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「南京事件」、「南京大虐殺」について論じる諸氏は、自他を様々に分類する諸説を提示している。
*秦郁彦は、'''大虐殺派'''(本多勝一、洞富雄、南京事件調査研究会)、'''中間派'''(秦、板倉)、'''マボロシ派'''(鈴木明、田中正明)と分類<ref name=ht302>{{Harvnb|秦郁彦|2007|pp=271・302}}</ref>。マボロシ派は中国では「虚構派」と呼ばれる<ref name=ht302/>。秦は2007年時点では、マボロシ派と中間派の影響力が伸びて、大虐殺派は低落しつつある、と述べている<ref name=ht302/>。軍事史家[[原剛 (軍事史家)|原剛]]も大虐殺派、中間派、まぼろし派(虐殺否定説)に分類<ref name=haraiwayuru/>。
*[[笠原十九司]]は本人を含めて、上記大虐殺派を'''史実派'''、中間派を'''虐殺少数派'''、マボロシ派を'''否定派'''とする<ref name=sijit/>。
*野村耕一は、'''虐殺派'''(笠原十九司、吉田裕)、'''中間派'''(櫻井よしこ、 原剛)、'''まぼろし派'''(鈴木明、田中正明) に分類<ref name=nomko>野村耕一「[http://miuse.mie-u.ac.jp/bitstream/10076/15030/1/10C17646.pdf 過去の克服をめぐる学問と政治]」三重大学人文学部文化学科研究紀要. 2016, 33, p. 75-83.</ref>。
*星山隆は、'''虐殺肯定派'''(笠原十九司)、'''中間派'''(北村稔)、'''虐殺否定派'''(東中野修道)に分類<ref name=hosi>星山隆「[http://www.iips.org/research/data/bp328j.pdf 南京事件 70 年―収束しない論争]」北村稔の分類はp.21</ref>。
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以下の区分や「派の名称」や人名は、あくまで研究者ごとに異なる呼び方であり、ひとつの目安であることを付け加える
 
;大虐殺派・虐殺肯定史実
ただし、30万人-20万人以上という数字を示すのは以下のような中国の研究者のみである。
*[[中華人民共和国]]政府・[[南京大虐殺紀念館]]
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*南京事件調査研究会<ref name=ht302/>
 
;まぼろしマボロシ派・虐殺否定派
*[[松尾一郎]] 1998年より[[自由主義史観]]研究会・[[プロパガンダ写真研究会]]で中心的活動を担い、南京事件の関連写真を研究した。その研究成果を[[藤岡信勝]]と[[東中野修道]]に盗用されたと訴えている。
*[[阿羅健一]]<ref name=haraiwayuru/>
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*[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]] - 自由民主党内の議員連盟。
 
;中間派・虐殺少数
*[[板倉由明]]<ref name=ht302/>
*[[北村稔]]<ref name=hosi/> - 日本軍による組織的大虐殺</b>そのものについては否定しつつ、個別の殺害事案については、資料的根拠の確認できるものについて認定する。 北村は、南京裁判にて検察側が提示した「20万人の虐殺」について、「中華民国による戦時宣伝の虚構」と位置付け、この戦時宣伝の成立過程を解明したり、「10数万人の遺体を埋葬処理した」と称する崇善堂の実務能力を解明(この団体の人数・装備では自称通りの日程で自称する数の遺体を処理することは不可能)する一方で、幕府山捕虜殺害事件(被害者数約1万8千)については新資料({{要追加記述範囲|date=2016年9月|親日政権が発行した中国語新聞}})を発掘するとともに、当時の日本軍による非行と位置付けている<ref>『南京事件の探求』(文春新書,2001){{要ページ番号|date=2016年9月}}。</ref>。2007年北村は便衣兵や捕虜の殺害は認定した上で、一般市民を対象とした「虐殺」はなかったと述べた<ref>2007年4月2日の[[日本外国特派員協会]]における講演。「旧日本軍が南京で゛無秩序〟や゛混乱〟に陥って便衣兵や捕虜を殺害したことはあったが、一般市民を対象とした゛虐殺〟(massacre)はなかったとの結論に達する」と述べた。{{Cite journal|和書| author = [[櫻井よしこ]]| title = 外国特派員団に南京事件否定論| journal = [[週刊新潮]]| issue = 2007年4月19日号| publisher = [[新潮社]]| url = http://yoshiko-sakurai.jp/2007/04/19/580| accessdate = 2013-06-18}}</ref>。虐殺派の笠原十九司は北村を否定派とする<ref name=kasakita>笠原十九司は北村稔を「南京虐殺否定論者」とする。「南京虐殺『虚構説』のトリックの見分け方」『週刊金曜日』2002年8月2日(No.422) pp.66-67。笠原十九司『南京事件論争史—日本人は史実をどう認識してきたか』。渡辺久志「もとめているのは「実像」か「虚像」か? 北村稔著『「南京事件」の探求 その実像を求めて』を批判する」(4回連載)(季刊『中帰連』2002夏(21)、2002秋(22)、2002冬(23)、2003春(24)){{要ページ番号|date=2019年4月14日}}</ref>。