「政党制」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
Hope and Lightning (会話 | 投稿記録) |
||
(同じ利用者による、間の18版が非表示) | |||
1行目:
{{政党政治}}
'''政党制'''(せいとうせい)とは、ある[[
== 政党制の類型 ==
8行目:
このような三分法にもとづく政党制理解では、一党制は独裁を、多党制は混乱をもたらすとみなされた。二党制の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]と[[イギリス]]がもっとも優れているとされた。
1970年代以後の研究は、
=== サルトーリの政党制類型 ===
15行目:
サルトーリの分割法は、うまく機能する民主主義として'''二大政党制'''と'''穏健な多党制'''を取り出した。二大政党制に入れられたのは、イギリス系の[[アングロ・サクソン人|アングロサクソン]]諸国である。穏健な多党制に入れられたのは、[[ドイツ]]のほかに、[[ベネルクス]]三国や[[スカンディナヴィア]]三国などがある。これらの政党制は、イデオロギーの差異が小さいことが共通の特徴である。
またサルトーリは、[[民主主義]]ではある
サルトーリの念頭にあったのは、デュベルジェに対する批判ではなく、その拡張である。デュベルジェは二党制
様々な批判を受けながらも、この分類法は、[[21世紀]]初めの現在に至るまで、
* 無党制
* [[一党独裁制]]
** [[一党制]]
** [[ヘゲモニー政党制]]
**
* [[複数政党制]]
** [[一党優位政党制]]
*** 一大政党制
41 ⟶ 42行目:
まずレイプハルトは、政党制を有効議会政党数を手がかりに、2党制、2.5党制、優位政党のある多党制、優位政党のない多党制の4つに分類した。その上で2党制と2.5党制とを'''多数決型民主主義'''('''ウェストミンスター・システム・モデル''')とし、優位政党のある多党制と優位政党のない多党制とを'''合意形成型民主主義'''('''コンセンサス・システム・モデル''')とした。サルトーリの政党制との関連性は以下の通りである。
* 多数決型民主主義
** 二大ブロック制
* 合意形成型民主主義
** 一党優位政党制
** 穏健な多党制
49 ⟶ 50行目:
** 原子化政党制
そしてレイプハルトは、多くの面において合意形成型民主主義が優れているという結論を、36か国に及ぶ実証研究の中から「証明」した。レイプハルトによれば、合意形成型民主主義はイギリスに代表される多数決型民主主義
サルトーリは、このレイプハルトの合意形成型民主主義を「全くついていけない」と再反論している。
57 ⟶ 58行目:
デュベルジェは、その後の彼の論文の中で、[[フランス第五共和政]]の事例を取り上げることで、絶対多数制の選挙制度における多党制を推薦するかのような論調を採っている。またサルトーリもフランス第五共和政の[[二回投票制]]をもっとも優れた選挙制度であるという結論を留保つきながら著述している。
フランス第五共和政は、
しかし、近年の[[フランス]]では第三勢力の[[国民連合 (フランス)|国民連合]]が台頭してきているほか、イギリスや[[カナダ]]でも伝統的なトーリー・ホイッグ・レイバーが併存している状況となっているため、デュベルジェとサルトーリの想定外の事態になっているとも言えなくもない。[[1993年]]以降のイタリアにおける状況の方が想定に近いものの、サルトーリ自身は小選挙区制と比例代表制の混在している選挙制度は批判している。なお、サルトーリが母国のイタリアで分極的多党制を批判し、二大政党制への変革を求めて選挙制度の改革を推進したことは有名である。
[[日本]]の各政党や[[政治家]]も、政党制のあり方に対する支持・不支持を表明している。
== 日本の政党制 ==
[[55年体制]]下における[[日本の政党]]は長らく[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]が[[与党]]であり続けた特徴がある。サルトーリらの分析では、55年体制は典型的な一党優位制の状況であった。自由民主党の一党支配が終焉した[[1993年]]以降は[[日本共産党]]を除けば、全政党が[[政権]]に参加したことがあるという経緯からみて、戦前以来の穏健な多党制とも言える。また、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]と[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]が[[民由合併|合併]]した[[2003年]]以降は二極対決が実現し、[[2009年]]から二大政党制に移行したとも言える([[2007年]]には[[衆議院]]では自由民主党が第一党、[[参議院]]では民主党が第一党という[[ねじれ国会]]が2009年まで続いたものの、[[2012年]]から再びねじれ国会になり、[[2013年]]まで続いた)。
しかし、日本共産党におけるイデオロギーの差異から見て、ずっと分極的多党制であり続けたという議論も成り立ち、特に[[2005年]]から2009年までは顕著な傾向を示した。日本共産党を有為な政党と見るかどうかで、全体をどのように見るかが異なってしまう([[カリフォルニア大学バークレー校]]のロバート・A・スキャラピーノも同意見)。発言者の政治的思惑も絡んで、意見の一致は不可能であろう。定説はないというのが正しいとする見方も根強い。
ただし、全体としては1993年の選挙制度改革を契機に、紆余曲折を経ながらも徐々に二大政党制へ移行しつつあるという見解が最も妥当なところであろう。とはいうものの、日本の場合
2012年の[[第46回衆議院議員総選挙|第46回総選挙]]では、自由民主党・公明党が勝利し政権復帰したが、与党第一党の民主党は比例区では[[日本維新の会 (2012-2014)|日本維新の会]]に及ばず、選挙区を含め辛くも比較第二党を確保した。また、[[2013年東京都議会議員選挙]]では民主党は公明党・共産党をも下回り第四党に転落した。さらに[[第23回参議院議員通常選挙|第23回参院選]]では民主党は比例区で公明党を下回る第三党となり、選挙区議席で比較第二党を確保した。これは55年体制期にも見られなかった'''一大政党制'''の現象であり、自由民主党の一党優位制に回帰したとも言えるだけでなく、分極的多党制に至ったとも言える。
そして[[2017年]]の[[第48回衆議院議員総選挙|第48回総選挙]]では、自由民主党・[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]・[[希望の党]]と[[自公連立政権]]の一翼を担う公明党による三つ巴の三極対決が実現した。
== 冷戦後のグローバリゼーション・情報化と政党 ==
85 ⟶ 86行目:
* [[ジョヴァンニ・サルトーリ]]『現代政党学』(普及版)、[[岡沢憲芙]]・川野秀之訳、[[早稲田大学出版部]]、[[2000年]](原著:[[1976年]])。
== 関連項目 ==
* [[ウェストミンスター・システム]]
* [[合意形成]]
* [[包括政党]]
* [[政党内閣]]
|