「明仁から徳仁への皇位継承」の版間の差分

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[[File:Emperor Akihito (2016).jpg|200px|thumb|明仁(2016年)]]
[[File:Emperor Naruhito at TICAD7 (cropped).jpg|200px|thumb|徳仁(2019年)]]
'''明仁から徳仁への皇位継承'''(あきひとからなるひとへのこういけいしょう)では、[[2019年]]([[平成]]31年)[[4月30日]]から翌([[令和]]元年)[[5月1日]]0時に、[[日本]]において行われた[[皇位継承]]について解説する。
 
この皇位継承は、[[日本国憲法]]および[[天皇の退位等に関する皇室典範特例法]](平成29年法律第63号)に基づき、第125代[[天皇]]である'''[[明仁]]'''が、[[2019年]][[4月30日]][[退位]]、翌[[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]]となって、翌5月1日]]に第126代天皇として、[[皇太子]]の'''[[徳仁]]'''(明仁第1皇男子)が即位したことで実現した<ref name="令和"/>。
 
明仁は在位中の[[2010年]](平成22年)に退位したい意向があることを周囲の人々に表明しており<ref name="TBS"/>、[[2016年]](平成28年)にはこの意図を国民向けにビデオメッセージで公表した<ref name="退位メッセージ"/>。しかし、天皇の退位は[[江戸時代]]の[[1817年]]([[文化 (元号)|文化]]14年)に第119代[[光格天皇]]が[[仁孝天皇]]へ譲位して以来例のないことであったためこと現行の[[皇室典範]]では天皇の退位について規定せれていないことや天皇の政治関与を禁止する日本国憲法のもとでの天皇の退位を実現させるため、様々な議論が行われた。その中には、必要な法整備<ref name="最終報告"/> 、退位後の明仁の処遇<ref name="最終報告"/>、退位の儀式<ref name="式典3"/>などに関するもの議論あっ行われた。そして、特別措置法である「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を制定して明仁に限った退位を実現させるに至り<ref name="特例法成立"/> 、退位後の明仁は[[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]]として天皇とほぼ同等の処遇がなされる一方<ref name="最終報告"/><ref name="特例法条文"/> 、公務からは手を引くことになった<ref name="退位後"/>。
 
この皇位継承のもう一つの特徴として、皇位継承後の[[皇嗣]]となった[[秋篠宮文仁親王]]は徳仁の弟であるため皇嗣が[[皇太子]]でなくなることがあり、これについても議論が行われたが、ほぼ皇太子と同等の処遇がなされることになった<ref name="最終報告"/><ref name="特例法条文"/>。
 
また、この皇位継承によって[[元号法]](昭和54年法律第43号)及び[[元号を改める政令 (平成三十一年政令第百四十三号)|元号を改める政令]](平成31年政令第143号)に基づき、元号が[[平成]]から「'''[[令和]]'''」に改められた<ref name="令和"/>。天皇の崩御を伴わない皇位継承であったために祝賀ムードが広がり<ref name="祝賀ムード"/>、記念品なども発売された <ref name="記念"/>。
 
== 背景 ==
{{see also|退位|譲位}}
=== 過去の退位・譲位 ===
古くは、[[天皇]]の[[崩御]]によって皇位継承が行われていた<ref name=kotobank>{{Cite web|title=譲位(読み)ジョウイ|url=https://kotobank.jp/word/譲位-530572|publisher=朝日新聞社|author1=百科事典マイペディア|author2=世界大百科事典 第2版|website=コトバンク|accessdate=2019-12-10}}</ref>。しかし、歴史紀行作家の[[中山良昭]]によれば、日本に[[仏教]]が伝来し、死が汚れだとみなされ始めると、在位したまま天皇が崩御することは忌避されるようになった<ref name=diamond>{{Cite web|url=https://diamond.jp/articles/-/200269?page=2|title=天皇の生前退位は57回もあった、「譲位」が持つ深い意味とは (2ページ目)|publisher=ダイヤモンド社|author=中山良昭|website=ダイヤモンドオンライン|date=2019-04-30|accessdate=2019-12-10}}</ref>。そして、645年の[[乙巳の変]]の翌日に[[皇極天皇]]が退位し、[[孝徳天皇]]に皇位が継承されると、しだいに譲位による皇位継承が慣例となった<ref name=kotobank/><ref name=diamond/>{{Refnest|group=*|孝徳天皇の崩御後、皇極天皇は[[斉明天皇]]として重祚した<ref name=diamond/>。}}これ以降、江戸時代の[[光格天皇]]までに60人の天皇が退位した<ref name=diamond/>{{Refnest|group=*|中山はここから、皇位が剥奪された3回の皇位継承を除き、譲位した天皇を57人としている<ref name=diamond/>。}}。
 
譲位した天皇は[[太上天皇]](上皇)と呼ばれ、院政を行って権力を握ったり<ref>{{Cite web|url=https://toyokeizai.net/articles/-/176020|title=「退位した天皇」は歴史上、何をしていたのか|publisher=東洋経済新報社|author=高澤秀次|website=東洋経済オンライン|date=2017-06-17|accessdate=2019-12-10}}</ref>、出家して[[法皇]]となったり、和歌や学問に励んだりする者がいた<ref>{{Cite web|url=https://toyokeizai.net/articles/-/176020?page=2|title=「退位した天皇」は歴史上、何をしていたのか (2ページ目)|publisher=東洋経済新報社|author=高澤秀次|website=東洋経済オンライン|date=2017-06-17|accessdate=2019-12-10}}</ref> 一方、天皇との対立に敗れたり、[[流罪]]になったりして不遇な余生を送る者もおり<ref>{{Cite web|url=https://toyokeizai.net/articles/-/176020?page=3|title=「退位した天皇」は歴史上、何をしていたのか (3ページ目)|publisher=東洋経済新報社|author=高澤秀次|website=東洋経済オンライン|date=2017-06-17|accessdate=2019-12-10}}</ref> 、様々であった。
 
=== 退位を認めない皇室典範 ===
ところが、弁護士の[[田上嘉一]]によれば、[[王政復古 (日本)|王政復古]]は、神武天皇の時代、すなわち譲位が慣例化する前の時代に戻ろうとして行われたので、明治時代には、譲位は認められなかった<ref name=Yahoo!/>田上は、このため、1889年に発布された[[皇室典範 (1889年)|皇室典範]]第10条には、「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と記載され、天皇の即位の要件は、前帝が崩御していることと定められたのであだとしている<ref name=Yahoo!>{{Cite web|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/tagamiyoshikazu/20160719-00060151/|title=なぜ皇室典範は生前退位を認めていないのか|author=田上嘉一|publisher=Yahoo! JAPAN|website=Yahoo! ニュース|date=2016-7-19|accessdate=2019-12-10}}</ref>。皇室典範草案の作成に携わった[[伊藤博文]]も、その著書で、他人の意思により強制的に天皇が退位させられた挙げ句、[[南北朝時代 (日本)|南北朝]]の動乱を招いた過去があるので、皇室典範では前天皇の崩御時以外の天皇の即位は認めないことにしたと述べている<ref>{{Cite book|和書|title=皇室典範義解|author=伊藤博文|publisher=国家学会|date=1889-04-24|url=http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788977/7|page=12|accessdate=2019-12-10}}</ref>。
 
現在使われている皇室典範が定められた際にも、当時の[[金森徳次郎]][[国務大臣]](憲法担当)が[[帝国議会]]で生前退位を否定する答弁を行い、現在の[[皇室典範]]第4条では、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」と決められるに至った。すなわち、前帝の崩御が、引き続き皇位継承の要件となったのである<ref name=Yahoo!/>。
 
=== 戦後の退位に関する動き===
さて、日本国憲法では、[[日本国憲法第1条|第1条]]で天皇が「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であることが定められている。また、[[日本国憲法第4条|第4条]]には天皇は「この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とあり、「国事に関する行為」の内容は[[日本国憲法第7条|第7条]]に記されている<ref name="日本国憲法">{{Cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm|title=日本国憲法|publisher=衆議院|date=1946-11-03|accessdate=2019-12-10}}</ref>。[[1978年]]には、[[第84回国会]]で、政府役員の[[真田秀夫]]が、退位や譲位には皇室典範の改正が必要だろうと答弁している<ref>{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/084/1380/08403161380012a.html|title=第084回国会 予算委員会 第12号|website=国会会議録検索システム|publisher=国立国会図書館|accessdate=2019-12-10|date=1978-03-16}}</ref>。そして、[[1989年]]には[[昭和天皇]]の崩御により、明仁への皇位継承が行われた<ref>{{Cite web|url=https://www.asahi.com/special/heisei-inori/|title=祈りの旅|publisher=朝日新聞社|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2019-12-10}}</ref>。その後、[[1991年]]の[[第120回国会]]、[[1992年]]の[[第123回国会]]、[[2001年]]の[[第153回国会]]において、天皇の退位についての答弁が行われたが、いずれも、天皇の恣意的な退位の可能性、強制的な退位の可能性、上皇や法皇が現れることによる弊害などにより、天皇の退位を認めていないとのものだった<ref>{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/120/0384/12003110384001a.html|title=第120回国会 予算委員会第一分科会 第1号|website=国会会議録検索システム|publisher=国立国会図書館|accessdate=2019-12-10|date=1991-03-11}}</ref><ref>{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/123/1020/12304071020004a.html|title=第123回国会 内閣委員会 第4号|website=国会会議録検索システム|publisher=国立国会図書館|accessdate=2019-12-10|date=1992-04-07}}</ref><ref>{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/153/0035/15311210035003a.html|title=第153回国会 共生社会に関する調査会 第3号|website=国会会議録検索システム|publisher=国立国会図書館|accessdate=2019-12-10|date=2001-11-21}}</ref>。    
 
== 退位の検討 ==
=== 明仁の意向表明 ===
このような状況の中、明仁は76歳のとき([[2010年]][[7月22日]]19時)、「参与会議」で、日本社会の[[高齢化]]に触れ、「皇室の高齢化に措置が必要だ」とした上で、「退位して、[[皇太子]]に皇位を譲る」と他の参加者に話した。参加者らは公務の削減や[[摂政]]の設置で思いとどまるよう言ったが、明仁は「天皇の務めは天皇にしか果たせない」と反論、議論は5時間以上続いたが、この日は結論が出ずに終わった<ref name=TBS>{{Cite web|title=シリーズ「現場から、平成の記憶」 陛下が初めて“退位”を告げた夜|publisher=[[TBSテレビ|TBS]]|date=2019年4月29日|accessdate=2019年12月10日|url=https://news.tbs.co.jp/newsi_sp/heisei/archive/20190429.html|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190505092527/https://news.tbs.co.jp/newsi_sp/heisei/archive/20190429.html|archivedate=2019年5月5日}}</ref>。このとき明仁は、「譲位は十分に先例があり、何らおかしいとは思わない」とも述べた<ref>{{Cite web|url=https://www.sankei.com/life/news/161017/lif1610170059-n1.html|title=6年前に「退位」のご意向聞く  元参与の三谷氏「驚きだった」「平成3030年めどに実現を」|publisher=産経新聞社|website=産経ニュース|date=2016-10-17|accessdate=2019-12-10}}</ref>。
 
明仁が退位を決断するに至った背景について、[[日本放送協会|NHK]]は「[[昭和天皇]]の晩年のほとんど意識もない中での闘病生活や、母親の[[香淳皇后]]が晩年に[[認知症]]を患っていた時の状況などを実際にご覧になっていたことが大きく影響しているのではないか」としている<ref name = NHKNEWSWEB20190430>{{Cite web|title=WEB特集 天皇陛下退位 宮内庁キャップ解説|publisher=NHKNEWSWEB|date=2019年4月30日|accessdate=2019年12月18日|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190430/k10011902371000.html?utm_int=news_contents_tokushu_001|archiveurl=http://archive.ph/0VS6L|archivedate=2019年12月18日|language=日本語}}</ref>。
 
=== 関係者での検討 ===
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=== 最初の報道 ===
{{Wikinews|天皇陛下、「生前退位」の意向を示される - 宮内庁関係者|date=2019年7月13日}}
[[2016年]][[7月13日]]18時59分、[[日本放送協会]](NHK)は、宮内庁関係者の話として、テロップで天皇が生前退位の意向を示したことを伝え、これが初報となった<ref name=JCAST>{{Cite web|url=https://www.j-cast.com/2016/07/14272574.html|title=「退位」報道のタイミング なぜこの時期?意図は?|publisher=J-CAST|website=J-CAST ニュース|date=2016-7-14|accessdate=2019-12-11}}</ref>。その日の19時から放送された[[NHKニュース7]]で、字幕を「天皇陛下『生前退位』の意向示される」と表示して報道が行われると、他の報道機関も追って報道し、翌[[7月14日]]朝の新聞はトップで生前退位の意向を報じた<ref name=JCAST/><ref name="違和感">{{Cite web|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20161022-00063507/|title=「生前退位」は「歴史の書物にない表現」 皇后さま、違和感表明 NHKの反応は…|website=Yahoo! ニュース|publisher=Yahoo! JAPAN|author=楊井人文|date=2016-10-22|accessdate=2019-12-11}}</ref>。ところが、朝日新聞は7月13日夜、宮内庁次長の[[山本信一郎]]は「報道されたような事実は一切ない」と、全面的に否定したとしている<ref>{{Cite web|url=https://www.asahi.com/articles/ASJ7F6W4MJ7FUTIL04G.html|title=宮内庁次長は全面否定「報道の事実一切ない」 生前退位|publisher=朝日新聞社|website=朝日新聞デジタル|date=2016-07-13|accessdate=2019-12-11}}</ref>。一方、同日、毎日新聞は「陛下(明仁自らがお気持ちを表明する方向で調整」していると報じる<ref name="数年内">{{Cite web|url=https://mainichi.jp/articles/20160714/k00/00m/040/017000c|title=皇室 天皇陛下「生前退位」意向 数年内に譲位|publisher=毎日新聞社|website=毎日新聞|date=2016-7-13|accessdate=2019-12-11}}</ref>など、報道機関によって報道の方向性は分かれた<ref>{{Cite web|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/fujisiro/20160714-00059955/|title=宮内庁次長は全面否定、天皇陛下「生前退位」ニュースの読み解き方|website=Yahoo! ニュース|publisher=Yahoo! JAPAN|author=藤代裕之|date=2016-07-13|accessdate=2019-12-11}}</ref>。また、[[7月15日]]には内閣官房長官の[[菅義偉]]も記者会見で、宮内庁の関係者の発言通りだとして、「政府としてコメントは控えたい」と述べた<ref>{{Cite web|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20160715-00060016/|title=天皇陛下「生前退位の意向」は本当か? メディアは宮内庁長官会見全文を公開せよ|website=Yahoo! ニュース|publisher=Yahoo! JAPAN|author=藤代裕之|date=2016-07-15|accessdate=2019-12-11}}</ref>。翌[[7月16日]]には、明仁自身は早く退位することを希望していないとも報じられた<ref>{{Cite web|url=https://web.archive.org/web/20160715190534/https://this.kiji.is/126730169875546121|title=天皇陛下、早期退位想定せず|publisher=共同通信社|website=共同通信|date=2016-7-16|archivedate=2016-7-16|archiveurl=https://this.kiji.is/126730169875546121|accessdate=2019-12-11}}</ref>。
 
=== ビデオメッセージの公表 ===
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==== 2018年12月31日案 ====
{{Wikinews|平成に代わる新元号 2019年元日から施行か|date=2017年1月10日}}
2017年[[1月10日]]、国民の生活に与える影響をできるだけ小さく抑えるために、[[2019年]][[1月1日]]に徳仁が即位することが検討されていることが報じられた<ref name="元日即位">{{Cite web|url=https://www.sankei.com/politics/news/170110/plt1701100002-n1.html|title=新元号は平成31年元日から 皇室会議を経て閣議決定へ 法案提出は今年5月連休明け|website=産経ニュース|publisher=産経新聞社|date=2017-01-10|accessdate=2019-12-12}}</ref>。すなわち、明仁は前日の2018年[[12月31日]]に退位することになるが、2017年[[1月11日]]、官房長官の菅は、「全く承知していない」「有識者会議で予断を持つことなく静かに議論を行っている」と、記者会見で述べた<ref>{{Cite web|url=https://www.bbc.com/japanese/38580296|title=日本政府、天皇陛下の2018年末退位を検討=報道|publisher=BBC|website=BBC NEWS JAPAN|date=2017-01-11|accessdate=2019-12-12}}</ref>{{Refnest|group=*|name="情報錯綜"|この時期に多くの情報が錯綜した背景として、他の多くの官庁と異なり、宮内庁長官の記者会見はインターネット上で公開されておらず、報道も少ないこと、宮内庁・宮中・内閣総理大臣官邸の連携が成立していないと疑われることが挙げられている。これを踏まえ、より積極的な情報公開、報道を求める人物もいた<ref name="理解超える"/>。}}<ref name="理解超える">{{cite web|url= https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20170117-00066641/| title=「理解超える」と苦言も 錯綜する天皇退位報道 ベールに包まれた宮内庁会見|author=楊井人文 |website=Yahoo! ニュース|publisher=Yahoo! JAPAN|date=2017-01-17|accessdate=2019-12-12}}</ref>ところが、年末年始の皇室は1月1日に[[四方拝]]や[[新年祝賀の儀]]が行われるのをはじめ、[[12月23日]]の天皇誕生日や[[1月2日]]の[[一般参賀]]、1月中旬の[[歌会始の儀]]など、連日にわたって行事が行われるため、2017年[[1月18日]]までに、宮内庁次長の[[西村泰彦]]は2019年1月1日の徳仁の即位に反対意見を表明した<ref name="元日即位だと不眠不休">{{Cite web|url=https://www.asahi.com/articles/ASK1K5QJMK1KUTIL041.html|title=「元日即位だと不眠不休になる」 宮内庁から異論も|publisher=朝日新聞社|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2019-12-12|date=2017-01-18}}</ref>。宮内庁は、2019年[[1月7日]]の[[昭和天皇崩御30年式年祭]]([[先帝祭#宮中祭祀|先帝祭]])を自ら催したいという明仁の希望を理由に、「2018年暮れに退位し、[[改元]]を2019年1月1日に行う」という、内閣総理大臣官邸から示された打開案にも反対した。こうして、2019年1月1日の徳仁即位案は消滅した<ref name="退位時期">{{Cite web|url=https://www.sankei.com/smp/life/news/171202/lif1712020008-s2.html|title=官邸、宮内庁そして皇室…水面下で続いた静かなる攻防 憲法4条の狭間で揺れた1年4カ月 (2ページ目)|publisher=産経新聞社|date=2017-12-02|website=産経ニュース|accessdate=2019-12-12}}</ref>。
 
==== 2019年3月31日案 ====
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2018年3月30日に行われた天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会の第3回会合では、祝賀御列の儀は即位礼正殿の儀終了後、その日のうちに、内閣府が事務を執る国事行為として、宮殿から徳仁の在所までのルートで行うこととされた<ref name="準備3"/>。11月20日に行われた天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会の第2回会合では、祝賀御列の儀で徳仁とその后が乗る自動車はオープンカーとし、周囲から彼らを見やすいようにすること、前回使われたオープンカーは老朽化が進んでいることから、環境性能や安全性能に長けた新しいオープンカーを用意することになった<ref name="式典2"/>。2019年5月21日に行われた第5回会合では、徳仁とその后のルートは、沿道の警備がしやすく、交通への影響も抑えられる上、彼らの姿を沿道から見やすいようなルートが決定された<ref name="式典5"/>。6月20日に行われた第6回会合では、当日の天気が悪かった際のための予備日が検討され、参加の容易性、交通規制の影響、皇室行事などの都合から、土曜日である[[10月26日]]を主として検討されることになった<ref name="式典6"/>。9月18日に行われた第7回会合でこの日が予備日として決定<ref name="式典7"/>した。9月20日、国事行為として行われることが閣議決定された<ref name="0920閣議決定"/>。しかし、[[令和元年台風第19号|台風19号]]の被災者に配慮するために、日曜日である[[11月10日]]に延期されることが、[[10月18日]]に閣議決定された<ref>{{cite web|url=https://www.asahi.com/articles/ASMBL33M3MBLUTFK005.html|title=祝賀パレード、11月10日に延期で決定 午後3時から|publisher=朝日新聞社|website=朝日新聞デジタル|author=松山尚幹|date=2019-10-18|accessdate=2019-12-13}}</ref>。
===== 饗宴の儀=====
2018年3月30日に行われた天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会の第3回会合では、内閣府が事務を執り、宮中で国事行為として行うことが提示された<ref name="準備3"/>。10月12日に行われた天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会の第1回会合では、現代の情勢に合わせて、回数や挙行日を検討するのがふさわしいとされた<ref name="式典1"/>。11月20日に行われた第2回会合では、できるだけ多人数の参列が、即位の披露・祝福の趣旨からはふさわしいとされたが、皇室の負担軽減や時代の事情から、2019年[[10月22日]]、[[25日|10月25日]]に着席して、[[29日|10月29日]]、[[31日|10月31日]]に立席して、約2600名を招いて行うこととなった<ref name="式典2"/>。2019年6月20日に行われた第6回会合では、他の行事と足並みを揃えるために、臨席者への個別の謁見は行わないこととされ、外交的な儀礼の観点から、即位礼正殿の儀に参加しない駐日外国大使らの配偶者を招待することはふさわしいとされた<ref name="式典6"/>。そして、9月18日に行われた第7回会合では、参列者と徳仁、それに徳仁の后がともに喜べるよう準備するとされ、細目も了承された<ref name="式典7"/>。9月20日、国事行為として行われることが閣議決定された<ref name="0920閣議決定"/>。
 
===== 内閣総理大臣夫妻主催晩餐会=====
2018年3月30日に行われた天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会の第3回会合では、内閣府が事務を執り、[[東京都]]内で即位礼正殿の儀の翌日に行うことが提示された<ref name="準備3"/>。11月20日に行われた天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会の第2回会合では、十分な予算と念入りな準備のもと、日本国外からの来賓に、日本の文化をよく理解し、満喫してもらうべきだとされ、また、日本以外の元首や祝賀使節など約900人が参列することになった<ref name="式典2"/>。また、3月19日に行われた第4回会合では、[[野村萬斎]]が文化行事の総合アドバイザーに就任することが説明された<ref name="式典4"/>。そして、5月21日に行われた第5回会合では、文化行事が徳仁の即位を祝い、参列者に伝統的な日本文化を紹介するのにふさわしいものであるとの評価を受けた<ref name="式典5"/>。その後、6月20日に行われた第6回会合では、始める時刻を前回より繰り上げ、文化行事や正饗の行われる時刻を適当なものとし、終了時刻が早まるようにするのはふさわしいものであるとされた<ref name="式典6"/>。さらに、9月18日に行われた第7回会合では、進行の円滑性・自然性から、前回と異なり、正饗の始めに内閣総理大臣の乾杯と挨拶を行うべきだとする細目が了承された<ref name="式典7"/>。
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=== 天皇誕生日・臨時の国民の祝日の検討 ===
{{see also|国民の祝日#皇室慶弔行事に伴う休日}}
{{月曜日から始まる30日のカレンダー|width=175px|float=right|prefix=4月|suffix=|header = '''[[2019年]] [[4月]]'''|color1=#ccccff|color2=#eeeeff|color3=#eeeeff|c29=red|c30=red}}
{{水曜日から始まる31日のカレンダー|width=175px|float=right|prefix=5月|suffix=|header = '''[[2019年]] [[5月]]'''|color1=#ccccff|color2=#eeeeff|color3=#eeeeff|c1=red|c2=red|c3=red|c4=red |c5=red|c6=red}}
{{火曜日から始まる31日のカレンダー|width=175px|float=right|prefix=10月|suffix=|header = '''[[2019年]] [[10月]]'''|color1=#ccccff|color2=#eeeeff|color3=#eeeeff|c22=red}}
2017年[[12月6日]]、休みになることで、日本国民が、改元によるシステムの変更をできるだけ受けずに済んだり、揃って徳仁の即位を祝ったりできるとして、徳仁の即位日である2019年5月1日を[[国民の祝日]](以下、単に「祝日」とする)または[[国民の休日]](以下、単に「休日」とする){{Refnest|group=*|name="祝日と休日"|国民の祝日に関する法律で、「祝日」と「休日」は異なる扱いを受ける。2019年5月1日を「祝日」とした場合、この祝日と昭和の日に挟まれた4月30日と、この祝日と[[憲法記念日]]に挟まれた[[5月2日]]は「休日」になるが、2019年5月1日を「休日」とした場合、4月30日と5月2日は「平日」となる。 <ref name="10連休"/>}}とすることが検討され始めたとの報道があった<ref name="10連休">{{cite web|url=https://www.sankei.com/politics/news/171206/plt1712060037-n1.html|title=5月1日即位でGW「10連休」 2019年、政府検討へ 「休日」と「祝日」で違いも |website=産経ニュース|publisher=産経新聞社|date=2017-12-06|accessdate=2019-12-13}}</ref>。ところで、天皇誕生日については、天皇の退位等に関する皇室典範特例法附則第10条に「[[国民の祝日に関する法律]](昭和二十三年法律第百七十八号)の一部を次のように改正する。第二条中『春分の日 春分日 自然をたたえ、生物をいつくしむ。』を『天皇誕生日 二月二十三日 天皇の誕生日を祝う。春分の日 春分日 自然をたたえ、生物をいつくしむ。』に改め、『天皇誕生日 十二月二十三日 天皇の誕生日を祝う。』を削る。」と定められている<ref name="特例法条文"/>ので、このままでは明仁の退位後は12月23日は祝日でなくなることになるが、2017年[[12月21日]]の記者会見では、「平日とするのか、あるいは新たな国民の祝日とするかは国民各層の幅広い議論が必要」と、官房長官の菅は述べた。しかし、明仁の退位後に「上皇誕生日」のような祝日を設けると、明仁と徳仁で二重の権威を持っていると思われる恐れがあるため、当分は平日とすべきとの指摘がこの時点であった<ref>{{cite web|title=天皇誕生日は2月23日、12月23日は当面平日に…政府検討入り|url=https://www.sankei.com/politics/news/171221/plt1712210032-n1.html|website=産経ニュース|publisher=産経新聞社|date=2017-12-21|accessdate=2019-12-13}}</ref>。2018年[[2月1日]]に政府が公表した2019年の祝日でも、4月30日に12月23日を誕生日とする明仁が退位し、5月1日に[[2月23日]]を誕生日とする徳仁が即位するため、[[1948年]]に国民の祝日に関する法律が施行されて以来初めて、天皇誕生日がない年になるとされた<ref>{{cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26424440R00C18A2PP8000/|title=初めて天皇誕生日なし 政府が19年の祝日発表|website=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=2018-02-01|accessdate=2019-12-13}}</ref>。また、[[2月13日]]には、即位礼正殿の儀が行われる日も休日<ref group=* name="祝日と休日"/>とすることが検討され始めたと報じられた<ref>{{cite web|url=https://www.nippon.com/ja/behind/l10784/|title=政府、「即位の礼」休日化検討=来年10月、祝賀ムード醸成 |publisher=公益財団法人ニッポンドットコム|website=nippon.com|date=2018-02-13|accessdate=2019-12-13}}</ref>。そして、[[6月26日]]には、2019年5月1日を祝日<ref group=* name="祝日と休日"/>とすることで最終的な調整が始まったと報じられた<ref>{{cite web|url=https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_seisaku-houmushihou20180626j-08-w600|title=【図解・政治】2019年の大型連休をめぐる日程(2018年6月)|publisher=時事通信社|date=2018-06-26|accessdate=2019-12-13}}</ref>。2018年10月12日に行われた 天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会の第1回委員会では、内閣総理大臣の安倍晋三が、2019年5月1日と、即位礼正殿の儀が行われる2019年10月22日の両方を祝日とし、2019年4月30日と同5月2日を休日とする検討を進める旨を発言した<ref name="式典1"/>。その後、2018年[[11月7日]]には[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]内閣第1部会で、2019年5月1日と同年10月22日を祝日とする特別法案が了承され<ref>{{cite web|url=https://www.sankei.com/politics/news/181107/plt1811070014-n1.html|title=自民、「10連休」法案を了承 皇太子さま即位に伴い|publisher=産経新聞社|website=THE SANKEI NEWS|date=2018-11-07|accessdate=2019-12-13}}</ref>、13日には閣議決定された。その日のうちに衆議院に提出され<ref>{{cite web|url=https://www.sankei.com/politics/news/181113/plt1811130004-n1.html|title= 即位10連休法案を閣議決定 政府、今国会成立目指す 来年1回限り|website=THE SANKEI NEWS |publisher=産経新聞社|date=2018-11-13|accessdate=2019-12-13}}</ref>、[[12月4日]]には衆議院を通過した<ref>{{cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38507790U8A201C1EAF000/|title=即位日を「祝日」にする法案、衆院通過|website=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=2018-12-04|accessdate=2019-12-13}}</ref>。[[12月8日]]には参議院本会議で可決され、成立した。前述のように、4月30日と5月2日は休日となったため、2019年のゴールデンウイークは[[4月27日]]から[[5月6日]]までの10連休になることとなった<ref name="10連休関連法">{{cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38702970Y8A201C1EA3000/|title=来年GW10連休、関連法が成立|website=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=2018-12-08|accessdate=2019-12-13}}</ref>。
 
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日本国外のメディアも、明仁の退位を大きく取り上げた。[[ニューヨーク・タイムズ]]は、5話にわたる特集を組み、明仁の退位・徳仁の即位やそれに伴う儀式の記事を出した。また、[[ワシントンポスト]]は、明仁の夫妻の慈悲深さや国民との距離の深さに触れて報道した<ref>{{cite web|title=天皇陛下の即位と退位、海外メディアはどう伝えたか?|url=https://www.huffingtonpost.jp/entry/japan-emperor_jp_5cc8f476e4b0d123954c0add|date=2019-05-01|author=Yuko Funazaki|website=HUFFPOST|publisher=AOL|accessdate=2019-12-17}}</ref>。
 
新元号である「令和」の英訳について、「令和」の「令」をorder、すなわち「命令」の意味だと報道する海外メディアが現れたことから、[[外務省|日本の外務省]]は2019年[[4月3日]]、各国の在外公館に、「令和」の意味を対外的にbeautiful harmony、すなわち「美しい調和」と説明するように求めた<ref>{{cite web|url=https://mainichi.jp/articles/20190403/k00/00m/010/247000c|title=令和は「Beautiful Harmony」外務省が英語の趣旨説明|website=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|date=2019-04-03|accessdate=2019-12-17}}</ref>。
 
==年表==
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*11月14日から11月15日 - 大嘗宮の儀が行われる<ref name="大嘗宮の儀"/>。
*12月4日 - 徳仁の即位に伴う行事が終了する<ref name="行事終了"/>。
*12月27日 - [[皇統譜]]に明仁の退位と徳仁の即位に関する儀式を執行したことが登録された<ref name=NHK20191227>{{Cite news|title= 皇室の戸籍「皇統譜」 退位・即位を登録|newspaper=[[日本放送協会|NHK]]|date=2019-12-27|url= https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191227/k10012230961000.html?utm_int=detail_contents_news-related_004|accessdate=2020-1-1|archiveurl = http://archive.ph/wuHwq|archivedate = 2020-1-1 }}</ref>。
 
===2020年===
*4月19日 - 立皇嗣の礼が行われる予定<ref name="式典1"/>。(予定)
==備考==
===「(生前)退位」か「譲位」か===