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*{{仮リンク|ウィリアム・
*[[マグレガー・メイザース]] <small>(1897-1903)</small>
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'''黄金の夜明け団'''(おうごんのよあけだん、''{{lang|en|The Hermetic Order of the Golden Dawn}}'')は、[[19世紀]]末
創設者の{{仮リンク|
==誕生までの経緯==
{{Main|{{仮リンク|暗号写本|en|Cipher Manuscripts}}}}
[[File:Polygraphiae.jpg|thumb|
[[ファイル:Golden Dawns charter.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|設立許可証]]
黄金の夜明け団の誕生は、英国[[フリーメイソン|フリーメーソン]]内の[[サロン|オカルト系サロン]]である{{仮リンク|英国薔薇十字協会|en|Societas Rosicruciana in Anglia}}の会員{{仮リンク|ウィリアム・ウィン・ウェストコット|en|William Wynn Westcott}}が、1886年2月に知人から「{{仮リンク|暗号写本|en|Cipher Manuscripts}}」と呼ばれる興味深い小冊子を受け取った事から始まる。ウェストコットはこの写本が、中世の学者[[ヨハンネス・トリテミウス|トリテミウス]]が著した書物{{仮リンク|ポリグラフィア|en|Polygraphia (book)}}にある[[換字式暗号|暗号法]]で書かれてる事を見抜き、友人の[[マグレガー・メイザース]]に協力を依頼して解読に取り掛かった。
1887年9月に全ての復号化に成功したウェストコットは、文書の中にドイツ在住の{{仮リンク|アンナ・シュプレンゲル|en|Anna Sprengel}}という人物の住所を見つけ、同時に返信を望んでいる一文も確認した。アンナと書簡連絡を取るようになったウェストコットは、彼女を伝説の[[薔薇十字団]]の教義を継承する偉大な魔術師であると認め、[[秘密の首領]]と仰ぐようになった。かねてより独自のオカルト団体を作りたいと考えていたウェストコットは、アンナ嬢との手紙のやり取りの中でその意志を伝えると、彼女からドイツ[[薔薇十字団]]が公認する魔術結社設立の許可を受け取った。その教義内容は暗号写本に記載されてるものとなった。ウェストコットはこの秘密の首領のお墨付きを元に、友人メイザースと年長の{{仮リンク|ウッドマン博士|en|William Robert Woodman}}を共同創立者にして、1888年3月1日に[[聖堂|聖堂(テンプル)]]と称する魔術結社の運営施設をロンドンに開いた。
==聖堂の成立==▼
[[File:William Wynn Westcott PNG.png|thumb|right|150px|ウィリアム・ウィン・ウェストコット]]▼
[[File:Samuel Liddell MacGregor Mathers in Egyptian getup.jpg|thumb|right|150px|マグレガー・メイザース]]▼
[[1888年]][[3月1日]]、[[ロンドン]]にドイツ[[薔薇十字団]]の聖堂に続くNo.3となる「{{仮リンク|イシス・ウラニア聖堂|en|Isis-Urania Temple}}」を設立した。またSRIAと違い男女平等とした。同年には[[ウェストン・スーパー・メア]]に[[オシリス]]聖堂、[[ブラッドフォード (イングランド)|ブラッドフォード]]に[[ホルス]]聖堂を設立する。[[1893年]]には[[エディンバラ]]に[[アーメン]]・[[ラー]]聖堂、[[パリ]]に[[ハトホル]]聖堂を設立した。その後、[[アメリカ合衆国]]にも広まり、1900年までには[[シカゴ]]に[[トート]]・[[ヘルメース]]聖堂が設立された。▼
これが黄金の夜明け団の発足であり、ドイツ[[薔薇十字団]]の流れを汲むものとされた。ウェストコットが運営面を担当し、メイザースは教義面を担当した。冒頭の英国薔薇十字協会の会長でもあるウッドマン博士は権威付けの為の名義貸しの様なものだった。この三人は同時に[[アデプト]]となり団体の首領となった。英国薔薇十字協会は[[キリスト教神秘主義]]の更に深遠を扱う{{仮リンク|キリスト教秘儀派|en|Esoteric Christianity}}のサロンであり、在籍者は[[フリーメイソン|フリーメーソン]]会員に限られていた。黄金の夜明け団は事実上その分派であったが、一般人でも入団出来た事から組織的な繋がりはなく、また教義上の系譜も否定された。
▲[[File:Samuel Liddell MacGregor Mathers in Egyptian getup.jpg|thumb|
[[File:FlorenceFarrFace.jpg|thumb|201x201px|フローレンス・ファー|代替文=]][[File:Picture of Moina Mathers from her performance in the Rites of Isis in Paris.jpg|thumb|
[[ファイル:Annie Horniman.jpg|サムネイル|203x203ピクセル|アニー・ホーニマン]]
[[ファイル:Maude Gonne McBride nd.jpg|サムネイル|234x234ピクセル|モード・ゴーン]]
[[ファイル:Pamela Colman Smith circa 1912.jpg|サムネイル|252x252ピクセル|パメラ・C・スミス]]
[[ファイル:Sara Allgood - Project Gutenberg eText 19028.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|サラ・オールグッド]]
[[ファイル:Photoevelyn3.jpg|サムネイル|207x207ピクセル|エブリン・アンダーヒル]]
[[ファイル:Moina Mathers.jpg|サムネイル|228x228ピクセル|モイナ・ベルグソン]]
▲
[[フリーメイソン|フリーメーソン]]会員限定だった{{仮リンク|英国薔薇十字協会|en|Societas Rosicruciana in Anglia}}と異なり、ウェストコットの意向で黄金の夜明け団は一般人にも門戸が開かれていた。またメーソン系とは一線を画して団内を男女平等にし、補職と待遇に性差による区別を付けなかった。団員は主に紹介と推薦によって集められ、また[[大英博物館]]周辺などでこれはと思った人物を勧誘する事もあった。その際はフリーメーソンと英国薔薇十字協会のブランドが利用され、更に興味を引いた人間には[[薔薇十字団]]の名も持ち出された。こうして設立から2年の間に文化人、知識人、上流階層を中心にして100名以上が加入した。
==隆盛そして軋轢==
{{See also|秘密の首領}}
1890年
==分裂==
ブライスロードの事件で黄金の夜明け団の確執と亀裂は修復不可能となった。イシスウラニア聖堂は主宰者{{仮リンク|フローレンス・ファー|en|Florence Farr}}の多数派と、{{仮リンク|ベリッジ|en|Edmund William Berridge}}を中心とするメイザース支持派に分裂した。この内紛を傍観する立場だったホルス聖堂とオシリス聖堂はそのままメイザースの下に残った。{{仮リンク|ブロディ・イネス|en|John William Brodie-Innes}}主宰のアメンラー聖堂はファー派に合流した。こうして1900年6月の時点で黄金の夜明け団は、メイザース派とファー派に二分される事になった。
その後のファー派では新たな内輪揉めが発生したので、収束の為に[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|W・B・イェイツ]]が新しく代表に就任したが、数々の衝突に嫌気が差したイェイツは1901年に退団した。同年に{{仮リンク|ホロス夫妻|en|Ann O'Delia Diss Debar}}の詐欺事件にメイザースが巻き込まれて黄金の夜明け団の名称がスキャンダラスに報道されてしまった為に、止む無くメイザース派は「{{仮リンク|A∴O∴|en|Alpha et Omega}}」と改称し、体面を重んじるファー派も「{{仮リンク|曙の星|en|Stella Matutina}}」に改名した。直後にファーは退団し「暁の星」はブロディ=イネスと{{仮リンク|フェルキン|en|Robert William Felkin}}が代表になった。1903年になると従来の教義に否定的だった[[アーサー・エドワード・ウェイト|A・E・ウェイト]]の派閥が「暁の星」から離脱して、新しく「聖黄金の夜明け団」を設立した。儀式魔術に反発しつつ在籍を続けたウェイトは、自分の団体作りの為にイシスウラニア聖堂を利用していた事になるが、いわく付きとなった黄金の夜明け名義を採用してるので一定の思い入れはあった様である。ウェイトの独立劇で「暁の星」は多くの団員を失った。その後はブロディ=イネスがフェルキンの方針に不満を覚えて[[エディンバラ]]へ帰還し、1907年までに自身主宰のアメンラー聖堂と共に「暁の星」を離れて、メイザースと和解した後に「A∴O∴」へ合流した。更に団員を失った「暁の星」はフェルキンの下で数々の混乱を経ながら続いた。一方で分裂の原因となった[[アレイスター・クロウリー]]は結局、メイザースとも仲違いした末に飄然と世界放浪へ旅立って帰還後の1907年に「[[銀の星]]」を結成した。
最終的に、黄金の夜明け団は「{{仮リンク|曙の星|en|Stella Matutina}}」「{{仮リンク|A∴O∴|en|Alpha et Omega}}」「聖黄金の夜明け団」「[[銀の星]]」といった四つの団体に分裂して、その教義は様々な形で受け継がれながらも歴史の中に姿を消したのである。
黄金の夜明け団の教義は、古今東西の隠秘学知識の綜合体とも言うべきものある。ユダヤの秘教哲学である[[カバラ]]を中心にして、[[神智学]]の流れを汲む東洋神秘思想、[[エジプト神話|エジプト神話学]]、[[グリモワール]]、[[四元素|古典元素]]、[[タロット]]、[[星占い|星占術]]、[[ジオマンシー]]、[[錬金術]]、[[エノク語]]、ルネサンス期系譜魔術、[[タットワ]]を含むインド密教などあらゆる知識が習合されていた。ただし、彼ら英国人にとって親しみ易いはずの[[キリスト教神秘主義]]はある程度意図的に避けられていたようで、これは同時に一つの方向性を示している。カバラに内包される[[生命の樹]]が団内の聖典的な象徴図表とされ、上述の各分野から引用される多種多様な知識は生命の樹の各要素に対照させる形で分類され整理された。その中にはこじつけ的な照応も散見されるが、あらゆる隠秘学及び神秘思想分野から蒐集された知識群の比較的高度な体系化が黄金の夜明け団教義の最大の特徴であった。
上述の知識群は創設者を始めとするアデプト達が、言わば自由研究的に持ち寄って考察を加えた後に教義の方向性に沿う形で再解釈され、必要に応じて団内のカリキュラムに組み込まれた。魔術の研鑽に必要とされる様々な知識は、アデプトによってテキスト化されて秘儀参入者達に学ばれた。団内ではアデプト銘々の独自研究が奨励されており、それぞれの研究成果は飛翔する巻物と題された団内文書の各巻に編集されてアデプト達の間で相互に閲覧された。この自由な知識探究の気風は団内の教義を発展させる原動力となったが、他方で迷走の一因にもなった。
団員たちは秘儀参入時に団内で得た知識を口外しない事を誓約していたので、その教義内容
== 実践内容 ==
黄金の夜明け団は儀式魔術を眼目にした団体であり、上述の教義知識はそのセレモニー(魔術儀式)の中で最大活用された。儀式魔術とは、舞台となる密室の設置から室内に細かく配置する大道具小道具の取り揃え及び参加者それぞれの衣装と台詞と動作の一つ一つに特定の知識を伴うという特別な演劇を媒体にした秘教哲学の体現化芸術であった。儀式魔術の実践は団員の連帯感を高めると同時に、参加者たちの感性と知覚能力に一定の影響を及ぼすと信じられており定期的に履行された。
また、[[アストラル投射]]と称される夢見技法も持てはやされていた。黄金の夜明け団はこの夢見技法をマニュアル化しており、かなりの個人差はあったがそれなりの確率で白昼夢の世界に入り込む事が出来たようである。アストラル投射の手順とは、特定の象徴物を凝視しながら意識を集中し自分自身がその象徴の中に入り込むように想像力を強く働かせるというものだった。熟達するにつれて始めは無理矢理想像していたイメージの実感が徐々に明確になり、ついには立体化した想像空間が意識の集中を離れて自動的に脳内で織り成されるようになる。それが[[アストラル旅行]]の出発点となった。[[スクライング]]との違いは、より能動的に幻視された世界を動き回れる事である。凝視する象徴物の組み合わせを変える事で、アストラル旅行の内容も様々に変化するという奥深さが多くのアデプトを虜にした。前述の[[生命の樹]]を中心にした象徴照応教義はこの時に最大活用された。ただし、情緒不安定を誘引するという副作用も指摘されており多用は戒められていた。またアストラル投射の中で時折得られる印象的な啓示や神託は、自我の肥大と過度の自己主張を引き起こす原因にもなって団体内に不和と軋轢を生じさせる事もあった。
▲==教義・階級==
==団員の位階==
{{See also|[[銀の星#位階構造]]}}ウェストコットは黄金の夜明け団の位階を制定するに際し、{{仮リンク|英国薔薇十字協会|en|Societas Rosicruciana in Anglia}}の位階をほとんどそのまま持ち込んでいる。その最下位にニオファイトを新設し、最上位にイプシシマスを追加した。魔術結社風のアレンジとして各位階を[[生命の樹]]のそれぞれの[[セフィロト|セフィラ]]に対応させ、上昇=下降のペア階段値を付け加えた。ニオファイトは生命の樹の枠外とした。入団者はニオファイトを出発点とし、それぞれの段階の昇格試験をクリアする事で上の位階へと進んだ。この黄金の夜明け団の位階制度は、後継魔術団体の手本とされて現代に到るまで踏襲され続けている。
11の位階は第一オーダー(外陣)、第二オーダー(内陣)、第三オーダーの三層に分割されており、それぞれ別グループに扱われて個別の団名を持った。黄金の夜明け団は建前上この三層構成とされた。外陣は一般団員用である。ポータルは外陣と内陣の橋渡し段階であり、アデプトになる前の準備期間とされた。内陣に進むと晴れてアデプトとして認められた。内陣は幹部団員専用だった。当初は肉体を持ったままの魔術師が到達出来るのはアデプタス・マイナーまでとされていたが、後継団体を含む後期になると幹部団員の中から特に根拠も無くアデプタス・メジャー昇格を宣言する者も現れるようになった。アデプタス・イグゼンプタスは創立者専用の名誉位階として用いられる事が多い。第三オーダーはほとんど架空の存在だった。
▲その内容は長らく謎に包まれていたが、[[イスラエル・リガルディー]]によって出版されて公に知れることになった。なお、リガルディーは1969年に自宅を魔術マニアに荒らされ、コレクションを盗まれる。関係者の中にはこれを天罰だという向き{{誰|title=この記述およびその情報源(註参照)は、「これは天罰だろう」と述べた人物の名を明示していません。|date=2014年2月}}もあった<ref>イスラエル・リガルディー編 『黄金の夜明け魔術全書 下』 [[江口之隆]]訳、国書刊行会、1993年、「訳者解説」</ref>。
:理論者({{lang|la|Theoricus}}、セオリカス)(2°=9<sup>{{unicode|□}}</sup>)▼
▲;熱心者({{lang|la|Zelator}}、ジーレイター<ref group="注釈">日本では慣習的に「ジェレイター」と表記される。</ref>)
:実践者({{lang|la|Practicus}}、プラクティカス)(
▲:(2°=9<sup>{{unicode|□}}</sup>)
▲; 中間—ポータル グレード
:大達人 ({{lang|la|Adeptus Major}}、アデプタス・メイジャー)(
:魔術師 ({{lang|la|Magus}}、メイガス)(
▲;自己自身者({{lang|la|Ipsissimus}}<ref group="注釈">[[Wiktionary:ipsissimus|ipsissimus]]:ラテン語の強意代名詞 ipse (他ならぬ;それ自身)を語幹とする形容詞最上級の男性単数主格形。「まさしく他ならぬ…そのもの」の意。</ref>、イプシシマス)
==在籍した人物==
*[[ウィリアム・バトラー・イェイツ]] - 1923年度ノーベル文学賞▼
▲[[File:Picture of Moina Mathers from her performance in the Rites of Isis in Paris.jpg|thumb|right|150px|ミナ・メイザース]]
▲*[[ウィリアム・バトラー・イェイツ]]
*[[アーサー・エドワード・ウェイト]]
*[[アレイスター・クロウリー]]
*[[アルジャーノン・ブラックウッド]] - 作家
*[[アーサー・マッケン]] - 作家
*[[グスタフ・マイリンク]] - 作家
*[[ウィリアム・シャープ (作家)|ウィリアム・シャープ]] - 作家
*[[パメラ・コールマン・スミス]] - 画家
*{{仮リンク|エドモンド・ウィリアム・ベリッジ|en|Edmund William Berridge}} -
*{{仮リンク|アラン・ベネット (魔術師)|label=アラン・ベネット|en|Charles Henry Allan Bennett}}
*{{仮リンク|アンナ・デ・ブレモント|en|Anna de Brémont}} - ジャーナリスト
*{{仮リンク|ジョン・ウィリアム・ブロディ・イネス|en|John William Brodie-Innes}} - 医師
*{{仮リンク|フローレンス・ファー|en|Florence Farr}} - 女優
*{{仮リンク|ロバート・ウィリアム・フェルキン|en|Robert William Felkin}} - 医師
*{{仮リンク|フレデリック・リー・ガードナー|en|Frederick Leigh Gardner}}
*{{仮リンク|モード・ゴーン|en|Maud Gonne}} - 女優、女性運動家
*{{仮リンク|アニー・ホーニマン|en|Annie Horniman}} - 劇場主催者
*{{仮リンク|ミナ・メイザース|en|Moina Mathers}}
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}'''注釈'''{{Notelist}}'''出典'''{{Reflist}}
==関連項目==
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