「法蔵寺 (あま市)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
住所の東溝口は間違いです。あま市中橋が正しいです。
写真入れる
22行目:
 
== 本尊 ==
寺伝にれば、[[永禄]]3年([[1560年]])[[5月 (旧暦)|5月]][[蜂須賀正勝]]が[[桶狭間の戦い]]のおり、戦勝を祈念して[[蓮華寺 (あま市)|蓮華寺]]に奉安されていた鉄地蔵を戦場へ持参することにしたが、鉄造のため重く担ぐのが困難となり、この地に放置し、地蔵が手にもつ[[錫杖]]のみを持って出陣した。後に村民が本寺へ移し祀ったものである。「子安延命地蔵大菩薩」として広く信仰された。「尾張名所図会」には「弘法大師蜂須賀蓮華寺の創建から女人安産の願を込め、鉄によるところの霊像なり、子安地蔵と称す・・・」などと記述され、江戸時代から知られた鉄地蔵であったことが分かる。<nowiki>[[File:宝蔵寺 解説看板.JPG.png]]</nowiki>(この節の主要な出典<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/choukoku/kunisitei/0301.html |title=鉄造地蔵菩薩立像(てつぞうじぞうぼさつりゅうぞう) |publisher=愛知県 |accessdate=2019-06-10}}</ref><!-- 別の出典で記事を追加するには出典をその追加記事の後に脚注を導入して付け加えて下さい。 -->)
 
本尊は[[地蔵|鉄造地蔵菩薩立像]]。高さ160[[センチメートル|cm]]。円頂、衲衣を着け、右手は[[印相|施無畏印]]で、左手に[[宝珠]]を持つ。「一切衆生成仏得道也寛喜二年庚寅八月日願主入蓮」([[寛喜]]2年は[[1230年]])と陽鋳銘がある。1971年(昭和46年)、国の[[重要文化財]]に指定。