「白鳥事件」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
4th protocol (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
4th protocol (会話 | 投稿記録) m →白鳥警部 |
||
(6人の利用者による、間の41版が非表示) | |||
14行目:
'''白鳥事件'''(しらとりじけん)は、[[1952年]](昭和27年)[[1月21日]]に[[北海道]][[札幌市]]で発生した[[日本の警察官|警察官]][[銃殺|射殺]]事件である。
「[[逆コース]]」の最中に発生した事件であり、[[日本共産党]]による謀殺を主張する[[検察庁|検察]]に対し、[[冤罪]]を主張する同党や[[自由法曹団]]が鋭く対立した。[[1963年]](昭和38年)[[10月17日]]に日本共産党札幌軍事委員会
なお、再審制度においても『[[疑わしきは罰せず|疑わしきは被告人の利益に]]』という刑事裁判の鉄則が適用されるとする判断をこのとき最高裁判所が下したことから、以後確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じれば再審を開始できるようになった。この判断は事件の名をとって「'''白鳥決定'''」と呼ばれる。
日本共産党による冤罪キャンペーンや[[松本清張]]の『[[日本の黒い霧]]』での推論、当局による証拠捏造疑惑などにより一般の間でも冤罪の声が強まったが、後年になって日本共産党の組織的犯行を示唆する資料や内部証言が
== 概要 ==
1952年(昭和27年)当時、「[[51年綱領]]」の採択を経て[[武装闘争]]路線を採っていた日本共産党による警察官襲撃事件が全国で相次いでいた。党札幌委員会では委員長の'''[[村上国治]]'''や副委員長のSが軍事方針を立て、「時間があり、頭も悪くない」[[北海道大学]]の学生らを中心に[[中核自衛隊]]を組織していた(ただし、鉄砲玉のような役割は労働者にやらせていた)。これに対し札幌市警察本部[[警備課]]課長であった'''白鳥一雄'''[[警部]]は市内の[[丸井今井|丸井百貨店]]で開催されていた[[丸木位里]]・赤松俊子の原爆の図の展示会を「[[連合国軍最高司令官総司令部|占領軍]]の指示」として中断させたほか、ビラまきや[[座り込み]]デモを行う共産党員を多数検挙していた<ref name=":9">{{Cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/013/0666/01302250666010c.html|title=衆議院会議録情報 第013回国会 行政監察特別委員会 第10号|accessdate=2018-09-03|website=kokkai.ndl.go.jp}}</ref><ref name=":3" /><ref name=":16">{{Cite journal|和書|last=今西|first=一|last2=河野|first2=民雄|date=2012-07-25|title=白鳥事件と北大-高安知彦氏に聞く-|url=https://barrel.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=135&item_id=307&item_no=1|journal=商学討究|volume=63|issue=1|pages=1–50}}</ref>。
同年1月21日午後7時30分頃、札幌市
自転車上で片手で拳銃を発射し急所に命中させるという、極めて難易度の高い犯行であったが、白鳥には事件前から「昨年はきさまのおかげでおれたちの仲間が監獄につながれた。この恨はきっとはらす。おれたちは極めて組織的にきさまをバラしてやる。」などと書かれた[[脅迫状]]が相次いで届いていたことから、捜査当局は日本共産党による犯行とみて捜査を開始した
事件発生後、共産党員が市内で「見よ、天誅遂に下る!
事件直後の党指導部では、態度を決めかねたのか「共産党のやったことではないという日和見的な意見を克服して、党の意思の革命的統一を図る必要がある」「共産党のやったことではないということに、合法的宣伝は統一する」と指示が錯綜し、事件後に気勢を上げて過激なビラを撒いたり職安事務官を襲撃して川に投げ込むなどの「暴走」を始める党末端との違いが浮き彫りとなった<ref name=":3" />。
33行目:
[[政権]][[与党]]の対応は素早いもので、事件翌日の[[吉田茂]][[内閣総理大臣|首相]]は「現下の国際情勢を反映いたしまして、共産分子の国内の破壊活動は熾烈なるものがあると考えられるのであります。まことに治安上注意を要する次第であります。かかる事態に対処して、本国会に所要の法律案を提出する所存であります」と[[施政方針演説]]を行い<ref>{{Cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/013/0512/01301230512006c.html|title=衆議院会議録情報 第013回国会 本会議 第6号|accessdate=2018-11-26|website=kokkai.ndl.go.jp|publisher=国会会議議事録検索システム}}</ref>、同年4月には[[破壊活動防止法]]を制定させた。当時共産党員による事件が連日報道され、日本共産党への国民の支持が失われていったが、それらの事件群の中には冤罪事件である[[菅生事件]]も含まれる<ref name=":3" />。
事件発生から4か月後、[[静岡県]]で行き倒れ警察の保護を受けた後に寿司屋で働いていた
その過程において、面子にかけても犯人を逮捕しなければならなかった警察は、容疑者の[[誤認逮捕]]([[被疑者|容疑者]]と別人の共産党員)をおかしたり、期限切れで釈放すると見せかけて迎えに来た父親の目の前で別件で再逮捕するなど手段を選ばずに容疑者を長期[[拘留]]捜査するなど、強引な捜査を行いながら調書を作成していったという。逮捕者の中には生涯精神を病む者も出た一方で、日本共産党も組織防衛に奔って釈放された党員らを「査問」し、身の危険を感じた党員が[[逃亡]]して警察の庇護を受けるということも起きた<ref name=":5" /><ref name=":13" />。
しかし、村上国治らの逮捕後も犯行に用いられたとされるブローニング拳銃は発見されず、事件の2年前に行われた射撃訓練で射出され被害者の体内で摘出されたものと線条痕が一致するとされた銃弾のみが、[[裁判]]に提出された唯一の物証となった。この弾丸はTの立ち合いによる捜索で、幌見峠で発見されたものである<ref name=":6">[[白鳥事件#後藤篤志|後藤篤志(2013年)]]173-186頁。</ref><ref name=":1">{{Cite book|title=「無罪」を見抜く|date=2013-11-27|publisher=岩波書店|author=木谷明|pages=103-107}}</ref>。
直接の実行犯とされた党員らは日本共産党の[[密航]]船群「[[人民艦隊]]」で不法出国し、当時日本と[[国交]]が無かった[[中華人民共和国]]へ逃亡している<ref>{{Cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/029/0012/02907170012002a.html|title=第029回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号|accessdate=2017-12-01|date=1968-07-04|publisher=国会会議録検索システム}}</ref>。▼
▲直接の実行犯とされた党員らは日本共産党の[[密航]]船群「[[人民艦隊]]」で不法出国し、当時日本と[[国交]]が無かった[[中華人民共和国]]へ逃亡している<ref>{{Cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/029/0012/02907170012002a.html|title=第029回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号|accessdate=2017-12-01|date=1968-07-04|publisher=国会会議録検索システム}}</ref><ref>[[白鳥事件#後藤篤志|後藤篤志(2013年)]]161-168頁。</ref>。
== 白鳥警部 ==
事件の被害者となった白鳥一雄は、北海道[[芽室町]]に生まれ、帯広中学(現・[[北海道帯広柏葉高等学校]])を卒業後、[[1937年]]に[[北海道庁]]巡査
事件を担当し、生前の白鳥とも直接の面識があった検事が語ったところによれば、白鳥は物静かで礼儀正しいが、[[シベリア抑留]]での経験によるものか、[[共産主義]]を憎悪する精神は熾烈なものがあったという<ref name=":12">[[白鳥事件#渡部富哉|渡部富哉(2012年)]]60-61頁</ref>。
家庭内では仕事の話をすることもなく良い父を通しており、事件当日も3歳と5歳の娘に「きょうは[[給与|給料日]]だし、お土産を買って早く帰るよ」と出かけて行った<ref name=":3" />。事件後の司法解剖では、白鳥の胃袋に直前に飲食したものはなく、上衣のポケットには月給袋が手つかずのまま納められていた<ref>[[利用者:4th protocol/sandbox#後藤篤志|後藤篤志(2013年)]]17頁。</ref>。享年36歳<ref name=":8">{{Cite news|title=「白鳥事件」更新続く最古の逮捕状 札幌で60年前に警官射殺|date=2012-11-24|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG24003_U2A121C1CC1000/|accessdate=2018-09-01|publication-date=|language=ja-JP|work=日本経済新聞 電子版}}</ref>。▼
▲家庭内では仕事の話をすることもなく良
== 当時の札幌の情勢 ==
当時札幌では、[[日本の警察|日本警察]]の[[国家地方警察|国家地方警察本部]]・[[自治体警察 (旧警察法)|自治体警察]]である札幌市警察本部、[[アメリカ陸軍防諜部隊]](CIC)、そして裏社会の間で、互いに反目したり協力しながら公安情報を収集するある種の「シンジケート」が形成されていた。白鳥はCICがアジトにしていた[[すすきの]]のとある[[バー (酒場)|バー]]に頻繁に通っており、そこにはギャングや[[右翼]]も出入りしていたという<ref name=":4" />。
事件を取材していた北海日日新聞(現・[[北海タイムス]])の編集部長は、「白鳥警部は左翼関係の情報収集力にかけてはピカ一だった。CICとしては彼を消せば元も子もなくなってしまう。CICが重宝にしている子飼いの白鳥をやっつけるはずがない」と語っている<ref name=":10" />。
== 裁判 ==
検察側は村上国治を[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]の[[共謀共同正犯]]で、[[共犯]]2人を殺人罪の[[幇助]]犯として[[起訴]]し、「村上らは武装蜂起の訓練のため幌見峠で射撃訓練をした。そして、彼らの活動の邪魔になる白鳥警部を射殺した」と主張している。
第1審[[札幌地方裁判所|札幌地裁]]は共同謀議を認定し、村上国治を[[無期懲役]]、共犯1人を[[懲役]]5年・[[執行猶予]]5年と[[判決 (日本法)|判決]]している。途中から[[公判]]分離されて共同謀議を自供した共犯Tは、[[1957年]](昭和32年)5月に懲役3年・執行猶予3年と判決されて確定している。控訴審[[札幌高等裁判所
唯一の物証である
日本共産党は冤罪キャンペーンを張り、110万人に及ぶ最高裁再審要請署名を集めた。党の支援を受けた村上国治は、無罪を主張して1965年(昭和40年)に[[再審]]請求を行い、最高裁判所への[[特別抗告]]まで争っ
しかし、獄中の村上国治が[[弁護士]]を経由して「とくに潜らせた人間は絶対に活動させぬよう、出来れば国外へやってもらいたいと支店へ伝えてもらいたい<ref>[[白鳥事件#渡部富哉|渡部富哉(2012年)]]255-264頁</ref>」と証拠隠滅の為に実行犯グループを国外へ逃がすよう指示した書面が警察当局に押さえられており、それが裁判資料として提出されたことなどから、札幌高裁は1969年(昭和44年)6月18日に「弾丸の証拠価値は、(中略)たんに『原判決当時に比べいささか薄らいだ』というに止まらず、大幅に減退したと言わざるを得ない」と認めつつも、「各事件に、申立人が関与している事実は証拠上明白」「明白な事実をことさらに否定しようとする申立人の供述には、その信ぴょう性に疑問をいだかざるをえない」として村上の申立を棄却し<ref>{{Cite book|title=最高裁判所刑事判例集|year=1975|publisher=判例調査会|editor=最高裁判所|volume=29|issue=5|pages=321-}}</ref>、最高裁も1975年(昭和50年)5月20日に札幌高裁の決定を支持して村上の特別抗告を棄却した<ref name=":2" /><ref name=":1" /><ref>{{Cite web|url=http://chikyuza.net/archives/21084|title=「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実②|accessdate=2017-12-01|author=渡部富哉|date=2012-03-22|publisher=ちきゅう座}}</ref><ref>{{Cite web|title=昭和46(し)67|url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=51033|website=裁判所ウェブサイト|accessdate=2019-07-11|publisher=最高裁判所}}</ref>。
なお村上は、1969年11月14日に再審申し立て中としては異例の仮釈放を受けている<ref name=":1" />。▼
== 白鳥決定 ==
上述の通り最高裁判所は再審請求を棄却したが、「再審制度においても『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則が適用される」との判断を示し、
== 後年の推移 ==
*事件に関与して中国に逃亡した党員たちの多くは、[[文化大革命]]を経て[[日中国交正常化]]後に帰国したが、不起訴にされている。一方、日本共産党は『[[赤旗]]』でこの者たちを「反党盲従分子」と攻撃した<ref name=":13" />。
*[[1955年]](昭和30年)頃、実行犯として[[指名手配]]された3人は中華人民共和国へ不法出国により[[亡命]]した<ref name="20120329-OYT1T01212">{{Cite news|title=白鳥事件・最後の実行メンバー死亡…北京で|newspaper=YOMIURI ONLINE|date=2012-03-29|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120329-OYT1T01212.htm|accessdate=2012-03-30|publisher=読売新聞社|archiveurl=http://web.archive.org/web/20120330223817/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120329-OYT1T01212.htm|archivedate=2012年3月30日}}</ref>。このうちの2人が[[1988年]](昭和63年)に
*白鳥の妻は鶴田生存の報を聞くと「生きてらっしゃるのですか」と驚いたが、「いまさら憎んでもしょうがないでしょう。亡くなった人間が帰ってくるわけでもないし。月日もたって思い出したくありません。そっとしておいてください」と答えた<ref name=":7" />。
*1998年(平成10年)、事件当時の北海道地方委員会軍事部門幹部であった川口孝夫が、軍事活動を知りすぎて党に日本を追放された旨を主張する『流されて蜀の国へ』という回顧録を1998年に自費出版した。川口はその際の[[北海道新聞]]のインタビューで、「謀略ではなかったと言ってよい」と松本清張などが提唱した米軍謀略説を否定し党員の犯行であったことを認めている。川口は「事件に関与していないが、事件後に報告を受けました」として中核自衛隊の元隊員Tの証言が自分が受けた報告と合致することを認め、さらに党の真相調査に対して「事実」を報告していたことも明かされた。なお、村上が裁判闘争を続けたことについては「彼は、私の入党責任者。『左』の路線の時も、すごい活動家だった。間違いを犯したのは共産党の方針が間違っていたためで。彼個人の責任とは考えません。彼も晩年は気の毒な人でした」とした。共産党は同紙の取材に対し「党が分裂していた当時の一方の側の問題で、党としてコメントする立場ではない」と言及を避けたが、その後川口に対して激しいバッシングを行った<ref>{{Cite journal|date=1998-10-29|title=白鳥事件 党員の犯行裏付け 元共産党軍事部門幹部が証言 米軍謀略説を否定 事件直後「報告聞いた」|journal=北海道新聞|page=1}}</ref><ref>{{Cite journal|date=1998-10-29|title=白鳥事件で証言 川口孝夫さんに聞く 「当時の党 方針間違い」|journal=北海道新聞|page=27}}</ref><ref name=":15" />。
*[[2002年]](平成14年)に[[司法博物館]]にあった白鳥事件の裁判資料を有志が整理して公開されたが、博物館が[[松本市]]に移管されるとお蔵入りになった<ref name=":2" />。
*[[2011年]](平成23年)3月27日、HBC[[北海道放送]]が事件関係者への[[インタビュー]]などを通じて白鳥事件の真相を追ったラジオドキュメンタリー
*2012年(平成24年)2月24日、
*海外逃亡をつづけた上述の3人の[[公訴時効#公訴時効の停止|公訴時効は停止]]している。鶴田は2012年、佐藤博はそれ以前に病死したと報じられたが、両名は中国公安当局による死亡確認を得られていないことを理由に[[逮捕#通常逮捕|逮捕状]]が更新され続けており、効力を有する日本の逮捕状としては最古のものとなっている(逮捕状の有効期限は原則7日)<ref name=":8" /><ref>{{Cite news|title=更新続く「最古の逮捕状」 白鳥事件で北海道警|date=2012-11-24|url=https://www.chibanippo.co.jp/newspack/20121124/111330|accessdate=2018-09-01|publication-date=|language=ja}}</ref><ref>{{Cite news|title=更新続く「最古の逮捕状」 白鳥事件で北海道警|date=2012-11-24|url=http://www.47news.jp/CN/201211/CN2012112401000993.html|accessdate=2013-04-18|agency=[[共同通信社]]|publisher=[[47NEWS]]}}</ref>。
== エピソード ==
北海道大学教授の[[布施鉄治]]は[[イールズ声明|イールズ闘争]]世代であり反骨の学者と知られていたが、「白鳥運動」に取り組もうとしていた者に対して、「白鳥にかかわったとされる多くの党員学友が行方不明になっている。自分の親友もいた。おそらくは中国へ脱出したのだ。冤罪と思っている人は北大にはいない。白鳥事件を[[三鷹事件]]や[[松川事件]]と同列に論ずるわけにはいかない。これが現地北海道の常識だから深入りしないように」と釘を刺していた。松川・[[青梅事件|青梅]]・芦別事件などでは無罪判決が出され、そのほとんどが冤罪事件とされる戦後の公安事件の中にあって、白鳥事件は「検察最後の砦」であ
1998年に党による犯行をみとめた元軍事部門幹部の川口(上述)に対して、日本共産党は「歴史の暗部の断層にうごめいて生き血を吸い、腐肉を喰らう男」と川口を誹謗し、事件に関連して中国に逃亡した者からも「軍事方針の直接の実行部隊幹部であったことを自認し、非合法の軍事方針を実践していたことを確認しておりながら、彼は下部組織の犯行であって自分は関与していないと白を切っている」と批判の声が上がった。中国への逃亡の後に帰国した人物は、「当時の共産党は組織原則が厳しく、党員は絶対服従することが義務付けられていた」「白鳥事件についても村上国治が上部組織の許可なしに計画実行することなどあり得ない」「川口がこの事件の直接の策謀者だと信じている」と見解を述べている<ref name=":11">[[白鳥事件#後藤篤志|後藤篤志(2013年)]]220-222頁。</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*
* 長岡千代『国治よ 母と姉の心の叫び 謀略白鳥事件とともに生きて』光陽出版社、1997年▼
* {{Cite book|和書|author=村上国治|title=網走獄中記:白鳥事件-獄中18年たたかいの記録|publisher=日本国民救援会中央本部|year=1974|ref=村上国治2}}
▲* 宮川弘『白鳥事件の謎 ノンフィクション・スパイシリーズ』東洋書房、1968年
* {{Cite book|和書|author=[[山田清三郎 (作家)|山田清三郎]]
▲* {{Cite book|和書|author=長岡千代
▲*[[山田清三郎 (作家)|山田清三郎]]『白鳥事件研究 昭和史の発掘』白石書店、1977年
* {{Cite book|和書|author=山田清三郎
* {{Cite book|和書|author=[[渡部富哉]]|title=白鳥事件 {{small|偽りの冤罪}}|publisher=同時代社|year=2012|month=12|ISBN=978-4886837363|ref=渡部富哉}}
* {{Cite book|和書|author=後藤篤志|title=亡命者 {{small|白鳥警部射殺事件の闇}}|publisher=筑摩書房|year=2013|month=9|ISBN=978-4480818379|ref=後藤篤志}}
105 ⟶ 122行目:
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/takahashishiratori.htm 高橋彦博「白鳥事件の消去と再生 『白鳥事件』(新風文庫)刊行の機会に」]2005年10月
* [http://chikyuza.net/archives/20864 「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実 渡部富哉インタビュー(1)][http://chikyuza.net/archives/20864 (2)][http://chikyuza.net/archives/21216 (3)]ちきゅう座、2012年3月
*
* [http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/nakanosira.htm イールズ闘争から白鳥事件へ-その遺したもの]中野徹三、『大原社会問題研究所雑誌№651』(2013年1月号)
*
* [http://opac.ryukoku.ac.jp/webopac/r-ho_048_01_025._?key=ZTUFBH 分析と科学鑑定 : 白鳥事件、ナイロンザイル事件、銑鉄一千万円事件、和歌山カレー事件]河合潤、龍谷大学法学会『龍谷法学』48号, 2015-10-14
117 ⟶ 134行目:
[[Category:1952年1月]]
[[Category:冤罪が指摘されている事件]]
[[Category:日本の警察官が殉職した事件・事故]]
[[Category:日本共産党の事件]]
[[Category:日本の公安]]
|