「九九式短小銃」の版間の差分
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| 名称 = 九九式短小銃・九九式小銃
| 種類 = [[小銃]]
| 製造国 = {{
| 設計・製造 = {{IJARMY}}
| 年代 =
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== 概要 ==
[[File:Japanese soldier of the Imperial Japanese Army.jpg|
本銃は[[1900年代]]末以降、長らく帝国陸軍の主力小銃であった[[三八式歩兵銃]](三八式小銃)の後継として開発・採用された。三八式歩兵銃との改善点は以下の通りとなる。
* 弾薬を[[九九式軽機関銃]]と共通化([[九二式重機関銃]]とも一方的ながら共通化)
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一方で、長銃身・小口径弾ゆえに反動が小さい三八式歩兵銃に比べ、短銃身・大口径弾ゆえに反動が大きい九九式短小銃は、命中率が低下しやすく、この点から新型小銃は改悪と評価される場合もあった。反動の増大と命中精度の低下の対策として、[[九七式狙撃銃]]で採用されていた他国にあまり例をみない[[単脚]]が装備されているが、これが有用であったという使用者の証言は少ない。また、大戦末期には国力の低下から小銃に限らず粗製品が生産されたため、その末期型九九式短小銃に関しては本来の性能は期待できなかったという。太平洋の密林において頻発したごく近距離での戦闘では米軍が広く配備した[[半自動小銃]]である[[M1ガーランド]]、半自動[[カービン]](騎銃・騎兵銃)の[[U.S.M1カービン|M1カービン]]に撃ち負ける場面がしばしばみられた。本銃の半自動小銃化も計画され試作品も完成していたが、弾薬消費が補給(国力)の限界を超えることと支那事変の戦線拡大により見送られている。
=== 名称 ===
[[File:Arisaka Type 99 full.jpg|
本銃には大きく分けて短銃身型と長銃身型があるが、あくまで制式においては一貫して長銃身型を「'''九九式小銃'''」、短銃身型を「'''九九式短小銃'''」と称し厳密に区別されている。また、いわゆる長銃身型をさす「''九九式長小銃''」の呼称は俗称であり、これは制式名称ではない。なお、本銃の[[狙撃銃]]型として、[[九九式狙撃銃]](九九式小銃ベース)と[[九九式短狙撃銃]](九九式短小銃ベース)が存在するが、これらも制式において「小銃(狙撃銃)」と「短小銃(短狙撃銃)」は区別されている。
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== 7.7mm口径化の経緯 ==
[[File:Arisaka rifle family.jpg|
[[日露戦争]]終戦後(同戦争における主力小銃は[[三十年式歩兵銃]])、日本軍では三八式歩兵銃を主力小銃として使用していたが、歩兵戦術が[[機関銃]]([[重機関銃]]・[[軽機関銃]])中心へ急速に移行すると、歩兵銃弾と機関銃弾の銃弾の共通化、弾薬補給効率の向上が緊急の研究課題となり、三八式歩兵銃を基にして何種類かの大口径小銃が試作された。のちに7.7mm弾([[九二式普通実包|九二式実包]])を使用する新型[[重機関銃]]たる[[九二式重機関銃]]が実用化されると、弾薬の[[補給]]面からこの7.7mm弾を使用できる事が要求に組み込まれた。
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なお、このような小火器を用いた対空射撃戦術は日本陸軍では'''全力射撃'''と呼ばれ、機関銃1挺よりも小銃20挺の一斉射撃の方がより命中率が高まるという理論に基づいていた。同様の戦術が[[クァンガイ陸軍中学]]等の旧日本陸軍関係者がベトナム兵への戦術指導に当たった教導施設にて[[北ベトナム軍]]([[ベトミン]]、[[ベトコン]])の正規戦術として取り入れられ<ref>井川一久『日越関係発展の方途を探る研究 ヴェトナム独立戦争参加日本人―その実態と日越両国にとっての歴史的意味―』2006年、[[日本財団]]、42頁 </ref>、[[インドシナ戦争]]や[[ベトナム戦争]]([[アプバクの戦い]]などが著名)にて、[[爆撃]]・[[偵察]]などで低空に侵入した多数の航空機や[[ヘリコプター]]に[[AK-47]]などの対空射撃で損傷・撃墜の被害を与えている。小銃による対空射撃は操縦者の士気に与える影響も少なくなく<ref>ポール・T. ギルクリスト「空母パイロット (新戦史シリーズ)」1992年、[[朝日ソノラマ]]</ref>、戦略上も操縦者のみならず、爆撃者や偵察者などの養成に費用と労力の掛かる要員を無為に消耗する結果を招くこととなるため、[[F/A-18 (航空機)|F/A-18]]等の現代の航空機に至るまでこうした射撃への対策設計が取り入れられる<ref>オア・ケリー「F/A-18の秘密 (新戦史シリーズ)」1992年、朝日ソノラマ</ref>等の影響を残し続けている。
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File:Arisaka Type 99 boltunlocked.jpg|機関部
File:Arisaka Type 99 rifling.jpg|腔線
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== 使用弾薬 ==
[[File:7.7 x 58mm JAP.JPG|thumb|right|
[[File:Arisaka Type 99 bolt.jpg|
当初、「無起縁式にした[[九二式普通実包]]」(後の九七式実包)を使用できるように開発が進められていたが、高威力過ぎて小銃弾としては不向きであった。[[九七式普通実包|九七式実包]]での試験を重ねた後、新たに開発した九九式普通実包を主用銃弾とすることで決定した。これにより補給効率向上を目指した銃弾の互換性は、小銃弾を[[機関銃]]弾として使用する一方的なものに留まった。1930年代後期、成人男性の平均身長が160cm強程度であった小柄な日本人が使用する小銃としては、減装弾であっても威力過大だったともされる。
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[[ルバング島]]で30年間身を潜めていた[[小野田寛郎]][[予備役|予備]][[少尉|陸軍少尉]]が手にしていた小銃としても知られる。この際、弾薬は島内に遺棄されていた[[戦闘機]]から引き上げた7.7x58SR機関銃弾(薬莢が九二式実包と同様の半起縁型で交換の必要あり)を改造して使用していた。
== 派生型
=== 九九式小銃 ===
俗に'''九九式長小銃'''とも呼ばれる。「歩兵銃」として開発・生産されたが、実際の全長は前身の三八式歩兵銃よりも若干短い。九九式の系列全体から見ると、生産は少数にとどまる。
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: [[1942年]](昭和17年)から[[1943年]](昭和18年)にかけて生産された。対空表尺、単脚を省略。現役時代に三八式歩兵銃で訓練した[[予備役]]兵が[[召集]]されて九九式を射撃した際、反動の強さに驚いたとされる。
; 後期型・末期型
:[[File:Arisaka Type 99 boltlocked.jpg|
: [[1944年]](昭和19年)から[[1945年]](昭和20年)にかけて生産されたもので、生産数は最多。品質について、後期型自体は材質・生産方等基本の作りは保たれていたが、末期型の中でも最末期生産のものは極度に低下している。末期型には表尺がなく固定照準のみで、敵対距離に応じて[[仰角]]を変えることはできない。また上部ハンドガードや銃床のプレートは省略され、中には着剣装置も省略されている物もある。
: 末期型は部品精度が落ちているためネジの締まりが悪く、部品脱落が多かったほか、不発や暴発事故も報告されている。木材加工も工期短縮のために銃床の長さは狩猟用ライフル並に短縮され、未乾燥処理で荒削り、ニス塗装もしていないものやニスの代わりに[[漆]]を塗ったものもあった。
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== 主力装備として採用された主な国、組織 ==
*日本(陸海軍~[[警察予備隊]]~[[保安隊]]~[[自衛隊]])
*[[大韓民国国軍|韓国軍]](前身の朝鮮国防警備隊)
*中国[[紅軍]]、のち[[中国人民解放軍]]
*[[朝鮮人民軍]]
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=== 映画・テレビドラマ ===
=== 漫画・アニメ ===
=== 小説 ===
=== ゲーム ===
== 脚注 ==
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