「黄金の夜明け団」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Ruberae --> Rubeae (typo)
編集の要約なし
67行目:
{{要出典範囲|以下はウェストコットの供述となるが、この一連の文書が16世紀の書物『{{仮リンク|ポリグラフィア|en|Polygraphia (book)}}』記載の[[換字式暗号|暗号法]]で書かれている事に気付いた彼は、早速解読に取り掛かったという|date=2019-05-27}}。同年9月に全ての復号化に成功したウェストコットは、文書の中にドイツ在住の{{仮リンク|アンナ・シュプレンゲル|en|Anna Sprengel}}という人物の住所を見つけ、同時に返信を望んでいる一文も確認した。アンナと書簡連絡を取るようになったウェストコットは、彼女を伝説の[[薔薇十字団]]の教義を継承する偉大な魔術師であると認め、[[秘密の首領]]と仰ぐようになった。かねてより独自のオカルト団体を作りたいと考えていたウェストコットは、アンナ嬢との手紙のやり取りの中でその意志を伝えると、彼女からドイツ「黄金の夜明け団」({{lang-de-short|die goldene Dämmerung}})の公認する支部設立の許可を受け取った。その教義は暗号文書の記載内容に則ったものと定められた。ウェストコットはこの秘密の首領のお墨付きを元に、友人[[マグレガー・メイザース]]と年長の{{仮リンク|ウィリアム・ロバート・ウッドマン|en|William Robert Woodman}}を共同創立者にして、1888年3月1日に[[神殿|神殿(テンプル)]]と称する魔術結社の運営施設をロンドンに開いた。以上が黄金の夜明け団の公式的創立譚である{{efn2|この創立譚はあくまで神話である。前述の暗号文書がウェストコットの偽造でないことは確実であるが、その入手経路について現代の研究者はウェストコットの主張を必ずしも額面通りに受けとっていない{{sfn|吉村|2013|pp=63-64}}。そして、その後に起ったシュプレンゲルとの文通はウェストコットの捏造であろうと考えられている{{sfn|吉村|2013|p=65}}{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=197}}。}}。
 
こうして発足した黄金の夜明け団は、ドイツ[[薔薇十字団]]の流れを汲むものとされた。ウェストコットが運営面を担当し、メイザースは教義面を担当した。冒頭の英国薔薇十字協会の会長でもあるウッドマンは権威付けのための名義貸しのようなものであった。この三人は同時に[[アデプト]]となり団体の首領となった。英国薔薇十字協会は{{要出典|[[キリスト教神秘主義]]のさらに深遠を扱う{{仮リンク|キリスト教秘儀派|en|Esoteric Christianity}}のサロンであり|date=2019-05-25}}、在籍者は[[フリーメイソン]]に限られていた。黄金の夜明け団は事実上その分派であったが、一般人でも入団できたことから組織的な繋がりはなく、また教義上の系譜も否定された。<gallery mode="packed" heights="160">
[[Fileファイル:WilliamRobertWoodman.png|thumb|200x200px|ウッドマン|代替文=]]
ファイル:William Wynn Westcott PNG.png|ウェストコット
[[Fileファイル:Samuel Liddell MacGregor Mathers in Egyptian getup.jpg|thumb|203x203px|メイザース|代替文=]]
</gallery>
 
==神殿の開設==
[[ファイル:Anna Kingsford.jpg|代替文=|サムネイル|181x181ピクセル|フロイライン・シュプレンゲルのモデルとも言われる A. Kingsford]]
[[File:WilliamRobertWoodman.png|thumb|200x200px|ウッドマン|代替文=]]
[[File:William Wynn Westcott PNG.png|thumb|182x182px|ウェストコット|代替文=]]
[[File:Samuel Liddell MacGregor Mathers in Egyptian getup.jpg|thumb|203x203px|メイザース|代替文=]]
[[File:Picture of Moina Mathers from her performance in the Rites of Isis in Paris.jpg|thumb|230x230px|モイナ・メイザース|代替文=ミナ・ベルクソン]]
[[File:FlorenceFarrFace.jpg|thumb|201x201px|フロレンス・ファー|代替文=]]
[[ファイル:MaudeMoina Gonne McBride ndMathers.jpg|代替文=ミナ・ベルクソン|サムネイル|200x200227x227ピクセル|モードイナゴンメイザース]]
[[ファイル:Annie Horniman.jpg|サムネイル|203x203ピクセル|アニー・ホーニマン]]
[[ファイル:Maude Gonne McBride nd.jpg|サムネイル|234x234px|モード・ゴン|代替文=]]
[[ファイル:Pamela Colman Smith circa 1912.jpg|サムネイル|218x218ピクセル252x252px|パメラ・C・スミス|代替文=]]
[[ファイル:Sara Allgood - Project Gutenberg eText 19028.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|セーラ・オールグッド]]
1888年3月1日に最初の運営施設となる「{{仮リンク|イシス・ウラニア神殿|en|Isis-Urania Temple}}」が英国ロンドンに開かれた。続けて年内に[[サマセット州]]の[[ウェストン・スーパー・メア|ウェストン・スーパー・メア区]]に「[[オシリス]]神殿」が、[[ウェスト・ヨークシャー州|西ヨークシャー州]]の[[ブラッドフォード (イングランド)|ブラッドフォード市]]にも「[[ホルス]]神殿」が開設された。さらに主要団員の{{仮リンク|J・W・ブロディ=イネス|labe=ブロディ=イネス|en|John William Brodie-Innes}}が[[エディンバラ]]の地に「[[アメン]]・[[ラー]]神殿」を設立した。1892年にメイザースはロンドンを離れて[[パリ]]に移住し、そこで自身の「[[ハトホル|アハトル]]神殿」を立ち上げた。その後、アメリカ人参入者によって1900年までにいくつかの在米神殿が設立されたが{{sfn|江口|亀井|1983|pp=65-66}}、これに関して、メイザースは北米の参入者に対して金銭と引き替えに実力に見合わない高位階を授けていたのではないかという話がある{{sfn|キング|江口訳|1994|pp=134-135}}。そのうちの「[[トート]]・[[ヘルメース|ヘルメス]]神殿」は[[シカゴ]]に開かれた(この支部は後に{{仮リンク|ポール・フォスター・ケイス|en|Paul Foster Case}}を輩出する)。{{独自研究範囲|こちらはフランチャイズ的な組織であったようである|date=2019-05-27}}。
 
97 ⟶ 101行目:
 
==教義概要==
[[File:Tree-of-Life Queens-Colour.png|thumb|160px|[[生命の樹#セフィロトの樹|セフィロトの樹]]|代替文=|左]]
黄金の夜明け団の教義は、古今東西の隠秘学知識の綜合体とも言うべきものある。ユダヤの秘教哲学である[[カバラ]]を中心にして、[[神智学]]の流れを汲む東洋神秘思想、[[エジプト神話|エジプト神話学]]、[[グリモワール]]、[[四元素|古典元素]]、[[タロット]]、[[星占い|占星術]]、[[ジオマンシー]]、[[錬金術]]、[[エノク語]]、[[タットワ]]を含むインド密教などあらゆる知識が習合されていた。ただし、彼ら英国人にとって親しみ易いはずの[[キリスト教神秘主義]]はある程度意図的に避けられていたようで、これは同時に一つの方向性を示している。カバラに内包される[[生命の樹]]が団内の聖典的な象徴図表とされ、上述の各分野から引用される多種多様な知識は生命の樹の各要素に対照させる形で分類され整理された。その中にはこじつけ的な照応も散見されるが、あらゆる隠秘学および神秘思想分野から蒐集された知識群の比較的高度な体系化が黄金の夜明け団教義の最大の特徴であった。
 
104 ⟶ 109行目:
 
== 実践内容 ==
[[ファイル:John William Waterhouse - The Crystal Ball.JPG|左|サムネイル|245x245ピクセル|スクライング]]
黄金の夜明け団は儀式魔術を眼目にした団体であり、上述の教義知識はそのセレモニー(魔術儀式)の中で最大活用された。儀式魔術とは、舞台となる密室の設置から室内に細かく配置する大道具小道具の取り揃えおよび参加者それぞれの衣装と台詞と動作の一つ一つに特定の知識を伴うという特別な演劇を媒体にした秘教哲学の体現化芸術であった。儀式魔術の実践は団員の連帯感を高めると同時に、参加者たちの感性と知覚能力に一定の影響を及ぼすと信じられており定期的に履行された。
 
113 ⟶ 119行目:
==団員の位階==
{{See also|[[銀の星#位階構造]]}}
[[File:Tree-of-Life Queens-Colour.png|thumb|160px|[[生命の樹#セフィロトの樹|セフィロトの樹]]]]
ウェストコットは黄金の夜明け団の位階を制定するに際し、英国薔薇十字協会の位階をほとんどそのまま持ち込んでいる。その最下位に「新参者」を新設し、最上位に「イプシシムス」(真の自己{{sfn|吉村|2013|p=67}})を追加した。黄金の夜明け団の初位階である「新参者」とその上の4位階は暗号文書に依拠していたが、その4位階の名称は18世紀ドイツの黄金薔薇十字団のそれと一致していた{{sfn|吉村|2013|p=67}}。英国薔薇十字協会の位階制度も黄金薔薇十字団の模倣であった{{sfn|吉村|2013|p=73}}。魔術結社風のアレンジとして各位階を[[生命の樹]]の10の[[セフィロト|セフィラ]]と22個の[[生命の樹#22個の小径(パス)|小径]]に対応させ、上昇=下降のペア階段値を付け加えた。「新参者」位階は生命の樹の枠外とした。入団者は「新参者」を出発点とし、それぞれの段階の昇格試験をクリアすることで上の位階へと進んだ。この黄金の夜明け団の位階制度は、後継魔術団体の手本とされて現代に到るまで踏襲され続けている。
 
218 ⟶ 223行目:
 
==在籍した人物==
[[ファイル:Maude Gonne McBride nd.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|モード・ゴン]]
[[ファイル:Pamela Colman Smith circa 1912.jpg|サムネイル|218x218ピクセル|パメラ・C・スミス]]
<!--日本語版有無、50音順-->
{| class="sortable wikitable" style="font-size:80%; "