削除された内容 追加された内容
ドブルー&スカーフの極限定理
フォーク定理の件。および、日本における→日本語話者による
876行目:
 
[[ファイル:Randcorporationsantamonica.JPG|左|サムネイル|サンタモニカのランド研究所。[[米国]][[空軍]]の援助によって[[1948年]]に設立された。RANDという名称は"Research and Development"に由来する{{Sfn|鈴木|2014|p=109}}。]]
[[1950年代]]には[[米国]][[サンタモニカ]]の[[ランド研究所]]がプリンストン大学と並ぶゲーム理論の国際的な研究拠点であった。当時のランド研究所にはフォン・ノイマン、モルゲンシュテルン、[[ロイド・シャープレイ|シャープレー]]、[[ジェームズ・ミルナー|ミルナー]]、ナッシュなどが在籍しており、様々な研究が行われていた。特に、[[囚人のジレンマ]]実験や協力ゲーム実験などの[[実験経済学]]の先駆的研究は有名である{{sfn|鈴木|2014|pp=109-110}}。なお、数学者ミルナーはランド研究所における実験がゲーム理論の結果に合わなかったことを理由にゲーム理論の研究を辞めてしまったと言われている{{Sfn|鈴木|2014|p=110}}。しかし、この「囚人のジレンマ」実験による理論の反証は「実験が同じ2人のプレイヤーの繰り返しによって行われるからであり、それは1回限りのゲームとは異なる状況である」と解釈され、1950年代末には「囚人のジレンマ」型ゲームでも無限回繰り返すことによって[[パレート効率的]]な均衡利得実現すあり得ることが知られるようになった。この定理は誰が最初に証明したのか定かでないため、「[[フォーク定理]](民間伝承定理)」と呼ばれている{{Sfn|鈴木|2014|p=185}}。[[1953年]]には「プリンストン赤本シリーズ」として『ゲーム理論論文集第2巻』が[[ハロルド・クーン]]と[[アルバート・タッカー]]によって編纂・刊行された。この論文集の中で、[[ロイド・シャープレー]]がフォン・ノイマンの1928年の研究を{{mvar|n}} 人協力ゲームに拡張し、[[シャープレー値]]と呼ばれる概念の存在を証明している。また、クーンはこの論文集の中で、[[ゲーム理論#ゲームの構成要素|行動戦略]]や[[展開型ゲーム#完全記憶ゲーム|完全記憶]]などの概念を導入し今日「[[展開型ゲーム]]」と呼ばれる理論の基礎を築いている。さらに、[[デイヴィッド・ゲール]]は戦略集合が無限の場合に「ツェルメロの定理」が成り立たないことを証明した{{Sfn|鈴木|1999|pp=186-187}}。
 
1953年にGilliesの学位論文の中で初めて登場した[[コア (ゲーム理論)|コア]]の概念はタッカーらの編著『ゲーム理論論文集第4巻』([[1959年]])の中で特集されて初めて学界に認められるようになった。この論文集の中で[[マーティン・シュービック]]が[[一般均衡理論]]における[[契約曲線]]が協力ゲームのコアであることを示しており、これ以来、経済学におけるコアの重要性が認識されるようになった{{Sfn|鈴木|1999|p=191}}。
948行目:
この他の2000年以降に進展した学際交流として、'''量子ゲーム理論'''({{lang-en-short|''quantum game theory''}})がある。[[1998年]]に[[カリフォルニア大学サンディエゴ校]]の[[物理学者]]ディヴィッド・マイヤーが[[マイクロソフト]]に招待されて[[量子計算]]について講演を行った際に、[[量子物理学]]でいう「混合状態」にある多元的現実の概念をゲーム理論に導入する、というアイデアを紹介した{{sfn|ジーグフリード|2008|pp=292-293}}。マイヤーのこのアイデアを元にした研究論文が[[1999年]]に『フィジカル・レビュー・レターズ』上に掲載されて以降、数学者や物理学者たちが数十本の量子ゲームに関する論文を公刊しており、量子的公共財ゲームや量子情報を用いた組み合わせオークションの運営などが分析されている{{sfn|ジーグフリード|2008|pp=297-305}}。
 
=== 日本語話者おけるゲーム理論研究 ===
==== 角谷静夫による貢献 ====
[[ファイル:Shizuo Kakutani.jpg|サムネイル|右|[[角谷静夫]]。大阪出身の数学者。[[東北大学|東北帝国大学]]卒業後に出向いた[[プリンストン高等研究所]]では[[ジョン・フォン・ノイマン]]のもとで数学の研究をしており、日本人で初めて『ゲームの理論と経済行動』を読んだ人物とされる{{Sfn|鈴木|2007|p=230}}。]]