「清水澄子 (政治家)」の版間の差分

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'''清水 澄子'''(しみず すみこ、[[1928年]][[3月1日]] - [[2013年]][[1月14日]])は日本の[[政治家]]。元[[参議院]]議員(2期)。[[日本社会党]]を経て[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]に所属した。「日朝国交正常化を求める連絡会」共同代表<ref>[http://korea-np.co.jp/j-2010/03/1003j0524-00002.htm 日朝国交正常化連絡会 「無償化」署名運動協力を呼びかけ]</ref>。
 
2012年、コリア国際研究所所長 [[朴斗鎮]]は、1987年8月の原水爆禁止世界大会、で秘密会談が行われ、北朝鮮工作機関と社会党婦人会議([[清水澄子]])、挺対協の前身と3者の連帯の密約が確認された。日韓の左翼と北朝鮮の連携の「アジアの平和と女性の役割のシンポジウム」を画策、1990年9月金丸訪朝団、1991年1月平壌で日朝国交正常化予備会談、日本の賠償金1兆円と日韓分断戦略として慰安婦問題に金日成は目を付けた、1990年11月挺対協結成、1991年5月から密約実行、南北合意し挺対協、北朝鮮工作機関と社会党婦人会議([[清水澄子]])共闘に合意、三木元首相夫人の助けを得る(海部が首相のため)、北朝鮮工作員にビザが容易に降りた、KCIAが出てきても、社会党では対応できないが、海部首相なら処理できた、三木元首相夫人が発起人になり自宅で秘密会合、1992年9月に平壌で第3回アジアの平和と女性の役割のシンポジウムで金日成主席と会談して、ここから従軍慰安婦の日韓分断工作と賠償金1兆円工作が本格的に動き出す<ref>日朝冷戦構造の誕生―1945-1965 封印された外交史 (日本語) 単行本 – 2012/1/19</ref>。
 
挺対協はおばあさんを助けるという名目で日韓分断工作開始、別の韓国左派運動家代表からは、「挺対協は、日本軍慰安婦問題の解決を望んでいない、彼らに必要なのは問題の深刻化であり、悪化であり、慢性化であり、その問題がそのまま維持されて大きくなること指摘し、それは、運動ではなく陰謀のための企画である。」、「日本政府の保証金を慰安婦が拒否するようにあらゆる術数をめぐらし、受け取るおばあさん達を娼婦、売春婦と罵倒した、挺対協は個人的には甘い汁を吸い、日韓、韓米関係を破綻させ韓国を北朝鮮と中国に売り渡そうとした、歴代政権がしっかりしていれば反逆罪で処分できたはず、」と批判された。と述べている<ref>日朝冷戦構造の誕生―1945-1965 封印された外交史 (日本語) 単行本 – 2012/1/19</ref>。
 
 
== 略歴 ==