「女流棋士 (将棋)」の版間の差分
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棋戦と棋士は別物なので元の文章を崩さない形で歴史含めて切り分け。棋戦(将棋)と各棋戦ページに詳細に加筆して誘導。無駄情報が多く見づらいので整備。 |
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=== 棋士と女流棋士 ===
将棋の[[棋士 (将棋)|棋士]]の制度に男女の区別はなく、[[新進棋士奨励会]]が1928年([[昭和]]3年)に創設されて以来「奨励会に入会し、昇級昇段規定を満たして四段に昇段すること」
一方、女流棋士の制度は女性だけに適用されるもので、上述の棋士の制度から分離されたものであり、女性への将棋の普及を目的とする側面を持っている。
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=== 女流公式戦 ===
{{main|棋戦 (将棋)#女流棋戦}}
=== 将棋ネット中継 ===
ネット動画中継を手掛ける[[ニコニコ生放送]]が、2011年にタイトル戦の生中継を開始した<ref name=":1">{{Cite web|url=https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/abematv-niconico?utm_term=.mbGW9z50jW#.ekVa9KJyLa|title=AbemaTVはニコニコといかに差別化するか? 将棋チャンネルから見るそれぞれの戦略|accessdate=2018-7-11|publisher=[[BuzzFeed Japan]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180711155937/https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/abematv-niconico?utm_term=.leQpZJOlo#.uaO1pMg0w|archivedate=2018-7-11}}</ref>。タイトル戦は午前9時に始まって夜まで続く。これを、時間の制約が緩く<ref name=":2">{{Cite news|title=放送局で棋士や内容が違う将棋解説 コアファン向けの専門局、初心者OKのネット局|date=2017-9-22|url=https://abematimes.com/posts/2982826|accessdate=2018-07-11|publication-date=|language=ja-JP|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180711160844/https://abematimes.com/posts/2982826|archivedate=2018-7-11|work=[[AbemaTV]]}}</ref>、視聴者からのコメントという双方向のやり取りが可能なネット動画中継の利点を活かして最初から最後まで完全中継することで<ref name=":2" />、ニコニコ生放送は「将棋ネット中継」というコンテンツを何もないところから作り上げた<ref name=":1" />。
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{{Harvnb|古田|2006|p=|pp=184-212|loc=第八章 試練II}}</ref>。女流棋士が連盟から受け取れるのは女流公式戦の対局料のみで、女流棋士の平均額は年間100万円程度であり、[[清水市代]]が女流4タイトル独占(1996年度・1998年度、当時の女流タイトルは4つ)を果たした時に年間1千万円を超えた例があるのみであった<ref name=":5" />。仮に1勝もできなければ、対局料は年間15万円程度に過ぎなかった<ref name=":5" />。人気女流棋士は対局料以外の収入(イベント出演・アマチュアへの指導など)で補うことができたものの、[[コンビニエンスストア]]でアルバイトをして糊口を凌ぐ女流棋士も存在した<ref name=":5" />。
その10年後の[[2015年]]、[[渡辺弥生]]
中退した経歴を持つ<ref name=":14" />。なお、渡辺は他人に合わせるのが不得手な性格と自己分析している<ref name=":14" />。}}、女流棋士になって良かったと述べた<ref name=":14">{{Cite journal ja-jp|author=鈴木宏彦(構成)|year=|title=読んで効く上達のクスリ 私はこうして強くなった [渡辺弥生女流初段の巻・前編]|journal=[[将棋世界]]|serial=2015年1月号|publisher=[[日本将棋連盟]]|pages=102-108}}</ref>。
==連盟の運営への女流棋士の関与==
1974年に女流棋士制度が発足してからも、長きにわたり、日本将棋連盟の正会員として、棋士総会に出席して議決権を行使できるのは棋士のみであった。女流棋士が日本将棋連盟の運営に関与できない状況が続いていたが、2010年11月12日に行われた日本将棋連盟臨時総会で、「女流四段以上またはタイトル経験者」である女流棋士<ref group="注釈">同日時点での該当者は、[[甲斐智美]]、[[里見香奈]]、[[清水市代]]、[[関根紀代子]]、[[長沢千和子]]、[[斎田晴子]]、[[矢内理絵子]]、[[千葉涼子]]、および引退女流棋士の[[谷川治恵]]であり日本将棋連盟所属の存命女流棋士42名のうち9名が正会員となることが決まった。</ref>を正会員とすることが決議された<ref>[http://www.shogi.or.jp/topics/2010/11/post-351.html 臨時総会について(日本将棋連盟 2010年11月12日)]</ref>。
:2011年4月1日付で、[[社団法人]]日本将棋連盟が[[公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律|公益社団法人]]となると同時に施行された定款では、下記のように規定されている(『第1項』『第2項』は理解の便のため引用者が挿入)<ref name="teikan">{{Cite web|url=https://www.shogi.or.jp/about/doc/26_teikan.pdf|title=公益社団法人日本将棋連盟 定款|accessdate=2018-7-18|format=PDF|publisher=[[日本将棋連盟]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160928192613/https://www.shogi.or.jp/about/doc/26_teikan.pdf|archivedate=2016-9-28}}</ref>。
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:::::(4)略
::::第2項 前項の正会員をもって[[一般社団法人及び一般財団法人に関する法律]]上の社員とする。」
さらに、[[清水市代]]が2017年5月に日本将棋連盟常務理事に就任し<ref>{{cite web|url=https://www.shogi.or.jp/news/2017/05/post_1544.html|title=日本将棋連盟新役員のお知らせ|accessdate=2018-2-21|date=2017-5-29|publisher=[[日本将棋連盟]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180221121120/https://www.shogi.or.jp/news/2017/05/post_1544.html|archivedate=2018-2-21}}</ref>、女流棋士として初めて、連盟の業務執行に携わることとなった。
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== 女流棋士になる条件 ==
女流棋士になるには女流2級になる必要があり、女流棋士になる条件は日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)ともにほぼ同じである<ref group="注釈">LPSAについては2007発足当初は、[[日レスインビテーションカップ|日レス杯]]または[[NTTル・パルク杯天河戦|天河戦]]で優勝1回ないし準優勝2回、あるいは[[1dayトーナメント|{{lang|en|1day}}トーナメント]]の個人戦で優勝3回など独自の棋士規程を定めていたが2014年以降の二度の改定により、女流棋士になるための条件は連盟のものとほぼ同一となった。ただし完全に同一ではなくLPSAについて'''師匠の有無を不問とする'''、もしくはアマチュアから女流2級でプロ入りする際の'''年齢制限が「満40歳未満」'''の部分が連盟と違う。</ref>。現在の規定は2018年4月に改められた<ref name="2018女流棋士規定">{{Cite web|title=女流棋士規定変更のお知らせ|url=https://www.shogi.or.jp/news/2018/04/post_1672.html|website=|accessdate=2019-05-22|language=ja|publisher=[[日本将棋連盟]]|date=2018-4-2|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190522152728/https://www.shogi.or.jp/news/2018/04/post_1672.html|archivedate=2019-5-22}}</ref>
満27歳未満の女性で以下のいずれかの条件を満たした者は、女流2級の資格を得る<ref name="2018女流棋士規定" />。資格獲得後所定の期間内に、プロ棋士または正会員である女流棋士を師匠として日本将棋連盟もしくは日本女子プロ将棋協会へ申請を行い、それぞれの承認を受けた日の翌月1日時点で女流2級となる<ref name="2018女流棋士規定" />。女流2級昇級後の半年間は研修期間として、公式戦の記録係などの義務が課される<ref name="2018女流棋士規定" />。また、研修会・アマチュア時代に女流棋士昇級昇段規定で女流1級以上に昇級昇段できる成績を修めていてもこの時点では適用されず女流2級からのスタートとなる<ref name="2018女流棋士規定" />
===== 研修会から女流棋士へ =====
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===== アマチュアから直接女流棋士へ =====
:アマチュア出場枠のある下記の公式棋戦で所定の成績をおさめた場合に、研修会・奨励会を経ずに女流2級になる資格
:*[[マイナビ女子オープン]]:本戦ベスト8進出以上
:*[[女流王座戦]]:本戦ベスト8進出以上
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==== 新進棋士奨励会員(2級以上)から女流棋士へ ====
:奨励会規定
===
{| class="wikitable" style="font-size:90%"
|-
!
!女流育成会<br>コース
!奨励会<br>コース
!その他の<br>コース
|-
!1974年度-1983年度
| rowspan="1" | -
| rowspan="4" | -
| rowspan="1" | 推薦を受けた女性への理事会審査で承認
|-
!1984年度-1991年度
| rowspan="1" | 年1回の育成会リーグの上位2名
| rowspan="4" |-
|-
!1992年度前期-1996年度前期
| rowspan="1" | 年2回の育成会リーグの上位1名
|-
!1996年度後期-2003年度前期
| rowspan="1" | A級、B級リーグに分けA級の1位
|-
!2003年度後期-2008年度後期
| rowspan="1" |リーグ戦1位に与えられる昇級点2回獲得
| rowspan="1" |奨励会の2級以上の者が退会すると<br>奨励会退会時の段位で女流に編入できる。
|-
|-
!
!研修会<br>コース
!奨励会<br>コース
!女流棋戦<br>コース
|-
!2009年度前期-2013年9月
| rowspan="2" |・研修会でC1クラス以上<br>・研修会入会後48局以上の対局数<br>いずれも満たしている者は女流3級になる資格を得る
<ref group="注釈">なお、女流3級となる以前にアマチュア扱いで参加した女流棋戦において「女流棋士の昇段級規定の『女流1級』に該当する」成績を上げた場合、女流3級を経験せずに直接女流2級となる。</ref>。
| rowspan="3" |奨励会の2級以上の者が退会すると<br>奨励会退会時の段位で女流に編入できる。
|-
|-
!2013年10月-2018年3月
| rowspan="1" |アマチュア枠がある女流棋戦で<br>ベスト8などの成績を上げると女流3級になる資格を得る
<ref group="注釈">ただし申請時点で27歳未満であること、連盟所属の場合は師匠がいること(不在の場合は半年以内に師匠を決めること)、未成年者の場合は親権者または保護者の同意があることが必要。また申請は資格取得から2週間以内に行う必要があった。</ref>。
|-
!2018年4月-
| rowspan="1" |・研修会でB2クラス以上<br>・研修会入会後48局以上の対局数<br>いずれも満たしている者は'''女流2級'''になる資格を得る。
| rowspan="1" |アマチュア枠がある女流棋戦で<br>ベスト8などの成績を上げると'''女流2級'''になる資格を得る
|-
|}
===== 女流3級から女流2級への昇級 =====
2009年4月研修会への統合以降は仮会員として女流3級<ref group="注釈">2009年4月制度変更の当初は「女流棋士仮会員」という名称であったが、同年7月に「女流3級」に名称変更された。[http://www.shogi.or.jp/topics/2009/07/post-211.html 「女流棋士仮会員」の名称変更について(日本将棋連盟)]</ref>が設けられた。女流3級にについては、仮資格者の扱いで女流公式戦に参加が義務付けられ、女流3級から正規の女流棋士(女流2級)になるためには、下記のいずれかの条件を満たす事が必要であった。なお2018年の規定改定により現在は直接女流2級になるので、女流3級の制度は廃止されている<ref group="注釈">2018年6月に旧制度で女流3級になった田中沙紀が最後である。[https://www.shogi.or.jp/news/2018/05/3_46.html 田中沙紀さんが女流棋士3級に]</ref>。
:#1年間で参加公式棋戦数と同数の勝星を得る(2017年度では年度7勝以上)。
:#2年間で参加公式棋戦数の4分の3以上の勝星を得る(2017年度では2016年度からの2年間で11勝以上)。
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:#[[女子将棋YAMADAチャレンジ杯]]でベスト4に進出した場合(2016年より)。
: 2年間で上記のいずれも満たせなかった場合は、女流3級の資格を取り消される。その場合でも年齢制限に達していなければ、再度研修会から女流棋士資格をめざすことが可能であった。
アマチュアからの女流3級になった者については例外規定として、そのまま本戦ベスト4に進出した場合は即時女流2級に昇級する。また資格を失った時に研修会に入会できる規定はなかった。なお資格を失った場合、再度公式棋戦で前述の条件を満たせば、最大3回まで資格(権利)を再取得することが可能であった。
== 引退 ==
「自らの意志による引退」と、『女流棋士総則』の『降級点規定』による引退
ただ引退後も、公式戦にアマチュアとして出場することは可能である。過去に女流王座戦アマチュア予選では、[[藤田麻衣子 (女流棋士)|藤田麻衣子]]・山下カズ子(本名の「中川カズ子」名義)がアマチュアとして出場したことがある<ref>[http://www.shogi.or.jp/kisen/jo-ouza/4/ama_yosen.html アマチュア予選] - 第4期リコー杯女流王座戦<リコー></ref>。
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== 歴史 ==
女流棋士を取り巻く環境や制度の遍歴を中心に記載する。
{{seealso|棋戦 (将棋)#女流タイトル戦創設の歴史}}
=== 前史 ===
江戸時代後期、[[1809年]]に'''大橋浪女'''(おおはし・なみ)二段が福島順喜七段と飛車落ちで指した棋譜が残っており、これが女性が指した最も古い棋譜とされている<ref name=":10" />。 大橋浪女は、飛車落ちの手合いながら、当時の強豪棋士だった福島に102手で勝利している<ref name=":10" />。大橋浪女の具体的な活動は不明だが、[[大橋家|大橋]]という[[名字]]、女性ながら二段を名乗っている事などから、女性の棋士<ref group="注釈">江戸時代に「棋士」という呼び方は存在しないが、便宜上用いた。</ref>として活動していたとされる<ref name=":10">{{Harvnb|金子|1942|p=139-147}}</ref>。その後、'''池田菊女'''、'''水野こう女'''などが女性の棋士として活動し、当時の将棋番付に名を連ねていた<ref name=":9"/>。
204 ⟶ 213行目:
=== レッスンプロ時代 ===
1961年に、[[蛸島彰子]]が[[新進棋士奨励会|奨励会]]に7級で入会し、史上初の女性奨励会員となった<ref name=":6" />。蛸島が奨励会員であった時期(1961年 - 1966年)に、日本将棋連盟会長(1961年5月 ー 1967年5月<ref>{{Cite news|title=創立・沿革|newspaper=[[日本将棋連盟]]|date=|url=https://www.shogi.or.jp/about/history.html|accessdate=2018-09-08|publication-date=|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180908191731/https://www.shogi.or.jp/about/history.html|archivedate=2018-9-8}}</ref>)であった[[原田泰夫]]の肝煎りで日本将棋連盟の女性教室が創設された<ref name=":6" />。1968年には女流アマ名人戦<ref group="注釈">なお、開始時点では、プロもアマもない状態なので、単に『女流名人戦』として開催されていた。後に開始される女流プロ名人位戦は当棋戦と区別するために『プロ』とつけられた経緯がある。その後1989年に正式に女流アマ名人戦に改称。</ref>が創設された<ref name=":8">{{Cite web|url=https://www.shogi.or.jp/tournament/ama_lady/yuusyou.html|title=女流アマ名人戦歴代優勝者一覧|accessdate=2018-07-16|website=|publisher=[[日本将棋連盟]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180716105827/https://www.shogi.or.jp/tournament/ama_lady/yuusyou.html|archivedate=2018-7-16}}</ref>。
1966年に[[新進棋士奨励会|奨励会]]を退会すると同時に初段になった[[蛸島彰子]]について<ref name=":4" />、[[スポーツ報知]]は「(19)67年に初の女流棋士になった」としており<ref name=":62">{{Cite news|title=強豪撃破引退表明の71歳・蛸島女流六段が最年長勝利|date=2018-01-16|url=https://www.hochi.co.jp/topics/20180116-OHT1T50069.html|accessdate=2018-07-20|publication-date=|language=ja-JP|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180720135520/https://www.hochi.co.jp/topics/20180116-OHT1T50069.html|archivedate=2018-7-20|work=[[スポーツ報知]]}}</ref>、[[日本将棋連盟|日本将棋連盟の]]機関誌『[[将棋世界]]』2018年9月号に掲載された蛸島のインタビュー記事に記載された蛸島の経歴には「(19)67年、女流二段」とある<ref name=":6" />。未だ女流棋戦が存在しないため、蛸島はレッスンプロとして、将棋連盟の女性教室の講師を務めるなど、普及活動で生計を立てていた<ref name=":4" />。蛸島は[[NHK杯テレビ将棋トーナメント|NHK杯]]の棋譜読み上げを務めるようになり<ref name=":4" />、20年以上続けた<ref name=":6" />。1972年には、[[山下カズ子]]も女流1級となった<ref name=":54"/>。
=== 女流棋士の誕生 ===
[[日本将棋連盟]]副会長であった[[大山康晴]]は、かねてより女流棋士の存在によって普及面を充実させるという考えのもとで女流棋士制度の確立を強く提唱していき<ref name="jikembo">『将棋界の事件簿』p123-126</ref>、当初は女性には勝負向かないと反対も多かったが<ref name="job">『職業、女流棋士』 p90-91</ref>、その後大山や[[原田泰夫]]副会長などの尽力で、最終的には1974年に棋士会の満場一致を経て女流棋士制度が正式に発足されることになった<ref name="job" />。
同時に最初の女流棋戦として、報知新聞が主催する女流名人位戦(現・[[女流名人戦 (将棋)|女流名人戦]])が創設された<ref name=":53">{{Cite news|title=【話の肖像画】女流棋士第1号・蛸島彰子(4) 初の女性棋戦でタイトル獲得|date=2018-04-05|last=|first=|url=https://www.sankei.com/life/news/180405/lif1804050018-n1.html|accessdate=2018-07-16|publication-date=|language=ja-JP|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180716104858/https://www.sankei.com/life/news/180405/lif1804050018-n1.html|archivedate=2018-7-16|work=[[産経新聞]]}}</ref>{{Refnest|group="注釈"|創設時の'''女流名人位戦'''は、「'''将棋'''女流'''プロ'''名人位戦」という名称であった(1974年11月27日付 報知新聞<ref>{{Cite news|title=初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも|date=2017-12-07|url=https://www.hochi.co.jp/topics/20171207-OHT1T50149.html|accessdate=2018-09-09|publication-date=|language=ja-JP|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180110231517/https://www.hochi.co.jp/topics/20171207-OHT1T50149.html|archivedate=2018-1-10|work=[[スポーツ報知]]}}</ref>)。}}。
{{main|女流名人戦 (将棋)#概要}}
下記の6名が1974年10月31日付で'''制度上の女流棋士'''となった<ref name=":53" />。この6名が女流棋士1期生である<ref name=":7">{{Cite journal ja-jp|author=古川徹雄|year=|title=特集1 写真で見る女流棋界の40年 - 女流棋士たちの足跡 -|journal=[[将棋世界]]|serial=2014年9月号|publisher=[[日本将棋連盟]]|pages=22-29}}</ref>。
*蛸島彰子…女流三段。奨励会を経験した唯一の女性でレッスンプロ二段として活動<ref name=":53" />。2018年現役引退。
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日本将棋連盟は、女流名人位戦が開始された1974年に女流棋士が発足したとしており、1974年を起算年として、5年おきに<ref name=":20">{{Cite web|title=申込み6月14日まで!5年に一度の記念祭! 女流棋士発足45周年記念パーティー|url=http://joryukishikai.shogi.or.jp/news/archives/5-45616.html|website=|accessdate=2019-06-08|publisher=[[女流棋士会]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190608124651/http://joryukishikai.shogi.or.jp/news/archives/5-45616.html|archivedate=2019-6-8}}</ref>「周年パーティー<ref>{{Cite web|title=ツィート|url=https://twitter.com/erika_hana_/status/1140217014838947841|website=[[Twitter]]|date=2019-06-16|accessdate=2019-06-16|language=ja|last=|publisher=|author=[[塚田恵梨花]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190616131354/https:/twitter.com/erika_hana_/status/1140217014838947841|archivedate=2019-6-16}}</ref>」が日本将棋連盟[[女流棋士会]]によって開催されている<ref name=":7" /><ref>{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/06/16/kiji/20190616s000413F2282000c.html|website=[[スポーツニッポン]]|accessdate=2019-06-16|title=盛大に女流棋士発足45周年パーティー 羽生九段らも祝福|publisher=|date=2019-6-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190616101542/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/06/16/kiji/20190616s000413F2282000c.html|archivedate=2019-6-16}}</ref>。
'''女流棋士による史上初の公式戦'''は、1974年10月31日に東京・将棋会館で行われた、第1期女流名人位戦の予選、寺下紀子女流初段 - 村山幸子女流初段の対局である。初代の女流名人は[[蛸島彰子]]に輝いた。
=== 女流三強の台頭 ===
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続いて[[中井広恵]]が1981年に小学生(11歳10か月<ref group="注釈">当時の最年少記録、のちに藤田綾が11歳6か月で更新</ref>)で女流棋士になると、1985年に林葉から女流名人を16歳6か月で奪取。1992年にはクイーン名人を獲得した。また男性棋戦でも1993年に[[竜王戦]]で[[池田修一]]に勝利し、女流棋士の公式戦対局39局目にして初めて勝利した。
それまでは、女流棋士になるには、ある程度の実力を持ち、棋士の推薦があればよかったが、1983年に女流棋士の育成機関として[[女流育成会]]が発足し
[[清水市代]]は女流育成会の卒業生第1号 {{main|女流三強}}
1989年には、女流棋士発足15周年パーティが開催されたのを契機に、[[女流棋士会]]が発足した。
250 ⟶ 255行目:
=== 清水・中井の二強時代 ===
1996年度の第18期[[女流王将戦]]五番勝負では、女流棋戦としては史上初の海外対局として、第1局が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[アトランタ]]で行われた<ref>
{{Cite journal ja-jp|author=中野正|year=|title=第18期女流王将戦第1局 女流棋界初の海外対局|journal=[[将棋世界]]|serial=1996年7月号|publisher=[[日本将棋連盟]]|pages=62~67}}</ref>。第1局に勝利した清水がそのまま女流王将を獲得し、'''女流四冠独占'''を達成した(清水は98年度に2回目の女流四冠独占を達成)
中井も2002年に史上二人目の'''女流三冠'''を達成。これらの活躍で2人とも理事会審議を経て前例のない女流六段に昇段するなど、清水・中井の二強時代が長く続き、タイトルもほぼ2人で独占。2007年の倉敷藤花戦まで両名のいずれかがタイトル戦に出続けた。
256 ⟶ 261行目:
一方で2000年代半ばあたりから、[[矢内理絵子]]が女流名人や[[マイナビ女子オープン|女王]]、[[石橋幸緒]]が女流王位、[[千葉涼子]]が女流王将をそれぞれ清水・中井から奪取するなど、「花の[[55年組 (将棋)|55年組]]」「若手三羽ガラス」が、二強の牙城に割って入るようになった。
=== 日本女子プロ将棋協会の設立 ===
2005年10月10日、61年ぶりに実施された日本将棋連盟のプロ編入試験では、女流棋士の地位向上の意味もかねて中井が女流棋士として唯一の試験官に選ばれ<ref>[https://web.archive.org/web/20080705102017/http://joryukishikai.com/protest.html プロ編入試験 6番勝負第4局]</ref>、受験者の[[瀬川晶司]]と六番勝負の第4局で対局した<ref>{{Cite web|url=http://www.shogi.or.jp:80/osirase/segawa/youkou.html|title=瀬川晶司氏のプロ入りについて|accessdate=2018-8-9|date=|publisher=[[日本将棋連盟]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20050717013749/http://www.shogi.or.jp:80/osirase/segawa/youkou.html|archivedate=2005-7-17|deadlinkdate=2018-9-9}}</ref>。この対局は瀬川が勝利した<ref>{{Cite news|title=瀬川さん、劇的な2勝目|date=2005-10-10|url=https://segawa-challenge.at.webry.info/200510/article_57.html|accessdate=2018-09-09|publication-date=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180909094804/https://segawa-challenge.at.webry.info/200510/article_57.html|archivedate=2019-9-9|work=[[瀬川晶司]]のシャララ日記}}</ref>。
2006年11月、[[女流棋士会]]が[[日本将棋連盟]]から独立する動きが報じられた。女流棋士は対局料などの面で棋士と格差があること、[[棋戦 (将棋)|棋戦]]を自ら運営できないこと、連盟の意思決定に参画できないこと、などの点で待遇改善を求める声があった。また、将棋連盟としては引き止めるどころかむしろ、独立を促すような言動があったとされている<ref>{{cite web|url=http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/danmen/danmen2006/1202.html|title=将棋連盟から女流棋士が独立/自立促した財政改革|accessdate=2018-7-11|date=2006-12-2|publisher=[[東奥日報]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20061219162457/http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/danmen/danmen2006/1202.html|archivedate=2006-12-19|deadlinkdate=2018-7-11|}}</ref>。女流棋士会側ではこれ以前から制度委員会を発足させており、独立も視野に入れて体制改革への意見集約が進められていた。
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=== 女流棋界の変革 ===
2009年4月、日本将棋連盟が、棋士・女流棋士の両方を含む新たな[[棋士会]]を創設。女流棋士会は棋士会の中の組織とされ、そのまま存続したが、一時は役員が置かれなかった。
2010年には清水が女流プロとして初めてコンピュータ将棋『あから2010』と対戦したが、敗れた<ref>{{Cite news|title=コンピューター、女流王将に初勝利 指し手に磨き|アート&レビュー|date=2010-10-11|last=|url=https://style.nikkei.com/article/DGXNASFG11002_R11C10A0000000?channel=DF130120166059&style=1|accessdate=2018-09-09|publication-date=|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180909094245/https://style.nikkei.com/article/DGXNASFG11002_R11C10A0000000?channel=DF130120166059&style=1|archivedate=2018-9-9|work=[[日本経済新聞]]}}</ref>。
2011年度には、女流タイトル戦「[[女流王座戦|リコー杯女流王座戦]]」が創設され、同時に女性[[新進棋士奨励会|奨励会]]員の女流棋戦参加が解禁され<ref name="juuseki" />、女性奨励会員が、参加資格を女流棋士に限定していない[[女流王座戦]]と[[マイナビ女子オープン]]に参加できるようになった。これにより[[加藤桃子]]奨励会1級、[[伊藤沙恵]]奨励会1級らが[[女流王座戦]]に参加した。その中で加藤が勝ち上がり、五番勝負で清水市代を破り、初代女流王座に輝いた。女流棋士資格を持たない現役奨励会員が女流タイトルを獲得したのは史上初である。
2012年7月、[[日本女子プロ将棋協会|LPSA]]が[[渡部愛]]を独自の規定によって女流3級と認定したことに端を発し、日本将棋連盟、棋戦主催社、LPSAの間で深刻な問題が発生した。その後、2014年6月に連盟とLPSAの間で和解が成立した。
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[[里見香奈]]は、2008年に倉敷藤花戦で初タイトルを奪取すると次々にタイトルを奪取、特に2010年10月の女流王将戦で清水からタイトルを奪うと、1992年3月に女流王将を獲得して以来、1つ以上のタイトルを維持してきた清水市代を18年7か月ぶりに無冠に追い込むなど、長く続いた清水・中井の二強時代からの世代交代を果たした<ref>{{Cite news|title=【勝負師たちの系譜】里見香奈女流五冠、過酷な修行でトップに 対局前日に夜行バスで出雲から東京へ|date=2018-3-4|author=[[青野照市]]|url=https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180304/soc1803040001-n1.html|accessdate=2018-09-08|publication-date=|language=ja-JP|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180908092543/https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180304/soc1803040001-n1.html|archivedate=2018-9-8|work=[[夕刊フジ]]}}</ref>。
その後、里見は2013年に'''史上初の女流五冠'''を達成、2015年には'''女流棋士最多連勝記録21連勝'''を達成するなど女流棋界の中で圧倒的な力を見せ
インターネット将棋対戦サイトで実力をつけた後、女流棋士を目指し、来日して[[新進棋士奨励会#研修会|研修会]]に入会した[[ポーランド]]人の[[カロリーナ・ステチェンスカ]]が、2017年2月に女流2級となり、棋士・女流棋士を通じて将棋界初の日本国籍を有さないプロとなった。
==脚注==
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