「大阪大空襲」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
校正をしました。
編集の要約なし
45行目:
[[1945年]]6月26日、重要工業拠点への精密爆撃を狙っておこなわれた。アメリカ軍の照準点は[[此花区]]北港の[[住友金属]](現在の[[新日鐵住金]])[[新日鐵住金製鋼所|製鋼所]]、および[[大阪砲兵工廠|大阪陸軍造兵廠]](砲兵工廠)という2つの軍需工場。住友金属には命中したが、砲兵工廠への爆弾はその周辺部に被害を及ぼした。
 
== 堺大空襲(第6回大阪大空襲 - 7月10日 ==
{{出典の明記|sectio=1|date=2018-04}}
[[1945年]]7月10日1時33分から3時6分の約1時間半にわたっておこなわれた。この空襲は「'''堺大空襲'''」と呼ばれ、堺市中心部に大きな被害を受けた。
 
米軍側の資料からも明らかなように、この空襲は主要地方都市(中小都市)空襲のひとつである'''堺大空襲'''であり、大阪市を標的とした他の空襲とは主旨が異なる。前日の深夜から同日未明にわたって、堺大空襲にやや先行する時間帯で[[和歌山大空襲]]も行われており、大阪湾岸の南部2つの主要地方都市が一夜にして焼け野原となった。
中小都市爆撃作戦の一環として、サイパン島アイズレイ飛行場第73航空団の116機が、堺市中心部に約1万3000発・778.9トンの爆弾を落とした。大阪市中心部を狙った第1回空襲以来の夜間空襲で、堺市では2.64平方キロメートル・約5万5000人が被災し、死者1,370人・重軽傷者1,472人・行方不明者3人、家屋の全半焼14,797戸の被害を出した。この空襲では堺市のほか、大阪市[[住吉区]]や[[貝塚市]]でも被害を出している。
 
中小都市爆撃作戦の一環として、サイパン島アイズレイ飛行場第73航空団の116機が、[[堺市]]中心部に約1万3000発・778.9トンの爆弾を落とした。大阪市中心部を狙った第1回空襲以来の夜間空襲で、堺市では2.64平方キロメートル・約5万5000人が被災し、死者1,370人・重軽傷者1,472人・行方不明者3人、家屋の全半焼14,797戸の被害を出した。この空襲では堺市のほか、大阪市[[住吉区]]や[[貝塚市]]でも被害を出している。
 
== 第7回大阪大空襲 - 7月24日 ==