「第二次上海事変」の版間の差分

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=== 戦闘の経過 ===
[[File:Imperial Japanese Navy Land Forces2.jpg|thumb|250px|本部屋上で待機する海軍特別[[海軍陸戦隊|陸戦隊]]]]
[[8月13日]]午前9時15分ごろ、陸戦隊一個小隊が宝山路付近の保安総団陣地に侵入、これに対し保安総団は射撃を行い、約20分間小競り合いが続いた{{Sfn|李|2015|p=314}}。また午前10時半頃、[[商務印書館]]付近の中国軍は日本軍陣地に対し機関銃による射撃を突然開始した<ref>[[#中国方面海軍作戦|中国方面海軍作戦]]、317頁</ref>。日本の陸戦隊は応戦したが不拡大方針に基づいて可能な限りの交戦回避の努力を行い<ref>[[#中国方面海軍作戦|中国方面海軍作戦]]、317頁</ref>、また戦闘区域が国際区域に拡大しないよう、防衛的戦術に限定した<ref>[[#カワカミ|カワカミ (2001)]]、 157頁</ref>ほか、中国軍機が低空を飛行したが陸戦隊は対空砲火を行わなかった<ref>[http://web.archive.org/web/20120816014840/http://ww1.m78.com/topix-2/the%20origin%20of%20sinojwar.html 日華事変の開戦原因](2012年8月16日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])内、朝日新聞8月14日付記事「13日午後0時15分から支那空軍秘蔵の単葉、双発のマーチン爆撃機は租界の上空に飛来700メートルの高度をとりつつ西方より虹口方面を示威飛翔中である。」</ref>。{{要出典範囲|date=2015-06-16|列強各国の調停の申し出を期待したためである}}。
 
午後4時54分には、八字橋<ref group="注釈">八字橋は第一次上海事変の激戦地であり、戦略上、邦人居留民の生命財産保護のための要所であった。『北支事変画報』第3集、毎日新聞社、昭和12年8月30日発行</ref>方面の中国軍第88師第523団第1営{{Sfn|李|2015|p=314}}が西八字橋、済陽橋、柳営路橋を爆破、砲撃を開始し、日本軍は応戦した。午後5時には[[大川内傳七|大川内]]上海特別陸戦隊司令官が全軍の戦闘配置を命令し、戦闘が開始された<ref>[[#中国方面海軍作戦|中国方面海軍作戦]]、317頁</ref>
 
この日、英米仏の各領事は日中双方に申し入れを行い、上海での敵対行動を回避する為に直接交渉を行うことを勧めた。また、回避案として以下を提案した。この提案原文が東京に届いたのはこの日の深夜であった。
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|date = 1998-08 |publisher = [[文藝春秋]] |journal = [[諸君!]] |volume = 30 |issue = 8 |pages = 170-177
}}
*{{Cite book|和書|author=李玉|year=2015|title=重探抗戰史(一):從抗日大戰略的形成到武漢會戰(1931-1938)|publisher=聯經出版公司|isbn=9789570845839 |ref={{SfnRef|李|2015}}}}
 
== 関連項目 ==
{{Commons|Battle of Shanghai}}