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戻す スリガオ海峡はレイテ湾に接し、レイテ島に接しているので、レイテで海戦が無いというのは正確でない
失礼致しました。御指摘頂いた誤りを修正してみました
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| colour_scheme=background:#ffccaa;color:#2222cc
| image=[[ファイル:USS Princeton (CVL-23) burning on 24 October 1944 (80-G-287970).jpg|300px]]
| caption=[[ルソン]]東部で1944年10月24日に日本軍の攻撃を受け炎上する米空母[[プリンストン (CVL-23)|プリンストン]]
| conflict=[[太平洋戦争]]
| date=1944年10月20日 - 25日
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| casualties2=航空母艦1<br />護衛空母2<br />駆逐艦2<br />護衛駆逐艦1沈没など
}}
[[File:レイテ沖海戦図A3.svg|thumb|300px|right|レイテ沖海戦での日米双方の艦隊の航路図|代替文=]]
'''レイテ沖海戦'''(レイテおきかいせん、{{lang-en|''Battle of Leyte Gulf''}})は、[[第二次世界大戦]]中の[[1944年]][[10月20日]]から同[[10月25日|25日]]にかけて[[フィリピン]]およびフィリピン周辺の広大な海域で発生を舞台に、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]と[[アメリカ海軍]]及び[[オーストラリア海軍]]からなる連合国軍との間で交わされた一連の[[海戦]]の総称である当時の呼称で'''フィリピン沖海戦'''<ref group="注釈">当時の戦闘詳報やそれ奪回元にして戦後製作された戦史叢書では『フィリピン沖海戦』と目指して侵攻す。「比島」「菲島」はフィアメピン島の略字。実際当時の大カ軍を、日営による発表でもフィリピン沖戦とされ、当時のニュース映像でもそう紹介され軍が総力を挙げ迎撃す。</ref>形で発生した
 
レイテ沖海戦という呼称は、アメリカ軍が揚陸地点に定めた作戦上の要地である[[レイテ湾]]に因んでいるが、戦争当時の日本は'''フィリピン沖海戦'''と呼んでおり<ref group="注釈">当時の戦闘詳報やそれを元にして戦後製作された戦史叢書では『フィリピン沖海戦』としている。「比島」「菲島」はフィリピン島の略字。実際当時の大本営による発表でもフィリピン沖海戦とされ、当時のニュース映像でもそう紹介されている。</ref>、後にアメリカ側の呼称を採用した。双方合わせて20万人以上の海上兵員が参加し、日米共に稼働艦艇と航空機を総動員した膨大な数の兵器が投入されている事から'''史上最大の海戦'''と称される事もある。
==呼称について==
今海戦は現在では連合国側の主攻目標と日本側の作戦目標の一つが共に[[レイテ島]](レイテ湾)であったことからアメリカ側呼称の'''レイテ沖海戦'''(Battle of Leyte Gulf)が広まり、日本でもそう呼称されるのがほとんどだが、当時の日本側の呼称は'''フィリピン沖海戦'''もしくは漢字表記の'''比島沖海戦'''、'''菲島沖海戦'''である。「レイテ沖海戦」の名称は公式には使用していない。
 
この6日間の海上戦役は、'''[[#シブヤン海海戦|シブヤン海海戦]]'''、'''[[#スリガオ海峡海戦|スリガオ海峡海戦]]'''、'''[[#エンガノ岬沖海戦|エンガノ岬沖海戦]]'''、'''[[#サマール沖海戦|サマール沖海戦]]'''といった四つの海戦で構成されており、その他に基地航空部隊による交戦も頻繁に行なわれていた。また、[[神風特別攻撃隊]]が始めて組織的に運用されている。[[連合艦隊]]の残存戦力の全てをつぎ込んだ決死の海上展開は「[[捷号作戦|捷一号作戦]]」として発動された。日本海軍の艦隊戦力はこのレイテ沖海戦を最後にして事実上消滅し、10月21日に[[レイテ島]]に上陸したアメリカ軍の[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]は、25日に同島に司令部を設置した。
なお、アメリカ側呼称も上記のほかに (2nd battle of the Philippine Sea)がある。
 
本海戦を細分化すれば'''[[#シブヤン海海戦|シブヤン海海戦]]'''(Battle of the Sibuyan Sea)、'''[[#スリガオ海峡海戦|スリガオ海峡海戦]]'''(Battle of Surigao Strait)、'''[[#エンガノ岬沖海戦|エンガノ岬沖海戦]]'''(Battle of Cape Engano)、'''[[#サマール沖海戦|サマール沖海戦]]'''([[:en:Battle off Samar|Battle off Samar]])などの諸海戦や、基地航空隊による通常攻撃や、この海戦で初めて採用された[[神風特別攻撃隊]]の攻撃などからなるが、戦局に与えた影響や評者による議論の仕方によっては事前の様々な背景が採り上げられることもある。
 
== 概要 ==
連合軍の作戦名は'''[[キングII作戦]]'''(''Operation KING II''<ref>英標記はDefense Technical Information Center所収の論文及び原勝洋『日米全調査 決戦戦艦大和の全貌』の標記に従った</ref>)でレイテ島奪還が目的<!--レイテ奪還決定後もその後の進路はルソンか台湾かで揉めたため-->、日本側の作戦名は'''[[捷一号作戦]]'''でアメリカ軍の進攻阻止が目的であった。日本海軍の艦隊戦力はこの海戦での敗北を最後に事実上壊滅し、以後大規模かつ組織的活動が不可能となった。<!--なお、組織的抵抗という表現を使う者がいるが何を持って規模を規定するかは論者による。制空権を重視しマリアナ以前を基点に置く意見もあったはず。また、「組織的」という点については以後の主要戦闘もほぼ全て国家の意思による組織的なものであり、ゲリラ的なものではない。以後も海軍による航空作戦は活発に行なわれたため上記の表現とした。-->また、この海戦で日本側ははじめて[[特別攻撃隊|神風特別攻撃隊]]による攻撃をおこなった。
 
日本海軍は稼働艦艇の多くの投入を企図するなど総力を挙げ、後の戦闘を見越し陸軍も多数の部隊を配置し、アメリカも太平洋に展開する大半の軍事力(特に海軍)を投じたうえに、同盟国のオーストラリア海軍の支援を得て戦った。動員された双方の戦力、ならびに戦域の広さは、世界海戦史上最大規模と言ってよく、'''史上最大の海戦'''とも称されることがある。<!-- 戦争の帰趨が何時をもって決したかは評者により見解が異なるため右の類の表現は用いるべきではない。同種の書き込みがないようにコメントアウト→ この戦いにより太平洋戦争の帰趨は事実上決した。-->
 
== 両軍の作戦計画 ==