「粉ミルク」の版間の差分
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==製造==
乳は[[タンパク質]]、[[ミネラル]]などの栄養価に富む食品であるが、[[生乳]]の状態では[[腐敗]]が早く、また体積が大きいため移送、保管は非常に困難である。粉乳は生乳の水分を除去し、粉末にすることで保存性、移送性を高めるために製造される。
また、生乳と比較して体積も減少するため、保管、移送にも利便性が高
工業的には殺菌、均一化、濃縮などの工程を経た後、[[ドライヤー]]と呼ばれる設備で熱風による噴霧乾燥を行って製造される。
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== 歴史 ==
=== 発明までの流れ ===
歴史上の最初の記録は、13世紀クビライ・カーン時代のモンゴル軍について書かれたマルコ・ポーロの著作の中にあるものとされ、それによるとモンゴル騎兵(タタール)は日干しした上澄みミルクを軍用食として携行しており、摂食時は水を加えて糊のようだったと描写されている。乳製品を食生活の基本とする遊牧民族の間では古くから馬乳ないし山羊乳の乾燥粉末が用いられていたようである。このタタールと歴史的に関係が深かったロシアで現在に通じる粉ミルクは誕生する事になった。
近代的な粉ミルクの製造過程は1802年にロシア人医師のO.クリフスキーによって発明され、最初の商業化生産は1832年にロシア人化学者のM.ドゥリコフによって確立された。1855年にアメリカのT.S.グリムワードが粉ミルク製造の特許を取得したが、それを遡る1837年以降にはイギリスのW.ニュートンが真空乾燥技術の特許を保有していた。粉ミルクは19世紀に発明された<ref name="kotobank-jinkomilk" />。粉ミルクが出来るまで、母乳の飲めない状況に置かれた乳児が生き延びる事は困難だった<ref>マリオン・ネスル 『フード・ポリティクス-肥満社会と食品産業』 2005年。ISBN 978-4-7885-0931-3。179頁。</ref>。
=== 粉ミルク産業への批判 ===
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* [[乳児用液体ミルク]]
* [[森永ヒ素ミルク中毒事件]]
{{乳}}
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