削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
4行目:
== 樺太からの引揚げ ==
{{Main|樺太の戦い (1945年)}}
[[1945年]](昭和20年)[[8月15日]]に、[[大日本帝国]]政府は[[ポツダム宣言]]を受諾し、降伏文書への調印意思を連合国へ通達、翌日には各軍への停戦命令の布告及び武装解除を行った。これに対応し[[イギリス軍]]や[[アメリカ軍]]は即座に戦闘行為を停止したが、[[8月9本軍の樺太守備部隊はまだ停]]に[[ソ連対日参命令を受けず、|対日参戦]]したソ連軍と戦いを続けは当時大日本帝国領だった樺太にそのまま侵攻した。
 
ソ連軍の攻撃から避難させるため、[[大津敏男]][[樺太庁|樺太庁長官]]は長官命令で婦女子や老人を優先的に本土に送還させるため[[大泊町|大泊]]港の小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸に分乗させ本土に引き揚げさせようとした<ref name=shugiin19660426>{{cite web| url = http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/051/0388/05104260388030c.html| title = 第051回国会 内閣委員会 第30号| publisher = [[衆議院]]、国立国会図書館| date = 1966-04-26| accessdate = 2010-02-28}}</ref>。
 
50 ⟶ 51行目:
* 事件の犠牲者は1,708名とされているが、疎開の混乱時であり乗船者名簿等はなく正確な乗船人員は不明。遺体が確認されていない行方不明者も相当数いるため、実際の犠牲者は更に多かった可能性がある。
* [[防衛省]]の『[[戦史叢書]]』によれば死者・行方不明者は1658名とされる<ref name="a"/>。
* 同じ[[1945年]](昭和20年)8月2220に東春丸が北海道方面でソ連潜水艦の雷撃で沈没8月24日に大地丸が朝鮮半島沿岸で空襲により沈没している。8月22日には樺太最南端の[[西能登呂岬]]南方海上においても、疎開者輸送のため樺太西岸の[[本斗町|本斗]]から大泊に向けて回航中の大阪商船の貨物船[[能登呂丸]](1,100トン)がソ連の航空機の雷撃により沈没した。
 
== 脚注 ==