「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」の版間の差分

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Goldstein & Hugenholtz (2013) を出典に加筆 (ベルヌ条約の限界、アフリカ諸国など)。Wikisourceへの目次リンクを挿入。
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|題名 =文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約
|画像 =Berne Convention signatories.svg
|画像キャプション =加盟国 (2012年時点)
|通称 =ベルヌ条約
|起草 =
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ベルヌ条約と関係するものとして、[[万国著作権条約]] (1952年署名・同年発効)、[[TRIPS協定]] (1994年署名・1995年発効)、および[[WIPO著作権条約]] (1996年署名・2002年発効) の3本が、狭義の著作権に関する主要な多国間条約として知られている{{Sfn|文化庁|2007|p=69}}。このうちTRIPS協定は「ベルヌ・プラス方式」{{Sfn|岡本|2003|pp=218–219}}、WIPO著作権条約は「ベルヌ条約の2階部分」{{Sfn|文化庁|2007|p=69}}とそれぞれ呼ばれるように、ベルヌ条約を基調としていて補完関係にある。一方の万国著作権条約は、ベルヌ条約の著作権保護水準を満たせず国際的な枠組みから取り残されていた国々との橋渡しを目的としていたものの{{Sfn|半田・紋谷|1989|p=308}}、後に各国が著作権の国内法を整備してベルヌ条約にも加盟していったことから{{Sfn|安藤|2018|p=172}}、21世紀に入って万国著作権条約の法的意義は失われている{{Sfn|文化庁|2007|pp=69–72}}。
 
なお、広義の著作権とも呼ばれる[[著作隣接権]]はベルヌ条約の対象外となっており、[[実演家、レコード製作者及び放送機関の保護に関する国際条約]] (通称: ローマ条約) などで定められている{{Sfn|文化庁|2007|pp=69–71}}。また、[[知的財産権]]には著作権以外に[[産業財産権]] ([[特許権]]や[[商標権]]などの総称) もあるが、これらは[[工業所有権の保護に関するパリ条約]] (通称: パリ条約、1883年署名・1884年発効){{Sfn|木棚|2009|pp=46}}などでカバーする役割分担となっている。
 
== 概要 ==
 
=== 条約の特徴 ===
1971年パリ改正版の主な特徴として、次の点が挙げられることが多い<ref name=WIPO-Summary>{{Cite web |url=https://www.wipo.int/treaties/en/ip/berne/summary_berne.html |title=Summary of the Berne Convention for the Protection of Literary and Artistic Works (1886) |publisher=[[WIPO]] |accessdate=2019-08-23}}</ref>。
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|+ style="font-size:larger" | 1971年パリ改正版の全体構成<ref name=WIPO-1979-Text/>
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#1条|第1条]] || 条約の目的
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#2条|第2条]] || 保護される著作物の範囲 ([[二次的著作物]][[編集著作物]]を含む)
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#2条-2|第2条の2]] || 同上
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#3条|第3条]] || [[著作者]]の定義 (総論)
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#4条|第4条]] || 著作者の定義 ([[映画著作物]]および建築著作物)
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#5条|第5条]] || 保護水準 (内国民待遇、無方式主義など)
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#6条|第6条]] || 条約非加盟国
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#6条-2|第6条の2]] || [[著作者人格権]]
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#7条|第7条]] || [[著作権の保護期間|保護期間]] (総論)
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#7条-2|第7条の2]] || 保護期間 ([[共同著作物]])
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#8条|第8条]] || [[翻訳権]]
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#9条|第9条]] || [[複製権]]
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#10条|第10条]] || 著作物の公正な利用 ([[引用]]など)
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#10-2条|第10条の2]] || 同上
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#11条|第11条]] || [[上演権]]
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#11条-2|第11条の2]] || [[公衆送信権]]
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#11条-3|第11条の3]] || [[口述権]]
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#12条|第12条]] || [[翻案権]]
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#13条|第13条]] || [[録音権]]
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#14条|第14条]] || 映画著作物に関する支分権
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#14条-2|第14条の2]] || 同上
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#14条-3|第14条の3]] || 美術著作物、作詞・作曲に関する[[追及権]]
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#15条|第15条]] || 著作者の定義 ([[変名#著作権法上の変名|変名]]・無名著作物、共同著作物)
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#16条|第16条]] || [[著作権侵害]]と救済
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#17条|第17条]] || 同上
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#18条|第18条]] || 保護期間切れの著作物 ([[パブリックドメイン]])
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#19条|第19条]] || 加盟各国法との関係
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#20条|第20条]] || [[条約#二国間条約|取極]]による追加保護
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#21条|第21条]] || 附属書 (発展途上国の特別規定) の作成目的
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#22条|22~2622-26]] || 加盟国による総会
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#27条|第27条]] || 条約改正手続
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#28条|28~3128-31]] || 条約の[[署名]]、[[批准]]、加入、[[寄託 (国際法)|寄託]]手続
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#32条|第32条]] || 原条約および過去改正との関係
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#33条|第33条]] || 条文解釈を巡る国家紛争解決 ([[国際司法裁判所]]への付託)
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#34条|第34条]] || 原条約および過去改正との関係
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#35条|第35条]] || 条約の有効期限と廃棄
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#36条|第36条]] || 加盟各国の憲法などの尊重
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#37条|第37条]] || 条文の公式言語
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#38条|第38条]] || ストックホルム改正の特別規定、および事務局の役割
|-
| [[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#附属書|附属書]] || 発展途上国に関する特別措置など
|}
 
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このような国家間の紛争に発展しうるケースを、ベルヌ条約はどのように想定しているか。1971年の第6回パリ改正により[[s: 1971年ベルヌ条約パリ改正#33条|第33条]]が追加され、紛争当事国が[[国際司法裁判所]]へ付託することができると規定された。また、著作権の姉妹にあたる特許権などの産業財産権も同様に、パリ条約にて国際司法裁判所への付託が定められている。しかしながらこれらの規定が整備されてから30年以上の間、著作権に限らず全ての知的財産に関して、国際司法裁判所に付託された紛争は1件もない。その理由として、国際司法裁判所が必ずしも知的財産権に詳しい専門家を配置しているわけではないことに加え、各国が私人間の紛争を国際司法裁判所に付託することに慎重な態度をとってきたことが考えられる{{Sfn|木棚|2009|pp=294&ndash;295}}。
 
この紛争解決能力の弱さは、[[TRIPS協定]]によって補完されている。TRIPS協定は[[世界貿易機関]] (WTO) 設立の際に定められた条約であり、WTO加盟国間で紛争が発生した場合、WTOの紛争処理機関に解決を付託することができる。TRIPS協定では具体的に、差止命令や損害賠償などの救済方法に関する規定 (第44条 - 第46条)、侵害に対する暫定措置の保障 (第50条)、国境措置に関する特別要件 (第51条 - 第60条) などが設けられている{{Sfn|木棚|2009|p=295}}。そして、実際にWTOの紛争処理機関に持ち込まれた知的財産関連の紛争件数は<ref {{Refnest|group="註">|著作権、商標権、地理的表示および特許権関連の総計であり、著作権以外の紛争件数も含まれている{{Sfn|木棚|2009|pp=306&ndash;307}}</ref>}}、1996年から2000年の間に計23件、2001年から2007年の間に計3件となっている{{Sfn|木棚|2009|pp=306&ndash;307}}。
 
== 歴史 ==
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ベルヌ条約の原条約が成立する過程で、フランスが果たした役割は大きい。
 
世界初の本格的な著作権法としては、英米法を採用するイギリスで1710年に[[アン法]]が成立している{{Sfn|宮澤|2017|pp=10, 11, 50}}。しかしアン法は、著作権保護の対象を書物に限定していた{{Sfn|木棚|2009|p=60}}。つづいて大陸法諸国においては、[[フランス革命]]中の1791年および1793年にフランスで著作権法が初めて成立している{{Sfn|宮澤|2017|p=10}}。フランスの1791年法は劇場著作物に限定されていたが{{Sfn|宮澤|2017|pp=20&ndash;22}}、1793年法によってあらゆる文章、作曲、絵画および図案が保護対象に追加され、1791年法と併存する形をとった{{Sfn|宮澤|2017|pp=24&ndash;25}}。これ以降、欧州大陸の諸国はフランス著作権法の概念を部分的に導入していくこととなる{{Sfn|木棚|2009|p=60}}{{Refnest|group="註"|近代的な著作権法が成立したのはイギリスが早いが、フランスの1793年法で作曲、絵画、図案が保護対象に追加されたのに対し、イギリスでは1735年に版画、1814年に彫刻、1862年に絵画、スケッチ、写真を追加しており{{Sfn|Goldstein & Hugenholtz|2013|pp=15&ndash;18}}、保護対象の拡大ペースではフランスが上回っている。}}。
 
しかしながら、19世紀の欧州大陸において最も使用頻度が高い言語がフランス語であったことから、フランス語の著作物がフランス国外で海賊版として大量に複製され、それがフランスに逆輸入される事態も発生した{{Sfn|宮澤|2017|pp=198&ndash;199}}。特に19世紀初頭まではベルギーのブリュッセルが海賊行為の拠点であり、フランスの著作者はベルギーのほか、オランダ、スイス、ドイツの海賊版から被害を受けたが、特に19世紀初頭まではベルギーのブリュッセルが海賊行為の拠点であった{{Sfn|木棚|2009|p=61}}{{Sfn|Goldstein & Hugenholtz|2013|p=10}}。また、英語圏のイギリスでも、英語著作物がアメリカ合衆国で無断・無償で流通し{{Sfn|Goldstein & Hugenholtz|2013|p=10}}、著作者に印税やライセンス料が入らない事態が発生していたことから、1800年から1860年代までの米国は「海賊版出版時代」(The Great Age of Piracy) と呼ばれていた{{Sfn|園田|2007|p=3}}。つまり、外国著作物の海賊版を不正行為とは認めていない欧米諸国が多かったことから、フランスとイギリスの著作者が特に被害を受ける状況にあった{{Sfn|木棚|2009|p=60}}。
 
こうした背景から、フランスはまず二国間条約を締結し、自国著作者の国外保護に取り組むことになる。フランスはサルジニア (1843年)、イギリス (1851年)、ポルトガル (1851年・1866年)、ハノーバー (1851年)、ベルギー (1852年・1861年・1880年)、スペイン (1853年・1880年)、オランダ (1855年・1858年)、ドイツ (1883年)、スイス (1864年)、オーストリア (1866年・1885年)、デンマーク (1858年・1866年)、イタリア (1862年・1869年) とそれぞれ二国間条約を締結している{{Sfn|宮澤|2017|p=204}}。しかし二国間条約の場合、保護水準の低い国、すなわち文化の輸入国に合わせて締結内容が定められるため、保護水準が高く、文化の輸出国であったフランスは、国内と比較して国外でのフランス著作物の保護が十分ではなかった{{Sfn|宮澤|2017|p=207}}。
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-->
=== 改正内容の概括 ===
1886年署名・1887年発効の原条約 (ベルン) では、すでに内国民待遇が盛り込まれていた。しかし今日と異なり、著作権の保護期間は本源国の著作権法で定めた年数を超えることはできず、また翻訳の保護期間は、著作物の発行から10年までしか認められていなかった。また、方式主義と無方式主義については定めはなく、各国の著作権法の規定に準じていた{{Sfn|木棚|2009|p=64}}。以降の改正ポイントについてまとめていく
 
; 1896年第1回改正 (パリ)
1896年第1回改正: (パリ) では、ルクセンブルクやノルウェーなどが追加加盟して14か国に達していた。主な改正ポイントは、遺作も保護対象に追加にした点、および同盟国民でなくとも同盟国内で最初に発行すれば保護対象に含めた点である{{Sfn|木棚|2009|pp=64&ndash;66}}。
 
; 1908年第2回改正 (ベルリン)
1908年第2回改正: (ベルリン) では、前回改正時以降、日本、デンマーク、スウェーデン、リベリアが追加加盟していた。主な改正ポイントとしては、無方式主義を義務化したことに加え、保護期間を死後50年に延伸したほか、原条約で定められていた翻訳権の制限条件を廃止した点などが挙げられる{{Sfn|木棚|2009|pp=66&ndash;68}}。
 
; 1914年の追加議定書
1914年の追加議定書には、: 同盟18か国が署名している。この追加議定書では、非同盟国が同盟国の著作者による著作物を十分保護しなければ、相手国の著作物も保護しないとの内容を追加された。その背景として、ベルヌ条約非同盟国である米国に対し、ベルヌ条約同盟国である英国が片務的だとして不満を抱いていたことが挙げられる。非同盟の米国著作者が、英国やその植民地で最初に著作物を発行した場合は、英国などは著作権保護の義務を負っていた。その一方で、米国は1891年に通称チェース法を成立させ、著作物の製造条項を設けていた。この製造条項により、米国民以外が米国外で印刷したものを米国に輸出販売できなかった。1909年の米国著作権法改正により、製造条項の部分廃止がなされたものの、この部分廃止から英語著作物は除外されていたことから、英国の著作物は製造条項の制約を受け続けた{{Sfn|木棚|2009|pp=66&ndash;68}}。
 
; 1928年第3回改正 (ローマ)
1928年第3回改正: (ローマ) では、加盟国は17か国から36か国に増えていた (オーストリア、オーストラリア、ブラジル、カナダ、インドなどが新規加盟)し、加盟国は17か国から36か国に増えていた。主な改正ポイントは、口述著作物の保護明記 ([[ラジオ]]普及に伴う)、著作者人格権を明記 (ただし権利行使は国内法にて定め、かつ死後の権利存続には触れられず)、共同著作物の権利保護期間を最終死亡者起点で算出、映画化権の規定適正化などである{{Sfn|木棚|2009|pp=68&ndash;69}}。
 
; 1948年第4回改正 (ブリュッセル)
1948年: [[4回二次世界大戦]]後の初改正 (ブリュッセル) あり、加盟国数は40か国と微増に止まった。ただし、さらに改正の会合には非同盟国からはアルゼンチン、チリ、中国、米国など18か国、また[[UNESCO]]もオブザーバーとして参加している。主な改正ポイントは、応用美術(地理学、地形学、建築学、その他科学に関する地図、図解、略図、模型)著作物の保護対象として追加すること、時事報道のための複製条項 (10条の2) にて国内法に委ねること、ラジオなどの公衆伝達権の許諾と媒体固定の許諾を別途必要とすること、朗読権の許諾明記したこと、加盟国間の紛争に関し国際司法裁判所の管轄権を規定したこと (27条の2) などである{{Sfn|木棚|2009|pp=69&ndash;70}}。
 
; 1967年第5回改正 (ストックホルム)
1967年第5回改正: (ストックホルム) の改正ポイントとしては、未発行著作物も保護対象に含めること、同盟国民だけでなく同盟国の居住者も著作物保護の対象に含めること、媒体への固定要件を一部緩和したこと、著作者人格権の保護を著作者の死後も永続すると明記したこと、著作権保護期間を[[映画著作物]]は発行から50年とし[[応用美術]]と写真は創作から25年に定めたこと、映画著作物の利用に関する規定を設けたこと、そして発展途上国に関する附属書を追加で盛り込んだことが挙げられる。しかしながらこれらを実体的に定めた第1条から第20条、および発展途上国向けの附属書は発効に必要な批准国数に満たなかったため、第22条から第38条の条約管理・運営に関する規定のみ発効している。その背景には、1950年代の国際的な植民地独立によって世界の著作権法に格差が生まれたことが挙げられる{{Sfn|Goldstein & Hugenholtz|2013|p=8}}。ストックホルム改正の協議時点でベルヌ条約総加盟国数の1/3が発展途上国で占められ、また、加盟58か国中16か国は最新版の第4回ブリュッセル改正版を批准・加入していなかったことがある{{Sfn|木棚|2009|pp=70&ndash;71}}。
 
; 1971年に第6回改正 (パリ)
これを受け、1971年に第6回改正: (パリ) が行われている。特に発展途上国に関する附属書は、第5回ストックホルム版から修正が加えられ、発展途上国向けの特別措置が講じられている。一方、全加盟国に適用される第1条から第20条は、第5回ストックホルム版をそのまま踏襲した{{Sfn|木棚|2009|pp=71&ndash;72}}。
: その後、条約の管理・運営規定の修正のみ1979年に発生しているものの、著作権保護の実質法については、第6回パリ改正版が最終である。
 
=== ベルヌ条約の限界 ===
その後、条約の管理・運営規定の修正のみ1979年に発生しているものの、著作権保護の実質法については、第6回パリ改正版が最終である。1979年以降に追加改正が発生していない理由として、発展途上国の加盟増加に伴う、先進国と発展途上国の利害対立が挙げられる。この対立構造を受け、ベルヌ条約をこれ以上改正するのではなく、著作権の保護水準を高めることができる国に限定して、ベルヌ条約とは別個の条約を追加作成する方針に[[WIPO]]は転換した{{Sfn|木棚|2009|p=78}}。こうして「ベルヌ条約の2階部分」と呼ばれる[[WIPO著作権条約]] (1996年署名・2002年発効) が整備され{{Sfn|文化庁|2007|p=69}}、特にデジタル著作物の保護が強化されるに至った{{Sfn|木棚|2009|p=78}}。
 
その後も包括的な国際条約ではなく、地域協定ないし二国間条約の中に著作権保護が謳われる機会が劇的に増えた{{Sfn|Goldstein & Hugenholtz|2013|pp=9&ndash;10}}。たとえばTRIPS協定は[[WTO]]加盟国に自動的に適用されるが、WTOは人口や経済力の大小に関わらず、加盟各国が平等に議決権を有している。こうした理由から特に先進国は、ベルヌ条約やTRIPS協定といった包括的な国際条約ではなく、地域協定や二国間条約といった個別条約を通じ、貿易法や税関法、人権法といった著作権に関連する総合的な観点から、自国に有利な条件を引き出し自国の利益確保に務めている{{Sfn|Goldstein & Hugenholtz|2013|pp=9&ndash;10}}。
 
このような個別協定を積極的に進めている国・地域として、アメリカ合衆国 (米国) と[[欧州連合]] (EU) が挙げられる。米国は2010年までに少なくとも17本の[[自由貿易協定]] (FTA) を他国との間で締結しており、貿易摩擦の解消と自由貿易促進の文脈で、知的財産権保護についてもFTAに規定を設けている。知的財産に関するFTA上での規定は「TRIPSプラス」とも呼ばれている{{Sfn|Goldstein & Hugenholtz|2013|pp=81&ndash;82}}。EUにおいても、EU加盟国すべてがベルヌ条約に加盟済であるほか、EUとしてWTOに加盟していることから、ベルヌ条約やTRIPS協定といった多国間条約の遵守はあくまで最低限であり、[[著作権法 (欧州連合)|EU法]]の下でより高水準の著作権保護を求められている{{Sfn|Goldstein & Hugenholtz|2013|pp=65&ndash;70}}。
 
=== 加盟国と施行時期の一覧 ===
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ベルヌ条約は1908年の第2回ベルリン改正において、無方式主義を採用するようになった。つまり方式主義を採用していた米国にとっては、ベルヌ条約加盟のハードルが上がったことを意味する。当時の米国内では、{{仮リンク|1909年の著作権改正法|en|Copyright Act of 1909}}が成立したものの、主な改正点は著作権の保護期間の延伸であり、方式主義は継続していた。そこで1910年、ベルヌ条約未加盟の米国とラテンアメリカ19か国は、ベルヌ条約の条件を緩和した内容の{{仮リンク|ブエノスアイレス条約|en|Buenos Aires Convention}}を採択した{{Refnest|group="註"|1910年当初の署名国はアルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビア、コスタリカ、キューバ、[[ドミニカ共和国]]、エクアドル、エルサルバドル、グアテマラ、ハイチ、ホンジュラス、メキシコ、ニカラグア、パナマ、パラグアイ、ペルー、アメリカ合衆国、ウルグアイ、ベネズエラの20か国である<ref name=USCO-Circular1977>{{Cite web |title=International Copyright Conventions {{!}} Circular 38c |trans-title=著作権に関する国際会議 {{!}} 第38c号 |url=https://copyright.gov/comp3/chap2100/doc/appendixD-circ38c.pdf |format=PDF |publisher=[[アメリカ合衆国著作権局]] |date=1977-05 |accessdate=2019-04-07 |language=en}}</ref>。その後国内での批准をキューバ、エルサルバドルとベネズエラの3か国が行わず、署名時には参画していなかったボリビアが後に批准したため、ブエノスアイレス条約の加盟国は計18か国となっている<ref name=WIPO-ArgeConvParties>{{Cite web |title=IP Regional Treaties > Contracting Parties/Signatories > Buenos Aires Convention (Total Contracting Parties: 21) |trans-title=ブエノスアイレス条約の署名国 (2019年4月閲覧時点で計21か国) |url=https://wipolex.wipo.int/en/treaties/parties/398 |publisher=[[WIPO]] |accessdate=2019-04-18 |language=en}}</ref>。}}。このブエノスアイレス条約を基調として、[[万国著作権条約]] (UCC) が1952年に採択され、米国もUCCに原加盟している。しかしながら当時の米国著作権法の保護水準は低く、「司法判断の際に役立たない」「時代遅れの産物」<ref name=UMich-Rep-Act1976>{{Cite web |title=Copyright, Compromise and Legislative History |trans-title=著作権 - 妥協と改正立法の歩み |url=https://repository.law.umich.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1223&context=articles |format=PDF |Author=Jessica D. Litman ([[ミシガン大学]]ロースクール准教授) |quote=''Courts, however, have apparently found title seventeen an unhelpful guide. For the most part, they look elsewhere for answers, relying primarily on prior courts' constructions of an earlier and very different statute on the same subject. (中略)... Although the 1909 Act had been outmoded for a long time, various general revision bills introduced between 1924 and 1974 had failed.'' |date=1987 |accessdate=2019-04-05 |language=en}}</ref>、「国際標準から取り残されている」<ref name=AG-Act1976>{{Cite web |title=We helped bring U.S. copyright law into line with the rest of the world. - SOME SUCCESS STORIES |trans-title=成功事例紹介: 当団体は米国著作権法を国際水準に適合するよう改正をサポート |url=https://www.authorsguild.org/who-we-are/success-stories/ |quote=''For more than 100 years, the United States' copyright laws were out of sync with much of the world and with the Berne Convention, an international treaty. (中略)...an inadvertent error by an author or publisher could cause one's work to become part of the public domain forever in the U.S. and elsewhere in the world. '' |publisher=[[全米作家協会]] |accessdate=2019-04-05 |language=en}}</ref>といった批判が有識者や著作権利益擁護団体などから長年なされてきた。
 
ベルヌ条約批准の国内体制を整える大幅な前進となったのが、{{仮リンク|1976年の著作権改正法|en|Copyright Act of 1976}} (1976年制定、1978年1月1日施行) である。1976年の改正以前は連邦法が既発表著作物を、そして州法が未発表著作物の著作権をそれぞれカバーしていたが、1976年の改正によって正式に未発表著作物も連邦法による保護下に含まれることとなった。これに伴い、{{仮リンク|アメリカ合衆国著作権局|en|United States Copyright Office}} (略称: USCO) への著作物の登録も任意となっている<ref name=USC-17-408-HRep>{{Cite web |title=17 USC 408: Copyright registration in general |url=http://uscode.house.gov/view.xhtml?req=granuleid:USC-prelim-title17-section408&num=0&edition=prelim#sourcecredit |publisher=The Office of the Law Revision Counsel in the U.S. House of Representatives |accessdate=2019-03-31}}</ref>。続いて、{{仮リンク|1988年のベルヌ条約履行実施法|en|Berne Convention Implementation Act of 1988}} (Berne Convention Implementation Act of 1988)<ref name=GovTrack-1988>{{Cite web |url=https://www.govtrack.us/congress/bills/100/hr4262 |title=H.R. 4262 (100th): Berne Convention Implementation Act of 1988 |publisher=GovTrack |accessdate=2019-08-29}}</ref>を成立させ、方式主義から無方式主義への転換を完了させた。当法律が施行した1989年3月1日より、米国でもベルヌ条約が適用されるようになった。
 
なお、ベルヌ条約は米国内で直接効力を持たず<ref name=17USC-104C>{{Cite web |url=https://uscode.house.gov/view.xhtml?req=granuleid:USC-prelim-title17-section104&num=0&edition=prelim |title=§104. Subject matter of copyright: National origin |publisher=The Office of the Law Revision Counsel in the U.S. House of Representatives |accessdate=2019-08-30 |quote= §104.(C) ''Effect of Berne Convention. No right or interest in a work eligible for protection under this title may be claimed by virtue of, or in reliance upon, the provisions of the Berne Convention, or the adherence of the United States thereto. Any rights in a work eligible for protection under this title that derive from this title, other Federal or State statutes, or the common law, shall not be expanded or reduced by virtue of, or in reliance upon, the provisions of the Berne Convention, or the adherence of the United States thereto.''}}</ref>、条約の義務は[[合衆国法典]] 第17編に収録された連邦法としての[[著作権法 (アメリカ合衆国)|米国著作権法]]の範囲内で、間接的な履行がなされている。たとえば、無方式主義に転換したとは言え、著作権侵害が実際に発生して米国の裁判所に民事提訴する際には、著作権法 [https://uscode.house.gov/view.xhtml?req=granuleid:USC-prelim-title17-section411&num=0&edition=prelim 第411条]の定めに則り、事前にその著作物を登録しておく必要がある。
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=== 中国 ===
第2回ベルリン改正で規定された無方式主義は、内国民待遇と並んでベルヌ条約の重要な基本原則である。しかしベルヌ条約に1992年に加盟した中国の場合、国内法的には方式主義を続けており、ベルヌ条約の保護対象となる著作物のみ無方式主義を適用する規定を設け、二重運用している{{Sfn|木棚|2009|p=384}}。
 
=== アフリカ諸国 ===
包括的な国際条約であるベルヌ条約の批准に平行して、発展途上国の多いアフリカでも地域協定で著作権を別途保護する動きが見られる。その重要な役割を果たしているのが、[[アフリカ知的財産機関]] (OAPI) である。1962年、OAPIの前身となる知的財産保護に関する協定を[[フランス語圏|フランコフォニー]] (フランス語圏) の12か国で締結 (於: ガボン共和国の首都[[リーブルヴィル]]) している。これは先進国と途上国に亀裂が生じたベルヌ条約ストックホルム改正の5年前に当たる{{Sfn|Goldstein & Hugenholtz|2013|p=73}}。続いて1977年に中央アフリカ共和国の首都[[バンギ]]にてOAPIの会合が開催され、加盟国は16か国に拡大した{{Refnest|group="註"|1977年当時の加盟国はベニン、ブルキナファソ、カメルーン、中央アフリカ、コンゴ、コートジボワール、赤道ギアナ、ガボン、ギアナ、ギアナビサウ、マリ、モーリタニア、ニジェール、セネガル、チャド、トーゴである。アフリカのフランコフォニー諸国のうち、2か国を除いて全てがOAPIに加盟したことになる{{Sfn|Goldstein & Hugenholtz|2013|p=73}}。}}。さらに、TRIPS協定 (1994年署名・1995年発効) の内容を取り込んだ[[バンギ協定]] (Bangui Agreement) が2002年に発効している。バンギ協定では著作権保護期間を没後70年間と設定しており、ベルヌ条約の求める50年間を上回っているほか、著作財産権ならびに著作者人格権、著作隣接権や追及権も規定している{{Sfn|Goldstein & Hugenholtz|2013|p=73}}。
 
なお、OAPIがフランコフォニー中心であるのに対し、[[英語圏]]を中心とした諸国は[[アフリカ広域知的財産機関]] (ARIPO) に加盟している。ただしOAPIが著作権を対象に含むのに対し、ARIPOは知的財産の中でも[[産業財産権]]が取扱の中心となっている違いがある{{Sfn|Goldstein & Hugenholtz|2013|p=73}}。
 
== 註釈 ==
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=== 引用文献 ===
* {{Cite book|和書|author=安藤和宏|title=よくわかる音楽著作権ビジネス 基礎編|edition=5th Edition|year=2018|publisher=リットーミュージック|isbn= 978-4-845-63141-4 |url=https://www.rittor-music.co.jp/pickup/detail/14256/ |ref={{SfnRef|安藤|2018}}}}
* {{Cite book |和書 |author=岡本薫 |title=著作権の考え方 |publisher=岩波書店 |series=岩波新書 (新赤版) 869 |year=2003 |isbn=4-00-430869-0 |url=https://www.iwanami.co.jp/book/b268688.html |ref={{SfnRef|岡本|2003}}}}
* {{Cite book|和書|title=国際知的財産法 |author=木棚照一 |publisher=日本評論社 |edition=第1版 |year=2009 |isbn=978-4-535-51678-6 |url=https://www.nippyo.co.jp/shop/book/4482.html |ref={{SfnRef|木棚|2009}}}}
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* {{Cite book|和書|title=著作権の誕生 フランス著作権史 |edition=1998年出版からの改訂版 |series=出版人・知的所有権叢書01 |author=宮澤溥明 |publisher=太田出版 |year=2017 |isbn=978-4-7783-1570-2 |url=http://www.ohtabooks.com/publish/2017/04/21195243.html |ref={{SfnRef|宮澤|2017}}}}
* {{Cite book|和書|title=アメリカ著作権法の基礎知識 |edition=第2版 |author=山本隆司 |publisher=太田出版 |year=2008 |isbn=978-4-7783-1112-4 |url=http://www.ohtabooks.com/publish/2008/10/14201410.html |ref={{SfnRef|山本|2008}}}}
* {{Cite book|title=International copyright: principles, law, and practice |trans_title=国際著作権法: 法理、実定法と実務 |edition=3 |last1=Goldstein |first1=Paul |last2=Hugenholtz |first2=P. Bernt |publisher=Oxford University Press |year=2013 |isbn=9780199794294 |language=en |url=https://global.oup.com/academic/product/international-copyright-9780199794294 |ref={{SfnRef|Goldstein & Hugenholtz|2013}}}}<!-- 2019年10月に第4版が出版される予定 -->
 
== 関連項目 ==