「ミッチー・ブーム」の版間の差分

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パレードに先立ち、テレビの[[メーカー]]各社は競って宣伝を行なったため消費者は実況生中継を見ようとし、テレビの売り上げが急伸、パレードの一週間前に [[日本放送協会|NHK]] の受信契約数(いわゆる普及率)は、200万台を突破<ref>「[http://www.mirokunosato.com/kaikoNP/NO0405.html 教室とともに残る思い出]」ページ末尾参照</ref>。またテレビ製造メーカー、週刊誌各社は大量消費社会へのテイクオフを果たし、テレビ[[コマーシャルメッセージ|コマーシャル]]や週刊誌の消費が伸びる契機となった。
 
日本の経済、ファッション、マスメディアなどの変遷を語る上でエポックとなった空前のミッチー・ブームが起きたちょうどそのころ、[[日本の経済]]は[[岩戸景気]]に突入し、[[高度経済成長]]時代を迎える。マスメディアはその後も彼女の皇太子妃としての生活--第一子([[皇太子徳仁親王|浩宮]])誕生、第二子([[秋篠宮文仁親王|礼宮]])誕生、子育て--などの様子を頻繁に取り上げ、美智子妃は国民にとっての「象徴」としての役割、すなわちいわば「憧れ」<ref>[[国立国会図書館]]『[[日本国憲法]]の誕生』[http://www.ndl.go.jp/constitution/ronten/01ronten.html 「論点1 国民主権と天皇制」4 日本政府案の作成と帝国議会の審議]</ref>の対象としての地位を確立してゆく。[[政治学者]]の[[松下圭一]]、これら一連の「ミッチー・ブーム」社会現象を切り口にして[[天皇制]]を分析した著作『大衆天皇制論』を[[1959年]](昭和34年)に著している。
 
[[2005年]]([[平成]]17年)出版のDVDブック『昭和ニッポン』(第8巻『美智子さまブームと東京タワー』など全24巻)を共同執筆した[[横浜市立大学]]助教授の[[古川隆久]]助教授ミッチー・ブーム前後のメディアの皇室報道を検証して「逆説的ですが、民間人出身の皇太子妃が誕生したことで、国民は皇室との距離を実感してしまったのではないでしょうか」と分析している<ref>asahi.com 「be on Saturday > entertainment」: 「[http://be.asahi.com/20050108/W24/0009.html 『サザエさんをさがして』親類からセレブになった皇室]」([[2005年]][[1月8日]])は、[[長谷川町子]]が[[4コマ漫画]]「[[サザエさん]]」のテーマとして皇室を取り上げてきた変遷を辿る記事。この中でミッチー・ブームを境として、国民の皇室観が大きく変化したとする古川隆久助教授の分析を紹介している。古川助教授の説によれば、ミッチー・ブームは皇室がいわば国民一人ひとりの身内のような近感のある存在から、[[セレブリティ]]へと変貌を遂げる転換点だったことになる</ref>。
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ファイル:Wedding of Crown Prince Akihito stamp of 10Yen.jpg|記念切手10円