「マリヤ・スクラートヴァ=ベリスカヤ」の版間の差分
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'''マリヤ・グレゴリエヴナ・スクラートヴァ=ベリスカヤ'''([[ロシア語]]:Мария Григорьевна Скуратова-Бельская / [[英語]]:Maria Grigorievna Skuratova-Belskaya, ? - [[1605年]][[
==生涯==
[[File:Makovsky False Dmitrys agents murdering Feodor Godunov and his mother 1862.jpg|thumb|left|殺害されるマリヤとフョードル2世
[[イヴァン4世]]のお気に入りだった[[オプリーチニキ]]の首領[[マリュータ・スクラートフ]]の娘だった彼女は、[[1570年]]あるいは[[1571年]]に当時はまだ無名だったオプリーチニキ隊員のボリス・ゴドゥノフと結婚した。
その後、ボリスは次第に出世していき、[[1584年]]にイヴァン4世の息子[[フョードル1世]]の摂政
だが、
==参考文献==
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