削除された内容 追加された内容
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私の削除に関してノートへの投稿を提案されていますが、私がノートに何も書いていないのはたんにノートで議論するまでもないと判断した部分しか削除していないからです。ですのでノートでの議論が必要だと考えているのならそれはTakabegさんのほうからお願いします。--[[利用者:Ahirudaisuki|Ahirudaisuki]]([[利用者‐会話:Ahirudaisuki|会話]]) 2019年5月7日 (火) 09:47 (UTC)
 
== 返信いたします ==
 
今回、Takabeg様からの御指摘を頂きまして単刀直入に申し上げますと、ウィペディアのルールとされるものには必須の原則とされる「五本の柱」、一定の基準とされる「方針」、ただの推奨である「ガイドライン」の三段階が存在しています。僭越ながら調べました所、Takabeg様が要望なされている出典を明記するは「ガイドライン」内の一項目でありまして、失礼ながら基本的ルールに相当するものではないと考えます。故に出典明記の要望はTakabeg様の「私論」という事になってしまうのではないかと思われますので「私論」には慎重に従うべきだとウィキの方にもあります。それが反復される状態まで及んだ場合は「五本の柱」にある「行動規範がある」と「ウィキに確固たるルールはない」という二つの原則に反する事にもなりかねません。恐れながら「出典の明記」は検証可能性を裏付けるものでは断じてありませんし、またそれが独自研究ではない事を証明するものでも断じてないと考えます。むしろ出典(ガイドライン)は、それより重視すべき検証可能性(方針)と独自研究を載せない(方針)を却って損ねてしまう類のものではないかと危ぶんでおります。何故ならほとんどの出典先は紙媒体に依存されてるのが現状であり、またそうでないと暗にたしなめられるのも現状で、結果的にそうした出版物自体も著者の独自研究と同義の可能性がどういう訳が軽視されてるからです。同じ内容を書いてもネットは駄目で出版物なら正しいはただのブランド信仰であり「五本の柱」の中立的観点にも相反しています。また出典とされた著作物をしっかり熟読精査する閲覧者が実際にどれだけいるでしょうか。むしろwiki本文から出典著作に責任転嫁されてしまう事で文章自体の検証に手を出し難くなるという事例もあり、これでは出版物ブランドと記述内容の重みを履き違えた本末転倒の事態となります。むしろそれを恣意的に利用しようとする人も出てきかねません。結果的にネットから切り離された紙媒体を神聖視させる事にもつながる出典明記(ガイドライン)はやり方によっては幾らでも恣意的利用が可能なものであり、それより重視すべき検証可能性(方針)と独自研究排除(方針)を実現する為にも使用または多用は戒めるべきであると考えております。勿論、これも当方の「私論」となりますので、これに賛同されるかどうかはTakabeg様の自由でありますが、同様に当方も自由な立場からただの推奨であるガイドラインの出典明記項目に対してはその恣意的利用を危惧する観点からあえて反対の方針を貫かせて頂き「五本の柱」にある中立的観点記事と「方針」にある検証可能性および独自研究の排除の履行を重視したいと考えてます。何より重視すべきは「五本の柱」の一つウィキペディアには行動規範がありますです。当方は幅広い文献から蓄積した極めて一般的な歴史事象を歴史教科書さながらの年号付記と併せてたんたんと簡潔に連ねていくスタイルで独自研究が入り込む余地を無くし、また検証可能性を残しているつもりです。当方は文章内容の構造化を研鑽する目的の一環でウィペディアの編集作業にお邪魔させて頂いておりますので文体の稚拙さについては汗顔の至りでありますが、それ故に稚拙だからこそ容易に検証可能であり、また独自研究の除外に繋がっていると考えてます。--[[利用者:Goldensundown2|Goldensundown2]]([[利用者‐会話:Goldensundown2|会話]]) 2019年6月26日 (水) 13:48 (UTC)