「クロード・ヴィクトル=ペラン」の版間の差分

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'''クロード・ヴィクトル=ペラン'''(Claude Victor-Perrin、[[1764年]][[12月7日]] - [[1841年]][[3月1日]])は[[ナポレオン戦争]]期に活躍したフランスの軍人・元帥。ベルノ公爵。[[ロレーヌ地域圏|ロレーヌ]]地方ラマルシュ生まれ。
 
[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の古くからの戦友で[[トゥーロン攻囲戦]]で若きボナパルト将軍に出会い多くの戦いを共に戦った。陽気で人好きのする性格から「華麗なる太陽」と呼ばれ多くの兵士から慕われたが、その細かいことを気にしない性格からナポレオンとは不仲であった。ナポレオンから公爵に叙任されたがその称号のベルノは、あだ名の太陽を反対にした月(''lune'')に因む洒落言葉であり、ナポレオンの妹の冗談から生まれたものだった。他の叙任者達の称号はその者が名を上げた戦場名か、その者ゆかりの地名だった。莫大な年金がついていたにも関わらず、一人だけ冗談みたいな爵位を授けられた彼は憤激し、ナポレオンとの溝は更に深まったという。
 
[[フランス復古王政|王政復古]]に際しては[[ブルボン家]]に早くから忠誠を誓い[[百日天下]]ではナポレオンに従わず[[ルイ18世 (フランス王)|ルイ18世]]を追って国外へ亡命した。第二次王政復古後は戦争大臣、近衛軍指令を歴任したがのちに王に疎まれ晩年は不遇だった。