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{{コ}} 記事中に「元々は久米島紬の事を指すとも言われているが、第二次世界大戦以前までは「琉球紬」と言う名称の紬は存在していなかった」とありますが、昭和15年の『繊維工業學會誌』([https://www.jstage.jst.go.jp/article/fiber1935/6/4/6_4_149/_pdf/-char/ja 参照])では、沖縄では養蚕が盛んではなく絹織物は紬を折る程度であったが、大島から大島紬、久留米から久留米紬の絹織物が産出され、唐山から産出された縞や無地の紬が琉球紬であると綴られています。また、綿布で作られた琉球縞のでた薩摩絣を琉球絣としていました。1981年の大阪市立大学生活科学部紀要『絹の染色に関する研究』([https://core.ac.uk/download/pdf/35274969.pdf 参照])では琉球絣は沖縄本島で生産される絹木綿交織地織物の総称で、なかでも正絹の琉球絣紬が主流であると書かれています。現在では[https://kotobank.jp/word/%E7%90%89%E7%90%83%E7%B4%AC-658647 コトバンク(大辞林 第三版)]にあるとおり沖縄産の紬の総称となっており、なかでも著名なのが久米島紬なのでしょう。過去の琉球紬と今日の琉球紬で指しているものが違うなら、ことさら米沢琉球紬とイコールで結んではいけないように思えます。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2019年2月14日 (木) 01:42 (UTC)
:(追記)日本民族衛生学会第2回沖縄地方会抄録『沖縄の文化について』(阿波根)([https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshhe1931/41/6/41_6_306/_pdf/-char/ja 参考])では、木綿栽培の普及により琉球絣(柄)が発達し薩摩に渡ったものが薩摩絣、久留米では久留米絣に。全国へ広まり山形では米沢琉球紬へと影響したとあります。米沢琉球紬も紬生地ではなく絣柄が特徴で、所謂絹による紬ではなく木綿の琉球絣が元となっています。また「世に薩摩絣と稱せられ、土地の人に琉球絣と云はれる絣織物及び琉球縞」というものが発展していったわけで「元々は久米島紬の事を指す」というわけではないということです。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2019年2月14日 (木) 03:23 (UTC)
まず、あなたは琉球の意味から勉強し直した方が良い。思想だと言うことに気付くはず。もともと、地名や地域の事ではないことを知るべきですね。沖縄=琉球ではないということ。というか、琉球の意味は既に日本だけでなく世界の知識人たちの間で知っている人達は多い。琉球と言う思想はインド周辺地域の梵語(梵字ではなく)からもたらされたものだが、琉球と言う用語は道教にも記されている用語なので、それが思想だと言うことは隠しようのない事実でもある。沖縄周辺は中世頃までは無人島であり、首里(現)と言われている場所には、古い「キリスト教」系の「教会」があったとのこと。その古いキリスト教会は取り壊され、新たにお寺が建てられた経緯があります(現在は改装築され首里城となっている)。そして、そのお寺の横に別系統のカトリック教会が新設された経緯がある。因みにそのカトリック教会は米軍の爆撃を受けたとのことです。写真も複数あるようです。あなたがクリスチャンならば、そのくらいのこと知ってるでしょ。キリスト教系のギルド組織が作り上げた大学機関から情報を貰っていないのか?敬虔なクリスチャンなのに?因みに、私はクリスチャンじゃないよ!私のサブアカウントは、ツイッターにあります「nenndo3」です。全部ではないですが、古いギルド大学研究機関経由の情報も入っています(五稜郭と、ペトロパブロフスキー要塞の件も含めて)。  
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