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[[File:AutoCAD drawing of a Great Western King.png|thumb|right|300px|[[グレート・ウェスタン鉄道]][[グレート・ウェスタン鉄道6000蒸気機関車|6000形]](キング]]型級)蒸気機関車の図面]]
<!--{{Otheruses|機関車|キネマ旬報社から発行されていた雑誌|蒸気機関車 (雑誌)}}(誘導先は執筆されていません。)-->
[[File:AutoCAD drawing of a Great Western King.png|thumb|right|300px|[[グレート・ウェスタン鉄道]][[グレート・ウェスタン鉄道6000型蒸気機関車|キング]]型蒸気機関車の図面]]
'''蒸気機関車'''(じょうききかんしゃ)とは、[[蒸気機関]]を[[動力]]とする[[機関車]]のことである。
 
[[日本]]では Steam Locomotive の[[頭字語|頭文字]]をとって、'''SL'''(エスエル)とも呼ばれる。また、蒸気機関車、または蒸気機関車が牽引する列車のことを'''汽車'''とも言う<ref group="注釈">なお[[中国語]]では汽車は「[[自動車]]」を意味する。日本語で言う「汽車」は「[[火車]]」と表記する。</ref><ref group="注釈">ただし、地域や世代によっては、電気で動く物も含めて全ての列車のことを「汽車」と呼んだり、[[日本国有鉄道|国鉄]]・[[JR]]を「汽車」、[[路面電車]]や[[私鉄]]を「[[電車]]」と呼んで区別したりする場合がある(このような「汽車」の用法については「[[汽車]]」を参照のこと)。</ref>。また、[[明治]]時代には[[蒸気船]]に対して陸の上を蒸気機関で走ることから、「陸蒸気」(おかじょうき)とも呼んでいた。第二次世界大戦の頃までは「汽罐車」(きかんしゃ)という表記も用いられた(「汽罐」は[[ボイラー]]の意)。
 
== 歴史 ==
[[File:Locomotive trevithick.jpg|thumb|[[リチャード・トレビシック]]による1802年製作の蒸気機関車]]
[[File:Stephenson's Rocket drawing.jpg|thumb|1829年に[[レインヒル・トライアル]]で勝利した[[ジョージ・スチーブンソン]]製作の[[ロケット号]]]]
蒸気機関車の発明以前から鉄道を敷き台車を荷役動物に曳かせるものはあった<ref group="注釈">たとえば[[:en:Derby Canal Railway]]などは1792年から使われていた</ref>。[[馬車鉄道]]などである。
 
1802年、[[リチャード・トレビシック]]がマーサー・ティドヴィルのペナダレン製鉄所で高圧蒸気機関を台車に載せたものを作った。これが世界初の蒸気機関車とされている。1803年、トレビシックはこの蒸気機関車の[[特許]]を[[サミュエル・ホンフレイ]]に売却。ホンフレイは、トレビシックの蒸気機関車が10トンの鉄を牽引して、とある区間(約16km)を運べるか賭けを行い、1804年2月21日、ペナダレン号が10トンの鉄と5両の客車、それに乗った70人の乗客を4時間5分で輸送することに成功した。
 
1814年、[[ジョージ・スチーブンソン]]がキリングワースで石炭輸送のための実用的な蒸気機関車を設計し「Blücher」(ブリュヘル号)と名付け<ref group="注釈">[[:en:Killingworth locomotives]]も参照可</ref>、ウェストムーアの自宅裏の作業場で製作し、1814年7月25日に初走行に成功。[[時速]]6.4kmで坂を上り30トンの石炭を運ぶことができるものであった。
 
=== 蒸気機関車の発明・開発に関わった主要な人物 ===
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: [[1804年]]に[[イギリス]]で蒸気機関車を走行させる。[[鉄道の歴史|鉄道史上]]初とされている。
; [[ジョージ・スチーブンソン]]
: 公共鉄道で走行する最初の蒸気機関車「[[ロコモーション号]]」を制作。さらに「[[ロケット号]]」で蒸気機関車の基本設計を確立した。
; [[ロバート・スチーブンソン]]
: ジョージ・スチーブンソンの息子。父とともに蒸気機関車の実用運転に貢献。
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: 1812年、軌条の側面がラックレールの軌道を走る機関車[[:en:The Salamanca|サラマンカ号]]を走らせた。
; [[ナイジェル・グレズリー]]
: [[グレズリー式連動弁装置]]を開発。また[[LNERクラス A1/形・A3蒸気機関車|A3形]]や蒸気機関車の速度記録を持つ[[LNERクラス A4蒸気機関車4468号機 マラード|マラード号]]を設計した。
; [[アンドレ・シャプロン]]
: キルシャップの開発やボイラの内的流線化等の、蒸気機関車の科学的改良を初めて行った。後にリビオ・ダンテ・ポルタら蒸気機関車技術者に多大な影響を与えた。
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'''15.''' ドライブ・フレーム
 
'''16.''' 従輪ポニー台車<ref group="注釈" name="ポニー台車">ポニー台車とは先輪(原文は「前従輪」)が1軸の場合(2軸以上の場合は「ボギー台車」)に使用され、釣合梁(equalizer)を介して先輪と第1動輪それぞれの板ばねで支えられるもの、製作者の名前をとって「ビッセル台車」とも呼ばれる(日本の鉄道省は「心向台車」と呼称)。([[#近藤2007|(近藤2007) p.177]])</ref>
'''16.''' 従輪ポニー台車
 
'''17.''' 先輪ポニー台車<ref group="注釈" name="ポニー台車"></ref>
 
'''18.''' ベアリング及び軸箱
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火室は燃料を燃焼して高温のガスを作る場所である。火室の底(床)部分は燃え滓の灰が落ちるように格子状(いわゆる火格子)に作られている。
 
蒸気機関車の出力を決める第一の要因は「火室でどれだけ大きな熱エネルギーを発生できるか」であり、その指標として火室の平面積を表す'''火格子面積'''が使われる。火格子面積は狭軌が一般的であった日本の場合、明治初期のころの機関車で1[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]以下、それ以降順次増大し[[国鉄D51形蒸気機関車|D51形]]で3.27m<sup>2</sup>まで大きくなった<ref group="注釈">D51形に先立ち1925年にアメリカから輸入された単式3シリンダー機の[[国鉄8200形蒸気機関車|8200形]](C52形)では手焚きのままで火格子面積を3.8m<sup>2</sup>としたが、これは当時の日本人の一般的な体格・体力では投炭を担当する機関助士に過大な負担を強いたため、後の改造で火格子面積を縮小している。</ref>が、火室への燃料供給は人力([[シャベル]])による投炭であった。さらに大型(日本最大)で戦時の貨物増大に対応して製作された[[国鉄D52形蒸気機関車|D52形]]では火格子面積は3.85m<sup>2</sup>となったが、これは1人で人力投炭を行うには限界に近い負担を強いたため、第二次世界大戦後、同形式のボイラーを流用して製作された[[国鉄C62形蒸気機関車|C62形]]などと共に、蒸気エンジンで駆動される[[自動給炭機|自動給炭装置]](メカニカルストーカー)が装備された。ちなみに[[標準軌]]を採用した[[南満州鉄道]]で[[特別急行列車|特急列車]]「[[あじあ (列車)|あじあ]]」を牽引したパシナ型機関車の火格子面積は6.25m<sup>2</sup>で、ストーカーが標準搭載されていた。また、日本と同じく狭軌を標準としていた南アフリカでは当時黒人労働者を低賃金で利用できたことから、彼らを投炭手として複数乗務させ、同時交代で全力投炭させる<ref group="注釈">キャブの大きさの都合で機関車では船のように二人同時に投炭をやった国はなく、二人機関助手がいる場合は投炭を交代して休んでいる方がタブレットの受け渡しなどをやる。[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.256]]</ref>ことでストーカーを装備せずに火床面積を日本の機関車よりも大きくとるケースが存在した。
 
なお、給炭の手間や燃費を除いても火床面積は出力に対し十分な火力が得られるならば無理に拡大する必要はなく、特に内火室容積に比べて過剰に大きい場合不完全燃焼が起きやすくなる<ref group="注釈">例として満鉄のデカイ型では元になったミカイ型と同じ牽引力で軌道の弱い区域を走行させるため、ミカイの従輪部分にも動輪をつけて5軸にして動輪上軸重を分散させて対処した際、本来小さな従輪で支えていた広火室を動輪のうえにのせた影響で火床面積はさほど変わらないのに火室がかなり浅くなり、不完全燃焼が起きやすくなったとされる。<br />『満州鉄道発達史』高木宏之 著、株式会社潮書房光人社、2012年、ISBN 978-4-7698-1524-2、P113。</ref>。
 
なお、火床面積は燃料の品質さえ良質で少量でも十分な火力が得られるならば無理に拡大する必要はない。強力機ではそのボイラー容量に見合った火力を得るため巨大な火室を備えるケースが多いが、高カロリーの良質な燃料を常用できる環境にあった鉄道、例えばイギリスのグレート・ウェスタン鉄道(GWR)の機関車では、[[グレート・ウェスタン鉄道4073蒸気機関車|4073]](キャッスルあるいはカースルとも。軸配置2C、過熱式単式4気筒、狭火室。火格子面積2.73m<sup>2</sup>)のように、狭火室のままで他社が保有していた同クラスの機関車を上回る高性能を発揮する例<ref group="注釈">1925年に[[ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道]] (LNER) との間で同社最新の[[LNERクラス A1/形・A3蒸気機関車|クラスA1]](軸配置2C1、過熱式単式3気筒、広火室。火格子面積3.83m<sup>2</sup>)とを交換し、互いの鉄道線において同条件下で実施された比較試験では、キャッスル型の方がコンパクトでボイラーの火格子面積もクラスA1の約70パーセント強しかなかったにもかかわらず、使用炭の品質が本来想定されるより低下するLNER社線上においてさえ、出力・燃費の双方で勝利を収めている。これは弁装置設計などでGWR側に一日の長があったことによる部分が大きいが、この例が示すように狭火室と広火室の違いは必ずしも性能に決定的な差をもたらすとは限らない。</ref>が少なからず存在した<ref group="注釈">例えば、ドイツでは良質な石炭の入手が容易であった[[プロイセン]]をはじめとする北部の各邦国が保有する鉄道は狭火室を常用し、良質炭の入手が難しかった南部の[[バーデン大公国]]や[[バイエルン王国]]などが保有した各鉄道は広火室を早い時期から導入していた。また、アメリカで広火室積極導入の端緒の一つとなったウーテン式火室を備える[[キャメルバック式蒸気機関車]]は廉価だが着火しにくい[[無煙炭]]を燃料とすることを前提に研究開発されており、通常の石炭以外の異種燃料を燃やす手段として通常より大きめの火室を備えた機関車を製作するケースはアメリカ製機関車を中心に各国で見られた。</ref>。広火室は、総じて低品質の燃料でより大きな出力を得る手段として利用されていたのである。<!--火室はたくさんのボルトで頑丈に車体に固定されている。--><!-- ← ボイラーは熱膨張の問題があるので、火室部で台枠と強固に結合するのは御法度のはずですが?--><!-- ← 多分火室控え(耐圧用)の突起をボルトと混同しているのではないかと思われます。-->
 
機関車の火室には、左右の台枠間に設置したいわゆる'''狭火室'''タイプと、より大型の機関車に設置される台枠の幅([[軌間]])より大きな'''広火室'''タイプのものがある。[[D52]]等、一部の形式では煙管の手前に燃焼室を備える。
 
基本的に軌間が同一なら同じ面積の火床面積を得る場合、狭火室より広火室の方が奥行きが短くなる分投炭が楽になるが、奥まで石炭が届く構造ならばむしろ投炭口左右にシャベルを返す手間が省けるので楽な場合もある(前方への傾斜を調節し前後幅が3.8mもある火床の前部に石炭が崩れていくようにしたフランスのノール鉄道のスーパーパシフィックや、パリ・オルレアン鉄道の240.700形など)<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.357]]</ref><ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.86]]</ref>。
 
石炭が燃える際の炎は、石炭の成分が分解・[[蒸発]]しながら空気中の[[酸素]]と反応しているため、燃焼ガスの温度は石炭自体から少し離れたところで最高となる。このため火室内には燃焼ガスの流れを迂回させて、ボイラーの各煙管の距離を稼いで最高温度の燃焼ガスを導くのと各煙管に均等に燃焼ガスが流れることができるように火室中央部を斜めに通るアーチ管に載せらた邪魔板 (煉瓦アーチ)<!--(左の写真の赤く塗られた斜めに設置された板)-->がある。火室の前後左右と上部は缶胴内の水で囲まれており'''内火室'''と呼ばれている、前述したアーチ管には、缶胴内の水が入り込むことで、缶胴内の水を循環させる役割を持たせており、ここの部分は'''外火室'''と呼ばれボイラーの一部となっている。また、燃焼ガスの火力を高めるために内火室とボイラーの煙管の間に'''燃焼室'''を設ける場合がある。これは、火室の邪魔板の上の空間が延長された構造となっている。
 
なお、火床面積は燃料の品質さえ良質で少量でも十分な火力が得られるならば無理に拡大する必要はない。強力機ではそのボイラー容量に見合った火力を得るため巨大な火室を備えるケースが多いが、高カロリーの良質な燃料を常用できる環境にあった鉄道、例えばイギリスのグレート・ウェスタン鉄道(GWR)の機関車では、[[グレート・ウェスタン鉄道4073型蒸気機関車|4073型]](キャッスル型あるいはカースル型とも。軸配置2C、過熱式単式4気筒、狭火室。火格子面積2.73m<sup>2</sup>)のように、狭火室のままで他社が保有していた同クラスの機関車を上回る高性能を発揮する例<ref>1925年に[[ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道]] (LNER) との間で同社最新の[[LNERクラスA1/A3蒸気機関車|クラスA1]](軸配置2C1、過熱式単式3気筒、広火室。火格子面積3.83m<sup>2</sup>)とを交換し、互いの鉄道線において同条件下で実施された比較試験では、キャッスル型の方がコンパクトでボイラーの火格子面積もクラスA1の約70パーセント強しかなかったにもかかわらず、使用炭の品質が本来想定されるより低下するLNER社線上においてさえ、出力・燃費の双方で勝利を収めている。これは弁装置設計などでGWR側に一日の長があったことによる部分が大きいが、この例が示すように狭火室と広火室の違いは必ずしも性能に決定的な差をもたらすとは限らない。</ref>が少なからず存在した<ref>例えば、ドイツでは良質な石炭の入手が容易であった[[プロイセン]]をはじめとする北部の各邦国が保有する鉄道は狭火室を常用し、良質炭の入手が難しかった南部の[[バーデン大公国]]や[[バイエルン王国]]などが保有した各鉄道は広火室を早い時期から導入していた。また、アメリカで広火室積極導入の端緒の一つとなったウーテン式火室を備える[[キャメルバック式蒸気機関車]]は廉価だが着火しにくい[[無煙炭]]を燃料とすることを前提に研究開発されており、通常の石炭以外の異種燃料を燃やす手段として通常より大きめの火室を備えた機関車を製作するケースはアメリカ製機関車を中心に各国で見られた。</ref>。広火室は、総じて低品質の燃料でより大きな出力を得る手段として利用されていたのである。<!--火室はたくさんのボルトで頑丈に車体に固定されている。--><!-- ← ボイラーは熱膨張の問題があるので、火室部で台枠と強固に結合するのは御法度のはずですが?-->
 
=== 自動給炭機 ===
{{main|自動給炭機}}
火格子面積の大きい広火室を備えた機関車に装備され、炭水車からスクリュー(送りねじ)で石炭を運転室まで搬送し、蒸気で火室内に飛ばした。
 
大型機が多く大量の石炭を消費したアメリカでは1910年代から考え出されはじめ、1次大戦後ペンシルバニア鉄道の当時の主力機K4形(火床面積6.5平方m)に大量に採用され、その後火床面積5.5平方m以上の機関車には設置が義務付けられたが、そこまで多量の石炭を消費しないヨーロッパ諸国(+日本)では手炊きに比べて無駄が多いとされ、フランスでは1938年のフランス国鉄(SNCF)450P形で初採用したものの設置された機関車は少数派で、イギリスは最後まで設置せず、ドイツや日本も二次大戦前には未使用である<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.255・359-360]]</ref><ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.89]]</ref>。
 
日本では蒸気機関車用の自動給炭機は、1948年(昭和23年)製のC62形、C61形を[[嚆矢]]として、戦時形のD52形についても、標準形への装備改造時およびD62形への改造時に装備された。熱量の低い石炭を使用する[[常磐線]]用のD51形の一部にも搭載された。
 
=== ボイラー ===
{{see also|ボイラー}}
火室で作られた高温の燃焼ガスは、'''煙管'''と呼ばれる数多くの細い管に導かれる。煙管の本数や管のサイズは機関車の出力性能に大きく関与するが、本数は50本から200本、管の直径は50mm前後である。煙管の周囲は水で満たされており、燃焼ガスが通過する際の熱伝導を受けて蒸気が発生する、いわゆる[[ボイラー]]であり、ここの部分を缶胴と呼ばれている。発生した蒸気は上部ボイラー蒸気溜めのドームに一旦溜められ、溜められた蒸気材質、蒸気機関車の各種補機類を作動させるために取付けられた配管により分配される[[鋼鉄]]、走行に使用される蒸気は、加減弁で流量を調整後、乾燥管を通一般的だて蒸気中の水分を取り除かれて乾燥され蒸気となり煙室の主蒸気管を介して走り装置の蒸気室のシイギンダーに送られる。使用される蒸気は、圧力が10-16kg/cm²ス等温度は200℃の飽和蒸気を使用する'''飽和式'''と、さらに蒸気を加熱して圧力を高めるため、主蒸気管と乾燥管の間に過熱管寄せとそこから煙管の内部まで伸びて過熱管寄せに戻る過熱管を装備して、乾燥管からの蒸気を、過熱管寄せから過熱管を介して通過させることにより、蒸気の温度をさらに300-400℃に高めた過熱蒸気を使用する'''過熱式'''とがあり、直径が通常の煙管の2倍以上で過熱管を内蔵した煙管を'''大煙管'''と呼んでいる。1910年代以降の大型機関車には[[過熱蒸気]]使用するようになっされた。
発生した蒸気は上部の蒸気溜めのドームに一旦溜められ、溜められた蒸気は、蒸気機関車の各種補機類を作動させるために取付けられた配管により分配されるが、走行に使用される蒸気は、加減弁で流量を調整後、乾燥管を通って蒸気中の水分を取り除かれて乾燥された蒸気となり、煙室の主蒸気管を介して走り装置の蒸気室のシリンダーに送られる。
 
まれに車両限界の都合などでドームがない機関車もあり、こういった車両は缶胴最上部に細いスリットを持つ管を通し、そこから蒸気を採集する。蒸気は気体なので普通にこの穴を通過できるが同じ流体でも粘性のある熱湯は通過しにくいためシリンダー側に湯が入ることはまずないが、勾配区間での使用に関しては当然ドームがある方が安全であり、日本などでは使用されていない<ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.94-95]]</ref>。
ボイラーの上部には蒸気圧が高くなりすぎたときに蒸気を逃がして圧力を下げる安全弁(万が一の故障を考慮して必ず複数が装備される)や、汽笛が装備されている。またボイラー内の水位を維持するために、水槽から新しい水を注水するための給水ポンプや[[インジェクタ|インゼクタ]]の2つが取付けられており、2つのルートからボイラーに水を送り込む仕組みとなっている。両者とも動力源にボイラーの蒸気を使用しているが、後者は蒸気溜からの配管から直接蒸気が送られる。また、ボイラー缶胴内に装備された注水パイプにより、均一に水を噴射させてボイラー内の水温にムラが出ないようにしている。中・大型機では注水の際に低温の水を注水する事でボイラー内の水が温度低下を起こし蒸気圧が下がるのを防止するため、一般に給水ポンプから給水温め器(蒸気室のシリンダーや補機類で使用された蒸気を引き通して水に熱を伝える熱交換器)を介してボイラーに注水する。
 
使用される蒸気は、圧力が10-16kg/cm²で温度は200℃の飽和蒸気を使用する'''飽和式'''と、さらに蒸気を加熱して圧力を高めるため、主蒸気管と乾燥管の間に過熱管寄せとそこから煙管の内部まで伸びて過熱管寄せに戻る過熱管を装備して、乾燥管からの蒸気を、過熱管寄せから過熱管を介して通過させることにより、蒸気の温度をさらに300-400℃に高めた過熱蒸気を使用する'''過熱式'''とがあり、直径が通常の煙管の2倍以上で過熱管を内蔵した煙管を'''大煙管'''と呼んでいる。1910年代以降の大型機関車には[[過熱蒸気]]を使用するようになった。
ボイラーの性能を表す指標として、'''蒸気圧力'''、'''飽和式'''か'''過熱式'''か、'''煙管・大煙管の太さと本数'''または'''煙管の総表面積(熱伝導面積)'''などが使用される。日本の鉄道では蒸気圧力は明治初期の機関車で8[[重量キログラム#重量キログラム毎平方メートル|kg/cm²]]前後、その後順次増加し、D52形では16.0kg/cm²となった<ref>ただし、日本でも陸軍の鉄道大隊・[[鉄道連隊]]向けに1901年より製作が開始された[[日本陸軍鉄道連隊A/B形蒸気機関車|双合機関車]]では軸配置Cの8t級機関車を背中合わせに組み合わせた小型機関車であったが、既に15.5kg/cm<sup>2</sup>を標準採用していた。</ref>。諸外国のSLでは20kg/cm²が実用化され、さらに煙管式ボイラーではなく水管式ボイラーを採用していた一部の試作機関車では、ボイラー圧力が100kg/cm²を超えるものも珍しくはなかった。一般にボイラーでは圧力が高いほどエネルギー効率は上昇するが、蒸気漏れなどに対する対策に高度な技術が必要となり、20kg/cm²を採用していた諸外国の例でも、そのうちの少なくない数が保守コストの高騰に手を焼いた末に降圧を実施している。
 
ボイラーの上部には蒸気圧が高くなりすぎたときに蒸気を逃がして圧力を下げる安全弁(万が一の故障を考慮して必ず複数が装備される)や、汽笛が装備されている。またボイラー内の水位を維持するために、水槽から新しい水を注水するための給水ポンプや[[インジェクタ|インゼクタ]](注水器)の2つが取付けられており、2つのルートからボイラーに水を送り込む仕組みとなっている。両者とも動力源にボイラーの蒸気を使用しているが、後者は蒸気溜からの配管から直接蒸気が送られる。また、ボイラー缶胴内に装備された注水パイプにより、均一に水を噴射させてボイラー内の水温にムラが出ないようにしている。中・大型機では注水の際に低温の水を注水する事でボイラー内の水が温度低下を起こし蒸気圧が下がるのを防止するため、一般に走行中は給水ポンプから給水温め器(蒸気室のシリンダーや補機類で使用された蒸気を引き通して水に熱を伝える熱交換器)を介してボイラーに注水し、走行中や絶気中はインゼクタを使用する<ref>[[#萩原1977|(萩原1977) p.102]]</ref>(なおインゼクタは冷水でないと給水できないのでこれだけを使う機関車では給水温め器の必要はない<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.306]]</ref>)
 
なお、第二次世界大戦中のドイツで設計・製作された貨物用の52形では、軸配置1Eの大型機であったが構造簡素化による生産性の向上を目的としてインゼクタを複数搭載として従来のドイツ国鉄機で標準であった給水ポンプ+給水温め器の搭載が省略され、またイギリスのグレート・ウェスタン鉄道などではやはりインゼクタの複数搭載を標準としていたが、クラック弁と称する特殊な弁を使用することで、ボイラーに注水される水の温度が段階的に引き上げられる、つまり給水温め器を使用するのと同様の効果が得られるような機構を採用していた。
 
ボイラーの性能を表す指標として、'''蒸気圧力'''、'''飽和式'''か'''過熱式'''か、'''煙管・大煙管の太さと本数'''または'''煙管の総表面積(熱伝導面積)'''などが使用される。一般にボイラーでは圧力が高いほどエネルギー効率は上昇する(飽和式の場合は水に戻りにくくなるというメリットも生まれる)が、蒸気漏れなどに対する対策に高度な技術が必要となるのでそういった兼ね合いで上限値を定め、蒸気機関車の場合は構造上や運用の都合もあって据え置き式や船舶のボイラーなどと比較すれば低圧の部類に入る。<br>最初期の蒸気機関車では1829年のスチーブンソンの[[ロケット号]]が出場したレインヒルトライアルのルールが「(安全のため)ボイラ圧力は1平方インチ当たり50ポンド(約3.55気圧)以下」と非常に低圧で、その後鋳鉄技術の向上で1850年ごろには10気圧程度まで上がり、以下1870年代には鋼鉄製が一般化して11~12気圧、20世紀初頭には13~14気圧ぐらいでイギリスの場合では最盛期で17.7気圧(正確には「1平方インチ当たり250ポンド」)になった。他の国の場合はフランスは複式が多いので初期の圧力を高めにして20世紀初頭に16気圧、1930年代に20気圧のものが出始めこれが全盛期の標準。ドイツは過熱蒸気を早いうちに採用したので低圧でも飽和蒸気のような問題は起きないと保守を楽にするため、あまり圧力を上げずに第二次大戦前でも16気圧付近が上限で戦後の試作機10形の18気圧が最大で、これを手本にした日本も世界的には低圧気味<ref group="注釈">ただし、日本でも陸軍の鉄道大隊・[[鉄道連隊]]向けに1901年より製作が開始された[[日本陸軍鉄道連隊A/B形蒸気機関車|双合機関車]]では軸配置Cの8t級機関車を背中合わせに組み合わせた小型機関車であったが、既に15.5kg/cm<sup>2</sup>を標準採用していた。</ref>で明治初期のイギリスなどから輸入した機関車で8気圧前後から始まって順次昇圧したが最大で16気圧までにとどまっている(計画では18気圧のものもあった)。試験的なもの(水管式ボイラーを採用していた一部の試作機関車では、ボイラー圧力が100kg/cm²超えもあったが実用的に成功したものはない)を除くと高圧が多かったのは蒸気機関車全盛期のアメリカで、黎明期の19世紀中ごろ時点では7気圧とかなり低かったが1893年のNYCの999号([[:en:New York Central and Hudson River Railroad No. 999|New York Central and Hudson River Railroad No. 999]])が12.6気圧、その後他の国で圧力の進化が止まっても上昇を続け、第二次大戦中21気圧、戦後ノーフォーク&ウェスタン鉄道で22気圧を煙管式ボイラーで達している<ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.101-102]]。</ref>。
ボイラーの材質は[[鋼鉄]]が一般的だったがイギリス等では[[銅]]も使用された。
 
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ファイル:A48steam dome & valve.jpg|A48の煙管と上部にある蒸気溜めと加減弁
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=== 煙室 ===
煙室は機関車の先頭部分にあり、ボイラー内の煙管を通過した燃焼ガスと蒸気室内のシリンダーでピストンの作動させた蒸気(排気ブラスト)が吐出管を介して入り、その後に上部にある煙突から両者が吐き出される所である。吐出管から勢い良く噴射した蒸気が、上部にある煙突に目がけて流れるため、真空の部分霧吹きで水発生して吸い上げられるように、気圧差により内火室からの燃焼ガスを煙管を介して強制的に誘引することにより、内火室への空気流入量が増えて燃焼効率の向上を助ける働きを持っている。また、上部の煙管と下部の煙管を流れる燃焼ガスの流れを均一にするため、加減反射板を装備して、蒸気の通過速度が一番速い煙室下部に迂回して燃焼ガスを導いており、加減反射板は迂回の度合いを調整するとが可能である。また、一部の機関車では、吐出管から出るの蒸気の噴射速度の調整ができるようになっている。また、惰性運転時での後述する絶気運転や停止中では、蒸気溜の加減弁が閉の状態のため、蒸気室のシリンダーにボイラーからの蒸気か送り込まず、煙室内では真空が発生しないため、運転室の蒸気分解箱にある通風弁(ブロアバルブ)開いて、蒸気を通風管を介して煙室内に送り込み、煙突に向けて噴き出すこ「ドラフト」で、真空を発生させて内火室からの燃焼ガスを煙管を介して誘引させて
 
模索期の機関車と復水式の機関車ではドラフトに圧縮空気を使用するものもあったが、模索期の米仏にあった車軸からベルトでふいごを動かす装置では勾配(低速になる)でドラフトが弱まるという致命的な問題があったため、蒸気消費量が多くなるほどドラフトが強くなる排気ブラストを使用する方法を変えることはなく<ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.24-25]]</ref>、復水式は蒸気を捨てずに水に戻して再使用する以上排気ブラストが使えないことから一部の蒸気でタービンを回してそれで車体前部では排気ブラストに変わってドラフトを起こし、テンダーでは蒸気を冷やして水に戻したが、このエネルギー分の燃料とメンテナンスの手間が増大したので、復水式自体が商業的に成功しなかった<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.299・430]]</ref>。
 
また、煙は上の煙管を通りやすいので燃焼ガスの流れを上下で均一にするため、加減反射板を装備して、蒸気の通過速度が一番速い煙室下部に迂回して燃焼ガスを導いており<ref>[[#萩原1977|(萩原1977) p.99]]</ref>、加減反射板は迂回の度合いを調整することが可能である。また、一部の機関車では、吐出管から出るの蒸気の噴射速度の調整ができるようになっている。また、惰性運転時での後述する絶気運転や停止中では、蒸気溜の加減弁が閉の状態のため、蒸気室のシリンダーにボイラーからの蒸気か送り込まれず、煙室内にドラフトを発生させるため、運転室の蒸気分解箱にある通風弁(ブロアバルブ)を開いて、蒸気を別にある通風管を介して煙室内に送り込み、煙突に向けて噴き出すことで、ドラフトを発生させて内火室からの燃焼ガスを煙管を介して誘引させている<ref>[[#萩原1977|(萩原1977) p.99]]</ref>。
<gallery widths="180" style="font-size:90%">
ファイル:A48head2.jpg|煙室の構造、シリンダーで使われた蒸気は下部の白色の吐出管から煙突に吹き上げられる。煙突入口には火の粉よけのメッシュが装備されている
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=== 弁装置・シリンダー・コントロール装置 ===
[[File:Steam Locomotive run device.png|thumb|400px|蒸気機関車の走り装置(ワルシャート式)のモデル図<br />1弁室、2蒸気弁、3蒸気室、4弁心棒、5合併テコ、6心向棒、7加減リンク(中央の支点をモーション・プレートに固定)、8釣りリンク腕、9シリンダー室、10ピストン、11ピストンロッド、12滑り棒、13クロスヘッド、14主連棒、15偏心棒、16返りリンク、17連結棒。]]
機関車をスムーズに走らせるためには、シリンダーに送る蒸気の方向を適切に制御する必要があり、右側の'''弁装置''' により制御される。出力の制御は運転室にある加減弁ハンドル<ref group="注釈">レギュレータとも呼ばれている。</ref>と逆転機ハンドルによって制御される。加減弁ハンドルは、蒸気溜にある加減弁に引き棒で繋がっており、動かす事により蒸気溜から蒸気が乾燥管と主蒸気管を介して蒸気室に流れ、蒸気室内の2つの蒸気弁の間のある弁室を介して蒸気室前後に設けられた蒸気通路のどちらか一方を通って蒸気が送り込まれ、シリンダー室内のピストンを作動させる。蒸気が送り込まれたピストンの反対側の蒸気は、シリンダー室から蒸気が送り込まれた蒸気通路とは反対側の蒸気通路を通って蒸気室に戻り、蒸気室左右にある排気通路から吐出管に排出される。この動きを前後交互に行うことでシリンダー内のピストンを往復運動させることができる。シリンダー内のピストンを往復運動させる蒸気の給排気を行う蒸気室の蒸気弁は、ピストンとの間で90度の位相差で動いており、蒸気弁はピストンの動きを伝達して動かしている。力の伝達はピストンロット→クロスヘッド→合併テコ→蒸気弁の弁心棒とピストンロット→クロスヘッド→主連棒→返りリンク→偏心棒→加減リンク→心向棒→合併テコ→蒸気弁の弁心棒の2つの径路で伝達される。また、合併テコは2方向から伝達される力を合併する役割を持っており、それを介して蒸気弁を作動させる。また、発車時では、一気に加減弁を開けてしまうと、蒸気が一気にシリンダー内に入り、動輪が空転してしまうため、加減弁を徐々に開いていく操作を行う。惰性運転時には、加減弁を完全に閉じてシリンダー室に蒸気がまったく入ってこない状態にする(絶気運転とも呼んでいる)。
 
逆転機ハンドルは逆転棒と繋がっており、その先の釣りリンク腕と釣りリンクを介して心向棒と繋がっていて、さらに心向棒から加減リンクを通り蒸気室の蒸気弁と合併テコを介してクロスヘッドに繋がっている。逆転機ハンドルは回すことで、心向棒を介してシリンダー室上部にある蒸気室の蒸気弁を操作できるようになっている。蒸気機関車の速度制御は、蒸気溜にある加減弁での調整によっても可能であるが、実際の速度制御は、蒸気弁からシリンダーへの通路の開口部の開口率の変化によって行われる。その変化の動作に使用されるのが偏心棒、加減リンク、心向棒の3つであり、加減リンクは中央を支点としてモーション・プレートに取り付けられており、その下部に連結された偏心棒により、加減リンクが支点を中心として上部と下部で往復運動を行なって、心向棒と合併テコを介して蒸気弁の弁心棒に力を伝達する仕組みとなっている。心向棒の力点は、逆転機ハンドルにより加減リンク内を上下方向に動かすことが可能であり、加減リンクの支点に近い位置では、蒸気弁の往復運動の幅が小さくなり、加減リンクの支点から離れた位置では、蒸気弁の往復運動の幅が大きくなる。その幅の変化が開口率の変化となり、開口部の大きさと蒸気弁からシリンダーへの蒸気が入らないカットオフの時間が変化することで、シリンダーに入る蒸気量の調整を行い、シリンダー内の中のピストンが時々の状況に応じた速度に対応した往復運動をするようになっている(出発時は、心向棒を加減リンク中央から下に離れた位置に移動させて、開口率を大きくカットオフの時間を短くすることでシリンダー室に入る蒸気を多くして動輪の回転力を大きく回転数を小さくし、速度が上がるにつれて、心向棒を加減リンク下部から中央の位置に徐々に移動させて、開口率を小さくカットオフの時間を長くすることでシリンダー室に入る蒸気を少なくして動輪の回転力を小さく回転数を大きくする)。また、開口率は、80%-0%の間で表しており、全出力で80%、停止時や惰性運転時では0%としている。また、加減リンクは前進または後進の切り替えも行い、同じく逆転機ハンドルを回すことにより、心向棒を加減リンクの中央(支点の部分)から下に下げると前進、上に上げると後進となる(前後進の切替は停止時に行う)。その他に、発車時に常温まで冷えたシリンダー室に蒸気を送ると、蒸気の温度が下がり[[凝縮]]が発生してシリンダー室に水が溜まるため、溜まった水を排出するシリンダー排水弁や、蒸気室の前後をバイパス管で結びその中間に弁を設置し、惰性運転時に、逆転機ハンドルを操作して蒸気室とシリンダー室を結ぶ蒸気通路の開口率を80%にしてからその弁を開き、シリンダー室のピストンの前後の空気を行き来できるようにして、ピストンの空気抵抗を最小にするバイパス弁がある。
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=== 動輪・先輪・従輪 ===
気筒室で作られた往復運動は'''主連接棒'''(メインロッド)を通じて[[駆動輪|動輪]]に伝えられ、ここで最終的に回転運動におきかえられる。主連接棒と連結されている動輪を'''主動輪'''という。主動輪と他の動輪は'''連結棒'''(カップリングロッド)で連結されている。また左右の動輪は車軸で繋がっており、2シリンダー機の場合は連結棒を介して90度の角度でずらして主連接棒と連結されていて、それにより片方の気筒室内のピストンが前端または後端の死点に達してピストンの力がゼロになっても、もう片方のピストンの力が最大になるように動力伝達されている。
 
動輪以外に機関車に設置される車輪として'''[[先輪]]'''と'''[[従輪]]'''がある。先輪は動輪の前に設置され、カーブでのスムーズな方向転換に有効であり、機関車重量の一部を負担する効果もある。従輪は動輪より後ろに配置され、機関車後部の重量を受け持つ。大きな火室を必要とする高出力機では、小さな従輪の上に幅広の火室を装備する'''広火室'''タイプが採用された。
 
蒸気機関車の最高速度はシリンダーの往復速度と動輪の直径('''動輪径''')で決まる。すなわち巨大な[[クランク (機械要素)|クランク]]構造となっている蒸気機関車の動輪回転数は400[[rpm (単位)|rpm]]付近が限界<ref>『[[#久保田 (2005)|日本の鉄道史セミナー]]』p.136</ref>とされており、実際に各国の蒸気機関車の最高速度もほぼこの限界値近くにある<ref group="注釈">スピード記録などのための無理をして出した記録としては毎分500回転近くまで出したものもあり、イギリスではロンドン&ミッドランド鉄道ダッチェスクラス(4シリンダー)の480回転(1937年、[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.55]])、ロンドン&ノースイースタン鉄道A4クラス(3シリンダー)の530回転(1938年、[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.61]]。ただし中央クランクが損傷した)、アメリカのノーフォーク&ウェスタン鉄道のJ型(2シリンダー)の540回転([[#齋藤2018|(齋藤2018) p.81]])などがある。<br>フランスは最高時速120㎞制限の関係でここまで極端なのはなくパリ・オルレアン鉄道240.700形(4シリンダー)の430回転([[#齋藤2018|(齋藤2018) p.52]]。なおこれは試験時の特例で151㎞/hの速度限界超過の値。)、ドイツは高速回転化が進まず01<sup>10</sup>型の375回転程度([[#齋藤2018|(齋藤2018) p.71]])でそれを習った日本も回転数増加の流れには至ってない。</ref>。高速度が要求される蒸気機関車は当然大きな動輪径が設定される。
 
蒸気機関車は大きに限らいが滑らかな鉄の車輪を鉄のレールの上で走らせるためスリップ([[空転]])を起こしやすい<ref group="注釈">黎明期の機関車ではこれを危惧して通常の車輪は車体を支えるのみで動輪をギア状にしたブレキンソップや、足をつけて馬のように動かして走らせようとしたブラントン(どちらもイギリス人)といった例がある。[[#萩原1977|(萩原1977) p.178-179]]</ref>。重量のある列車を牽引する際に空転を防ぐためには動輪とレールの[[粘着式鉄道|粘着性]]を上げることが必要だが、手段としては全動輪にかかる重量を増やす方法がとられる。即ち動輪1対あたりの重量('''軸重''')を増やすか、動輪数を増やして'''動軸上重量'''を増やすの2種類の方法がある。動輪および前輪と従輪の配置や数('''軸配置''')は機関車の性能を決定する重要なファクターである([[車軸配置]]参照)。軸重の増加については[[軌道 (鉄道)|軌道]]の強化が必要であり、動輪数を増やす場合については機関車の長さの問題、急カーブ通過時の問題などが発生する。動輪数を増やしてカーブ対策を行った方式として、前後に複数の駆動システムを有する[[マレー関節式機関車]]がある。
 
=== 補機類 ===
前記したボイラーに水を注水するための給水ポンプとインゼクタがボイラー横に搭載される他、蒸気機関車自体や牽引する客車のブレーキ装置を作動させる圧縮空気を作る目的でボイラー缶胴部横や煙室前面などに[[コンプレッサー]]を搭載している(イギリスなど真空ブレーキ式の国ではこれがなかった。空気ブレーキはアメリカで1869年に発明され1872年に直通から自動式に改良、米国では1893年に全列車に空気ブレーキが装備が義務付けられた。なお、日本では真空ブレーキが先(1891年)に導入されたが、勾配が多い日本では1920年代以後に設置)連続使用が効く空気ブレーキ式に切り替えられた<ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.133-116]]</ref>調圧器により自動的に作動しており、そこで作られた圧縮空気は繰出管を介して冷却されてボイラー横の元空気溜に蓄圧される。また、前照灯など電気装置やATSの保安装置などを使用する目的でタービン発電機がボイラー上部の運転室側に搭載される。コンプレッサーもタービン発電機もボイラーから運転室に取付けられた弁が付いた蒸気分配箱を介して送られた蒸気を動力源としており、これらの弁の操作により蒸気が送られて各種補機を作動させる<ref>[[#萩原1977|(萩原1977) p.102-103]]</ref>
 
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ファイル:C61 20 turbine generator.jpg|C61 20号機のタービン発電機
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=== 短所 ===
*機構が簡単だが調整が難しく、雑な調整ではうまく走れない。したがって、修理作業に熟練を要する。もっとも工作精度の点では内燃機関よりも低くとも問題なく、むしろ一定以上の高精度で組み立てると動作しない場合すらある<ref group="注釈">第二次世界大戦中、南方戦線で日本軍が蒸気機関車を運用していた際に、鉄道車両に関する知識のない自動車技師出身の整備兵が内燃機関と同じ精度で蒸気機関車の各部品の整備・組み立てを行ったところ全く動作せず、精度を落として(各可動部に意図的に遊びを設けて)再組み立てしてようやく動作した、という逸話が残っている。</ref><!---ただし、電気機関車やディーゼル機関車がこの点において確実に勝るようになったのは[[1990年代]]以降のことであり、それ以前は、必ずしも蒸気機関車特有の欠点とは言えなかった---><ref group="注釈" name="seibi">電車・電気機関車は制御器の接点の調整に熟練を要し、上手くあっていないとノッチ進段時の衝動が大きくなったりするほか、酷いときには高速度遮断機が作動して運転不可能になる事例もあった。また気動車・ディーゼル機関車はディーゼルエンジンそのものが蒸気機関に比べてはるかに複雑で部品点数が多く、やはり整備には熟練と専門知識を要した。これらが劇的に解消されるのは、電気車では[[可変電圧可変周波制御|VVVFインバータ]]制御が一般化し、内燃機関車では大型高速ディーゼル機関のメンテナンスフリー化が進んでからである。</ref>。
*電気機関車やディーゼル機関車より燃費効率が悪く、牽引力も弱い。蒸気機関車の[[熱効率]]は10%程度といわれ、ディーゼル機関車の熱効率35%程度に比べてかなり劣る<!--<ref>列車の速度を10%下げると消費する石炭量を20%減らすことができる。--『[[#久保田 (2005)|日本の鉄道史セミナー]]』p.87</ref>←運動エネルギーが速度の二乗に比例する以上、低速ほどエネルギーをつぎ込む必要がないだけです蒸気機関車に限らずいかなる乗り物でも同じようになります。-->
*高速運転できない。一般的な構造を備える蒸気機関車の速度は動輪の直径とシリンダーの往復速度に比例するため、シリンダーの往復速度を速く、また動輪径を大きくするほど高速運転が可能となるが、。しかしシリンダーの往復速度の上限はシリンダーとそれを支える台枠の剛性や強度、それにシリンダーやロッドなどの慣性質量に依存することから、ホイールベースが長く高速走行をする機関車ほど振動が激しくなり<ref group="注釈">極端な例だが、ソ連の[[:en:4-14-4#AA20|AA20]]形は直径1600mmの動輪が7軸もあり、非常にホイールベースが長かっ結果、時速70㎞で振動が激しくなったのでこれが最高速度とされた。[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.75]]</ref>、通常の構造では一定の速度以上への引き上げは難しい<ref group="注釈">なおこの振動は前後と上下の2つがあるのでウェイトをつけてもどちらか片方しか修正できず([[ハンマーブロー]]参照)、多気筒にすることである程度抑えられる。[[#齋藤2018|(齋藤2018) 「第4章 回転数アップ」P.48-65]]。)<br>もっとも電気機関車や電気式ディーゼル機関車の場合もモーター重量を直接動輪軸にかける形式([[吊り掛け駆動方式|吊りかけ式]]など)でモーターが重い時代の頃はハンマーブローこそないものの([[鉄道車両の台車#ばね下重量・ばね間重量|ばね下重量]]が蒸気機関車以上に重いので)結局高速走行時には堅固な軌道が求められた[[#ウェストウッド2010|(ウェストウッド2010) p.192]]<br>(注:ウェストウッド著『世界の鉄道の歴史図鑑』の原文では「ディーゼル機関車」の項でこの説明があるが、電気式の足回りは電気機関車と同じな上、直後に「スイスの電気機関車で車体側でモーターを支えてこの問題を解決した話」があるので電気機関車も含んでの話と判断した。)</ref>。また動輪径についても、動輪の後方で従輪で火室を支えたり、ボイラー下に火室や動輪こない[[ガーラット式機関車|ガーラット式]]などの構造である程度カバーはできるものの、大径化に伴いボイラーや火室の邪魔になる他、軌間(レールの幅)を大幅に越えると一般に重心が高くなるため走行が不安定になり、危険である。このため標準軌でも実用になったのは7~8フィート(2135~2440mm)付近(20世紀に入ってからは7フィート以下が普通)であり<ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) 「第3章 より速く走るために」P.40-47]]</ref>、これ以上に大径の動輪は実験的なものである。<br>蒸気機関車の最高速度は、[[狭軌]] (1067mm) では1954年に日本の[[国鉄C62形蒸気機関車|C62形17号機]]が129km/hを記録し、標準軌 (1435mm) では1936年にドイツの05形が、1938年にイギリスの蒸気機関車LNER A4がそれぞれ大直径の動輪により時速200kmをわずかに超えた速度を記録している<!--が、。しかしこれらが限界は無理やりに速度を出した場合の数値であり、営業最高速度は日本考えられ同じ1067mm軌間ではインドネシア(1000形=C53形)やニュージーランド(Ka形([[:en:NZR KA class]])の時速120㎞前後が最高(日本は時速100㎞程度)であ<ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) P83・194--195]]</ref>が、<!--日本国内はこの本おけ営業ように世界的には運行速度が低速の部類ですので、最高速度基準にしちゃまずいかと。あと、同書P194によるとニュージーランドのKa型概ね95km/h程「最高時速137㎞」の記録があるそうですが、いつの記録か分からないので保留。-->。標準軌でも、前述の最高速記録を持つイギリスのLNER A4は、通常運行は安全面から時速90マイル(145㎞)ほどである(ドイツの05形留まっては車両自体が高速性特化で牽引力が低いため4~5両程度の客車しか引けずに量産されてない)<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.288-289・327]]</ref>一方こういった問題のない電気運転やディーゼル運転の場合は、もちろんこれよりはるか1903年高速の走行に時速200㎞を突破した記録可能である。([[高速鉄道の最高速度記録の歴史]]も参照)
*低速においても、鉱物などの大量輸送で見かけるような時速20~40㎞程度では、本来の力を発揮できない<ref group="注釈">低速で動く出発時や加速時にこそ大出力が欲しいのに、その時蒸気機関車は全力の半分ほどしか出せない。参考までにいうとアメリカのユニオンパシフィック鉄道4000型(ビッグボーイ)は時速70マイル(112㎞)時に1万馬力の出力をシリンダーは出せたが、時速35マイル(56㎞)では6200馬力、時速20マイルでは5200馬力しか出せなかった。[[#ロス2007|(ロス2007) p.193]])
</ref>。これは構造にもよるが、蒸気機関車は通常時速50㎞から100㎞で最高出力となるためである。高速貨物列車も時速75㎞以下が主流<ref group="注釈">日本のように貨物列車が100㎞/h近くに達するのは世界的には特例。</ref>なので、時速15㎞ほどから強力な牽引力が発揮できるうえ、トルクの変動(空転の原因になる)もなく、機関車重量すべてを粘着重量にとれる電気式ディーゼルの方が圧倒的に有利<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.436-437]]</ref>。
*始動に時間がかかる。煙缶式ボイラーが完全に冷え切った状態の場合、火入れ・蒸気の発生に数時間前から作業開始する必要がある。また走行終了後も石炭ガラの廃棄などの作業が必要。
*電気機関車やディーゼル機関車の場合1人でも運転可能であるが、蒸気機関車の運転には、走行操作をする[[動力車操縦者|機関士]]とボイラーに水や石炭を送る操作をする[[火夫|機関助士]]の2人が必要となるため、2倍の人員を必要とする。後年自動給炭が可能なものも登場したが、機関助士の乗務を不要とするには至っていない。なお、燃料を石油だけにすれば1人でも運転可能ということにはなるが、他の欠点を補えるわけではないので、そのような時代が来る前に電気機関車・ディーゼル機関車の時代になった。
*高温を発するボイラーを稼動させるために、[[運転士]](機関士、機関助士)が過酷な労働を強いられる<ref>[[#萩原1977|(萩原1977) p.173]]</ref>。とりわけ夏季の高温環境における石炭投入などの重労働、冬季の寒気や雪の吹きさらしによる肉体的負担が挙げられる。
*前方視界が悪い。構造上大型のボイラーを前方に配置せざるを得ず、結果線路上の障害物や軌道の損傷の発見も遅れて、大事故に結びつきやすい。
*性能が条件により変化し、一定しない(燃料の発熱量、タンク機関車の場合は燃料と水の使用に伴う[[軸重]]の変化も影響する<ref group="注釈">ディーゼル機関車も燃料消費で軽くはなるが、水を大量に消費する蒸気機関車ほどは大きく変動はしない。</ref>)。
<!--
*急激な出力の調整が困難。出力を減らすには蒸気を排気すれば比較的容易であるが、再度出力上がるためには時間が必要。
--><!-- ボイラ圧と出力を混同しているのでは? -->
*大量の煤煙・ガスを排出するのでトンネルでは窓を開けられない(この関係で山国では早くから電化が進んでいることが多い)<ref>[[#萩原1977|(萩原1977) p.172]]</ref>。
*有害な煤煙・ガスを排出し、運転士、乗客、沿線住民いずれにとっても深刻な問題となった。
<!--
さらに[[大気汚染]]や[[酸性雨]]をもたらしたり、石炭は[[化石燃料]]なのでこれが燃焼することで[[地球温暖化]]の問題に繋がっている。
--><!--化石燃料を燃やすのはディーゼルも電気も同じ。程度問題で、この表現は疑問-->
*煙の火の粉が線路周囲の森林や草・家屋などに燃え移ることにより、時として火災を発生させる。藁葺きや木の屋根が普通であった時代には火災が多発し、これによる[[鉄道と政治#鉄道忌避伝説|鉄道忌避伝説]]もある。
*保守に手がかかる<ref group="注釈" name="seibi" />。
**摩耗部分が多く、日本の場合約39万km走るとオーバーホールしていた(同時期の電車や電気機関車は80万kmほどでオーバーホール)<ref>[[#萩原1977|(萩原1977) p.173]]</ref>。
**摩耗部分が多い。
**ボイラー部などの熱・高圧疲労・耐用年数による老朽化。
**水垢の蓄積。
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*設計上逆向き運転が考慮されておらず、[[転車台]]・[[デルタ線]]・[[ループ線]]など方向転換のための設備を必要とする。ただし、後年には[[国鉄C11形蒸気機関車|C11形]]や[[国鉄C56形蒸気機関車|C56形]]など逆向き運転が容易な形式も出現した。また、石油だけを燃料とするなら必ずしも運転席をボイラーと炭水車との間に設ける必要はないので、理論的には逆向き運転も容易になる。
 
こうした理由で、ディーゼル機関車の発展が早かった米国では1930年代頃から蒸気機関車に挑戦するようになり、1946年の調査では、蒸気機関車が得意な特急牽引(蒸気機関車は低速だと全力が出せない)の仕事でさえ、NYCのナイヤガラ特急牽引機で比較した結果、初期コストと運用コストのいずれにおいても蒸気機関車と(電気式)ディーゼル機関車がほぼ同じ経済性とされるほどになっていた。1950年代に至っては、大半の鉄道会社がゼネラルモーターズ(GM)やゼネラルエレクトリック(GE)のディーゼル機関車に置き替えていた<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.436-437]]</ref>。
電気機関車・ディーゼル機関車は当初性能面における信頼性が低く、そのため蒸気機関車が日本では[[昭和]]後期まで使用されていたが、<!--1950年代には既に充分な信頼性を持つディーゼルや電気機関車が製造されていたと思いますが、如何? 蒸気機関車が遅くまで残ったのは他に理由があるのではありませんか?-->以上のように欠点が多いため国鉄は「[[動力近代化計画]]」として[[1960年]](昭和35年)の会計年度より蒸気機関車を15年で全廃する計画を立て、[[鉄道の電化|電化]]やディーゼル化を推進した。そして[[梅小路蒸気機関車館]]に保存された車両を除き、予定通り[[1975年]](昭和50年)の年度末となる[[1976年]](昭和51年)3月に完了させた。
 
フランスでは技師たちの努力により、個々の性能ではディーゼル機関車どころか、1952年にパリ~リヨン間の電化区間で主力になる予定だった電気機関車(パリ・オルレアン鉄道から引き継いだ機関車の改良型、3900馬力)よりも大馬力の蒸気機関車まで存在した。しかし電化の方が将来性があるとして、1948年から蒸気機関車新造を打ち切っており、これ以後は改造機もほどんどない<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.370・374-375]]</ref>。
 
電気機関車・ディーゼル機関車は当初性能面における信頼性が低く、そのため蒸気機関車が日本でも新造[[昭和]]後期1948年のE10か改造名義だが実質新規製造のC62(1949年)まで使用されていたが<!--1950年代従輪の付け替え程度の改造充分な信頼性を持つディーゼルや電気機関車が製造されとどめていたと思いますが、如何? 蒸気機関車が遅くまで残った。そは他に理由があるのではありませんか?-->以上のように欠点が多いため国鉄は「[[動力近代化計画]]」として[[1960年]](昭和35年)の会計年度より蒸気機関車を15年で全廃する計画を立て、[[鉄道の電化|電化]]やディーゼル化を推進した。そして[[梅小路蒸気機関車館]]に保存された車両を除き、予定通り[[1975年]](昭和50年)の年度末となる[[1976年]](昭和51年)3月に完了させた<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.274-275]]</ref>
 
ドイツでも戦後量産されたのは、3000両以上ある[[プロイセン邦有鉄道P8型蒸気機関車|プロイセンP8型]]の置き換え用として戦前に計画された、2-6-2プレイリーの23形だけであり、1959年末の製造終了をもって、ドイツ国鉄(DB)における蒸気機関車の新造は打ち切られた(東ドイツのDRでは改造機も含めるともう少し製造を行っており、ベルリンの壁崩壊まで残存の機関車もいた。)<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.299-304]]</ref>。
 
イギリスは、先進国の中では最も長く蒸気機関車の製造を続けており、1950年代にも完全新設計の機関車が新造されていたが、イギリス国鉄(BR)は1960年の貨物用2-10-0イブニングスターを最後に蒸気機関車の製造を打ち切り、1968年には蒸気機関車の商業運航を打ち切った<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.338-342]]</ref>。
<!--電気機関車はかなり初期から蒸機より高性能と分かり切っていて地上設備コストの関係で広まらなかっただけなのでここで比較するのは違うような気が。-->
 
== 蒸気機関車の分類 ==
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:: TE-3型ディーゼル機関車を改造する予定であり、1970年代には超広軌の巨大な機関車が計画された。
:; 旧[[西ドイツ]]
:: V200ディーゼル機関車を2両連結に改造する予定であった。
:; [[日本]]
:: 昭和30年代に[[鉄道技術研究所]]により、AH101という形式が計画された(形式のAはAtomicの略であると思われる)。
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:
; 水管式
: 火室に伝熱管を設け、火室で発生した熱エネルギーを直接この管に伝え、その中に通された水を沸騰させることで高温高圧の蒸気を得る。煙管式と比較して熱効率や始動性に優れ、高圧化が容易という特徴があり、鉄道車両では100気圧程度のボイラー圧力を実現したものも存在した。ただし煙管式と比較して保持する水量が少なく応答が鋭敏な分、適切な出力を安定的に得るには燃料や水の供給、燃焼の制御を高精度に行う必要があり、また振動に弱く高圧がかかる水管や補機の保守が難しいという問題を抱えている。このため、大きな振動が発生するレシプロ式の駆動系を備える蒸気機関車では、一般に普及することはなかった<ref group="注釈">振動の問題の少ない船舶では軍艦を中心に1910年代以降急速に普及した。そのため、船舶用として安定した性能を発揮していた機種を機関車用として転用することが再三に渡って試みられた。日本でも、帝国海軍の艦船用[[艦本式ボイラー]]の原型となった宮原式水管缶を機関車に搭載する事例が、1910年代中盤にいくつか存在した。しかし、レシプロ駆動系を備える鉄道車両用動力源としての水管式ボイラーは、コンパクト化が強く求められ、また軽負荷でもあった蒸気動車用を除くと、この宮原式の事例を含むほぼ全てが量産・実用段階に到達せずに終わっている。</ref>。
 
=== 火室による分類 ===
; 狭火室
: 火室の幅が線路の幅より狭く動輪間の台枠内にそのまま収めたもの。台枠設計をシンプルにできるというメリットがある他、動輪の間に置かれるので安定性もよい。車輪のバックゲージの問題から台枠の幅が狭くなる狭軌で、しかも使用炭の品質も世界的な水準から見て良好とは言い難かった日本では、大型機関車にこの方式を採用すると十分な火格子面積=火力が確保出来ず、高出力化の障害となった。それに対し、標準軌間を採用し、高発熱量かつ灰分の少ない良質炭の入手が容易であったイギリス、特に傑出した品質で知られたカーディフ炭を産出するウェールズ地方が沿線にあった[[グレート・ウェスタン鉄道]]などでは、狭火室でも他鉄道における広火室に匹敵するかこれを凌駕する性能が得られたことから、この方式を蒸気機関車時代の最後まで採用しているほか、フランスでは火床前方に急に傾斜させて石炭が奥の方まで崩れ落ちるようにして、狭火室だが前後の長さを取ることで火格子面積を確保した240形([[フランス国鉄240P型蒸気機関車]])の例がある<ref>[[#齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN|(齋藤2007) 978-4-7571-4151-3、P357。p.357]]</ref>。
; 広火室
: 火室の幅を線路の幅より広くした、近代の大型機では一般的な方式である。広い火格子面積を確保出来るため、特に低品質炭を常用せざるを得ない各国・各鉄道で蒸気機関車の出力向上に大きく貢献した。なお、そのまま火室の幅を広げると動輪が邪魔になるので、通常は以下の4つの手法を取られる。
* 後方2つの動輪の間をあけて火室を落とし込む方式。
* 動輪の上に火室をそのまま上乗せで配置する方式。
* 動輪の後ろで台枠を拡幅してこれを支える従台車を置き、そこに火室を配置する方式。
* 火室を動輪の後ろに突き出すが支えないでオーバーハング状態にする方式。
: 1~3番目の方法は日本では同時に別々の国に発注した[[国鉄88005830形蒸気機関車|88005830形]]が1番目<!--8800は狭火室でした、すみません。-->、[[国鉄8850形蒸気機関車|8850形]]が2番目、[[国鉄8900形蒸気機関車|8900形]]が3番目にそれぞれ該当するがそれぞれ、1番目は「動輪のホイールベースが伸びて曲線通過の悪影響やサイドロッドの重量がかさむ」、2番目は「重心が上がり、特に大動輪の機関車では安定性が悪くなる。」、3番目は「全長が長くなる。また、列車牽き出し時の後方への重心移動により、本来は動輪にかかるべき荷重が従輪にかかるようになるため、特に列車出発時に空転が生じやすくなる。」といった一長一短な要素を持っている。なお4番目のオーバーハングさせる方式は速度を上げるとピッチングが激しくなる<ref>[[#齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN|(齋藤2007) 978-4-7571-4151-3、P67p.67]]</ref>ため、日本では採用されてない<ref group="注釈">外国では入替機関車([[:en:USRA 0-6-0|英語:USRA 0-6-0]]など)などに使われたことがある。</ref>。
:; 燃焼室の設置
:: 本来は19世紀の米国で石炭から出るガスと空気をよく混ぜて燃やそう<ref group="注釈">この時代は火室のレンガアーチもまだなく、炎はそのまま煙管に向かって伸びていた。</ref>という発想で設けられた仕組みなのでこの名前だが、当時の小さく短いボイラーでは伝熱面積の減少による悪影響の方が大きく、火の粉が逆に出やすくなって一度は廃れ、20世紀になってボイラー大型化に伴う通風の悪化の改善のため復活したものである<ref>[[#齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN|(齋藤2007) 978-4-7571-4151-3、P108p.108-109]]</ref>。
::蒸気機関車の燃料として最も望ましい[[瀝青炭]]の燃焼時の炎は長く、火室内では収まりきらないので、火室前方に副室を設けこれを燃焼室と呼んだ。燃焼室を設けることにより高温の炎からの輻射熱を十分に吸収でき、効率が向上した。また、燃焼時間が長くなったことにより煤煙の発生が減少し、煙管の詰まりも防がれた。日本の国鉄では[[8200形]]製造時に導入のチャンスがあり、またメーカー側も推奨していたにもかかわらず、ドイツ流の長煙管設計に固執したため採用が著しく遅れ、戦時設計で極限性能発揮が求められた[[D52形]]でようやく採用された。外見から燃焼室の有無を知るには火室の前方にも洗口栓があるかどうかを調べればよい。
:
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:: ベルギーの鉄道技術者、A・ベルペヤが考案した火室形状で、内火室と外火室の形状を相似形にしているため、内火室を支えるステイの形状を単純にでき、缶水の循環が良く水垢の付着が少ないという利点を持つ。上部が角張った形状が特徴であるが、円筒形の煙管部との接合工作が難しいという欠点がある。
:; 台形火室
:: 上から見ると火床が台形(前部は狭く動輪の間に収まるが、後部は広火室。)。重い火室を少しでも前に持っていくことで走行を安定させ重量牽引時の軸重移動を抑える。フランスで使用されていた<ref>[[#齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN|(齋藤2007) 978-4-7571-4151-3、P204p.204-205]]</ref>。
:; ウーテン火室
:: 広火室の一種で、外見上は下部が大きく広がっているのが特徴である。泥炭など質の悪い石炭を燃焼させるためにアメリカで考案されたもので、日本では[[日本鉄道]]が質の悪い常磐炭を使用するために、一部の形式で採用した。
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*宇佐美式 : [[国鉄C57形蒸気機関車|C57形]]で試用。自動可変リード弁の一種。
*マーシャル式(ヴィンターツール形、コッペル形)
*[[グレズリー式連動弁装置|グレズリー式]]:3シリンダ式機関車の中央シリンダ用に使用される方式で、左右の弁装置の動きをてこで合成することで、中央シリンダの弁装置を作動させる。
*[[ワルシャート式弁装置|ワルシャート式]](ヘルムホルツ形、ホイジンガー形):近代の大型蒸気機関車のほとんどがこの方式で、動作機構が全て動輪の外側にあるため、整備性が良い。
 
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: [[ギアードロコ]]ではV形配置のものも見られる。
; 3気筒・4気筒
: 国鉄では[[国鉄C52形蒸気機関車|C52形]]・[[国鉄C53形蒸気機関車|C53形]]が3気筒である。頻繁な点検や注油などを要する複雑な弁装置を車輪間に設置するのを回避する目的で、左右の弁装置の作用を合成、あるいはロッカーアームなどで位相変換して車輪間のシリンダーへの蒸気圧供給を制御させる、特別な弁装置を搭載するケースが多い。そのため動軸を複雑かつ工作精度の維持の難しいクランク軸とする必要があるなど、概して2気筒機関車に比べ構造が複雑で整備性が悪く、特に車輪の間のシリンダーに手を入れにくい(原則、線路間にピットを設けてこの中に人が入って下から修理する<ref group="注釈">インドネシア国鉄C53(4気筒)のように先輪と動輪の間を離して、ピットがなくてもこの間に入って内側シリンダーを整備できるようにしたものもある。[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.81-83]]</ref>)ため長距離を走るアメリカでは外部から点検困難なことから嫌われ、1920年代に機関車の大型化で一時アルコ社が前方から整備ができるグレズリー連動弁装置を使った3気筒を製造したこともあったが、すぐにライマ社の2気筒シンプルで大型の火室を使う方式が主流になり廃れている<ref>[[#齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN|(齋藤2007) 978-4-7571-4151-3、P383p.383]]</ref>。日本の3気筒もアメリカを手本にしていたのだが本国以上に定着せず、満鉄向けのミカニと国内向けのC52を20年代半ばにアルコ社から輸入後、ミカニ(増備分)とC53を30年代初頭まで製造していたが、その後は3気筒後継形式は生まれないまま終わっている<ref>[[#齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN|(齋藤2007) 978-4-7571-4151-3、P252p.252-259・383・394-395]]<br/ref><ref group="注釈">なお、この米国で使用された3気筒はグレズリー連動によるも装置は左右シリンダーからてで中央シリンダー方法ならば吸排気を操作するので下にもぐらなくても前方から整備できたうえ、ロッド・クランク横のバルブギアを省略できる(普通は個々のシリンダーに1つつつけるが、この方式はレバーで左右のバルブが中央シリンダーを操作する。)のでこまめな整備をしていれば狭軌でも使いやすい物だった同書P168[[蒸気機関車#齋藤2007|(齋藤2007) p.168-169・253)、253]])。日本で3気筒がはやらなかった理由について「狭軌だから」という文献が多いが標準機で強度も大きい満鉄でも廃れたクランク軸の折損事故を起とからわしていた(『満州鉄道発達史』高木宏之 著、株式会社潮書房光人社、2012年、ISBN 978-4-7698-1524-2、P139)他、イギリスでもグレズリー弁式の3シリンダー機では戦時中は整備が行き届るよう理由はそレバーのボールベアリングが擦り減り、ガタが生じた結果中央シリンダーが触だけではないすぎてクランク車軸を痛めることがあった[[蒸気機関車#齋藤2007|(齋藤2007) p.258]]</ref>。
: その一方で、これらの方式はメインロッドを3本あるいは4本とすることで各シリンダーの位相をそれぞれ120°あるいは90°ずつずらし、[[ハンマーブロー|ハンマー・ブロー現象]]を抑えることができ、またシリンダーの排気も1/3ないしは1/4周期で順番に行われるため、ボイラー煙管内の強制通風が均等かつ円滑に行われて燃焼効率が改善される、といった利点がある<ref group="注釈">特に4気筒の場合は左右の動輪を挟んだシリンダーを2基ずつペアとした複式として設計することで、蒸気を有効に利用出来る。そのため、ドイツ国鉄18.6形のようにボイラー性能さえ十分ならば、自重やサイズが1ランク上の単式2気筒機(01形)に匹敵するかこれを上回る性能を実現することも不可能ではない。</ref>。もっとも日本のC53形はこの機構に対する十分な理解のないままに設計が行われた結果、発車時のロッドの位置によっては発車不能になることがあり、問題視された。
: これに対し、標準軌間を採用する各国、特にフランス・ドイツ・イギリスの32か国では、燃費の改善や強力化の手段<ref group="注釈">例えば車両限界の制約が大きく単式のまま左右のシリンダーを大直径とすると各駅のホームに抵触する恐れがあったイギリスでは単式3・4気筒機の導入例が多く、自国の石炭資源産出量やその品質などの問題から特に燃費に神経質であったフランスでは複雑精緻な複式4気筒機が積極的に導入されている。</ref>として3・4気筒機が積極的に導入されている。
: ドイツは帝国統一以前はバイエルンなどの南部で複式3~4気筒式も使用されていたが、統一後は過熱器の発明もあって単式2気筒の方が整備性に良いと一時はこれのみを製造していた時期もあったが、時速160㎞を超えるような高速になると振動が大きくなる(アメリカはこれをレシプロマスの軽量化とハンマーブローに耐える頑丈な軌条を設けることで防いでいた。)ので単式のまま3気筒の1930年代後半に製造しているが、二次大戦と重なったためそれほど多くは製造されてない(01<sup>10</sup>型が55両、03<sup>10</sup>型が60両。)<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.279-291]]</ref>。
: 3気筒と4気筒それぞれのメリットとデメリットは、4気筒は外側シリンダーと対にできるので小型のレバーを使って外側のバルブで内側を駆動でき<ref group="注釈">3気筒でもグレズリーバルブギアが外側のバルブで内側を駆動するが、こちらはかなり神経質な機構だった。</ref>バルブギアを2気筒と同じ2つで済ませられるが、機関車の出力が上がるとクランク車軸がゆがみやすくなる(車軸にクランクが2つあり強度が落ちる)というものがあり、大馬力高速運転には3気筒の方がクランクウェブの厚みが取れ(フランスのシャプロンの計算では4気筒が1000馬力×4付近が上限、3気筒は2000馬力×3ぐらいまで可能性があるした。)、トルク変動も2・4気筒が1回転に4回なのに対し3気筒は6回に分散するためトルクのむらが少なく有利という違いがある<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) 「第4章 回転数アップ」P.50-56・60-62]]</ref>。
: 変則的なパターンにアメリカのボークレーン社が複式による燃費向上と内側シリンダーによる整備性悪化を防ぐことを両立するため、シリンダーを全部外側につけた4気筒式(通常のシリンダーの位置に上下に高圧と低圧シリンダーを並べる構造)が存在したが、こちらは動きが2気筒と同じなので振動減衰に役立たない<ref group="注釈">前述の振動を抑える3・4気筒はどちらも内側と外側のシリンダーで動きをずらしてロッドが逆の位置で動くことで重心移動による振動が小さくなるだけで、気筒を増やしても一斉に同じ方向に動いているのでは重心が動き、振動は減衰しない。</ref>どころか、シリンダーやロッドの数が増えた分駆動系の重量が増加して逆に振動を増加させており、燃費向上のメリットを差し引いてもうまみが薄くボークレーン社も過熱器が導入され始めると製造を打ち切っている<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) P.72-74]]</ref>。
: 気筒数がさらに多い機関車では、フランスで低速走行時の経済性を改良するために1940年に作られた160.A.1.型の「6気筒」というものがある(第一動輪と先輪の間に低圧シリンダーが横並びに4つ、高圧シリンダーが第3・第4動輪の内側に2つ)が、1両のみの試作に終わっている<ref>[[#ロス2007|(ロス2007) p.187]]</ref>。
<!--: 碓氷峠で使用されたアプト式機関車は、動輪用の駆動装置の他に歯車用の駆動装置を別に備えており、4気筒式であった。--><!--これは通常の4気筒機とは意味合いが異なります-->
: ギアードロコでは、ボイラー脇にシリンダーを垂直にむき出しに並べた、インライン(直列)配置が一般的で、整備性の問題がないことからこのタイプの3気筒は特例的にアメリカでも使用され続けた。
323 ⟶ 351行目:
; 複式(2段膨張式)
: 単式に対して、一度使用した蒸気を、もう一度別のシリンダに送り込んで再使用するのが[[複式機関|複式]]である。一度使用した蒸気は圧力が下がるので、1次側(高圧)のシリンダより2次側(低圧)のシリンダの方が径が大きくなる。スイス人の[[アナトール・マレー]]が[[1874年]]に特許を取得し、[[1876年]]に実用化に成功した。<!--これそのものはいわゆるマレー式関節形機関車の開発とは別です。-->
: 複式には種々の方式があり、左右のシリンダをそれぞれ高圧・低圧とした2シリンダ式、フレーム外部と内部に高圧と低圧のシリンダー(どちらがどちらになるかは車両による)3・4シリンダ式、左右のシリンダそれぞれに高圧・低圧のシリンダを装備した4シリンダ式、高圧・低圧の2組の走り装置を有するマレー式([[#関節式機関車|後述]])などがある。日本においては、[[山陽鉄道]]が4シリンダ複式(ボークレイン複式)を積極的に導入したほか、明治時代末期に国有鉄道がマレー式を一時大量輸入した程度で、他にはほとんど普及しなかったが、[[1893年]]に官設鉄道神戸工場で製作された国産第1号機関車([[国鉄860形蒸気機関車|860形]])が2シリンダ複式(ワースデル複式)であったのは特筆される。
; 復水式
:{{Main|復水式蒸気機関車}}
350 ⟶ 378行目:
; [[マレー式機関車|マレー式]]
: ボイラーの下に2組の走り装置を設けた方式。後部動力台車はボイラーに固定されていて、高圧蒸気の供給を受けてシリンダーを駆動し、その排気を左右に首を振れる前部動力台車に送って径の大きな低圧シリンダーを再度駆動する[[#使用済み蒸気による分類|複式機関車]]である。
: なお、製作者のアナトール・マレーの関節式にした意図は、これ以前に作った複式機関車で起きた出力の違うシリンダーで別々の車輪を駆動することによって起きた高速での不安定化を防止するためであり、出力強化や曲線通過の容易化は副次的なものであった<ref>[[#近藤2007|(近藤2007) p.206-207]]</ref>。
; [[単式膨張型関節式蒸気機関車|単式膨張型関節式]](単式マレー式)
: 日本にはない形式で、アメリカのsimple expansion articulated engine の訳語である本来前述のマレー式は複式では前部が低圧シリンダーのため関節部に蒸気を送これは容易な反面、シリンダーが大型になりすぎ車両限界に接触したり重量過大を招いたため、前部・後部のシリンダーが同径で、同じ圧力の高圧蒸気が同時に供給される単式機関車なっいる考案された<ref>[[#近藤2007|(近藤2007) p.207-208]]</ref>
; [[ガーラット式蒸気機関車|ガーラット式]]
: 2組の走り装置を別々の車体に設け、その両車の間に跨ってボイラーを搭載した主台枠が首振り構造で載る方式。
; [[フェアリー式蒸気機関車|フェアリー式]]
400 ⟶ 429行目:
=== アメリカ合衆国 ===
 
*[[ユニオン・パシフィック鉄道3985蒸気機関車]](チャレンジャー)
*[[ユニオン・パシフィック鉄道4000形蒸気機関車]](ビッグボーイ)
*[[ユニオン・パシフィック鉄道800形蒸気機関車]](FEF)
*[[チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道H8形蒸気機関車|チェサピーク&オハイオ鉄道H8形蒸気機関車]](アレゲニー)
*[[ノーフォーク・アンド・ウエスタン鉄道Jクラス蒸気機関車|ノーフォーク&ウエスタン鉄道Jクラス蒸気機関車]]
*[[ニューヨークセントラル鉄道Jクラス蒸気機関車|ニューヨーク・セントラル鉄道J形蒸気機関車]](ハドソン)
*[[ニューヨークセントラル鉄道Sクラス蒸気機関車|ニューヨーク・セントラル鉄道S形蒸気機関車]](ナイアガラ)
*[[USRA 0-6-0]]
*[[USRA 0-8-0]]
419 ⟶ 448行目:
*[[USRA 2-6-6-2]]
*[[USRA 2-8-8-2]]
*[[サザ・パルベニアフィック鉄道KクラスGS-4形蒸気機関車]]
*[[サザフィックルバニア鉄道GS-4K4s形蒸気機関車]]
*[[ペンシルバニア鉄道T1蒸気機関車]]
*[[アメリカ陸軍輸送部隊S160型蒸気機関車|アメリカ陸軍輸送部隊S160形蒸気機関車]]
*[[ティムケン1111]]
 
=== イギリス ===
[[File:Number 4468 Mallard in York.jpg|thumb|[[LNERクラス A4蒸気機関車4468号機 マラード]]]]
*[[グレート・ウェスタン鉄道1000蒸気機関車]](カウンティ
*[[グレート・ウェスタン鉄道2900蒸気機関車]](セイント
*[[グレート・ウェスタン鉄道3252蒸気機関車]](デューク
*[[グレート・ウェスタン鉄道3300蒸気機関車]](ブルドッグ
*[[グレート・ウェスタン鉄道3700蒸気機関車]](シティ
*[[グレート・ウェスタン鉄道4000蒸気機関車]](スター
*[[グレート・ウェスタン鉄道4073蒸気機関車]](キャッスル
*[[グレート・ウェスタン鉄道4120蒸気機関車]](アタバラ
*[[グレート・ウェスタン鉄道4300蒸気機関車]]
*[[グレート・ウェスタン鉄道4900蒸気機関車]](ホール
*[[グレート・ウェスタン鉄道6000蒸気機関車]](キング
*[[グレート・ウェスタン鉄道6959蒸気機関車]](ホール改型
*[[LNERクラス A1/形・A3蒸気機関車]]
*[[LNERクラス A4蒸気機関車4468 マラード]]
*[[サザン鉄道V蒸気機関車]](スクールズ級)
 
=== ドイツ ===
493 ⟶ 522行目:
イギリスでは数々の先進技術を導入した最高速度200km/hの[[5AT先進技術蒸気機関車]]の計画が進められていたが、2012年に資金難で中止された。
 
== ==
<references group="注釈"/>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書| author = 萩原政男、編| title = 学研の図鑑 機関車・電車| publisher = 株式会社学習研究社|| date = 1977年|edition=改訂版| ref = 萩原1977}}
*{{cite book | 和書
*{{cite book | 和書| author = [[久保田博]]| title = 日本の鉄道史セミナー| publisher = [[グランプリ出版]]| date = 2005年5月18日| edition = 初版| isbn = 4-87687-271-6| ref = 久保田 (2005)}}
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*{{Cite journal|和書| author = 齋藤晃| title = 蒸気機関車200年史| publisher = NTT出版|| isbn = 978-4-7571-4151-3| date = 2007年| ref = 齋藤2007}}
| title = 日本の鉄道史セミナー
* {{Cite journal|和書| author = 近藤喜代太郎| title = アメリカの鉄道史―SLが作った国―| publisher = 成山堂書店|| isbn = 978-425-96131-3| date = 2007年| ref = 近藤2007}}
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*{{Cite book|和書| author = デイビット・ロス| translator = 小池滋・和久田康雄| title = 世界鉄道百科事典| publisher = 悠書館| isbn = 978-4-903487-03-8| ref = ロス2007}}
| date = 2005年5月18日
* {{Cite journal|和書| author = ジョン・ウェストウッド| translator = 青木栄一、菅建彦 | title = 世界の鉄道の歴史図鑑 <small>蒸気機関車から超高速列車までの200年 ビジュアル版 </small>| publisher = 柊風舎|| isbn = 978-4-903530-39-0| date = 2010年9月| ref = ウェストウッド2010}}
| edition = 初版
| isbn = 4-87687-271-6
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}}
*{{Cite book|和書|author=川辺謙一 |title=鉄道車両メカニズム図鑑 |year=2012 |publisher=学研 |isbn=978-4-05-405338-0}}
* {{Cite journal|和書| author = 齋藤晃| title = 蒸気機関車の技術史 (改訂増補版)  (交通ブックス117)| publisher = 成山堂書店|| isbn = 978-4425761623| date = 2018年| ref = 齋藤2018}}
 
== 関連項目 ==
{{commonscat|Steam locomotives}}
 
=== 蒸気機関車の形・車両 ===
*[[国鉄機関車の車両形式]]
*[[ギアードロコ]]
554 ⟶ 582行目:
 
{{DEFAULTSORT:しようききかんしや}}
 
[[Category:蒸気機関車|*]]
[[Category:鉄道技術史]]