「教相判釈」の版間の差分

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今日、五時の教判といえば、天台宗のものが有名だが、もともとは慧観の提唱した五時がその始めである。これにより、さまざまな教相判釈が行われた。したがって天台宗の「五時八教の教判」は、道生・慧観にそのルーツを見ることができる。
 
== 五時八教説 (天台) ==
五時八教の教判、あるいは五時八教説(ごじはっきょうせつ)とは、[[天台山|天台]][[智ギ|智顗]](ちぎ、[[538年]] - [[597年]])が、『[[一切経]]』を[[五時八教]]に分けたものである。日本へは[[最澄]]が紹介した。これを[[日蓮]]が採用し、『法華経』が最高の教えであるという根拠とした。
 
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== 関連項目 ==
* [[折伏]] - 『法華経』もしくは、南無妙法蓮華経の題目が最高の教えと主張し、相手に対しそ思想は間違った思想をているとしてへし折り屈伏させること。
* [[大乗非仏説]] - 大乗非仏説論では大乗経典自体が後代の創作とする。
 
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