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1961年(昭和36年)秋には東映動画に[[労働組合]]が結成され<ref name="blt" /><ref name="赤旗1907_08">{{Cite news |author=田代正則|title = 出産退職誓わされた時代...『なつぞら』舞台モデル・東映動画の労組を訪ねて |date = 2019年7月14日 |newspaper = [[しんぶん赤旗#日曜版|しんぶん赤旗日曜版]] |publisher = [[日本共産党中央委員会]] |page = 33 }}[http://jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-07-24/2019072414_01_1.html きょうの潮流 2019年7月24日 – 日本共産党]、[http://jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-08-19/2019081901_06_0.html きょうの潮流 2019年8月19日 – 日本共産党]</ref>、1962年10月、東映東京撮影所の敷地内に置く東映動画、[[東映テレビ・プロダクション]]などの組合員を糾合して全東映労連が結成される<ref name="シナリオ1506">{{Cite journal |和書 |author = [[佐伯俊道]] |title = 終生娯楽派の戯言 {{small|第三十六回 佐渡でサド}} |journal = [[シナリオ (雑誌)|シナリオ]] |issue = 2015年6月号 |publisher = [[日本シナリオ作家協会]] |pages = 66-61 }}</ref><ref name="shinjuku-shobo">[http://www.shinjuku-shobo.co.jp/column/data/manaita/007.html (7)村山新治と佐伯孚治 - 俎板橋だより]</ref>。過密労働と低賃金の改善という一般的な労組の目的の他、作品本数や出来高で賃金を払う[[契約社員|契約者]]と呼ばれる個人請負の労働者の待遇改善<ref name="Kuroki150621"/><ref name="赤旗1907_08"/><ref group="注釈">社員でない契約者は[[労働#労働者|労働者]]ではない、契約期間が過ぎたら、[[資本]]側が一方的に契約打ち切り([[解雇]])する自由があるという会社側の主張([[佐伯俊道]]「終生娯楽派の戯言 {{small|第三十六回 佐渡でサド}}」『[[シナリオ (雑誌)|シナリオ]]』2015年6月号、[[日本シナリオ作家協会]]、66-61頁)。</ref>、東映本社が企画権を握り、漫画映画らしい作品の企画とその制作が制限されている状況を打開したい等の要求が増していく<ref name="TVアニメーション大全" /><ref name="lite-ra"/><ref name="赤旗1907_08"/><ref>[https://twitter.com/somichi/status/1162510803875979265 高鳥都のツイート] 2019年8月16日</ref>。1959年(昭和34年)就業人員270人<ref name="avjournal199501"/>。1964年(昭和39年)就業人員575人<ref name="avjournal199501"/>。1963年(昭和38年)頃から[[黒字と赤字|赤字]]を出し始めた<ref name="avjournal199501"/>。
 
[[1960年代]]はテレビの普及に伴い、劇場用アニメーションからテレビ用アニメーションへ主流が交代していった時代であったが<ref name="レジャー産業198812"/>、この時代に『[[狼少年ケン]]』<ref name="autodesk_13" />や『[[魔法使いサリー]]』『[[ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ)|ゲゲゲの鬼太郎]]』『[[ひみつのアッコちゃん]]』『[[タイガーマスク]]』などを手掛け、テレビ用アニメーションの[[市民権]]獲得に貢献した<ref name="レジャー産業198812"/>。東映動画が主体的に関わった「[[東映まんがまつり]]」で育った親たちが、自分の子供たちを安心して連れて来れる「まんがまつり」に連れて行ったという評価もある<ref>{{Cite journal|和書 |author = 池田静雄 (東映取締役・映像事業部長)他、各地区映像事業部長など11人、司会・北浦馨 | title =50億から100億~各支社の大胆細心の経営戦略東映の特殊部隊 |journal = 映画時報 |issue = 1983年8、9月号 |publisher = 映画時報社 |pages = 8 }}</ref>。
 
『[[ガリバーの宇宙旅行]]』が製作された1965年2月から毎週テレビ番組『[[狼少年ケン]]』『[[少年忍者風のフジ丸]]』『[[宇宙パトロールホッパ]]』の三本製作態勢に入ったため<ref name="週刊読売19650228">{{Cite journal |和書 |author = [[河上英一]] |title = 芸能ジャーナル『長編動画を続けよ』 |journal = [[週刊読売]] |issue = 1965年2月28日号 |publisher = [[読売新聞社]] | pages = 50 }}</ref>、業界関係者からは長編動画の製作は事実上終了だろうと見られた<ref name="週刊読売19650228"/>。時間も手間もかかる長編動画は群小プロには製作は不可能で<ref name="Kuroki150621"/><ref name="週刊読売19650228"/>、東映動画一社だけが長編動画の製作を続けていた<ref name="週刊読売19650228"/>。1965年に親会社である東映が定期採用を止めたことに倣い、東映動画も1965年を最後に[[正社員]]の定期採用を中止し<ref name="blt" />、以降1991年まで26年間採用をしなかった<ref name="blt" />。これに伴い、1965年から長編動画製作は、原則として正社員の作画職が従事し、テレビアニメ製作は、作業量に基づいて個人別に業務委託契約を結ぶ[[契約社員|契約者]]が行うことが定められた<ref name="戦後映画の産業空間86">[[#戦後映画の産業空間]]、86-88頁</ref>。これは[[スポンサー]]動向からの影響を受けるテレビアニメ製作と違い、東映本社を発注元とする長編動画製作は、東映動画の経営能力を証明しなければならないという特徴を持つものだったからである<ref name="戦後映画の産業空間86"/>。
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東映及び、東映と『[[仮面ライダー]]』から商品開発を連動させてきた[[バンダイ]]<ref>{{Cite news |author = |title = テレビ朝日:『スーパー戦隊シリーズ』30周年、高視聴率維持マジレンジャー |date = 2005年5月23日 |newspaper = [[毎日新聞]] |publisher = [[毎日新聞社]] |page = 11 }}{{Cite news |author = |title = 仮面ライダー、米でデビュー年内TV放映前にバンダイがグッズ販売 |date = 1995年6月16日 |newspaper = [[朝日新聞]] |publisher = [[朝日新聞社]] |page = 3 }}</ref><ref name="avjournal199407">{{Cite journal|和書 |title =トップインタビュー/山科誠バンダイ社長 『映画ビジネスは自主製作をメインに』 |journal = AVジャーナル |issue = 1997年7月号 |publisher = 文化通信社 |pages = 46 - 51 }}</ref>等に莫大な利益をもたらした『[[パワーレンジャー]]』の仕掛人・[[ハイム・サバン]]は<ref name="nikkei20030904">{{Cite news |author = |title = 独民放最大手買収の米投資家サバン氏―『パワーレンジャー』生みの親。|date = 2003年9月4日 |newspaper = [[日本経済新聞]] |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 21 }}</ref><ref name="一橋ビジネスレビュー36">{{Cite journal |和書 |author = 豊永真美 |title = パワーレンジャーをヒットさせた男 ハイム・サバンと日本のコンテンツ |journal = 一橋ビジネスレビュー |issue = 2010年夏号 |publisher = [[東洋経済新報社]] |isbn = 9784492820469 |pages = 36 – 51 }}</ref><ref name="AVJ">{{Cite journal|和書 |title = 東映・岡田茂代表取締役会長インタビュー 『映像ソフト、当らにゃ一文にもならん』 |journal = AVジャーナル |issue = 1995年3月号 |publisher = 文化通信社 |pages = 26 - 27 }}{{Cite journal|和書 |title = 東映・岡田茂代表取締役会長インタビュー 『R・マードック乗り込みで俄然』 |journal = AVジャーナル |issue = 1997年3月号 |publisher = 文化通信社 |pages = 22-27 }}</ref>、『[[マジンガーZ]]』か<ref name="AVJ"/>『[[UFOロボ グレンダイザー]]』が<ref name="一橋ビジネスレビュー36"/>、フランスで初めて放送された際に、音楽の一部入れ替えが行われ<ref name="AVJ"/>、これを担当したプロデューサーがフランス在住時のサバンで<ref name="AVJ"/>、子どもを対象にしたビジネスは国を超えて全世界で商売になると見てとったサバンは<ref name="AVJ"/>、アメリカ移住後も東映とビジネスを続け、東映の[[特撮テレビ番組一覧|特撮番組]]を購入し<ref group="注釈">[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]は「1980年代にサバンに『[[超電子バイオマン]]』や『[[超人機メタルダー]]』などの[[版権|権利]]を売った」と話している(『AVジャーナル』1995年3月号、27頁)。また1996年に[[ルパート・マードック]]が[[孫正義]]と組んで[[テレビ朝日]]を買収しようとして、日本の電波業界が大揺れした際([http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960620/softbank.htm ソフトバンクが豪社と合弁で、テレビ朝日に資本参加]、『[[日経ビジネス]]』1997年2月17日号、『[[財界 (雑誌)|財界]]』2011年6月7日号、61頁、『AVジャーナル』1996年9月号、7頁)、東映グループ全体で当時22%前後の[[株式]]を持つ岡田がマードックとの交渉にあたり(『財界』2011年6月7日号、61頁、『経済界』1996年8月27日号、45-47頁)、[[サバン・エンターテイメント]]が[[フォックス放送|フォックステレビ]]傘下に入っていたため、事務折衝の当事者として岡田と交渉を持ったのが岡田と付き合いの長いサバンであった(『AVジャーナル』1997年3月号、22-27頁)。「無理やり日本に進出しても支持されない」とマードックを説得し、マードックがテレビ朝日の当時の大株主・[[旺文社]]から買ったテレビ朝日の株を同額で[[朝日新聞]]に引き取らせる交渉を行ったのは岡田であった(『財界』2011年6月7日号、61頁)。</ref>、全米ネットワークに挑戦したが、アメリカは子どもの教育問題や暴力シーンの規制が厳しく、何度も失敗しながら『パワーレンジャー』でようやく長年抱き続けた夢を果たしたものであった<ref name="一橋ビジネスレビュー36"/><ref name="AVJ"/>。『パワーレンジャー』のベースとなった『[[恐竜戦隊ジュウレンジャー]]』の「原型を残すから作り変えさせてくれ」というサバンからの要望を認めたのは当時の[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]東映会長である<ref name="nikkei20030904"/><ref name="nikkei19930714">{{Cite news |author = 川崎満 |title = 東映・FOX、日米映像のプロ握手、パトロン不要(ビジネスTODAY) |date = 1993年7月14日 |newspaper = [[日本経済新聞]] |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 1 }}</ref>。また『[[パワーレンジャー#テレビシリーズ|パワーレンジャー]]』の1993年からの[[フォックス放送|フォックス・テレビネットワーク]]を通じての全米放映は、岡田と[[20世紀フォックス]]の長い間の協力関係が実を結んだもので<ref name="nikkei19930714"/><ref name="映画時報19930708">{{Cite journal|和書 |author = |title = 東映=FOX、長期TV配給権締結テレビ放映用映画の共同製作も|journal = 映画時報 |issue = 1993年7、8月号 |publisher = 映画時報社 |pages = 35-36 }}</ref><ref name="経済界19960827">{{Cite journal|和書 |author = 阿部崇 |title = マードックに狙われる東映・岡田茂会長の次の一手|journal = 経済界 |issue = 1996年8月27日号 |publisher = [[経済界 (出版社)|経済界]] |pages = 45-47 }}</ref><ref name="AVJ199307">{{Cite journal|和書 |title = NEW FLASH 放送 『東映がFOXと放映権の独占契約を締結』 |journal = AVジャーナル |issue = 1993年7月号 |publisher = 文化通信社 |pages = 17 }}</ref><ref name="財界20110607">{{Cite journal|和書 |author = 村田博文 |title = 東映・岡田茂さんを偲ぶ |journal = [[財界 (雑誌) |財界]]|issue = 2011年6月7日号 |publisher = 財界研究所 |pages = 61 }}</ref><ref group="注釈">岡田と20世紀フォックスの付き合いは『[[トラ・トラ・トラ!]]』の製作協力を始まりとしており(『映画監督 舛田利雄 ~アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて~』 242–248頁、報知新聞1969年2月26日、10頁、日刊スポーツ1969年2月26日、15頁)、1973年、フォックス作品の日本のテレビでの放映権独占契約を結び(『映画時報』1973年7、8月号、35-36頁)、同年10月に[[木曜洋画劇場]]で放映された『[[ミクロの決死圏]]』を皮切りに、以降、『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]]』『[[エイリアン (映画) |エイリアン]]』『[[ダイ・ハード]]』『[[ホーム・アローン]]』などが(『映画時報』1973年7、8月号、35-36頁)、東映を通じて日本のテレビ局に売り込まれた(『映画時報』1973年7、8月号、35-36頁、『経済界』1996年8月27日号、45-47頁、『[[週刊読売]]』1982年2月21日号、30頁)。1982年には東映が『スター・ウォーズ』を他作品30本と抱き込みで13億円で[[日本テレビ]]に売り、映画テレビ関係者を驚かせた(『週刊読売』1982年2月21日号、30頁)。</ref>、1993年7月12日に、東映と20世紀フォックスとの間で、フォックス作品の長期間国内独占テレビ配給及びテレビ映画の共同製作に関る契約という東映国際化の一環として<ref name="私の経営説法"/>、岡田が[[先行投資]]を締結した際の契約の一つであった<ref name="nikkei19930714"/><ref name="映画時報19930708"/><ref name="AVJ199307"/><ref name="経済界19960827"/>。フォックスとの共同会見で岡田は、「これまでウチがFOX映画の数々のヒット作を独占的にテレビ配給して成功を収めてきた。この実績をもとに今回、FOXの全ての作品を配給する契約を結んだ。FOXの会長であり[[最高経営責任者|最高責任者]]の[[ルパート・マードック]]氏は、7年前にお会いしたとき意気投合し、一緒に仕事をやろうと話し合った昵懇の仲で、今回の契約が成立した。『[[恐竜戦隊ジュウレンジャー]]』のアメリカでの放映も決まり、大いに期待される」などと話した<ref name="映画時報19930708"/>。岡田はマードックや[[孫正義]]とも親しく<ref name="nikkei19961115">{{Cite news |author = 坂村道生 |title = 東映会長岡田茂氏―実力者の申し出袖に(談話室) |date = 1996年11月15日 |newspaper = [[日本経済新聞]] |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 3 }}</ref>、1996年11月に来日した[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]を含む[[ハリウッド]]最強[[代理人]]・[[マイケル・オーヴィッツ]]は「数分でも会えれば奇跡」と面会希望者が殺到したが、そのオーヴィッツからの「会いたい」という申し出に「時間が合わない」と袖にしたこともある日本の[[エンターテインメント|エンターテインメント業界]]では数少ない[[メディア (媒体) |メディア]]通の一人でもあった<ref name="nikkei19961115"/>。
 
将来を見据えた[[コンピュータ]]の導入では[[1974年]](昭和49年)、社内に[[プロジェクトチーム]]を作り、[[1977年]](昭和52年)正式に技術委員会プロジェクトを発足させた<ref name="TVアニメーション大全" /><ref name="山口"/><ref name="増田">[[#増田]]、20-134頁([http://anime.typepad.jp/blog/2007/12/post_cf1c.html 『アニメビジネスがわかる』解説53])</ref>。これが同社の[[デジタル]]化([[デジタルアニメ]])の切っ掛けとなる<ref name="山口"/>。国内大手[[電機メーカー|家電メーカー]]と連携して研究開発に取り組んだが、1980年代に於いては初期費用、[[ランニングコスト]]も[[巨大数|天文学的な数字]]にのぼり実現できなかった<ref name="山口"/><ref name="増田"/>。しかし1990年代に入って[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]の性能が飛躍的に向上し価格もどんどん下がり、1992年(平成4年)の『[[北斗の拳#ゲーム|北斗の拳]]』のゲーム用データ作成を手始めに、一部実験的に試用を始め、[[1997年]]『[[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ)#第4シリーズ(1990年代))|ゲゲゲの鬼太郎 第4シリーズ]]』4月放映分からデジタル制作に完全に切り替えた<ref name="TVアニメーション大全" /><ref name="山口"/><ref name="nikkei19970413">{{Cite news |author = |title = 第一部仮想が現実になる日(6) (モダンタイムス2001電脳社会なんて怖くない) |date = 1997年4月13日 |newspaper = [[日本経済新聞]]夕刊 |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 1 }}</ref>。それまで熟練した職人芸が要求された工程を全て画面上で処理するシステムの稼働で<ref name="nikkei19970413"/>、これが日本アニメのデジタル化第一作である<ref name="山口"/><ref name="sankei20160714"/><ref name="nikkei19970413"/>。
 
また1970年代後半から劇場用・テレビ用アニメーションの製作だけでなく活動領域を拡げ<ref name="レジャー産業198812"/>、[[スーパーマーケット]]や[[遊園地]]、[[ホテル]]などでの[[イベント]]に積極的にコミットし<ref name="avjournal199501"/>、各種キャラクター商品やイベントを通じ、市民生活に溶け込み、新たなファン層を獲得した<ref name="avjournal199501"/><ref name="レジャー産業198812"/>。レジャーメディアでの開発は、1976年の[[三重県]][[桑名市]][[ナガシマスパーランド]]に於ける「マジンガーZロボット館」でのスペース構成が最初といわれる<ref name="レジャー産業198812"/>。これによりアニメーションの製作のみならず、映像が生み出すキャラクターを主体とした関連事業が拡大した<ref name="レジャー産業198812"/>。[[1987年]](昭和62年)はイベント関連売上げが売り上げが約40億円になった<ref name="nikkei19880812">{{Cite news |author = |title = 映画会社、ノウハウ生かしイベント開拓―企画や建設、運営も。|date = 1988年8月12日 |newspaper = [[日本経済新聞]] |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 4 }}</ref>。イベント関連事業は東映本社映像事業部、[[東映太秦映画村|映画村エンタープライズ]]と共にその中核として<ref name="nikkei19880812"/>、[[北九州市]]の[[スペースワールド]]の施設計画の立案等を手掛けた<ref name="nikkei19880812"/><ref>{{Cite journal|和書 |author = 新日本製鐵株式會社・滝本憲二/東映動画・村山賢郎 |title= 対談 『鉄屋の新日鐵と映画屋の東映動画が手を結ぶ時代―スペースワールドをめぐって』 |journal = [[月刊レジャー産業資料]] |issue = 1988年12月号 |publisher = 綜合ユニコム |pages = 188 - 192 }}</ref>。またマーチャンダイジング営業強化の施策では、制作部門に対して付帯・関連部門を強化し、関連部門の売り上げが全体の60~70%を占めるようになり、制作の差損を営業によって埋め合わせる仕組みを作った<ref name="TVアニメーション大全" />。1990年代に手掛けた『[[美少女戦士セーラームーン (テレビアニメ)|美少女戦士セーラームーン]]』のキャラクター商品は、1995年時点で1000アイテムを超えた<ref name="avjournal199501"/>。これらは今田が長い期間、営業体制の強化を計り実効を上げたものであった<ref name="avjournal199501"/>。同社の[[版権|版権事業]]は1960年の『[[西遊記 (1960年の映画)|西遊記]]』から始まっており<ref name="レジャー産業198812"/>、この分野も日本に於ける草分けであった<ref name="レジャー産業198812"/><ref>[http://corp.toei-anim.co.jp/company/our_business/licensing/ 版権事業|IR情報|東映アニメーション株式会社]</ref>。1987年には年間売上げ155億円を記録<ref name="レジャー産業198812"/>。1980年代以降は、東映の屋台骨を支えていく存在になった<ref name="avjournal199501"/>。大川時代から変わって、岡田=今田時代の東映動画は、"アニメーションの[[商社#総合商社|総合商社]]"として第2の創業といえるものであった<ref name="レジャー産業198812"/><ref>[http://sound.jp/jsaskyushu2018/ 一藤浩隆『今田智憲と東映動画第2の創業~1970年代中盤から80年代初頭にかけての営業戦略を中心に~』] 日本アニメーション学会 2018年度 第20回大会 2018年6月16日</ref>。
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東映アニメーションが制作した作品において、基本的に親会社の東映本体も製作に関わっていることがほとんどだが、[[日本放送協会]](NHK)、[[ウォルト・ディズニー・ジャパン]]などの製作作品や、[[海外]]向け作品に関して、東映本体が製作に一切関与しない作品も存在する。映画作品に関しても多くは東映が配給しているが、2000年代後半以降は、小規模上映作品を中心に東映系列の[[ティ・ジョイ]]が配給している作品も目立つようになっている。
 
過去に制作した作品の[[リメイク]]を盛んに行うのも東映アニメーションの特徴であり、[[1980年代]]は『ゲゲゲの鬼太郎』([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第3シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎]]』(第3作]])、『[[ひみつのアッコちゃん]]』(第2作)、『[[魔法使いサリー]]』(第2作)、[[1990年代]]は『ゲゲゲの鬼太郎』([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第4シリーズ)|第4作]])、『[[キューティーハニーF]]』、『ひみつのアッコちゃん』(第3作)、『[[Dr.スランプ#アニメ『ドクタースランプ』|ドクタースランプ]]』、[[2000年代]]は『[[ガイキング LEGEND OF DAIKU-MARYU]]』、『[[祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン]]』、『ゲゲゲの鬼太郎』([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第5シリーズ)|第5作]])、[[2010年代]]は『ゲゲゲの鬼太郎』([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第6シリーズ)|第6作]])をそれぞれ制作した。また、『ドラゴンボールZ』を再編集した『[[ドラゴンボール改]]』を制作している([[2009年]] [平成21年] - [[2011年]] [平成23年]に第1期、[[2014年]] [平成26年]より第2期)。
 
各作品のエンディングの[[クレジットタイトル|クレジット]]に「協力:[[青二プロダクション]]」とあるように同社との関係が深く、かつては青二プロダクションの所属[[声優]]を独占的に多く起用した作品も多かったが、1990年代後半以降は[[東映アカデミー]]がキャスティングマネージメントを行う作品もある。東映アカデミーの解散後は、[[東映マネージメント|東映東京撮影所マネージメント部]]<ref group="注釈">クレジット上は東映東京撮影所</ref>がキャスティングマネージメントを引き継いでいる。
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* [[キングコング]](ビデオクラフトと共同制作、1967年)
* [[1/007親指トム]](ビデオクラフトと共同制作、1967年)
* ゲゲゲの鬼太郎([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第1シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎]](第1作]]、1968年 - 1969年)
* [[サイボーグ009 (アニメ)|サイボーグ009]](第1作、1968年)
* [[あかねちゃん]](1968年)
409行目:
* [[さるとびエッちゃん]](1971年 - 1972年)
* [[アパッチ野球軍]](1971年 - 1972年)
* ゲゲゲの鬼太郎([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第2シリーズ)|第2作]]、1971年 - 1972年)
* [[原始少年リュウ]](1971年 - 1972年)
* [[魔法使いチャッピー]](1972年)
489行目:
* [[はーいステップジュン]](1985年 - 1986年)
* [[コンポラキッド]](1985年)
* ゲゲゲの鬼太郎([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第3シリーズ)|第3作]]、1985年 - 1988年)
* [[地上最強のエキスパートチーム G.I.ジョー]](1985年 - 1987年、〇)
* メイプルタウン物語シリーズ
538行目:
* [[世界名作童話シリーズ ワ〜ォ!メルヘン王国]](1995年)
* [[ご近所物語]](1995年 - 1996年)
* ゲゲゲの鬼太郎([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第4シリーズ)|第4作]]、1996年 - 1998年)
* [[ドラゴンボールGT]](1996年 - 1997年)
* [[地獄先生ぬ〜べ〜]](1996年 - 1997年)
607行目:
* [[銀色のオリンシス]](2006年)
* [[祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン]](創立50周年記念作品、2006年 - 2007年)
* ゲゲゲの鬼太郎([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ)#第5シリーズ (00's)|ゲゲゲの鬼太郎]](第5作]]、2007年 - 2009年)
* [[ラブ★コン]](2007年)
* [[太極千字文]]([[大韓民国|韓国]]での放映、[[韓国放送公社|KBS]]、[[Iconix Entertainment]]、[[東西大学校]]、[[JM ANIMATION]]との共同製作、2007年 - 2008年)
669行目:
* [[正解するカド]](2017年)
* [[おしりたんてい]](2018年)
* ゲゲゲの鬼太郎([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ)#第6シリーズ (00's)|ゲゲゲの鬼太郎]](第6作]]、2018年)
* [[爆釣バーハンター]]([[ぎゃろっぷ]]との共同製作、2018年 - 2019年)
* [[聖闘士星矢 セインティア翔]](実制作は[[ゴンゾ]]、2018年 - 2019年)
741行目:
* [[アンデルセン物語]](1968年)
* [[太陽の王子 ホルスの大冒険]](1968年)
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第1シリーズ)#1作目映画|ゲゲゲの鬼太郎]](1968年)
* [[長靴猫シリーズ#『長靴をはいた猫』(第1作)|長靴をはいた猫]](1969年)
* [[ひとりぼっち]](1969年)
800行目:
* [[魔法少女ララベル 海が呼ぶ夏休み]](1980年)
* ゲゲゲの鬼太郎シリーズ
** [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第2シリーズ)#映画|ゲゲゲの鬼太郎 地相眼]](1980年)
** [[ゲゲゲの鬼太郎 (1985年の映画)|ゲゲゲの鬼太郎 妖怪軍団]](1985年)
** [[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大戦争]](1986年)
924行目:
* ゲゲゲの鬼太郎シリーズ
** [[ゲゲゲの鬼太郎 大海獣]](1996年)
** [[ゲゲゲの鬼太郎 おけナイター]](1997年)
** [[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪特急! まぼろしの汽車]](1997年)
* 地獄先生ぬ〜べ〜シリーズ
984行目:
* [[劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!]](2008年)
* [[きかんしゃ やえもん]](2009年)
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第4シリーズ)#映画|ゲゲゲの鬼太郎 鬼太郎の幽霊電車3D]](2009年)
 
==== 2010年代(劇場アニメ) ====