートなどの貨幣的現象を原因とする研究がある。理由には国内におけるデフレの持続に加えて、対外的にはプラザ合意以降に円高が持続した点があげられ、これは総需要の停滞およびデフレの進行という解釈と整合している。生産の伸びに対して[[マネーストック]]の伸びが少なかった点から、日本銀行の金融政策によるマネタリーベースの伸びが十分でなかったと指摘されている
=== クレジットカード、電子マネー、デビットカード ===
[[1950年代]]にはアメリカで[[クレジットカード]]による決済が始まり、日本では[[1960年代]]から同様のサービスが始まった。クレジットカードはカード番号の不正利用など問題点がないわけではなく、このような欠点を克服するものとして[[1990年代]]には[[電子マネー]]が出現している。日本では、電子マネー実験として[[1999年]](平成11年)の渋谷でVISAキャッシュ、新宿でスーパーキャッシュが試験的に用いられた。どちらも接触式の[[ICカード]]による[[プリペイド]]方式だった。その後は[[2001年]](平成13年)頃からタッチ式のプリペイド電子マネーが交通機関を中心に普及している
[[デビットカード]]は即日決済が可能なキャッシュカードにあたり、認証機関を通さずに決済できる。現金よりも個人小切手やクレジットカードの決済が習慣となっている欧米で普及が早かった。日本では[[1999年]](平成11年)のJ-Debitから始まっている
=== 仮想通貨 ===
[[仮想通貨]]は、国家による裏付けを持たない点、ネットワークによって流通する点、決済手段である点などの特徴を持つ貨幣である
日本においては、東京でビットコインの交換所を提供していた[[マウントゴックス]]社が破綻する事件が起きた。大量のビットコインが消失したため、マウントゴックス社は2014年(平成25年)2月26日にビットコインの取引を停止して、同社のユーザーは訴訟を起こした。2月28日には、マウントゴックスは東京地方裁判所に民事再生申立手続きを行った
[[2016年]](平成28年)[[5月25日]]、情報通信技術の進展等の環境変化に対応するための銀行法等の一部を改正する法律(平成28年6月3日法律第62号)が成立し、[[資金決済に関する法律]]の一部が改正された
{{Quotation|
;資金決済に関する法律
289 ⟶ 327行目:
* 760年(天平宝字4年) - 初の金貨である[[開基勝宝]]発行。
* [[765年]]([[天平神護]]元年) - [[神功開宝]]発行。
* [[779年]]([[宝亀]]10年) - 朝廷が和同開珎の使用を禁止する。
* [[796年]]([[延暦]]15年) - [[隆平永宝]]発行。
* [[798年]](延暦17年) - 蓄銭禁止令を発布。
337 ⟶ 376行目:
* [[1930年]](昭和5年)1月 - [[金輸出解禁]]。大量の金が流出する。
* 1930年(昭和5年) - [[昭和恐慌]]、[[昭和農業恐慌]]が発生。
* [[1931年]](昭和6年
* [[1932年]](昭和7年) - [[満州国]]にて[[満州中央銀行]]設立。
* [[1937年]](昭和12年) - [[日中戦争]]開戦の4ヶ月後に[[軍票]]を発行。
358 ⟶ 396行目:
* [[1999年]](平成11年) - 電子マネーの試験的な運用が開始。[[デビットカード]]のJ-Debitがサービス開始。
* [[2011年]](平成23年)[[10月31日]] - 1ドル=75円32銭の戦後最高値を更新。
* [[2014年]](平成25年) - 円が[[ジンバブエ]]でも法定通貨となる<ref>
== 出典・脚注 ==
{{
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="†"}}
{{Notelist|2|}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3|}}
== 参考文献 ==
=== 単行本 ===
* {{Citation| 和書
| first = 繁
| last = 秋澤
| author-link = 秋澤繁
| chapter = 太閤検地
| publisher = 岩波書店
| pages =
| title = 岩波講座 日本通史 第11巻
| editor1 =
| year = 1993
}}
* {{Citation| 和書
| first = 善彦
| last = 網野
| author-link = 網野善彦
| chapter = 貨幣と資本
| publisher = 岩波書店
| pages =
| title = 岩波講座 日本通史 第9巻
| editor1 =
| year = 1994
}}
* {{Citation| 和書
| first = 泰典
| last = 荒野
| author-link = 荒野泰典
| chapter = 日本から見た環日本海交流圏
| publisher = 有斐閣
| series = 有斐閣アルマ
| pages =
| title = 北・東北アジア地域交流史
| editor1 = [[姫田光義]]
| year = 2012
}}
* {{Citation| 和書
| first = 大樹
| last = 市
| author-link = 市大樹
| title = 飛鳥の木簡 - 古代史の新たな展開
| publisher = 中央公論新社
| series = 中公新書
| year = 2012
| isbn =
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* {{Citation| 和書
| first = 亮
| last = 井上
| author-link = 井上亮 (ジャーナリスト)
| title = 忘れられた島々 - 「南洋群島」の現代史
| publisher = 平凡社
| series = 平凡社新書
| year = 2015
| isbn =
}}
* {{Citation| 和書
| first = 喜代子
| last = 井村
| author-link = 井村喜代子
| title = 現代日本経済論〔新版〕
| publisher = 有斐閣
| series =
| year = 2000
| isbn =
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* {{Citation| 和書
| first =
| last =
| author-link =
| chapter =
| ref = {{sfnref|岩田|2004}}
| publisher = 東洋経済新報社
| pages =
| title = 昭和恐慌の研究
| editor = [[岩田規久男]]
| year = 2004
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* {{Citation| 和書
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| last = 上里
| author-link = 上里隆史
| title = 海の王国・琉球 - 「海域アジア」屈指の交易国家の実像
| publisher = 洋泉社
| series = 歴史新書
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* {{Citation| 和書
| first = 隆夫
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| author-link = 宇野隆夫
| chapter = 原始・古代の流通
| publisher = 小学館
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| title = 古代史の論点3 都市と工業と流通
| editor1 = [[田中琢]]
| editor2 = [[金関恕]]
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| author-link = 植村峻
| title = 紙幣肖像の歴史
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| title = お札の文化史
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* {{Citation| 和書
| first = 渉
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| author-link = 榎本渉
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* {{Citation| 和書
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| last = 大庭
| author-link = 大庭康時
| chapter = 鴻臚館
| publisher = 岩波書店
| pages =
| title = 列島の古代史4 人と物の移動
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| editor2 = 白石太一郎
| editor3 = 吉川真司
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| last = 岡
| author-link = 岡美穂子
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| author-link = 岡崎哲二
| title = 工業化の軌跡 - 経済大国前史
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* {{Citation| 和書
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* {{Citation| 和書
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| author2 = [[高橋郁夫]]
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| title = 仮想通貨 - 技術・法律・制度
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| title = 徳政令
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| isbn =
}}
* {{Citation| 和書
| first = 英治
| last = 桜井
| author-link = 桜井英治
| title = 日本中世の経済構造
| publisher = 岩波書店
| series =
| year = 1996
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}}
* {{Citation| 和書
| first = 英治
| last = 桜井
| author-link =
| title = 贈与の歴史学 - 儀礼と経済のあいだ
| publisher = 中央公論新社
| series = 中公新書
| year = 2011
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* {{Citation| 和書
| first = 英治
| last = 桜井
| author-link =
| title = 交換・権力・文化 - ひとつの日本中世社会論
| publisher = みすず書房
| series =
| year = 2017
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* {{Citation| 和書
| first = 史郎
| last = 佐々木
| author-link = 佐々木史郎
| title = 北方から来た交易民 - 絹と毛皮とサンタン人
| publisher = 日本放送出版協会
| series = NHKブックス
| year = 1996
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* {{Citation| 和書
| first = 和彦
| last = 嶋谷
| author-link = 嶋谷和彦
| chapter = 近世の墓と銭
| publisher = 山川出版社
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| title = お金の不思議 - 貨幣の歴史学
| editor = [[国立歴史民俗博物館]]
| year = 1998
}}
* {{Citation| 和書
| first = 伸也
| last = 杉山
| author-link = 杉山伸也
| title = 明治維新とイギリス商人 - トマス・グラバーの生涯
| publisher = 岩波書店
| series = 岩波新書
| year = 1993
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* {{Citation| 和書
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| last =
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| chapter =
| publisher = 岩波書店
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| title = 貨幣の地域史 - 中世から近世へ
| editor = [[鈴木公雄]]
| year = 2007
}}
* {{Citation| 和書
| first = 浩三
| last = 鈴木
| author-link = 鈴木浩三
| title = 資本主義は江戸で生まれた
| publisher = 日本経済新聞社
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* {{Citation| 和書
| first = 拓郎
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| author-link = 瀬川拓郎
| title = アイヌ学入門
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* {{Citation| 和書
| first = 拓郎
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| title = アイヌと縄文 もうひとつの日本の歴史
| publisher = 筑摩書房
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* {{Citation| 和書
| author1 = [[ルシオ・デ・ソウザ]]
| author2 = 岡美穂子
| ref = {{sfnref|デ・ソウザ、岡|2017}}
| title = 大航海時代の日本人奴隷 - アジア・新大陸・ヨーロッパ
| series = 中公叢書
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| year = 2017
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* {{Citation| 和書
| first = 貫太
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| author-link = 高田貫太
| title = 海の向こうから見た倭国
| publisher = 講談社
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| year = 2017
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* {{Citation| 和書
| first =
| last =
| author-link =
| chapter =
| publisher = 東京堂出版
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| ref = {{sfnref|瀧澤、西脇|1999}}
| title = 日本史小百科〈貨幣〉
| editor1 = [[瀧澤武雄]]
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| year = 1999
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* {{Citation| 和書
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| author-link =
| chapter =
| publisher = 山川出版社
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| title = 世界各国史2 朝鮮史
| editor1 = [[武田幸男]]
| year = 2000
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* {{Citation| 和書
| first = 公
| last = 田島
| author-link = 田島公
| chapter = 大陸・半島との往来
| publisher = 岩波書店
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| title = 列島の古代史4 人と物の移動
| editor1 = 上原真人
| editor2 = 白石太一郎
| editor3 = 吉川真司
| editor4 = 吉村武彦
| year = 2005
}}
* {{Citation| 和書
| first = 和生
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| author-link = 田代和生
| title = 倭館 - 鎖国時代の日本人町
| publisher = 文藝春秋社
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* {{Citation| 和書
| first = 喜生
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| author-link = 多田井喜生
| title = 大陸に渡った円の興亡(下巻)
| publisher = 東洋経済新報社
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| year = 1997
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* {{Citation| 和書
| first = 健夫
| last = 田中
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| title = 東アジア通交圏と国際認識
| publisher = 吉川弘文館
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| year = 1997
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* {{Citation| 和書
| first = 健夫
| last = 田中
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| title = 倭寇
| publisher = 講談社
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| year = 2012
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}}
* {{Citation| 和書
| first = 史生
| last = 田中
| author-link = 田中史生
| title = 越境の古代史
| publisher = 筑摩書房
| series = ちくま新書
| year = 2009
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* {{Citation| 和書
| first = 治之
| last = 東野
| author-link = 東野治之
| title = 貨幣の日本史
| publisher = 朝日新聞社
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* {{Citation| 和書
| first = 治之
| last = 東野
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| title = 遣唐使
| publisher = 岩波書店
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* {{Citation| 和書
| first = 昌弘
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| author-link = 冨田昌弘
| title = 紙幣が語る戦後世界 - 通貨デザインの変遷をたどる
| publisher = 中央公論新社
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* {{Citation| 和書
| first = 圭一
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| author-link = 中島圭一
| chapter = 日本の中世国家と貨幣
| publisher = 青木書店
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| title = 越境する貨幣
| editor = 歴史学研究会
| year = 1999
}}
* {{Citation| 和書
| first = 昭
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| author-link = 永積昭
| title = オランダ東インド会社
| publisher = 講談社
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* {{Citation| 和書
| first = 洋子
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| author-link = 永積洋子
| chapter = 東西交易の中継地台湾の盛衰
| publisher = 山川出版社
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| title = 市場の地域史
| editor1 = 佐藤次高
| editor2 = 岸本美緒
| year = 1999
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* {{Citation| 和書
| first = 慶二
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| author-link = 永原慶二
| chapter = 大名領国制の展開
| publisher = 山川出版社
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| title = 日本歴史大系 第7巻
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| year = 1996
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* {{Citation| 和書
| first = 和之
| last = 中村
| author-link = 中村和之
| chapter = 北・東北アジアの先住民族と環オホーツク海・環日本海交流圏
| publisher = 有斐閣
| series = 有斐閣アルマ
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| title = 北・東北アジア地域交流史
| editor1 = 姫田光義
| year = 2012
}}
* {{Citation| 和書
| first = 隆英
| last = 中村
| author-link = 中村隆英
| title = 昭和恐慌と経済政策 - ある大蔵大臣の悲劇
| publisher = 講談社
| series = 講談社学術文庫
| year = 1994
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}}
* {{Citation| 和書
| first = 和之
| last = 中村
| author-link = 中村和之
| chapter = 北・東北アジアの先住民族と環オホーツク海・環日本海交流圏
| publisher = 有斐閣
| series = 有斐閣アルマ
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| title = 北・東北アジア地域交流史
| editor1 = 姫田光義
| year = 2012
}}
* {{Citation| 和書
| first = 哲
| last = 中村
| author-link = 中村哲 (経済学者)
| title = 近代東アジア史像の再構成
| publisher = 桜井書店
| series =
| year = 2000
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}}
* {{Citation| 和書
| first = 敦史
| last = 仁藤
| author-link = | chapter =
| publisher = 近代東アジア史像の再構成
| pages =
| title = お金の不思議 - 貨幣の歴史学
| editor = 国立歴史民俗博物館
| year = 1998
}}
* {{Citation| 和書
| author1 = [[橋本寿朗]]
| author2 = [[長谷川信]]
| author3 = [[宮島英昭]]
| author4 = [[齊藤直]]
| ref = {{sfnref|橋本ほか|2011}}
| title = 現代日本経済
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* {{Citation| 和書
| author1 = [[坂野潤治]]
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| title = 明治維新 1858-1881
| series = 講談社現代新書
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* {{Citation| 和書
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* {{Citation| 和書
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| author-link = 本多博之
| title = 天下統一とシルバーラッシュ - 銀と戦国の流通革命
| publisher = 吉川弘文館
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| year = 2015
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* {{Citation| 和書
| first = 裕美子
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| author-link = 丸山裕美子
| title = 正倉院文書の世界 - よみがえる天平の時代
| publisher = 中央公論新社
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* {{Citation| 和書
| first = 喜孝
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| author-link = 三上喜孝
| title = 日本古代の貨幣と社会
| publisher = 吉川弘文館
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| year = 2005
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* {{Citation| 和書
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* {{Citation| 和書
| first = 隆三
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| title = 貨幣の誕生 - 皇朝銭の博物誌
| publisher = 朝日新聞社
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}}
* {{Citation| 和書
| first = 隆三
| last = 三上
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| title = 円の誕生 - 近代貨幣制度の成立
| publisher = 講談社
| series = 講談社学術文庫
| year = 2011
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}}
* {{Citation| 和書
| author1 = [[宮本又郎]]
| author2 = [[阿部武司]]
| author3 = [[宇田川勝]]
| author4 = [[沢井実]]
| author5 = [[橘川武郎]]
| ref = {{sfnref|宮本ほか|2007}}
| title = 日本経営史〔新版〕 - 江戸時代から21世紀へ
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| publisher = 有斐閣
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* {{Citation| 和書
| first = 淳志
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| title = 勘定奉行荻原重秀の生涯
| publisher = 集英社
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* {{Citation| 和書
| first = 章介
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| author-link = 村井章介
| title = 中世倭人伝
| publisher = 岩波書店
| series = 岩波新書
| year = 1993
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}}
* {{Citation| 和書
| first = 勝彦
| last = 村上
| author-link = 村上勝彦
| chapter = 貿易の拡大と資本の輸出入
| publisher = 東京大学出版会
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| title = 日本経済史2 - 産業革命期
| editor1 = 石井寛治
| editor2 = 原朗
| editor3 = 武田晴人
| year = 2000
}}
* {{Citation| 和書
| first = 明彦
| last = 森
| author-link = 森明彦
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| publisher = 塙書房
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| title = 日本古代貨幣制度史の研究
| editor1 =
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| editor3 =
| year = 2016
}}
* {{Citation| 和書
| first = 章司
| last = 森下
| author-link = 森下章司
| title = 古墳の古代史 - 東アジアのなかの日本
| publisher = 筑摩書房
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| year = 2016
| isbn =
}}
* {{Citation| 和書
| editor1 = [[山田豪一]]
| ref = {{sfnref|山田編|1995}}
| author-link =
| title = オールド上海 阿片事情
| publisher = 亜紀書房
| series =
| year = 1995
}}
* {{Citation| 和書
| first = 赳男
| last = 湯浅
| author-link = 湯浅赳男
| title = 文明の「血液」 - 貨幣から見た世界史(増補新版)
| publisher = 新評論
| series =
| year = 1998
| isbn =
}}
* {{Citation| 和書
| first = 康博
| last = 四日市
| author-link = 四日市康博
| chapter = 銀と銅銭のアジア海道
| publisher = 九州大学出版会
| pages =
| title = モノから見た海域アジア史 - モンゴル〜宋元時代のアジアと日本の交流
| editor1 = 四日市康博
| year = 2008
}}
=== 論文、記事 ===
* [[大久保隆]]・[[鹿野嘉昭]]「[http://www.imes.boj.or.jp/japanese/kinyu/1996/kk15-1-6.pdf 貨幣学 (Numismatics) の歴史と今後の発展可能性について]」日本銀行金融研究所「金融研究」第15巻第ー号、1996年。
* [[大田由紀夫]] 「一ニ-一五世紀初頭東アジアにおける銅銭の流布 - 日本・中国を中心として」(『社会経済史学』 61巻2号、1995年。)
* {{Cite web|author=[[酒寄雅志]]|year=2011|url=http://www.nihonkaigaku.org/library/lecture/i110211-houkoku.pdf|title=渤海と古代の日本|format=PDF|work=2010年度第6回日本海学講座|publisher=日本海学推進機構|accessdate=2018-03-08|ref={{sfnref|酒寄|2011}}}}
* [[小栗誠治]] 「[http://hdl.handle.net/10441/253 セントラル・バンキングとシーニョレッジ]」 滋賀大学経済学部研究年報、2006年。
* [[丹野昌弘]] 「いわゆる正徳丁銀について」(『月刊 収集』 1999年9月号。)
* [[日本銀行金融研究所]] 「[http://www.imes.boj.or.jp/japanese/zenbun97/kk16-2-2.pdf 日本の貨幣・金融史を考える - 古代の貨幣および中世から近世への移行に伴う貨幣の変容を中心として]」 日本銀行金融研究所、1997年。
* [[本多博之]] 「[http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/34343/20141016201809255866/HiroshimaUniv-StudGradSchLett_72_v1.pdf 織田政権期京都の貨幣流通 - 石高制と基準銭「びた」の成立]」 広島大学大学院文学研究科論集72巻、2012年。
* [[松村恵司]] 『[http://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/04-J-14.pdf 日本初期貨幣研究史略:和同開珎と富本銭・無文銀銭の評価をめぐって]』 日本銀行金融研究所、2004年。
* 松村恵司・[[次山淳]] 「[http://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/1783/1/20320126seika.pdf 日本初期貨幣史の再構築]」 奈良文化財研究所、2011年。
* [[若田部昌澄]] 「[http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis039/e_dis039a.pdf 昭和恐慌をめぐる経済政策と政策思想 - 金解禁論争を中心として]」 経済社会総合研究所、2003年。
== 関連項目 ==
{{Colbegin}}
{{see also|Category:金融史|Category:鉱業史|Category:税制史}}
* [[貨幣史]] - [[中国の貨幣制度史]]
427 ⟶ 1,288行目:
* [[日本の経済史]] - [[日本の貿易史]]
* [[日本のインフレーション]] - [[日本のデフレーション]]
{{Colend}}
== 外部リンク==
*[http://www.imes.boj.or.jp/cm/history/ 日本銀行金融研究所貨幣博物館]
{{日本の通貨}}
|