「麻原彰晃」の版間の差分
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[[東京大学]][[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|文科1類]]受験を目指すため、1975年(昭和50年)3月末に[[東京都]][[江東区]][[大島 (江東区)|大島]]、[[8月]]に[[品川区]][[戸越]]に移住するが、[[9月]]には八代市の実家に戻る{{Sfn|高山|2006|pp=53-54}}。[[1976年]](昭和51年)[[1月]]熊本市[[春日 (熊本市)|春日]]に移住し長兄の[[漢方薬]]店の助手を務める{{Sfn|高山|2006|p=54}}。3月、受験勉強をするために学生街のある熊本市[[黒髪 (熊本市)|黒髪町]]に下宿するが、[[5月]]にはまた実家に戻り、長兄の店を手伝う{{Sfn|高山|2006|pp=54-55}}。1976年(昭和51年)[[7月20日]]、長兄の店の元従業員が兄を[[侮辱]]したため[[頭部]]を殴打し負傷させ、[[9月6日]]、[[八代簡易裁判所]]にて1万5千円の[[罰金]]刑を受ける{{Sfn|高山|2006|p=55}}。
[[1977年]](昭和52年)春(22歳)に再上京し、大手予備校・[[代々木ゼミナール]](東京都渋谷
[[1978年]](昭和53年)[[1月7日]]、代々木ゼミナール
この頃、鍼灸師として「病気の人を完治させることができない、無駄なことをしているのではないか」と悩み、無常感を抱き、[[四柱推命]]や[[気学]]を研究し始める<ref>降幡賢一『オウム法廷3』 p.57</ref>。だが運命を知っても運命を変えることはできないと考えて見切りをつけ、台湾[[鍼灸]]、[[漢方]]、[[断易]]、[[六壬]]を経て、[[奇門遁甲]]と[[内丹術|仙道]]にたどり着き、神秘体験を経験する。さらなる修行を求めて以前は嫌いだったという宗教に近づき、[[GLA (宗教法人)|GLA]]の[[高橋信次]]の書籍、[[中村元 (哲学者)|中村元]]や[[増谷文雄]]の翻訳仏典により、[[阿含経]]そして[[阿含宗]]に出会う<ref>麻原彰晃『超能力秘密の開発法』 p.26-42</ref>。
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