「シュルレアリスム」の版間の差分

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ページ番号等追加、他の箇所に記述あるものはhow不要、歴史は「前史」ではない、先駆であって「再評価」に限定されない等
Hparis11edさま。「日本では当初「超現実主義」と訳された」の出典が不要な理由をご教授願います。「詩集『アルコール』によってフランス詩を大きく変え」た点を具体的に書いてもらわないと門外漢には理解不能です。ここは理解できる人だけが読めばいいサイトなのですか?マルクスも同様。「フランス共産党」ならまだ理解できますが。それにここはブルトンの項ではないんですから、マルクスに言及する必要があるのでしょうか?ぜひお教えください。あとの年記・ページ数等はありがとうございました。
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{{Redirect|シュール}}'''シュルレアリスム<ref>日本でのカタカナ表記は、フランス語と英語の発音が混同され「シュールレアリスム」、「シュールリアリスム」、「シュールレアリズム」、「シュールリアリズム」、「シュルレアリズム」、「シュルリアリズム」、「シュルリアリスム」などの表記揺れがある。</ref>'''({{lang-fr-short|surréalisme}}<ref>{{IPA-fr|sy(ʁ)ʁealism}}</ref>、{{lang-en-short|surrealism}}<ref>{{IPA-en|səˈri(ə)lɪz(ə)m}}</ref>)は、[[戦間期]]に[[フランス]]で起こった作家[[アンドレ・ブルトン]]を中心とする文学・芸術運動である。すでに1919年から最初のシュルレアリスムの試みである[[自動記述]]が行われていたが、1924年にブルトンが『[[第一宣言|シュルレアリスム宣言]]』を発表し、運動が本格的に始まった。ブルトンはこの宣言でシュルレアリスムを「口頭、記述、その他のあらゆる方法によって、思考の真の動きを表現しようとする純粋な心的[[オートマティスム]]。[[理性]]による監視をすべて排除し、美的・道徳的なすべての先入見から離れた、思考の書き取り」と定義した<ref>{{Cite book|title=Manifestes du surréalisme|date=|year=1985|publisher=Gallimard|author=André Breton|series=Folio|language=fr|page=36}}</ref>。シュルレアリスムは[[ジークムント・フロイト]]の[[精神分析学|精神分析]]と[[カール・マルクス]]の[[革命]]思想{{How|date=2020年3月}}を思想的基盤とし、[[無意識]]の探求・表出による人間の全体性の回復を目指した。ブルトンのほか、[[ルイ・アラゴン]]、[[ポール・エリュアール]]、[[フィリップ・スーポー]]、[[バンジャマン・ペレ]]らの[[詩人]]を中心とする文学運動として始まったが、[[ジョルジョ・デ・キリコ]]、[[マックス・エルンスト]]らの[[画家]]や[[マン・レイ]]らの[[写真家]]が参加し、1920年代末頃から[[スペイン]]や[[ベルギー]]からも[[サルバドール・ダリ]]、[[ルイス・ブニュエル]]、[[ルネ・マグリット]]、{{仮リンク|カミーユ・ゲーマンス|fr|Camille Goemans}}らが参加。分野もダリとブニュエルの『[[アンダルシアの犬]]』に代表される[[映画]]などを含む多岐にわたる芸術運動に発展した。
 
一方、フランスのシュルレアリスムが日本において前衛芸術として発展を遂げたのは1930年代以降のことであり、以後、ブルトンが提唱した無意識の探求という本来の目的から離れ、「現実離れした奇抜で幻想的な芸術」という意味で「シュール」という日本独自の概念・表現が生まれることになった<ref>{{Cite web|url=https://www.polamuseum.or.jp/sp/surrealism/o_20191215_1/|title=シュルレアリスムと絵画|accessdate=2020-03-11|publisher=[[ポーラ美術館]]|date=2019-11-14}}</ref>。
 
日本では当初「超現実主義」と訳された{{要出典|date=2020年3月}}
 
== 歴史 ==
1910年代に詩集『アルコール』(1913年)によってフランス詩を大きく変え<ref>[[浅野晃]]「解説」、浅野晃編『フランス詩集』白鳳社、1986年、200頁。</ref>{{How|date=2020年3月}}、美術評論『[[キュビスム]]の画家たち』(1913年)によって[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]、[[ジョルジュ・ブラック|ブラック]]、[[フランシス・ピカビア|ピカビア]]、[[マルセル・デュシャン|デュシャン]]らの前衛芸術家を支持した[[ギヨーム・アポリネール]]は、アンドレ・ブルトン、[[フィリップ・スーポー]]、[[ピエール・ルヴェルディ]]ら、後にシュルレアリスト運動を牽引することになる若手作家をつなぐ役割を果たした<ref>{{Cite web|title=歴史 - 1887-1930 カフェ・ド・フロールでのシュルレアリスムの誕生|url=https://cafedeflore.fr/%e6%ad%b4%e5%8f%b2/?lang=ja|website=Café de Flore|accessdate=2020-03-12|language=ja|publisher=}}</ref>。1917年に初演され、一大スキャンダルを巻き起こした、[[ジャン・コクトー]]の[[台本]]、[[エリック・サティ]]の音楽、[[パブロ・ピカソ]]の[[舞台芸術]]、[[レオニード・マシーン]]の[[振付師|振付]]による前衛[[バレエ]]『[[パラード (バレエ)|パラード]]』を支持し、プログラムを書いたのもアポリネールであった。彼はこのプログラムで初めて「シュルレアリスム」という言葉を用いた<ref name=":12">{{Cite web|title=アポリネール|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%AB-27064|website=[[コトバンク]]|accessdate=2020-03-16|language=ja|publisher=|author=[[窪田般彌]]|work=小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』}}</ref>。さらに、翌1918年にはシュルレアリスム[[演劇]]の先駆となった彼自身の[[戯曲]]『ティレジアスの乳房』が上演された<ref>{{Cite web|title=《ティレジアスの乳房》|url=https://kotobank.jp/word/%E3%80%8A%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%81%AE%E4%B9%B3%E6%88%BF%E3%80%8B-1372021|website=コトバンク|accessdate=2020-03-16|language=ja|publisher=}}</ref>。
[[ファイル:Exposition_Max_Ernst_Paris_1921.jpg|リンク=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Exposition_Max_Ernst_Paris_1921.jpg|代替文=|サムネイル|290x290ピクセル|オ・サン・パレイユ社で開催されたマックス・エルンスト展(1921年5月2日):左から創設者ルネ・イルソム、バンジャマン・ペレ、{{仮リンク|セルジュ・シャルシューヌ|fr|Serge Charchoune|label=}}フィリップ・スーポー(上部)、{{仮リンク|ジャック・リゴー|fr|Jacques Rigaut|label=}}(逆さま)、アンドレ・ブルトン]]
シュルレアリスム運動を牽引したブルトン、アラゴン、エリュアール、スーポー、バンジャマン・ペレらは1910年代末から1920年代初頭にかけて起こった文学・芸術運動[[ダダイスム]]にも参加していた。ブルトン、アラゴン、スーポーが創刊した「反文学」の文学雑誌『{{仮リンク|リテラチュール|fr|(Littérature (revue)}}(文学)』には、1920年に[[トリスタン・ツァラ]]をはじめとし多くのダダイストが寄稿し、ダダイスムの機関誌の役割を担っていたが<ref>{{Cite web|title=Littérature. Edited by Louis Aragon, Andre Breton, and Philippe Soupault. Paris, 1919-1924. 20 numbers; new series, 13 numbers|url=http://sdrc.lib.uiowa.edu/dada/litterature/|website=sdrc.lib.uiowa.edu|accessdate=2020-03-12|publisher=University of Iowa|language=en}}</ref>、1921年頃からブルトンとツァラが対立し、運動内部の分裂につながった。根本的には、既成の秩序を破壊し、すべてを無意味化しようとするダダイストと、むしろ無意味、あるいは従来無意味とされてきた[[夢]]や無意識のなかに意味を見いだそうとする後のシュルレアリストの思想的な対立であった<ref>{{Cite journal|last=Carassus|author=|first=Émilien|year=|date=1985|title=De quelques surréalistes et du «Procès Barrés» Lettres inédites de Louis Aragon et de Pierre Drieu la Rochelle à Maurice Barrés|url=https://www.persee.fr/doc/litts_0563-9751_1985_num_13_1_1370|journal=Littératures|volume=13|issue=1|page=|pages=151–168|language=fr|doi=10.3406/litts.1985.1370}}</ref>。