「漢姓」の版間の差分
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'''漢姓'''(かんせい)は、[[漢民族]]および[[漢化]]された周辺民族の間で用いられている[[姓]]である。その分布は[[ベトナム]]、[[マレーシア]]、[[インドネシア]]、[[台湾]]、[[韓国]][[朝鮮]]、[[日本]]などに渡る。漢姓は[[漢字]]で書かれるのが普通だが、現代では[[アルファベット]]表記される機会も増えた。漢字一字の「単姓」が大多数を占めるが、漢字二字以上の「複姓」も存在する。漢姓は伝統的に父からその子達に受け継がれ、日本と異なり女性は[[婚姻]]しても自身の姓を変更しない。なお、[[香港]]などの西欧化された地域では女性が配偶者の姓に合わせる事例も見られる。[[周|周時代]]以前の古代の漢姓は「姓」と「氏」の二つの要素を内包し、前者は母系の[[邑|同邑]]血縁を示し、後者は父系の同族血筋を表していたが、[[秦]][[漢]]時代以降になるとその区別は廃れた。
中国では「[[王氏|王]]」「[[李氏|李]]」「[[張 (姓)|張]]」の姓保有者が多く、韓国朝鮮では「[[金 (姓)|金]]」「[[李 (朝鮮人の姓)|李]]」「[[朴 (姓)|朴]]」を持つ者が多い。「[[李 (朝鮮人の姓)|李]]」は世界最大人数の姓(''surname'')として知られ、総計1億1000万人を数えて[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]にも掲載されている。その内訳は中国大陸に約9300万人、韓国朝鮮に約679万人、ベトナムと日本に約1万人 (1966世帯) である。
== 中国 ==
中国の姓は、漢字一文字が
=== 姓と氏 ===
[[夏 (三代)|夏]]、[[殷]]、[[周]]の時代においては「姓」と「氏」は明確に異なるものであった。古代集落の誕生に伴い同[[邑]]の血縁集団を示す「姓」の概念が先に生まれ、文明の発展に伴い特定の社会的地位の一族を表す「氏」の考え方が生まれた。伝統的に姓は母系の血縁を示し、氏は父系の血筋を意味した。[[夏王朝]]以前の古代社会は[[母系制]]であったと考えられており、邑社会特有の事情から父親不詳の出生が多かったので(似た例は江戸時代の村落にも見られる)姓は母親からその子息と息女に受け継がれていた。古代に存在したそれぞれの[[邑]]の呼称に因むとされる姓は、祖先の出生地([[邑]])を表しており、時代が進んで各地に移住した同邑の子孫達は姓で互いの由来を確認して連帯した。また、同じ姓を持つ者同士の婚姻は禁忌とされていた。
社会が発展して一つの王朝が開かれる時代になると、所領や官職を得た者たちはその社会的地位に従った一族の連帯を望むようになり、明確な親族集団を表す「氏」が誕生した。氏は父親からその子息に受け継がれた。息女は氏を持たなかった。嫡男以外の者は自らの所領や官職を得るとそれに因んだ新たな氏を興した。姓は、氏より広く薄い連帯を示す一門名として扱われるようになり、高貴な氏を輩出した姓は名門と見なされてブランド的な価値を持った。姓の重要な役割として同姓婚を回避する事があった。この同姓婚禁忌の風習は古代の人々に重要だったようで(後述)[[周|周時代]]前半まで色濃く残っていた。[[父系制|父系制社会]]への移行に従い、姓は父親から受け継がれる事が多くなった。基本的に嫡子は父親の姓を継承し、それ以外の子息と子女は父親または母親の姓を受け継いだ。
[[春秋戦国時代]]
[[秦]]、[[漢]]の時代以降は、姓と氏
=== 中国の姓氏の起源 ===
「姓」の起源は紀元前3000年から紀元前4000年前まで遡ると言われる。古代中国の村落共同体であるそれぞれの「[[邑]]」の呼称に因んでいるとされ、大抵は母系を示す女偏が付いた。[[姫 (姓)|姫]]・[[:zh:嬴姓|嬴]]・[[姜]]・[[姚]]などがその例である。姓は祖先の出生地(邑)を表していた。邑は城壁を持った集落を意味し、外敵を防いで代々の自治性を保つ事が出来たが、それは同時に代々の住民が同じ閉鎖空間の中で婚姻を繰り返す事を意味した。中国大陸には[[黄土]]など粘土質の土砂が多く、それを煉瓦状に固めて積み重ねるという比較的単純な作業で城壁を築けたので、こうした城壁に囲まれた閉鎖空間が中国各地に多数存在していた。最も古い邑は紀元前4000年頃まで遡れるとされ、[[夏 (三代)|夏]]ないし[[殷]]が開かれて社会が発展し人々の往来と移住が増えるまでの数千年もの間、同じ邑内でのいわゆる狭い婚姻が代々続いていた事になる。様々な弊害が出ていた事は想像に難くなく、同姓婚の禁忌という風習はこうした事情から生まれ、恐らく祖先伝来の本能的な危機意識により周の時代まで続いた。時代が進み[[春秋戦国時代]]の頃になると、古代の邑に由来する同姓婚に対しての危機意識はほとんど無くなり、同時に姓の存在感も低下して本来の意味での姓は消滅した。
「氏」は伝説によ
=== 姓氏の変遷 ===
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*四字姓([[愛新覚羅氏|愛新覚羅]]など)
*五字姓(苫滅古麻里など)
*六字姓(主
*七字姓(卜領勒多
=== 中国の姓の分類 ===
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なお、この統計では「蕭」と「肖」、「傅」と「付」、「閻」と「閆」を同一の姓として扱っている。漢字の扱いについて、詳細はそれぞれの姓を参照。
実際には、地域ごとに多い姓は大きく異なる。たとえば、[[広西チワン族自治区]]では「黄・李・韋・陳・梁」の順であった<ref>{{cite web|title=
[[2016年]][[6月30日]]の[[中華民国内政部]]による統計によると、[[中華民国]]の上位20位の姓は以下の順である<ref>{{cite web|url=http://www.ris.gov.tw/zh_TW/346|title=
{| class="wikitable"
!順位
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=== 本節の参考文献 ===
*[[籍秀琴]]、『
== ベトナム ==
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