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|url= http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=82012
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'''光市母子殺害事件'''(ひかりしぼしさつがいじけん)は、[[1999年]]([[平成]]11年)[[4月14日]]、[[山口県]][[光市]]内の[[新日本製鐵光製鐵所]]社宅アパートで発生した[[殺人罪 (日本)|殺人]]事件である
 
当時18歳0か月の少年F(現姓O)により、主婦(当時23歳)が[[殺人|殺害]]後[[屍姦]]され、その娘である乳児(生後11カ月)も殺害された上、財布が[[窃盗|盗まれた]][[少年犯罪]]である。Fは[[殺人罪 (日本)|殺人]]・[[強姦罪#強姦致死傷罪|強姦致死]]・[[窃盗罪|窃盗]]の各容疑の罪状で、[[刑事訴訟法|刑事裁判]]で裁かれた。一・二審で、Fは[[日本における死刑|死刑]][[求刑]]に対し、[[無期懲役]][[判決 (日本法)|判決]]を受けるも、[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]で破棄差し戻しされ、差し戻し控訴審で言い渡された死刑判決が[[確定判決|確定]]し、現在[[再審]]請求中である。
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以下、[[検察官|検察]]側主張、及びこれまでの判決が認定してきた内容に基づく事件の概要である。
 
1999年(平成11年)4月14日午後2時半頃、少年F(当時18歳、現姓O)が、山口県光市の[[新日本製鐵光製鐵所]]社宅アパートに[[強姦]]目的で押し入った。排水検査を装って居間に侵入したFは女性を引き倒し馬乗りになって強姦しようとしたが、女性の激しい抵抗を受けたため女性を殺害した上で強姦の目的を遂げようと決意。頸部を圧迫して窒息死させた。
 
その後、Fは女性を[[屍姦]]し傍らで泣きやまない娘(生後11カ月)を殺意を持って床に叩きつけるなどした上、首に紐を巻きつけて[[窒息]]死させた。そして女性の遺体を押入れに娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。
 
Fは盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の1999年(平成11年)[[4月18日]]に[[逮捕 (日本法)|逮捕]]され、同年6月に[[起訴|公訴が提起]]された。
 
=== 弁護側主張 ===
[[上告|上告審]]よりFの主任[[弁護人]]となった[[安田好弘]]弁護士接見内容をもとにFに母子を殺害する故意が無かったことを主張した。しかし、2006年に審理の差し戻しを決定した[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]判決では「Fは罪の深刻さと向き合って内省を深めていると認めるのは困難」として採用されなかった。
 
[[広島高等裁判所]]での差し戻し審では、「母恋しさ、寂しさからくる抱き付き行為が発展した[[傷害罪#傷害致死罪|傷害致死]]事件。凶悪性は強くない」として死刑の回避を求める方針を明らかにした。
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== 被害者側の動き ==
被害女性の夫であり、被害女児の父である会社員男性・'''本村 洋'''(もとむら ひろし、[[1976年]][[3月19日]] - )は、犯罪被害者遺族として、日本では「犯罪被害者の権利が何一つ守られていないことを痛感し」、同様に妻を殺害された元[[日本弁護士連合会]]副会長・[[岡村勲]]副会長らと共に犯罪被害者の会(現・[[全国犯罪被害者の会]])を設立し、幹事に就任した。さらに[[犯罪被害者等基本法]]の成立に尽力した。
 
また、裁判の経過中、本村は[[日本における死刑|死刑]]判決を望む旨を強く表明し続けてきた。例えば[[2001年]](平成13年)[[12月26日]]に行われた意見陳述の際にFに対し「被告人Fが犯した罪は万死に値します。いかなる裁判が下されようとも、このことだけは忘れないで欲しい」と述べている。また一審判決後には「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」と発言していたが、二審判決に際しては「裁判官も、私たち遺族の気持ちを分かった上で判決を出された。判決には不満だが裁判官には不満はない」と発言し、犯罪被害者の権利確立のために、執筆、講演を通じて活動をしている。
 
== 裁判の経過 ==
* [[1999年]]([[平成]]11年)6月 - [[山口家庭裁判所]]が、Fを[[山口地方検察庁]]の[[検察官]]に送致することを決定した。6月11日、山口地検はFを[[山口地方裁判所]]<ref group="注釈">本来、光市は山口地方裁判所徳山支部(当時、現・周南支部)(徳山市、現:[[周南市]])の管轄であるが、本事件のように少年事件は取り扱っていないため、山口地方裁判所本庁([[山口市]])が代行した</ref>に[[起訴]]した<ref name=kyoudou120220>{{Cite web|url=http://www.47news.jp/47topics/e/225807.php|title=光市母子殺害事件の経過|work=47NEWS|publisher=[[共同通信]]|date=2012-02-20|accessdate=2014-01-21|archivedate=2012-02-20|archiveurl=http://web.archive.org/web/20120220194634/http://www.47news.jp/47topics/e/225807.php}}</ref>。
** [[12月22日]] - 山口地検は死刑を[[求刑]]した<ref name=kyoudou120220 />。
* [[2000年]](平成12年)[[3月22日]] - 山口地裁は[[無期懲役]]の[[判決 (日本法)|判決]]を下した<ref name=kyoudou120220 />。
* [[2002年]](平成14年)[[3月14日]] - [[広島高等裁判所|広島高裁]]は、検察の[[控訴]]を[[棄却]]した<ref>[http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/DB35ABFE0BC4594249256BB200385F3D.pdf 平成14年03月14日 広島高等裁判所]</ref><ref name=kyoudou120220 />。
** 山口地裁および広島高裁の判決は、いずれも被告が犯行時18歳1か月で発育途上にあったことや、殺害については計画性がないこと、不十分ながらも反省の情が芽生えていることなどに着目して判決を下した。ただし、広島高裁は更生の可能性について「更生の可能性が無いわけではない」と曖昧な判断をしていた。
* [[2005年]] (平成17年)[[12月6日]] - [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第三[[小法廷]]は上告審[[口頭弁論]]公判の期日を翌年[[3月14日]]に指定した<ref name=kyoudou120220 />。
** 通常、死刑判決に対する上告審を除いて最高裁で口頭弁論が行われる場合は控訴審の判決が覆る場合が多く、[[世論]]の注目を集めた。
* [[2006年]] (平成18年)3月14日 - 最高裁の弁論で、上告審から主任[[弁護人]]となった[[安田好弘]]弁護士と[[足立修一 (弁護士)|足立修一]]弁護士が欠席した<ref name=kyoudou120220 />。最高裁はこれまでで初となる「[[出頭在廷命令]]」を翌日に発動した<ref name=kyoudou120220 />。弁論が翌月に遅延したことについて、最高裁からも不誠実な対応であると非難された。一方、安田弁護士と足立弁護士が提出した裁判の延期申請について、通常は認められるものであり最高裁による不当な却下であるとする[[森達也]]<ref group="注釈">安田弁護士を主人公とする[http://shikeibengonin.jp/news.html#/detail/290842958806603587 『死刑弁護人』の公開記念鼎談]にゲストとして招かれ司会を務めた</ref>による指摘もある<ref>[[森達也]]、2008、『死刑』、朝日出版、ISBN 978-4-255-00412-9、p262</ref>。
* [[6月20日]] - 最高裁は広島高裁の判決を破棄し、審理を広島高裁へ差し戻した<ref>[http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20060620163659.pdf 平成18年06月20日 最高裁判所第三小法廷 判決 破棄差戻し 広島高等裁判所 ]</ref>。最高裁は判決の中で、一審及び1回目の控訴審において酌量すべき事情として述べられた、殺害についての計画性のなさや、[[被告人]]Fの反省の情などにつき、消極的な判断をしている。
* 差し戻し審の第1回[[公判]]は、[[2007年]](平成19年)[[5月24日]]に開かれた。
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** 一審の山口地裁以来7年7か月ぶりに行われた被告人質問において、Fは殺意、強姦目的を否定した。
** [[7月24日]]から3日連続の公判が行われた。弁護側が申請した精神鑑定人は被告の犯行当時の精神が未成熟だったと証言した。
** [[9月18日]]から3日連続の公判が行われた。Fは一・二審から一転して殺意を否定したことについて「([[捜査]]段階から)認めていたわけではなく、主張が受け入れてもらえなかっただけ」とした。<!--また、被告は拘置所から知人に出し、遺族から「反省が見られない」と批判された手紙について「当時は不謹慎なつもりではなかったが、今は納得できる。本当に適切な言葉ではない」と説明した。-->20日の公判では遺族の意見陳述が行われ、改めて極刑を求めた。
** [[10月18日]]に検察側の最終弁論が行われ、改めて死刑を求刑した。
** [[12月4日]]に弁護側の最終弁論が行われ、殺意や乱暴目的はなかったとして[[傷害罪#傷害致死罪|傷害致死罪]]の適用を求めた。この日の公判で結審した。
* [[2008年]](平成20年)[[4月22日]] - 差し戻し控訴審の判決公判が行われ、広島高裁([[楢崎康英]]裁判長)は弁護側主張を全面的に退け死刑回避理由にはあたらないとして死刑判決を言い渡した<ref>[http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080613101103.pdf 平成20年04月22日 広島高等裁判所 破棄自判 山口地方裁判所]</ref>。弁護側は判決を不服として即日[[上告]]した。
* [[2012年]](平成24年)1月23日 - [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第一[[小法廷]]([[金築誠志]]裁判長)にて、第二次上告審[[口頭弁論]]公判が開廷。検察側は死刑適用(被告人側の上告棄却)、弁護側は死刑判決の破棄をそれぞれ求め、結審した<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2302C_T20C12A1CR8000/ |title=光市母子殺害事件、最高裁で上告審弁論 |newspeper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=2012-01-23|accessdate=2018-02-22|archivedate=2018-02-22|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180222154335/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2302C_T20C12A1CR8000/}}</ref>。
* 2012年(平成24年)2月20日 - 最高裁判所第一小法廷(金築誠志裁判長)で判決公判。同小法廷は、差し戻し控訴審判決を支持し、Fの上告を棄却する判決を言い渡した<ref>{{Cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120220/trl12022015050005-n1.htm|title=光市母子殺害事件、元少年の死刑確定へ 最高裁が上告棄却|work=MSN産経ニュース|publisher=産業経済新聞社|date=2012-02-20|accessdate=2012-02-20|archivedate=2012-02-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120221075653/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120220/trl12022015050005-n1.htm}}</ref>。これにより死刑判決が確定することとなった<ref>
{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2002E_Q2A220C1000000/ |title=光市母子殺害、元少年の死刑確定へ 最高裁が上告棄却 |newspeper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=2012-02-20|accessdate=2018-02-22|archivedate=2018-02-22|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180222154358/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2002E_Q2A220C1000000/}}</ref>。犯行当時少年の死刑が確定するのは[[大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件]](1994年発生、2011年判決確定)以来であり、平成の少年事件では[[市川一家4人殺人事件]](1992年発生、2001年判決確定、2017年執行)と連続リンチ殺人事件以来3件目、計5人目となる(これら2件はどちらも罪状に[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]が含まる死者4人の事件なのに対し、単純殺人事件及び死者2人での犯行当時少年の死刑確定は平成の事件では初)。これを受け、[[毎日新聞]]を除く全国メディアは[[実名報道]]に切り替えた([[#実名報道]]の節を参照)。
* 2012年(平成24年)3月16日 - 被告人F・弁護団側は、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)に対し、判決訂正の申し立てを行っていたが、3月14日付けで申し立てを棄却する決定がなされた。これにより、Fの死刑が正式に確定した<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1603Z_W2A310C1CC1000/ |title=光市母子殺害、元少年の死刑確定 最高裁、訂正申し立て棄却 |newspeper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=2012-03-16|accessdate=2018-02-22|archivedate=2018-02-22|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180222154410/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1603Z_W2A310C1CC1000/}}</ref>。
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=== 確定判決を受けてのコメント ===
判決後の記者会見で本村「決して嬉しいとか、喜びの感情はない。彼(F)にとっては大変残念かもしれないですが、罪はきっちりと償わなければならない。判決を受け止めてほしいです。自分の人生を絶たれてしまうような[[被害者]]がいなくなることを切に願います」と述べた。[[最高検察庁]]は「社会に大きな衝撃を与えた凶悪な事件であり、最高裁判決は妥当なものと考える」とのコメントを表明した<ref name="NHK20120220" />。
 
Fの弁護団は「判断を誤っており、極めて不当だ。強姦目的も殺意もないことは、客観的[[証拠]]や[[鑑定]]から明らかにされたのに、裁判所は無視した。被告は[[虐待]]で成長が阻害されており、実質的には18歳未満で、死刑は[[日本国憲法|憲法]]や[[少年法]]に反する」との声明を発表した<ref>日本経済新聞 2012年2月20日</ref>。
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[[毎日新聞]]は「母子の尊い命が奪われた非道極まりない事件ですが、少年法の理念を尊重し匿名で報道するという原則を変更すべきでないと判断」<ref>{{Cite web|url=http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120221k0000m040048000c.html|title=光市母子殺害:元少年の死刑確定へ…当時「18歳30日」|work=毎日jp|publisher=[[毎日新聞]]|date=2012-02-20|accessdate=2012-02-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120221185525/http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120221k0000m040048000c.html|archivedate=2012年2月21日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>、[[中日新聞]]・[[東京新聞]]は「死刑が確定しても[[再審]]や[[恩赦]]の制度があり、元少年の[[更生]]の可能性が直ちに消えるわけではない」<ref>{{Cite news|title=光市母子殺害の元少年、死刑確定へ|newspaper=中日新聞|date=2012-02-20|url=http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012022090203115.html}}{{リンク切れ|date=2014年1月}}</ref><ref>東京新聞 2012年2月21日朝刊1面</ref>とし、匿名報道を継続した{{refnest|group="注釈"|なお、[[市川一家4人殺人事件]]で刑が執行された後は以上3紙は刑の執行によって社会復帰の可能性が完全になくなったことに加え国家が刑罰よって人命を奪う対象を明らかにするべきであることから実名報道に切り替えた<ref name =mainichi171219>{{Cite web|url=https://mainichi.jp/articles/20171219/k00/00e/040/212000c|title=法務省:元少年ら2人の死刑執行 永山則夫元死刑囚以来|publisher=[[毎日新聞]]|date=2017-12-19|accessdate=2018-09-04|archivedate=2018-09-04|archiveurl=http://web.archive.org/web/20171219132436/https://mainichi.jp/articles/20171219/k00/00e/040/212000c|deadlinkdate=2018年9月}}</ref><ref name =chunichi171219>{{Cite web|url=http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2017121902000228.html|title=2人の死刑執行、元少年も 永山元死刑囚以来20年ぶり|publisher=[[中日新聞]]|date=2017-12-19|accessdate=2018-09-04|archivedate=2018-09-04|archiveurl=http://web.archive.org/web/20171219131032/http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2017121902000228.html|deadlinkdate=2018年9月}}</ref><ref name =tokyo171219>{{Cite web|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201712/CK2017121902000219.html|title=犯行時19歳の死刑執行 92年の市川一家4人殺害|publisher=[[東京新聞]]|date=2017-12-19|accessdate=2018-09-04|archivedate=2018-09-04|archiveurl=http://web.archive.org/web/20171219131408/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201712/CK2017121902000219.html|deadlinkdate=2018年9月}}</ref>}}。
 
[[日本弁護士連合会]](日弁連、会長:[[宇都宮健児]])は2012年(平成24年)2月24日付で、「([[実名報道]]は)[[少年法]]61条に明らかに反する事態であって、極めて遺憾」「今後同様の実名報道、[[写真]]掲載等がなされることがないよう、強く要望する」とする、会長声明を発表した<ref>{{Cite web|url=https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2012/120224_2.html |title=少年の実名報道を受けての会長声明 |work=プレスリリース|publisher=[[日本弁護士連合会]](日弁連、会長:[[宇都宮健児]])|date=2012-02-24|accessdate=2018-02-22|archivedate=2018-02-22|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180222160550/https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2012/120224_2.html}}</ref>。
 
== 社会への影響 ==
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{{独自研究|section=1|date=2019年4月}}
{{Main|光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件}}
[[弁護士]]・[[橋下徹]](後に[[大阪府知事一覧|大阪府知事]]及び[[大阪市長]]を歴任)が本事件弁護団に対し、2007年(平成19年)[[5月27日]]放送の『[[そこまで言って委員会NP|たかじんのそこまで言って委員会]]』において、「あの弁護団に対してもし許せないと思うんだったら、一斉に[[弁護士会]]に対して[[懲戒請求]]をかけてもらいたいです」と懲戒請求を行うよう[[視聴者]]に呼びかけた。これによりテレビを見た視聴者らから約7,558通<ref>{{Cite news|title=東京弁護士会、光母子殺害の弁護士は懲戒せず|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|date=2007-11-27|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071127/trl0711271233005-n1.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071230161855/http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071127/trl0711271233005-n1.htm|archivedate=2007年12月30日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>の懲戒請求書(2006年度における全弁護士会に来た懲戒請求総数の6倍を上回る)が弁護士会に殺到することになった(しかしながら橋下自身は「時間と労力を費やすのを避けた」<ref>{{Cite news |和書|title=橋下弁護士「違法性ないと確信」 母子殺害めぐる懲戒請求発言 |newspaper=MSN産経ニュース |date=2007-09-06 |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/070906/crm0709061106038-n3.htm |accessdate=2008-04-22 |publisher=[[産経新聞]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081212210944/http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/070906/crm0709061106038-n3.htm |archivedate=2008年12月12日}}</ref>「自分がべったり張り付いて懲戒請求はできなくはないが、私も家族がいるし、食わしていかねばならないので……」<ref>{{Cite news |和書|title=橋下弁護士と週刊朝日編集長が「懲戒請求」で激論 |newspaper=J-CASTテレビウォッチ |date=2007-09-10 |author=モンブラン |url=https://www.j-cast.com/tv/2007/09/10011120.html |accessdate=2019-04-08 |publisher=[[ジェイ・キャスト]]}}</ref>などの理由で懲戒請求はしていない)。これに反発した光市母子殺害事件弁護団のうち、足立修一・今枝仁ら4人は2007年9月に橋下に[[損害賠償]]を求める訴えを広島地裁に起こした。第一審、控訴審では橋下の行為を不法行為と認定して損害賠償を命じたが、2011年7月15日、最高裁判所は橋下の行為には弁護士として問題なしとはしないが、懲戒請求の呼びかけそのものは不法行為とはいえないとして、原告の訴えを棄却した。
 
この懲戒請求呼びかけについて[[江川紹子]]からは「請求の内容によっては、懲戒請求をされた弁護士の側から訴えられる可能性もある。実際、懲戒請求をした側が敗訴し、50万円の慰謝料を支払うよう求める判決が出ているケース<ref group="注釈">江川の指摘した判決は最高裁第三小法廷平成19年4月24日判決{{独自研究範囲|と思われる|date=2019年4月}}</ref>もある。橋下は、そういう負担やリスクを説明せず、ただ「誰でも簡単に」できると、気楽なノリでしゃべっている」<ref>{{Cite web |url=http://www.egawashoko.com/c006/000235.html |title=刑事弁護を考える~光市母子殺害事件をめぐって |accessdate=2019-04-08 |author=[[江川紹子]] |date=2007-09-09 |website=Egawa Shoko Journal |work=社会のこといろいろ}}</ref>と批判されている。
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2007年の弁護士に対する懲戒請求件数は、前年1367件の約7倍に当たる9585件となり、うち84%に当たる8095件が弁護団に対するものだった<ref>山口・光事件弁護団への懲戒請求が8095件/日弁連(読売新聞 東京朝刊 2008年2月21日34頁)</ref>。
 
しかしいずれの弁護士会も「弁護士の職責を果たすためで、懲戒事由に当たらない」<ref name=sankei080403>広島弁護士会、元少年側弁護団を懲戒処分せず(産経新聞 大阪朝刊 2008年4月3日29頁)</ref>との理由で、2007年11月22日付の東京弁護士会を始め<ref name=chugoku071128 />、12月下旬の大阪弁護士会<ref>大阪弁護士会が光市・母子殺害被告弁護士の懲戒請求で所属弁護士を処分せず(スポーツ報知 2007年12月27日15頁)</ref>、仙台弁護士会<ref name=sankei080403 />、2008年4月の広島弁護士会と、いずれもが処分せずの結論を出した<ref name=sankei080403 />。これに対し橋下は2007年12月9日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、「7000通も(懲戒)請求が出てるのに何にも意味がないんだ」と懲戒請求制度および弁護士会の態度に不満を洩らしている。
 
=== 死刑囚Fの実名入り本出版 ===
[[2009年]](平成21年)10月、『F君を殺して何になる― 光市母子殺害事件の陥穽 ― 』(Fは当時、上告中だった際の旧姓) ISBN 978-4-9035-3803-7 が出版。これに対し、Fの弁護団側は、同年[[10月5日]]に出版差し止めの[[仮処分]]を[[広島地方裁判所|広島地裁]]に申し立てているが「本は公益を図る目的であり、実名記載に同意していた」という理由で却下された。
 
この本の著者である[[増田美智子]]「Fに了解を取って実名を公表した」と主張している。しかし、Fの弁護団側は「Fから話を聞いていない」と、双方の主張が交錯しており、F側は「プライバシー権・肖像権の侵害」を理由として出版差し止めと約1300万円の損害賠償を求める裁判を起こしたが、2012年5月23日にでた地裁判決ではF側の主張を一部認めて著者側に66万円の支払いを命じたものの、出版差し止めについては認められなかった<ref name="YOMI20120523">{{Cite news |和書|title=光母子実名本、死刑囚の出版差し止め請求は棄却 |newspaper=[[読売新聞]] |date=2012-05-23 |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120523-OYT1T00605.htm |accessdate=2019-04-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120525214444/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120523-OYT1T00605.htm |archivedate=2012年5月25日}}</ref>。
 
F側は地裁の判決を不服として控訴していたが、広島高等裁判所は2013年5月30日に「出版による権利侵害は認められない」として地裁判決を取り消す判決を出した。顔写真掲載については「加害者に対する社会的関心は高く、少年法61条を考慮しても報道の自由として許される」と判断。手紙についても「Fは取材に積極的に協力しており、掲載を承諾していたと判断できる」とした。
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== マスメディア ==
[[放送倫理・番組向上機構]](BPO)は本事件に関する差戻控訴審の判決前の報道について、被害者遺族側の一方に寄った「集団的過剰同調」があり、Fや弁護団側への中立性を欠いた報道であった旨を指摘した<ref>報道の現状 議論多岐に――マスコミ倫理懇談会(朝日新聞 2008年9月30日付朝刊 第13版 第37面)</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.bpo.gr.jp/?p=2808 |title=光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見 |accessdate=2019-04-08 |date=2018-04-15 |website=BPO |work=放送倫理検証委員会 委員会決定 第4号 |publisher=[[放送倫理・番組向上機構]]}}</ref>。
 
[[阿武野勝彦]]も[[2008年]](平成20年)に弁護団側から取材したドキュメンタリー番組『光と影 〜光市母子殺害事件 弁護団の300日〜』で民放連賞最優秀の表彰を受けている<ref>ひと――ドキュメンタリーで賞を次々受けたテレビプロデューサー 阿武野勝彦さん(49)(朝日新聞 2008年10月30日付朝刊 第13版 第2面)</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.j-ba.or.jp/category/awards/jba100935#cf5358af |title=日本民間放送連盟賞/2008年(平成20年)入選・事績 |accessdate=2019-04-08 |year=2008 |website=日本民間放送連盟 |work=表彰番組・事績 |publisher=[[日本民間放送連盟]]}}</ref>。
 
== 脚注 ==