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'''中山 裕章'''(なかやま ひろあき、[[1967年]][[11月4日]] - )は、[[高知県]][[高知市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])<ref name="86選手名鑑"/>。
 
{{by|1986年}}に[[1985年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]1位で[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋ホエールズ]]に入団して以降リリーフ・先発で主力投手として活躍した。しかし、{{by|1991年}}オフに幼女への[[強制わいせつ罪|強制わいせつ]]事件を起こして[[神奈川県警察]]に[[逮捕 (日本法)|逮捕]]され<ref name="中日新聞1991-12-26"/><ref name="読売新聞1991-12-26"/>、後に[[横浜地方検察庁]]から[[不起訴処分]]となるものの球団を解雇された<ref name="中日新聞1992-01-08"/><ref name="読売新聞1992-01-08"/>。
 
この事件を受けて[[セントラル・リーグ]]は[[日本野球機構]](NPB)全12球団に対し「無期限契約回避措置を要望する声明」を通達したが<ref name="中日新聞1992-01-08-解説"/>、声明が2年後の{{by|1993年}}オフに解除され[[中日ドラゴンズ]]で[[打撃投手]]として球界復帰し<ref name="中日新聞1993-12-28"/>、翌{{by|1994年}}シーズン途中に現役復帰([[支配下選手登録]])を果たしてからは中日でリリーフとして活躍し{{by|1999年}}のリーグ優勝に貢献した。
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;※以下、肩書などはいずれも当時のものとする。
;1991年11月12日、横浜市金沢区内で少女に対する連続強制わいせつ事件
:しかしところが1991年11月12日午後3時10分ごろ、中山は[[神奈川県]][[横須賀市]]内の[[横浜DeNAベイスターズ総合練習場|横浜大洋ホエールズ総合練習場]]から横浜市緑区内の自宅に車で帰宅していた途中、横浜市[[金沢区]][[六浦町]]の住宅街路上で小学5年生の少女(当時11歳)に対し<ref name="週刊文春1992-01-16">『週刊文春』1992年1月16日新春特別号 p.191-193「下半身吠えーるず 問われる大洋の身の下管理 哀れ!人生を棒に振ったロリコンエース中山裕章」([[文藝春秋社]])</ref>、自分の下半身を露出する<ref name="週刊文春1992-01-16"/>・スカートの上から体を触るなどのわいせつな行為をした<ref name="中日新聞1991-12-26"/><ref name="読売新聞1991-12-26"/>。その5分後、中山は同じ場所で帰宅途中の幼稚園女児(当時6歳)に対し<ref name="中日新聞1991-12-26"/>、抱き上げて下着を脱がせるなど<ref name="週刊文春1992-01-16"/>わいせつな行為をした<ref name="中日新聞1991-12-26"/><ref name="読売新聞1991-12-26"/>。
:横浜市内では同年秋ごろから女児への連続強制わいせつ事件が発生していたことから<ref name="朝日新聞1991-12-26"/>、[[神奈川県警察]]が捜査本部を設置し<ref name="朝日新聞1991-12-26"/>、12日の事件を同一犯の仕業とみて<ref name="読売新聞1991-12-26"/>、被害が多発した時間帯に現場付近を捜査員が警戒するなど、張り込み捜査を進めていた<ref name="朝日新聞1991-12-26"/>。その結果、事件2日後の11月14日午後3時ごろ、白とグレーの[[メルセデス・ベンツ|ベンツ]]に乗った男が現場付近を約15分間うろついたり<ref name="中日新聞1991-12-26"/>、女児に声を掛けたりするなど<ref name="読売新聞1991-12-26"/>、不審な行動をしているのを<ref name="朝日新聞1991-12-26"/>捜査員が目撃し<ref name="中日新聞1991-12-26"/><ref name="朝日新聞1991-12-26"/>追跡捜査したところ<ref name="読売新聞1991-12-26"/>、その車のナンバープレートから中山が捜査線上に浮上した<ref name="朝日新聞1991-12-26"/>。
;1991年12月25日、神奈川県警が中山を逮捕
:その後も同月中に中山が計4回現場に現れたのが目撃されたため<ref name="中日新聞1991-12-26"/>、神奈川県警が被害者の子どもたちに中山の顔写真を見せたところ、証言から「中山に間違いない」との結論が出た<ref name="朝日新聞1991-12-26"/>。同年11月中旬過ぎ時点では一部マスメディアに対し、「大洋の選手が逮捕される」という情報が流れてはいたが、地元紙記者は『[[週刊文春]]』([[文藝春秋社]])の取材に対し「同年10月1日に[[旭区 (横浜市)|旭区]]内で行方不明になった小学6年生少女の事件との関連を捜査したが、これはすぐに白と判明した。逮捕が年末までずれ込んだ最大の理由は、神奈川県警が『中山が地元球団のエース級投手である』ことから社会的影響を考え、テレビのワイドショー・週刊誌の休みとなる年末年始に逮捕・釈放できるように慎重にタイミングを計ったためだ」と証言した<ref name="週刊文春1992-01-16"/>。
:これを受けて捜査本部は1991年12月25日朝から中山を[[被疑者]]として任意同行した上で追及したところ<ref name="朝日新聞1991-12-26"/>、中山は1991年11月12日の2事件について容疑を認める供述をした<ref name="中日新聞1991-12-26"/><ref name="朝日新聞1991-12-26"/>。このため1991年12月25日夕方、神奈川県警捜査一課・[[金沢警察署]]は[[強制わいせつ]]などの疑いで中山を[[逮捕 (日本法)|逮捕]]した<ref name="中日新聞1991-12-26">『[[中日新聞]]』1991年12月26日朝刊第一社会面23面「大洋・中山投手を逮捕 神奈川 少女に連続いたずら 『彼女に会えず不満』」</ref><ref name="朝日新聞1991-12-26">『[[朝日新聞]]』1991年12月26日朝刊第一社会面27面「大洋の投手を幼女いたずら容疑で逮捕 『不調で欲求不満』」</ref><ref name="読売新聞1991-12-26">『[[読売新聞]]』1991年12月26日東京朝刊第一社会面23面「プロ野球の中山裕章投手(大洋)を逮捕 幼女いたずら容疑」</ref>。取り調べに対し中山は、「11月上旬に腰などを痛めたため沖縄の秋季キャンプから帰ってきたが、婚約者の女性と会えず欲求不満が溜まっていた。(女性の)年齢が高いと、自分が『大洋の中山投手だ』と分かってしまうので小さな子を狙った。大変恥ずかしいことをしてしまった。深く反省しています」などと供述した<ref name="中日新聞1991-12-26"/><ref name="朝日新聞1991-12-26"/><ref name="読売新聞1991-12-26"/>。
:逮捕を受けて同日夜、大洋の桜井薫球団代表・桜井薫が横浜市中区内の球団事務所で会見し、「青少年に夢を与えるプロ野球選手がこのような事件を起こしてしまい誠に申し訳なく、深くお詫びしま。球団としても管理不行き届きを陳謝したい。処分はあす(26日)決めますが、厳しい処分を考えざるを得ない」という岡崎寛球団社長・岡崎寛のコメントを読み上げた<ref name="中日新聞1991-12-26"/><ref name="朝日新聞1991-12-26"/>。
;逮捕時のファンなどの反応
:プロ野球の現役スター選手が[[性犯罪]]で逮捕されたこの事件は大洋球団のみならず、神奈川県民・横浜市民や、プロ野球選手に憧れる少年を含めた野球ファン・球界関係者らにも大きな衝撃を与えた<ref name="朝日新聞1991-12-26-神奈川">『朝日新聞』1991年12月26日朝刊神奈川県版「球団やファンに衝撃 わいせつ容疑で大洋の投手逮捕 神奈川」</ref>。
::地元・横浜市の[[高秀秀信]]市長は「ファンとして『将来の大洋ホエールズを背負って立つ若手投手』として期待していただけに、事実とすれば非常に残念だ。市長としては子供に対するそういう事件(性犯罪事件)は『市内で起きてはならないこと』と思う」<ref name="朝日新聞1991-12-26-神奈川"/>、[[日本野球機構]](NPB)・[[吉國一郎]][[コミッショナー (日本プロ野球)|コミッショナー]]は「驚いた。事件の様子を聞くと変質者だったのかもしれない。球団などからはまだ事情を聴いていないが『甚だ遺憾』の一言だ」と、それぞれ声明を出した<ref name="中日新聞1991-12-26"/>。
::また逮捕のニュースを受け、当時同市[[磯子区]]の[[少年野球]]チームに投手として所属していた大洋ファンであった12歳の男子児童は『[[朝日新聞]]』の取材に対し、「中山投手には2年前(1990年)、抑えを務めていた時に握手してもらいサインももらった。初めて会ったプロ野球選手なので嬉しかったのにショックだ。大洋は投手の層もそれほど厚くないし、若手中心のチームだから大切な投手の1人なのに…」とコメントした<ref name="朝日新聞1991-12-26-神奈川"/>。熱烈な大洋ファンとして知られていた作家の[[中野孝次]]「これからのチームを担う中心選手として中山を一番頼りにしていたのに、裏切られた思いだ。プロの世界は誘惑が多いので、[[八百長]]みたいな事件ならまだ同情の余地が残るが、今回は人間として最低の行為。絶対に許せない」と憤った<ref name="朝日新聞1991-12-26-神奈川"/>。
;逮捕後の大洋球団などの対応
:翌26日午前9時から<ref name="中日新聞1991-12-26-夕刊"/>、大洋球団は球団事務所で<ref name="中日新聞1991-12-26-夕刊"/>、岡崎球団社長、若生照元・球団本部長ら球団幹部6人と、[[弁護士]]2人の計8人で<ref name="中日新聞1991-12-27"/>、中山に対する処分を決める緊急幹部会議を開いた<ref name="中日新聞1991-12-26-夕刊">『中日新聞』1991年12月26日夕刊第一社会面11面「大洋球団 中山投手、契約白紙に 捜査結論待ち最終処分」</ref>。その結果、球団は中山との翌年度の契約を白紙に戻し<ref name="中日新聞1991-12-26-夕刊"/>、[[日本プロフェッショナル野球協約]]第66条に基づき「次年度選手契約締結の権利を保留する選手」(保留選手)、すなわちこの時点では「契約未更改の大洋選手」扱いとした<ref name="読売新聞1991-12-26-夕刊"/>。そして処分は捜査当局の結論を待った上で、解雇も含めた厳しく対応することを決めた<ref name="中日新聞1991-12-26-夕刊"/><ref name="中日新聞1991-12-27"/><ref name="読売新聞1991-12-26-夕刊">『読売新聞』1991年12月26日東京夕刊第二社会面14面「少女いたずら事件 中山投手の契約破棄 大洋が保留選手扱いに」</ref>。約1時間半の会議終了後、記者会見に応じた岡崎球団社長は「夢を与えるプロ野球関係者がこのような事件を起こしたことに対し、深く反省するとともに、被害者やその家族の皆様に深くお詫びする」とコメントし、深々と頭を下げた<ref name="中日新聞1991-12-26-夕刊"/>。