「ロバート・フランクリン・ストラウド」の版間の差分

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導入節~逮捕までの改訳、および段落構成の変更 (特に導入節が冗長なのでコンパクトにし、一部は本文節に移動)。改訳点はノートにまとめる予定。
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その生涯であるが、[[アラスカ州]]で売春婦の[[ポン引き]]をしていた18歳のストラウドは1909年1月、知人のバーテンダーを銃殺し、12年間の[[懲役]]の判決を言い渡されている。収監先でも受刑者や職員と頻繁に衝突し、[[1916年]]には看守を刺殺して第一級殺人で有罪となり、[[絞首刑]]を宣告された。しかし数回の裁判の後に、独房監禁での[[終身刑]]に減刑された。
 
[[1920年]]、ストラウドは収監中のレブンワース刑務所の運動場で、[[スズメ]]の巣と負傷した3羽のスズメを見つけた。このスズメの世話から始め、その後数年のうちにはカナリアを約300羽飼育するにいたっている。さらに、刑務所改革を進めていた刑務所長から研究用の設備を与えられると、ストラウドは鳥類に関する研究の幅を広げ、『{{仮リンク|カナリアの病理|en|Diseases of Canaries}}』(''"Diseases of Canaries"'') のタイトルで執筆した。この執筆内容は密かにレブンワースから持ち出され、[[1933年]]に初版が{{sfn|Niemi|2006|p=388}}、[[1943年]]には新版が出版された。ストラウドの研究は鳥類[[病理学]]、特に出血性[[敗血症]]疾患群の治療の分野で寄与に貢献し、鳥類学者や畜産農家の間で多大な敬意と、それなりの同情をも集めることとなった。こうしてストラウドは収監の身ながらビジネス的に成功し、しまいには独房にある設備の一部を利用してアルコールを密造するようになる。これが発覚すると刑務所の職員らは激高し、1942年[[12月19日]]にアルカトラズ連邦刑務所へ移送されることとなった。
 
[[1943年]]、アルカトラズでストラウドを診察した[[精神医学|精神科医]]のロムニー・M・リッチー ({{lang-en-short|Romney M. Ritchey|links=no}}) は、[[知能指数]]112の[[精神病質]]と診断を下している<ref>{{cite web|title=Alcatraz psychiatric summaries|url=http://www.notfrisco2.com/alcatraz/documents/npsy594.html|website=Alacatraz – The Warden Johnston years|accessdate=30 May 2018}}</ref>。アルカトラズでは規則により鳥類の飼育を許可されず、また研究設備を奪われたことから、ストラウドは刑罰の歴史に関する執筆を行っている。