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[[1999年]]より[[株式]]を公開(当初は[[NASDAQ]]、現在は[[ニューヨーク証券取引所]])しているが株式の約8割をオーナーであるマクマホン・ファミリーと関係者で保持しているために会社の経営権は不動となっている。なお取引所内で使われる[[ティッカーシンボル|証券コード]]もWWEである<ref>[http://www.nyse.com/about/listed/lcddata.html?ticker=WWE WWE]</ref>。
 
== 特徴 ==
=== スタイル ===
プロレス団体としてのスタイルは、完全に[[ドラマ]]仕立てのショープロレスで、試合における技の美しさや流れよりも、ストーリーの流れの方が注目されることが多い。しかし試合そのものはプロレスの基本に忠実な正統な展開を好み、あまり大技を使わずに試合を構成できる実力派の選手も多い。一方では凶器有りの[[デスマッチ]]を得意とする者もおり、単にストーリーだけの団体ではない。
 
WWEが[[株式]]上場する以前は、「シナリオなど存在しない」という建前であったが、株式上場の際、事業内容を公開するにあたってシナリオ([[アングル (プロレス)|アングル]])の存在を公式に認めた。
 
アングルには下品、流血、色気、暴力、犯罪等ありとあらゆる悪徳が採用されており、当然そのような描写を嫌う人も多く、攻撃されることもあるが、それも肥やしにしてしまう強さがある。しかしながら、2000年以降圧力団体のクレームから過激な暴力描写を抑制せざるをえない状況にある。例えば、鉄柱、実況席を使った攻防、イス攻撃や試合外での襲撃シーンその他過激なシーンに自主規制を加えるようになっている。
 
近年は特に過激路線からの方向転換が顕著で、テレビ番組のレーティングをPG([[映画のレイティングシステム]]参照)に引き下げるなどファミリー路線への転換を狙っているようである。この影響で現在ブラ&パンティマッチなどを放送することはできなくなっている。これによりストーリーも以前のような過激なものではなくなった。
 
ちなみに過去にファミリー路線への変換を狙ったときは途中でWCWに追い抜かれ、結果としてストーンコールドなどを中心とするアティテュード路線に変更した。
 
WWEにおいて特徴的なのは、時々経営者一族(マクマホン一家)がシナリオに絡むことであり、彼等が登場することで、スーパースター達のみの興行より盛り上がることである。ビンスはレスラーではないが60歳を超えたにもかかわらず鍛え上げた身体でスーパースター達と抗争を繰り返し、息子のシェインは10m以上の高さからのダイビングを得意としている。娘の[[ステファニー・マクマホン=レヴェック|ステファニー]]に至っては自身の豊胸手術までもが番組のネタとされてしまったことがある。妻の[[リンダ・マクマホン|リンダ]]も[[最高経営責任者|CEO]]の地位にありながら、設定上夫の浮気に傷つき精神障害に陥ったふりをしたり、[[グレン・ジェイコブズ|ケイン]]からツームストーン・パイルドライバーを受けたりしている。
 
WWEで用いられる名称もまた特徴的で、[[プロレス|プロレスリング]]という言葉は一切使われず、「'''スポーツ・エンターテイメント'''」という用語が使われる(シナリオの流れは「[[ソープオペラ]](昼ドラマ)」のような、と表現されることが多い)。同様にレスラー達は「'''[[スーパースター]]'''」と呼ばれ、[[プロレスラー]]という単語は使われない。かつては男子レスラーのみを「スーパースター」と呼び、女子レスラーに関しては「'''[[ディーヴァ (プロレス)|ディーヴァ]]'''」(マネージャーからレスリングまで幅広い活動を行う)と呼ばれていたが、2016年のWWEディーヴァズ王座が廃止された頃から使用されておらず、2017年以降はレスラーの男女を問わず「スーパースター」という呼称に統一されている。また、レスリングビジネスに関しても「この業界」(''This business'')と表現し、レスリングとは別のものであることをアピールしている。観客・ファン・視聴者などを示すものとして「'''WWEユニバース'''」という名称が用いられている他、ハルカマニア([[ハルク・ホーガン]])、ジェリカホリック([[クリス・ジェリコ]])、エッジヘッド([[エッジ (プロレスラー)|エッジ]])、ピープス([[クリスチャン (プロレスラー)|クリスチャン]])など特定のスーパースターのファンを指す呼称が存在する。
 
主役級のスーパースターは善玉([[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]])と悪玉([[ヒール (プロレス)|ヒール]])がはっきりと色分けされており、悪玉は観客、地域について罵詈雑言を浴びせ、観客はそれに対して[[ブーイング]]で応えることを楽しんでいるが、アングルにより、ある日突然役割が入れ替わることも珍しくない。しかし最近ではWWE側がベビーフェイスと設定しプッシュの割に至らない所があるスーパースターに[[ブーイング]]を浴びせることもある([[ジョン・シナ]]など)。
 
登場するスーパースターは[[アマチュアレスリング|レスリング]]の元金メダリストや[[義足]]のスーパースター、また近年デビューするスーパースターは有名レスラーの息子、孫等の二世、三世のスーパースターが増加傾向にある。<ref>[http://www.jsports.co.jp/wwe/universe/universe_03.html WWEユニバース倶楽部古田新太の発言]</ref>など、多彩である。しかし生存競争は激しく、怪我による長期休場や他団体による引き抜き、また人気がなくなると二軍落ちや解雇となり出場そのものができなくなる等、長期間連続で出演できるスーパースターは少ない。また、一部のレスラーの暴走を許したことで運営に大きな支障をきたしたWCWの教訓を生かし、たとえトップレスラーであろうともバックステージでの態度に問題があれば厳しい措置をとっている([[ランディ・オートン]]、[[レイ・ミステリオ・ジュニア|レイ・ミステリオ]]など)。
 
近年はアメリカや[[ヨーロッパ]]だけに留まらず、アジア諸国(日本・[[大韓民国|韓国]]・[[上海]]・[[フィリピン]]・[[シンガポール]]や[[カタール]]等)や中南米での興行も多く組まれている。ヨーロッパや北米でのWWE人気は高く、特に[[イタリア]]と[[メキシコ]]ではその人気が急速に高まっている。2012年の2月には初の[[ドバイ]]大会<ref>{{cite web|url=http://corporate.wwe.com/news/2011/2011_12_13.jsp|title=WWE Corporate - WWE Raw World Tour Comes to Abu Dhabi for First Time|publisher=WWE|date=2011-12-13|accessdate=2012-04-15}}</ref>、4月にも初の[[ロシア]]大会を開催し<ref>{{cite web|url=http://corporate.wwe.com/news/2011/2011_12_21.jsp|title=WWE Corporate - WWE Comes To Russia For The First Time|publisher=WWE|date=2011-12-21|accessdate=2012-04-15}}</ref>、海外進出には積極的になってきている。
 
海外においては90年代前半はイギリスでの人気が高く、サマースラム92年大会では約8万人の大観衆を集めた。03~05年には日本人レスラーがクルーザー級を主力に複数名所属し、テレビ東京で地上波放送されていたこともありライト層のファンを多く獲得、2005年2月にはアジア初のTV収録公演を[[さいたまスーパーアリーナ]]で開催している。近年は視聴率やPPV市場において北米が減少傾向にあるのに対して、海外でのPPV販売数は上昇しており、特にメキシコではWWEの番組は高視聴率を獲得しつつ、PPV市場においても急成長している。この様なメキシコや中南米の国々の人気もあって、2010年頃からヒスパニック系レスラーの獲得に注力し始め、2011年にはアルベルト・デル・リオがメキシコ人レスラーとして初の世界王者となった。同年にはメキシコの国民的英雄ともいわれるミスティコがシン・カラのリングネームでWWEデビューをしている。10月にはメキシコで初のTV収録公演を行った。これらの国以外ではプエルトリコやイタリア、フランスでもTV収録を行ったことがある。
 
また、WWEフィルムズという映画会社を設立して、所属選手を主演に[[アメリカ合衆国の映画|ハリウッド映画]]界に進出したり、[[アルバム|CD]]を発売したりなど、かつてのようにレスリング以外での活動もよく見受けられる。
 
=== 政治に関する活動など ===
[[File:WWE autographs in Iraq 1.JPG|right|200px|thumb|スーパースターズによる2009年のイラク慰問(左手前からビンス・マクマホン、R・トゥルース、レイ・ミステリオ)]]
[[File:WWE Stars in Iraq 2003.jpg|thumb|200px|right|2003年のイラク慰問興行]]
大統領選の応援演説にレスラーが駆り出されたりする。また、WWE自体が社会貢献のために軍の慰問や投票率アップキャンペーン等に積極的に協力している。
 
政治思想的には[[共和党 (アメリカ)|共和党]]支持を掲げており[[右翼]]色が強く、アメリカの[[イラク戦争|イラク攻撃]]に賛同し、アメリカ軍の駐屯地へ赴き慰問興行も行っている。アメリカに敵対する国に対する当てつけとして、その国に倣ったギミックの選手がヒールとして登場することも多い。[[湾岸戦争]]の際は[[サージェント・スローター]]が[[サッダーム・フセイン|フセイン]]の友人というギミックで登場し、イラク戦争の際にはイラク攻撃に反対したフランスに対する当てつけとして反米フランス人ギミックの[[ラ・レジスタンス]]が登場し、数年後には同時多発テロ以降差別に苦しむアラブ系アメリカ人の[[マーク・コパーニ|モハメド・ハッサン]]が登場した。ただし、この手のギミックはアメリカではファンの憎悪を集めるが、反米感情の強い国ではある種、正論とも取れるため人気を獲得し難い。
 
一方[[リンダ・マクマホン]]がイラク戦争に当初から個人的に反対していたり、[[反米]]ユニットが番組内のディベートで事実上勝利してしまう(結局はうやむやになるが)など経営陣は決して一枚岩ではないことが伺え、どちらかといえばビジネスのため政治思想をはっきりさせる、というのが実情のようである。
 
なお、近年は長年支持してきた共和党政権がもたらした[[イラク戦争]]の失敗、民主党政権への交代、金融危機の影響からイラク戦争開戦当初から前面に押し出してきたかつての反米ギミックの選手を公然と嘲り、アメリカを讃えるといった極端な保守色を薄めつつあり、[[:en:WWE Tribute to the Troops|2010年以降の慰問興行PPV]]の収録は外国駐留部隊向けから国内部隊向けへと変わった。
 
2016年には、ビジネスマン時代からWWEとの関わりがあり、番組に出演、[[WWE殿堂]]所持者でもある[[ドナルド・トランプ]]が[[2016年アメリカ合衆国大統領選挙|大統領選挙]]に当選。同年12月には、リンダ・マクマホンが[[アメリカ合衆国大統領顧問団|閣僚級]]のポストの1つであるアメリカ中小企業庁(SBA)長官に指名された。
 
=== WWEへのデビュー ===
新規に番組に出演する方法としてはレスリングやボディビル等の他のスポーツからのスカウト、他団体からの移籍、または[[タフイナフ]](2001年 - 2004年)や[[ディーヴァサーチ]]という番組内の新人発掘コーナーや、不定期に行われる[[トライアウト]]で優勝または合格、もしくは才能が認められる必要がある。こうしてWWEとの契約に至っても、そのほとんどはDevelopment Deal(育成契約)であり、すぐにRAW、またはSmack Downに登場するのは稀である。ほとんどの場合[[FCW (プロレス)|FCW]](Florida Championship Wrestling)というWWEのDevelopment Systemを担っているインディー団体でトレーニングや試合を行ってからRAW、SmackDown!での[[ダーク・マッチ]](テレビ放送されない試合)に出場し、認められたらRAW、Smack Downに昇格するケースがほとんどであった。もっともDevelopment Dealにサインしたからと言って、WWEへの登場が保証されている訳ではなく、途中で解雇されることもあり得る。また育成期間もあらかじめ決まっている訳ではない。
 
このような育成機関ともいえる団体としては、2005年8月から2007年4月までは[[DSW]]、2000年から2008年2月までは[[OVW]]があったが、契約を解消したと同時にFCWを新しく設立している。OVW出身のスーパースターは多く、バティスタ、ジョン・シナ、[[ニコラス・ディンスモア|ユージン]]等が挙げられる。また、これらの団体ではケガをしたスーパースターのリハビリやギミック(キャラ設定)がうまくはまらなかったスーパースターのギミックの練り直し等にも使われることがある。
 
なお[[FCW (プロレス)|FCW]]にはそれぞれWWEのDevelopment Systemとは関係のない独自に契約を結んでいるレスラーも存在し、彼らはNon-WWE-Talentとも呼ばれていた。
 
また[[UPW (プロレス)|UPW]](Ultimate Pro Wrestling)というインディー団体もDevelopment Systemの一翼を担っている。この団体は前出の3団体とは異なり、Development Dealにサインしたレスラーを引き受けて育成するのではなく、WWEのオフィシャルタレントスカウトが所属レスラーからスカウトをするという方式がとられている。またペイパービューイベントなどでの重要な脇役の供給源でもあったが、2007年を持って活動を停止している。UPW出身のスーパースターは、[[ザ・プレデター|シルベスター・ターカイ]]、[[マーティー・ルバルカーダ]]が挙げられる。
 
2012年8月からFCWは新人発掘番組のNXTと統合されWWE・NXTとして再スタート。Development Dealを結んだ選手は基本的にまずNXTでデビューし、経験を積み、RAWまたはSmackDown Liveへの昇格を狙う。WWEはNXTをRAW、SmackDown Liveに続く「第3のブランド」としているが、事実上は「二軍」である。
 
=== 客層 ===
WWEは現在家族揃って見ることができるファミリー路線を採用しているため、会場には家族連れや女性の観客も多い。こういったファン達(ライト層)と、プロレスに関する知識をある程度有する青年以上の層(ヘビー層)が主な客層となっているが、後者が観客の多数を占めていたアティテュード路線の時代と比べて異なるファン層が同じ会場にいるため、以前では見られない現象が起こっている。ライト層がストーリーライン上ベビーフェイスと位置づけられるレスラーを応援するのに対し、ヘビー層はそれだけではなくレスラーに試合やパフォーマンスの出来を高く求める。このため両者が声援を送るレスラーにずれが生じ、ベビーフェイスでありながらブーイング、ヒールでありながら声援を送られるという通常では考えられない現象が見られるようになった。([[ジョン・シナ]]、[[CMパンク]]を参照)
 
== スケジュール ==
WWEのスケジュールは、基本的には毎週月曜日に「[[WWE・ロウ|RAW]]」の生放送、金曜日に「[[スマックダウン|Smack Down]]」の生放送を行う。(海外ツアーなどが直後に開催される場合は収録になる)。また、それぞれの会場で「205 Live」の生放送、収録も行われている。「NXT」については不定期でフロリダ州フルセイル大学で収録され、毎週水曜日に放送される。この他に週に何回かのテレビ収録のない興行([[ハウス・ショー]])を開催し、月に一度PPV([[ペイ・パー・ビュー]])形式で特番興行を行う。
 
PPV興行は2002年までは年12回行われていたが、2ブランド制への移行により2003年からRAW、SmackDown!単独開催の場合と両ブランド共催の二形態になり、2005年からは14本、2006年はECWも含めて16本に増えた。しかし、その多さゆえシナリオがきちんと成り立っていなかったり、またレスラーの疲労も激しいため2007年から計15本、3ブランド共催の形になり、2008年からは計14本、2010年からは13本となっている。そのPPVの中で歴史ある4つのPPV([[ロイヤルランブル|Royal Rumble]]、[[レッスルマニア|Wrestle Mania]]、[[サマースラム|Summer Slam]]、[[サバイバー・シリーズ|Survivor Series]])をBig Four(ビッグ・フォー)と呼び、その中でも最大のイベントが[[レッスルマニア|Wrestle Mania]]であり、2014年に30回目を数える大興行である。PPVはWWEにとって大きな収入源となっており、通常その様子の動画は一般放送では流されない。
 
[[ハウス・ショー]]はテレビショー同様、ブランド別に開催している。そのため、他のテレビショーとスケジュールを合わせる必要はなく、例えばRAW収録日にSmack Downが別の都市でハウス・ショーを開催することも一般的である。PPV興行前日、前々日もハウス・ショーを開催することも多く、また海外公演のハウス・ショー(基本的に海外公演はハウス・ショーで行なわれる)も毎月のように開催しているため、WWEのスケジュールの過密さを物語っている。ハウス・ショーではテレビショーで見られるような華やかな演出はなく淡々と進行するが、テレビショーと異なり[[コマーシャルメッセージ|CM]]を挟む必要が無く、ストーリーを進行させる必要もないため[[アングル (プロレス)|アングル]]のとしてのマイクパフォーマンスも不要になり、時間配分に比較的余裕ができる。そのため入退場時にファンとのタッチやツーショットの自撮りに応じたり、テレビショーで進行するストーリーラインからある程度解放されるためテレビでは見られないようなパフォーマンスを見せてくれることもある。また、[[ダーク・マッチ]]同様、新人レスラーやギミックのテストの場ともなっている。ハウス・ショーは週2回(PPV除く)土曜日は必ずハウス・ショーに割り当てられ、それ以外はオフか試合以外の活動を行う。大きな休みを取れるのは、[[年末]][[年始]]の一週間のみでその週は一年の総集編が組まれている。
 
宿泊施設、食事、会場移動は自己に任せ、移動手段も集団でバス移動ではなく、会場入り時間を教え、厳守してもらう以外は全て自由で個人個人好きな移動手段で会場に入る。これはアメリカンプロレスでは一般的な移動手段であり、その中でアングル上対立しているスーパースター同士がプライベートでは行動を共にすると言う事も起きる。また女子スーパースターは試合前に練習を行うため、会場入りが早く設定されている。
 
チャンピオンシップは「RAW」と「Smack Down」の各番組毎に「ヘビー級シングル王座」と「それに準ずるシングル王座」、「男子タッグ王座」と「女子シングル王座」があり、2019年に両番組にまたがるものとして「女子タッグ王座」が新設された。挑戦者が勝ち王座移動が起こると前王者には「リマッチ」の権利が与えられ一ヶ月以内に王者に挑戦する事ができたが、2018年12月にリマッチ権制度は廃止となった。
 
先に述べたPPVはそれぞれの番組の主催、それに共催という形態をとっていたが2007年からはPPVは全て3ブランドの共催に変更された([[WWE・バックラッシュ|Backlash]]より)。WWEが拡大していく過程でECW、WCWといった他団体を併合してきたため、所属スーパースターが多くなり過ぎたこともあり、現在ではスーパースターは「RAW」か「Smack Down」かどちらかの所属となっており、トレード、またはドラフトが行われることもある。
 
2008年の[[ロイヤルランブル|Royal Rumble]] より映像のHD化が行われた。テレビ放送も翌日から移行。
 
マッチメイクは「カード」よりも「興行」に価値が置かれ、特番以外の通常興行やハウス・ショーでもタイトルマッチや「黄金カード」と呼ばれるようなエース級のスーパースター同士のシングルマッチが平然と行われる(ただし、ハウス・ショーでのタイトル移動はほぼ皆無であり、「PPV等の大一番に向けての公開リハーサル」という見方もできる)。WWEでは同じカードでも「誰と試合を行うか」よりも「何処で試合を行うか」が重要視されているためであり、その最高峰としてレッスルマニアが位置付けられている。王座戦が何度も行われるので王座の価値は防衛回数ではなく、防衛期間と戴冠回数に価値を置かれている。(戴冠回数に関しては[[リック・フレアー]]の「16-time World Champion」や[[ブッカーT]]の「5-times Champion」が好例と言える。)このような考え方はビッグマッチまでカードを温存する日本のプロレスとは大きく異なる。
 
他方広大なアメリカ全土を回り、年間200試合以上という過密スケジュールをこなしながらパフォーマンス維持のトレーニングをせねばならず、特にトップレスラーはそれらに加え映画出演や地元メディアのインタビューに時間を割かねばならないなど過酷な勤務形態も問題になっている。この過酷さに退団する者や、肉体の痛みをごまかすため鎮痛剤を服用した影響とみられる死亡事故が起こっていた。
 
2016年5月に「SmackDown」が現地時間7月19日火曜日の放送から毎週生放送になることを発表して、また「Raw」「Smackdown」は再び2ブランド制に移行することとなりドラフトを行うことも発表した<ref>[http://www.wwe.co.jp/article/2016/05/1205.html WWE Japan: スマックダウンが米国で火曜生放送に移動]</ref>。
 
== 歴史 ==
=== WWWF団体設立以前 ===
[[ビンス・マクマホン]](ビンセント・ケネディ・マクマホン)の祖父の[[:en:Roderick McMahon|ロドリック・ジェス・マクマホン]]は[[1925年]]から[[ニューヨーク]]のMSG([[マディソン・スクエア・ガーデン]])を拠点として[[プロレス]]、[[ボクシング]]の興行を行っていたプロモーターだった。[[第二次世界大戦]]前後の一時期はMSGがプロレスの興行を行っていなかったために[[ワシントンD.C.]]を中心に活動。[[1954年]]の彼の死後は息子でビンス・マクマホンの父、[[ビンス・マクマホン・シニア]](ビンセント・ジェームス・マクマホン)が興行会社の'''キャピトル・レスリング・コーポレーション'''(''Capitol Wrestling Corporation'')を引継ぎ、[[1956年]]からMSGに再進出。激戦区ニューヨークで唯一MSGのプロレス興行権を獲得した。[[アントニオ・ロッカ]]や[[バディ・ロジャース]]をメインイベンターとして興行を行い、格闘技・プロレスの殿堂と呼ばれるMSGの伝統を引き継いだ。[[1948年]]に発足した[[NWA (プロレス)|NWA]](''National Wrestling Alliance'')にも加盟して大物プロモーターとして大きな発言権を得た。
 
=== WWWF設立、時代 - WWF改称時代 ===
[[1963年]]、ビンス・マクマホン・シニアは1月に起きた自派の[[バディ・ロジャース]]から[[:en:Sam Muchnick|サム・マソニック]]派の[[ルー・テーズ]]へのNWA王座の移動を認めず、3月に試験的に新団体WWWA(''World Wide Wrestling Association'')を、5月にはNWAを脱退して'''WWWF'''(''World Wide Wrestling Federation'')を設立する。同時にロジャースを初代[[WWE王座|WWWF王者]]に認定して5月14日にロジャースを破って王者となった[[イタリア]]系の[[ブルーノ・サンマルチノ]]を新団体の絶対的な主人公とした。NWA再加盟後の[[1970年代]]前半には[[プエルトリコ]]系の[[ペドロ・モラレス]]、中頃には再びサンマルチノから[[スーパースター・ビリー・グラハム]]へ、1970年代終盤から[[1980年代]]前半にかけては[[ボブ・バックランド]]へと王座と主人公の座が移っていった。当時のアメリカプロレス界は北部の[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]](''American Wrestling Association'')、東部のWWWF、南西部のNWA加盟団体を中心に、各地区のプロモーターが暗黙の不可侵条約を結んでいた時代であり、WWWF所属だった[[アンドレ・ザ・ジャイアント]]が各地にゲスト出場して親善大使的な役割を務めた。[[1979年]]3月、団体名を'''WWF'''(''World Wrestling Federation'')に改称。[[1982年]]6月、大学を卒業後リングアナウンサーやプロモーターをしていた[[ビンス・マクマホン]]と妻[[リンダ・マクマホン|リンダ]]が不仲であったマクマホン・シニアからWWFの親会社キャピトル・レスリング・コーポレーションを譲渡ではなく株式の買収という形で手に入れて、新会社'''タイタン・スポーツ'''(''Titan Sports, Inc.'')を設立。
 
=== 1984年以降 - WrestleMania時代 ===
ビンス・マクマホンはWWFの全米進出によるプロレス界の統一を計画、当時[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]に在籍していた[[ハルク・ホーガン]]を筆頭に、[[1983年]]から[[ロディ・パイパー]]、[[ポール・オーンドーフ]]など各地の有力選手を次々と引き抜いた。テレビ局からNWAの試合を放送していた枠の放送権を買い取ると、同年12月27日、いきなりNWAの本部が置かれていた[[セントルイス]]で興行を行った。以降も次々と他団体への[[M&A]]や同様のケーブルテレビ番組を利用した中継等により事業を大幅に拡大。この一連の侵略行為は旧来のプロモーターから同名の有名SF小説に準えて「'''[[1984年 (小説)|1984]]'''」と呼ばれた。
 
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[[1993年]]には「[[WWE・ロウ|MONDAY NIGHT RAW]]」(後に「RAW IS WAR」「RAW」と改称)の放送を開始。[[ケビン・ナッシュ|ディーゼル]]、[[スコット・ホール|レイザー・ラモン]]、[[ショーン・マイケルズ]]らが台頭してブレットなどと共に'''ニュー・ジェネレーション'''と呼ばれた。一方、ホーガン、サベージなどかつての団体のスター選手たちの多くはWCWへと移籍してWCWは徐々にWWFに対抗するほどの人気を獲得していった。
 
=== Monday Night Wars - アティテュード時代 ===
[[1995年]][[9月4日]]、[[エリック・ビショフ]]が副社長に就任した[[WCW]](オーナーは[[テッド・ターナー]])が「'''MONDAY NIGHT RAW'''」の裏番組として「'''[[WCWマンデー・ナイトロ|MONDAY NITRO]]'''」の放送を開始、両番組の視聴率争いが始まった。WCWはナイトロ第一回放送でいきなり前日までWWFの大会に出場していたルガーを引き抜いて登場させた。これを引き金とし、「'''[[マンデー・ナイト・ウォーズ|月曜夜の視聴率戦争]]'''(''Monday night wars'')」と言われる程の壮絶な視聴率合戦が繰り広げられた。
 
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2006年、Monday Night War時代にハードコア路線でWWF、WCWと興行戦争を行っていたECWがWWE傘下で復活することが決定。2004年に発売されたDVDの売り上げが好調だったのを受けて2005年に開催されたECW One Night Stand以降、ECW人気が再燃したこともあり、[[6月13日]]からはレギュラー放送も開始された。Monday Night War時代にECWを率いていた[[ポール・ヘイマン]]が番組の指揮を執り、[[ロブ・ヴァン・ダム]](RVD)、[[テリー・ブルンク|サブゥー]]、[[ジェームズ・フォリントン|サンドマン]]等1990年代の旧ECWの人気選手が参戦したこともあり大きく注目された。しかし、番組復活直後からかつて'''EC"Fuckin'"W'''と評された頃の過激なECWとはまるで違った団体となってしまったことが露呈。旧ECWの名タッグであった[[ダッドリー・ボーイズ]]や[[テリー・ゲリン|ライノ]]、[[スコット・レビー|レイヴェン]]がTNA移籍のため参戦不可となり、人材不足からてこ入れとして旧ECWとは関係の無かった[[ボビー・ラシュリー]]、ビッグ・ショー、[[アンドリュー・マーチン|テスト]]、[[CMパンク]]等をメインイベンターとして起用せざるを得なくなる。こういった旧ECWとは関係のないレスラーの起用が旧ECWファンの違和感を誘発させた。エクストリームルールの試合もたまにしか行なわれず、NXTに切り替わる間際の2009年頃にはWWEに初登場する新人のためのデビューの場として、ほとんど若手育成のための番組となってしまい、ある程度芽が出てくるとRAWやSmack Downへ移籍することが多かった(CMパンク、[[コフィ・サーコーディエ・メンサー|コフィ・キングストン]]、[[マット・コークラン|エヴァン・ボーン]]など)
 
=== アメリカにおける他団体との関係 ===
現在米マット界で独占状態になっているWWEに対抗しうる団体は[[All Elite Wrestling|AEW]](オール・エリート・レスリング)、[[インパクト・レスリング]](''Impact Wrestling'')、[[ROH]](''Ring Of Honor'')などがある。
 
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[[2017年]]、CWCの女子レスラー版といえるトーナメント、[[WWEメイ・ヤング・クラシック|メイ・ヤング・クラシック]]を開催。
 
== 特徴 ==
=== スタイル ===
プロレス団体としてのスタイルは、完全に[[ドラマ]]仕立てのショープロレスで、試合における技の美しさや流れよりも、ストーリーの流れの方が注目されることが多い。しかし試合そのものはプロレスの基本に忠実な正統な展開を好み、あまり大技を使わずに試合を構成できる実力派の選手も多い。一方では凶器有りの[[デスマッチ]]を得意とする者もおり、単にストーリーだけの団体ではない。
 
WWEが[[株式]]上場する以前は、「シナリオなど存在しない」という建前であったが、株式上場の際、事業内容を公開するにあたってシナリオ([[アングル (プロレス)|アングル]])の存在を公式に認めた。
 
アングルには下品、流血、色気、暴力、犯罪等ありとあらゆる悪徳が採用されており、当然そのような描写を嫌う人も多く、攻撃されることもあるが、それも肥やしにしてしまう強さがある。しかしながら、2000年以降圧力団体のクレームから過激な暴力描写を抑制せざるをえない状況にある。例えば、鉄柱、実況席を使った攻防、イス攻撃や試合外での襲撃シーンその他過激なシーンに自主規制を加えるようになっている。
 
近年は特に過激路線からの方向転換が顕著で、テレビ番組のレーティングをPG([[映画のレイティングシステム]]参照)に引き下げるなどファミリー路線への転換を狙っているようである。この影響で現在ブラ&パンティマッチなどを放送することはできなくなっている。これによりストーリーも以前のような過激なものではなくなった。
 
ちなみに過去にファミリー路線への変換を狙ったときは途中でWCWに追い抜かれ、結果としてストーンコールドなどを中心とするアティテュード路線に変更した。
 
WWEにおいて特徴的なのは、時々経営者一族(マクマホン一家)がシナリオに絡むことであり、彼等が登場することで、スーパースター達のみの興行より盛り上がることである。ビンスはレスラーではないが60歳を超えたにもかかわらず鍛え上げた身体でスーパースター達と抗争を繰り返し、息子のシェインは10m以上の高さからのダイビングを得意としている。娘の[[ステファニー・マクマホン=レヴェック|ステファニー]]に至っては自身の豊胸手術までもが番組のネタとされてしまったことがある。妻の[[リンダ・マクマホン|リンダ]]も[[最高経営責任者|CEO]]の地位にありながら、設定上夫の浮気に傷つき精神障害に陥ったふりをしたり、[[グレン・ジェイコブズ|ケイン]]からツームストーン・パイルドライバーを受けたりしている。
 
WWEで用いられる名称もまた特徴的で、[[プロレス|プロレスリング]]という言葉は一切使われず、「'''スポーツ・エンターテイメント'''」という用語が使われる(シナリオの流れは「[[ソープオペラ]](昼ドラマ)」のような、と表現されることが多い)。同様にレスラー達は「'''[[スーパースター]]'''」と呼ばれ、[[プロレスラー]]という単語は使われない。かつては男子レスラーのみを「スーパースター」と呼び、女子レスラーに関しては「'''[[ディーヴァ (プロレス)|ディーヴァ]]'''」(マネージャーからレスリングまで幅広い活動を行う)と呼ばれていたが、2016年のWWEディーヴァズ王座が廃止された頃から使用されておらず、2017年以降はレスラーの男女を問わず「スーパースター」という呼称に統一されている。また、レスリングビジネスに関しても「この業界」(''This business'')と表現し、レスリングとは別のものであることをアピールしている。観客・ファン・視聴者などを示すものとして「'''WWEユニバース'''」という名称が用いられている他、ハルカマニア([[ハルク・ホーガン]])、ジェリカホリック([[クリス・ジェリコ]])、エッジヘッド([[エッジ (プロレスラー)|エッジ]])、ピープス([[クリスチャン (プロレスラー)|クリスチャン]])など特定のスーパースターのファンを指す呼称が存在する。
 
主役級のスーパースターは善玉([[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]])と悪玉([[ヒール (プロレス)|ヒール]])がはっきりと色分けされており、悪玉は観客、地域について罵詈雑言を浴びせ、観客はそれに対して[[ブーイング]]で応えることを楽しんでいるが、アングルにより、ある日突然役割が入れ替わることも珍しくない。しかし最近ではWWE側がベビーフェイスと設定しプッシュの割に至らない所があるスーパースターに[[ブーイング]]を浴びせることもある([[ジョン・シナ]]など)。
 
登場するスーパースターは[[アマチュアレスリング|レスリング]]の元金メダリストや[[義足]]のスーパースター、また近年デビューするスーパースターは有名レスラーの息子、孫等の二世、三世のスーパースターが増加傾向にある。<ref>[http://www.jsports.co.jp/wwe/universe/universe_03.html WWEユニバース倶楽部古田新太の発言]</ref>など、多彩である。しかし生存競争は激しく、怪我による長期休場や他団体による引き抜き、また人気がなくなると二軍落ちや解雇となり出場そのものができなくなる等、長期間連続で出演できるスーパースターは少ない。また、一部のレスラーの暴走を許したことで運営に大きな支障をきたしたWCWの教訓を生かし、たとえトップレスラーであろうともバックステージでの態度に問題があれば厳しい措置をとっている([[ランディ・オートン]]、[[レイ・ミステリオ・ジュニア|レイ・ミステリオ]]など)。
 
近年はアメリカや[[ヨーロッパ]]だけに留まらず、アジア諸国(日本・[[大韓民国|韓国]]・[[上海]]・[[フィリピン]]・[[シンガポール]]や[[カタール]]等)や中南米での興行も多く組まれている。ヨーロッパや北米でのWWE人気は高く、特に[[イタリア]]と[[メキシコ]]ではその人気が急速に高まっている。2012年の2月には初の[[ドバイ]]大会<ref>{{cite web|url=http://corporate.wwe.com/news/2011/2011_12_13.jsp|title=WWE Corporate - WWE Raw World Tour Comes to Abu Dhabi for First Time|publisher=WWE|date=2011-12-13|accessdate=2012-04-15}}</ref>、4月にも初の[[ロシア]]大会を開催し<ref>{{cite web|url=http://corporate.wwe.com/news/2011/2011_12_21.jsp|title=WWE Corporate - WWE Comes To Russia For The First Time|publisher=WWE|date=2011-12-21|accessdate=2012-04-15}}</ref>、海外進出には積極的になってきている。
 
海外においては90年代前半はイギリスでの人気が高く、サマースラム92年大会では約8万人の大観衆を集めた。03~05年には日本人レスラーがクルーザー級を主力に複数名所属し、テレビ東京で地上波放送されていたこともありライト層のファンを多く獲得、2005年2月にはアジア初のTV収録公演を[[さいたまスーパーアリーナ]]で開催している。近年は視聴率やPPV市場において北米が減少傾向にあるのに対して、海外でのPPV販売数は上昇しており、特にメキシコではWWEの番組は高視聴率を獲得しつつ、PPV市場においても急成長している。この様なメキシコや中南米の国々の人気もあって、2010年頃からヒスパニック系レスラーの獲得に注力し始め、2011年にはアルベルト・デル・リオがメキシコ人レスラーとして初の世界王者となった。同年にはメキシコの国民的英雄ともいわれるミスティコがシン・カラのリングネームでWWEデビューをしている。10月にはメキシコで初のTV収録公演を行った。これらの国以外ではプエルトリコやイタリア、フランスでもTV収録を行ったことがある。
 
また、WWEフィルムズという映画会社を設立して、所属選手を主演に[[アメリカ合衆国の映画|ハリウッド映画]]界に進出したり、[[アルバム|CD]]を発売したりなど、かつてのようにレスリング以外での活動もよく見受けられる。
 
=== 政治に関する活動など ===
[[File:WWE autographs in Iraq 1.JPG|right|200px|thumb|スーパースターズによる2009年のイラク慰問(左手前からビンス・マクマホン、R・トゥルース、レイ・ミステリオ)]]
[[File:WWE Stars in Iraq 2003.jpg|thumb|200px|right|2003年のイラク慰問興行]]
大統領選の応援演説にレスラーが駆り出されたりする。また、WWE自体が社会貢献のために軍の慰問や投票率アップキャンペーン等に積極的に協力している。
 
政治思想的には[[共和党 (アメリカ)|共和党]]支持を掲げており[[右翼]]色が強く、アメリカの[[イラク戦争|イラク攻撃]]に賛同し、アメリカ軍の駐屯地へ赴き慰問興行も行っている。アメリカに敵対する国に対する当てつけとして、その国に倣ったギミックの選手がヒールとして登場することも多い。[[湾岸戦争]]の際は[[サージェント・スローター]]が[[サッダーム・フセイン|フセイン]]の友人というギミックで登場し、イラク戦争の際にはイラク攻撃に反対したフランスに対する当てつけとして反米フランス人ギミックの[[ラ・レジスタンス]]が登場し、数年後には同時多発テロ以降差別に苦しむアラブ系アメリカ人の[[マーク・コパーニ|モハメド・ハッサン]]が登場した。ただし、この手のギミックはアメリカではファンの憎悪を集めるが、反米感情の強い国ではある種、正論とも取れるため人気を獲得し難い。
 
一方[[リンダ・マクマホン]]がイラク戦争に当初から個人的に反対していたり、[[反米]]ユニットが番組内のディベートで事実上勝利してしまう(結局はうやむやになるが)など経営陣は決して一枚岩ではないことが伺え、どちらかといえばビジネスのため政治思想をはっきりさせる、というのが実情のようである。
 
なお、近年は長年支持してきた共和党政権がもたらした[[イラク戦争]]の失敗、民主党政権への交代、金融危機の影響からイラク戦争開戦当初から前面に押し出してきたかつての反米ギミックの選手を公然と嘲り、アメリカを讃えるといった極端な保守色を薄めつつあり、[[:en:WWE Tribute to the Troops|2010年以降の慰問興行PPV]]の収録は外国駐留部隊向けから国内部隊向けへと変わった。
 
2016年には、ビジネスマン時代からWWEとの関わりがあり、番組に出演、[[WWE殿堂]]所持者でもある[[ドナルド・トランプ]]が[[2016年アメリカ合衆国大統領選挙|大統領選挙]]に当選。同年12月には、リンダ・マクマホンが[[アメリカ合衆国大統領顧問団|閣僚級]]のポストの1つであるアメリカ中小企業庁(SBA)長官に指名された。
 
=== WWEへのデビュー ===
新規に番組に出演する方法としてはレスリングやボディビル等の他のスポーツからのスカウト、他団体からの移籍、または[[タフイナフ]](2001年 - 2004年)や[[ディーヴァサーチ]]という番組内の新人発掘コーナーや、不定期に行われる[[トライアウト]]で優勝または合格、もしくは才能が認められる必要がある。こうしてWWEとの契約に至っても、そのほとんどはDevelopment Deal(育成契約)であり、すぐにRAW、またはSmack Downに登場するのは稀である。ほとんどの場合[[FCW (プロレス)|FCW]](Florida Championship Wrestling)というWWEのDevelopment Systemを担っているインディー団体でトレーニングや試合を行ってからRAW、SmackDown!での[[ダーク・マッチ]](テレビ放送されない試合)に出場し、認められたらRAW、Smack Downに昇格するケースがほとんどであった。もっともDevelopment Dealにサインしたからと言って、WWEへの登場が保証されている訳ではなく、途中で解雇されることもあり得る。また育成期間もあらかじめ決まっている訳ではない。
 
このような育成機関ともいえる団体としては、2005年8月から2007年4月までは[[DSW]]、2000年から2008年2月までは[[OVW]]があったが、契約を解消したと同時にFCWを新しく設立している。OVW出身のスーパースターは多く、バティスタ、ジョン・シナ、[[ニコラス・ディンスモア|ユージン]]等が挙げられる。また、これらの団体ではケガをしたスーパースターのリハビリやギミック(キャラ設定)がうまくはまらなかったスーパースターのギミックの練り直し等にも使われることがある。
 
なお[[FCW (プロレス)|FCW]]にはそれぞれWWEのDevelopment Systemとは関係のない独自に契約を結んでいるレスラーも存在し、彼らはNon-WWE-Talentとも呼ばれていた。
 
また[[UPW (プロレス)|UPW]](Ultimate Pro Wrestling)というインディー団体もDevelopment Systemの一翼を担っている。この団体は前出の3団体とは異なり、Development Dealにサインしたレスラーを引き受けて育成するのではなく、WWEのオフィシャルタレントスカウトが所属レスラーからスカウトをするという方式がとられている。またペイパービューイベントなどでの重要な脇役の供給源でもあったが、2007年を持って活動を停止している。UPW出身のスーパースターは、[[ザ・プレデター|シルベスター・ターカイ]]、[[マーティー・ルバルカーダ]]が挙げられる。
 
2012年8月からFCWは新人発掘番組のNXTと統合されWWE・NXTとして再スタート。Development Dealを結んだ選手は基本的にまずNXTでデビューし、経験を積み、RAWまたはSmackDown Liveへの昇格を狙う。WWEはNXTをRAW、SmackDown Liveに続く「第3のブランド」としているが、事実上は「二軍」である。
 
=== 客層 ===
 
WWEは現在家族揃って見ることができるファミリー路線を採用しているため、会場には家族連れや女性の観客も多い。こういったファン達(ライト層)と、プロレスに関する知識をある程度有する青年以上の層(ヘビー層)が主な客層となっているが、後者が観客の多数を占めていたアティテュード路線の時代と比べて異なるファン層が同じ会場にいるため、以前では見られない現象が起こっている。ライト層がストーリーライン上ベビーフェイスと位置づけられるレスラーを応援するのに対し、ヘビー層はそれだけではなくレスラーに試合やパフォーマンスの出来を高く求める。このため両者が声援を送るレスラーにずれが生じ、ベビーフェイスでありながらブーイング、ヒールでありながら声援を送られるという通常では考えられない現象が見られるようになった。([[ジョン・シナ]]、[[CMパンク]]を参照)
 
== スケジュール ==
WWEのスケジュールは、基本的には毎週月曜日に「[[WWE・ロウ|RAW]]」の生放送、金曜日に「[[スマックダウン|Smack Down]]」の生放送を行う。(海外ツアーなどが直後に開催される場合は収録になる)。また、それぞれの会場で「205 Live」の生放送、収録も行われている。「NXT」については不定期でフロリダ州フルセイル大学で収録され、毎週水曜日に放送される。この他に週に何回かのテレビ収録のない興行([[ハウス・ショー]])を開催し、月に一度PPV([[ペイ・パー・ビュー]])形式で特番興行を行う。
 
PPV興行は2002年までは年12回行われていたが、2ブランド制への移行により2003年からRAW、SmackDown!単独開催の場合と両ブランド共催の二形態になり、2005年からは14本、2006年はECWも含めて16本に増えた。しかし、その多さゆえシナリオがきちんと成り立っていなかったり、またレスラーの疲労も激しいため2007年から計15本、3ブランド共催の形になり、2008年からは計14本、2010年からは13本となっている。そのPPVの中で歴史ある4つのPPV([[ロイヤルランブル|Royal Rumble]]、[[レッスルマニア|Wrestle Mania]]、[[サマースラム|Summer Slam]]、[[サバイバー・シリーズ|Survivor Series]])をBig Four(ビッグ・フォー)と呼び、その中でも最大のイベントが[[レッスルマニア|Wrestle Mania]]であり、2014年に30回目を数える大興行である。PPVはWWEにとって大きな収入源となっており、通常その様子の動画は一般放送では流されない。
 
[[ハウス・ショー]]はテレビショー同様、ブランド別に開催している。そのため、他のテレビショーとスケジュールを合わせる必要はなく、例えばRAW収録日にSmack Downが別の都市でハウス・ショーを開催することも一般的である。PPV興行前日、前々日もハウス・ショーを開催することも多く、また海外公演のハウス・ショー(基本的に海外公演はハウス・ショーで行なわれる)も毎月のように開催しているため、WWEのスケジュールの過密さを物語っている。ハウス・ショーではテレビショーで見られるような華やかな演出はなく淡々と進行するが、テレビショーと異なり[[コマーシャルメッセージ|CM]]を挟む必要が無く、ストーリーを進行させる必要もないため[[アングル (プロレス)|アングル]]のとしてのマイクパフォーマンスも不要になり、時間配分に比較的余裕ができる。そのため入退場時にファンとのタッチやツーショットの自撮りに応じたり、テレビショーで進行するストーリーラインからある程度解放されるためテレビでは見られないようなパフォーマンスを見せてくれることもある。また、[[ダーク・マッチ]]同様、新人レスラーやギミックのテストの場ともなっている。ハウス・ショーは週2回(PPV除く)土曜日は必ずハウス・ショーに割り当てられ、それ以外はオフか試合以外の活動を行う。大きな休みを取れるのは、[[年末]][[年始]]の一週間のみでその週は一年の総集編が組まれている。
 
宿泊施設、食事、会場移動は自己に任せ、移動手段も集団でバス移動ではなく、会場入り時間を教え、厳守してもらう以外は全て自由で個人個人好きな移動手段で会場に入る。これはアメリカンプロレスでは一般的な移動手段であり、その中でアングル上対立しているスーパースター同士がプライベートでは行動を共にすると言う事も起きる。また女子スーパースターは試合前に練習を行うため、会場入りが早く設定されている。
 
チャンピオンシップは「RAW」と「Smack Down」の各番組毎に「ヘビー級シングル王座」と「それに準ずるシングル王座」、「男子タッグ王座」と「女子シングル王座」があり、2019年に両番組にまたがるものとして「女子タッグ王座」が新設された。挑戦者が勝ち王座移動が起こると前王者には「リマッチ」の権利が与えられ一ヶ月以内に王者に挑戦する事ができたが、2018年12月にリマッチ権制度は廃止となった。
 
先に述べたPPVはそれぞれの番組の主催、それに共催という形態をとっていたが2007年からはPPVは全て3ブランドの共催に変更された([[WWE・バックラッシュ|Backlash]]より)。WWEが拡大していく過程でECW、WCWといった他団体を併合してきたため、所属スーパースターが多くなり過ぎたこともあり、現在ではスーパースターは「RAW」か「Smack Down」かどちらかの所属となっており、トレード、またはドラフトが行われることもある。
 
2008年の[[ロイヤルランブル|Royal Rumble]] より映像のHD化が行われた。テレビ放送も翌日から移行。
 
マッチメイクは「カード」よりも「興行」に価値が置かれ、特番以外の通常興行やハウス・ショーでもタイトルマッチや「黄金カード」と呼ばれるようなエース級のスーパースター同士のシングルマッチが平然と行われる(ただし、ハウス・ショーでのタイトル移動はほぼ皆無であり、「PPV等の大一番に向けての公開リハーサル」という見方もできる)。WWEでは同じカードでも「誰と試合を行うか」よりも「何処で試合を行うか」が重要視されているためであり、その最高峰としてレッスルマニアが位置付けられている。王座戦が何度も行われるので王座の価値は防衛回数ではなく、防衛期間と戴冠回数に価値を置かれている。(戴冠回数に関しては[[リック・フレアー]]の「16-time World Champion」や[[ブッカーT]]の「5-times Champion」が好例と言える。)このような考え方はビッグマッチまでカードを温存する日本のプロレスとは大きく異なる。
 
他方広大なアメリカ全土を回り、年間200試合以上という過密スケジュールをこなしながらパフォーマンス維持のトレーニングをせねばならず、特にトップレスラーはそれらに加え映画出演や地元メディアのインタビューに時間を割かねばならないなど過酷な勤務形態も問題になっている。この過酷さに退団する者や、肉体の痛みをごまかすため鎮痛剤を服用した影響とみられる死亡事故が起こっていた。
 
2016年5月に「SmackDown」が現地時間7月19日火曜日の放送から毎週生放送になることを発表して、また「Raw」「Smackdown」は再び2ブランド制に移行することとなりドラフトを行うことも発表した<ref>[http://www.wwe.co.jp/article/2016/05/1205.html WWE Japan: スマックダウンが米国で火曜生放送に移動]</ref>。
 
== 日本との関係 ==
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* [[フレッド・ブラッシー]]追悼VTRの説明をしていたフジテレビの[[千野志麻]]アナウンサーに「ass hole」コールを浴びせた。
* [[グレゴリー・ヘルムズ|ザ・ハリケーン]]対[[船木勝一|フナキ]]戦で、ハリケーンがスーパーヒーローという立場であったため、地元日本の出身だったにも拘らずフナキとセコンドのTAKAみちのくをヒール扱いしブーイングを浴びせた。
 
などのエピソードがある。
 
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現ビンス・マクマホン体制期の日本人レスラーとしては、WWF時代に[[ブル中野]]が女子王座を獲得するなどトップレスラーとして活躍。[[ジャンピング・ボム・エンジェルス|JBエンジェルス]]も女子タッグ王座を[[1988年]]の第1回[[ロイヤルランブル]]の大舞台で獲得した。2000年以降、所属していたレスラーでは[[TAKAみちのく]]が1998年に初代[[WWF・ライトヘビー級王座|ライトヘビー級王座]]を獲得。[[TAJIRI]]はシングルとタッグで王座を6度獲得した。
 
=== 日本国内のテレビ放送 ===
日本国内でのテレビ放送は[[J SPORTS]]が担当している。また、PPV特番は[[スカチャン]](旧パーフェクト・チョイス)で放送されるが、いずれも約10日遅れでの放映となる。字幕翻訳は[http://www.lumiere-inc.jp/ 株式会社ルミエール]が担当しているが、意訳・誤訳が多い(ただし、[[ドウェイン・ジョンソン|ザ・ロック]]のようにスラングを多用するマイクパフォーマンスを得意とする選手も少なくないため、ある程度の意訳は仕方のない部分もある)。
 
1992年4月から1993年5月まで[[WOWOW]]がPPV大会のみを1か月遅れの120分枠で「レッスルマニア8」、「サマースラム92」、「サバイバーシリーズ92」、「ロイヤルランブル93」4大会を放送した。(実況:[[土居壮]] 解説:[[斎藤文彦]]。日本版ビデオシリーズのコンビが担当)
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=== 2002年以降の日本興行 ===
[[2002年]]の再上陸以降は、[[ハウス・ショー]]が中心の興行である。[[2005年]][[2月4日]] (RAW)・[[2月5日|5日]] (SmackDown!)に[[さいたまスーパーアリーナ]]で、アジア初、世界では3カ国目となるテレビ収録での大会が開催された。通常は当日生放送(海外からの収録でも時間差で当日放送)するRAWも史上初の収録試合となった。[[2007年]]を除き、[[2011年]]まで毎年日本興行が開催されている。なお日本での大会では[[消防法]]の関係で[[パイロテクニクス|パイロ]]などの演出は行われない、もしくは小規模なものにとどめられ、2011年以降は[[福島第一原子力発電所事故|福島第一原発事故]]の影響もあり、[[節電]]にも努めている。
 
{| class="wikitable" style="font-size:100%;"
!width="70"|開催年
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|[[TDガーデン]]
|}
※PPV※ PPV日程参照:[[:en:List_of_WWE_pay-per-view_events#2017|List of WWE pay-per-view events]]、[https://rajah.com/node/complete-list-wwe-ppv-names-dates-locations-rest-2019 RAJAH.com:Complete List of WWE PPV Names, Dates & Locations for the Rest of 2019]
 
=== かつて行われていたWWEのPPV特番 ===
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#** [[ジ・アンダーテイカー]]…現在のギミックどおり、白目も。
#** [[ハルク・ホーガン]]…TVショーなどで最も頻繁に見られる。ホーガンの[[TNAレスリング|TNA]]参戦以降もその根強い人気は変わらない。
 
== 過去に認定していた王座 ==
新日本プロレスが[[IWGP]]構想を提唱した際も一部の王座を除きWWFの認定する王座は業務提携が解消されるまで新日本プロレス内に存在して防衛戦も行われていた。またWWF時代及び現WWEでも様々な王座が存在しているが中には一時期あまりにも王座の数が増えすぎた為、消滅した王座や シナリオ上必要であったが自然に消滅した王座などがあり、様々な形で封印された王座として取り扱われている。
* [[WWFインターナショナル・ヘビー級王座|WWF International Heavyweight Championship]](1959年 - 1963年、1982年 - 1985年)※
* [[WWFジュニアヘビー級王座|WWF Junior Heavyweight Championship]](1967年 - 1985年)※
* [[WWFインターナショナル・タッグ王座|WWF International Tag Team Championship]](1969年 - 1985年)※
* [[WWE・世界タッグチーム王座|WWE World Tag Team Championship]](1971年 - 2010年)
* WWF New Japan Martial Arts Championship(1978年 - 1985年)※
* WWF North American Championship(1979年 - 1981年)※
* [[WWF・ライトヘビー級王座|WWF Light Heavyweight Championship]](1981年 - 2001年)
* WWF Women's Tag Team Championship(1983年 - 1989年)
* WWF Canadian Championship(1985年 - 1986年)
* WWF Million Dollar Championship(1989年 - 1992年、1995年 - 1996年、2010年)
* WWF Intercontinental Tag Team Championship(1991年)
* [[WWE・クルーザー級王座|WWE Cruiserweight Championship]](1992年 - 2007年)
* WWF Middle East Cup(1996年)
* WWF Kuwaiti Cup(1996年 - 1997年)
* [[WCW・世界ヘビー級王座|World Championship]](2001年)
* [[WCW世界タッグチーム王座|WCW Tag Team Championship]](2001年)
* [[WWE・ヨーロピアン王座|WWE European Championship]](1997年 - 2002年)
* [[WWE・ハードコア王座|WWE Hardcore Championship]](1998年 - 2002年)
* [[ECW王座|ECW Championship]](2006年 - 2010年)
* [[世界ヘビー級王座 (WWE)|World Heavyweight Championship]](2002年 - 2013年)
* [[WWE・ディーヴァズ王座|WWE Divas Championship]](2008年 - 2016年)
「※」については主に新日本プロレスが興行権を持って使用していた王座。Light Heavyweight Championshipに関してはメキシコ版と呼ばれた王座と後に新たに認定された王座が存在する。またInternational Heavyweight Championshipに関しては新日本プロレス版と[[UWF]]版が存在する。
 
== 所属選手(THE WWE SUPERSTARS) ==
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** [[カート・アングル]]と[[ネイサン・エバーハート|ジェイソン・ジョーダン]]は本当の親子ではない。
* 現実でも婚姻、または恋愛関係で、番組ストーリーでもそれが取り上げられた例
** [[ランディ・サベージ]]と[[エリザベス・ヒューレット|エリザベス]]は実際の夫婦だった。リング上で結婚式もあげているが、後離婚。後に続く「夫婦もの」の嚆矢となった。
** [[トリプルH]]と[[ステファニー・マクマホン=レヴェック|ステファニー・マクマホン]]は本当に結婚している(ストーリー上では離婚、夫婦ストーリー終了後に結婚)。
** [[ブッカー・ハフマン|ブッカー・T]]と[[シャーメル・サリバン・ハフマン|シャーメル]]は本当の夫婦。
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[[Category:WWE|*]]
[[Category:NWA]]